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半年でiPhone売上4億円の男は今"旅"で儲ける

プレジデントオンライン / 2019年9月13日 6時15分

タビナカ CEO 三木健司氏

訪日外国人客が年間3千万人を超え盛り上がる日本だが、世界でも旅行マーケットは成長中。とくに注目されているのは、旅行中のマーケットを指す「旅ナカ」だ。まさにその名前を冠したスタートアップがある。29歳の三木健司氏が率いる「タビナカ」だ。同社は現地でのオプショナルツアーの予約サイトやアクティビティ会社を自社運営し、世界で展開。孫正義氏に憧れて事業を起こした若き起業家は、どのようなビジョンを描いているのか。田原総一朗が迫る――。

■南国ビーチで、裸一貫からのスタート

【田原】三木さんは孫正義に憧れて起業家になろうと思ったそうですね。高校卒業後に米国に行った。孫さんは留学していたけど、三木さんは何をしに?

【三木】孫さんが16歳で渡米したので、僕も米国で次のキャリアを考えようと思いました。米国で起業するのもいいし、難しければ孫さんのように大学に進学するのもいいかなと。

【田原】行き先はカリフォルニア。そこで具体的に何を?

【三木】まずはいろんな起業家に会いました。僕が渡米したのは2008年で、スマホが一気に普及したころ。スマホのアプリをつくっている人や、ITのサービスを立ち上げた人、それと、もともと観光には興味があったので、観光ビジネスに携わる人にも話を聞きにいきました。

【田原】それで何がわかった?

■帰国してiPhoneを売る

【三木】スマホの普及を肌で感じたことですかね。若い人がみんなスマホを触っていて、これは日本もすぐにそうなるなと。自分も何か動かないといけないと思って、帰国してiPhoneを売ることにしました。

三木健司●1990年、兵庫県生まれ。高校卒業後、単身で渡米。現地で見たiPhoneに可能性を感じ、日本でソフトバンクの代理店を展開。その後会社を売却し、世界に通用する事業をつくろうと海外を渡航。2014年にタビナカを設立。

【田原】売るって、販売代理店?

【三木】関西が地元なので、まず大阪の販売代理店に入社しました。営業マンが50人くらいの会社でしたが、1カ月でいきなり僕が売り上げ1位になりまして。しかも、2位の人とは4倍くらいの差があった。これならいけると思って、翌月にはもう個人で販売をしていました。

【田原】いきなり1位って、どうしてそんなに売れたの?

【三木】営業というものに対して固定観念がなかったんですよね。ほかの営業マンはお客様と一対一で営業をかけていましたが、僕は1回で4人くらい集めてまとめて営業をしていました。アポの数も、平気で1日に15件ほど入れたりしていた。業界の常識というものに縛られずにやったからですかね。

【田原】独立して店を持たれる。

【三木】最初は訪問販売で1人でやって、月200台近く売りました。それから人を巻き込んで、九州や名古屋でも展開していきました。

【田原】人を巻き込むって?

【三木】学生に売ろうと、いろんな大学のサークルのリーダーに声をかけました。ツイッターでキーパーソンを探してアプローチしました。たとえば同志社大も京大も1学年で3000人以上います。そのネットワークにつながって広げられたら、大きなビジネスになるなと。実際、半年で4億円近い売り上げになりました。

【田原】当時まだ10代ですよね。億はすごい。そのビジネスをどれくらい続けたの?

【三木】3~4年やったかな。それと並行して、飲食店の空いている時間を活用して「街バル」や「街コン」といったイベントを開いたりしていました。これも各都市でつながったネットワークが役に立ちましたね。

【田原】それから?

【三木】21歳のときにビジネスを整理して、一部を売却しました。それでもうサラリーマンの生涯年収分くらいは稼いでしまった。じゃあ次に何をしようかと考えて、思い至ったのが旅行でした。スマホをたくさん売る中で、生活がスマホで便利になるさまを間近で見てきました。テクノロジーの力で変わっていく世の中を肌で感じるために、とりあえず世界中のいろんなところに行ってみようかなと。

【田原】資料によると、タイで大変な事件に巻き込まれたそうですね。

【三木】プーケット行きのバスで強盗に遭いました。山奥で急に僕だけ無理やり降ろされて、別のバンに乗り換えさせられました。僕はバックパックじゃなくてキャリーバッグで移動していたので、お金がありそうに見えたんでしょうね。一応プーケットまで運んでくれましたが、僕の荷物を載せたまま走り去ってしまって。

【田原】プーケットで降ろされたときは無一文でパスポートもなし?

■観光客にマリンアクティビティを売る

【三木】はい。どうしていいかわからずに、とりあえずパトンビーチという有名なビーチまで歩いて行きました。そこで途方に暮れていたら、パラセーリングやジェットスキーといったマリンアクティビティを勧めるビーチボーイが声をかけてきました。もちろん無一文なので何もできません。断っているうちにひらめいたのが、逆に僕が彼らを手伝って観光客にマリンアクティビティを売ること。それで手数料をもらえれば、とりあえず急場はしのげると考えました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】普通は強盗に遭ったら警察に駆け込むか、日本人に事情を話してお金を貸してもらうよ。自分で稼ごうという発想はなかなか出てこない。

【三木】なんていうか、何もないところから自分でつくり出すのが好きなんですよね。

【田原】実際それはうまくいったの?

【三木】はい。ホテルやビーチを歩いている日本人に声をかけてマリンアクティビティの会社に送客しました。日本人観光客は、タイ人より日本人である僕に声をかけられたほうが安心だったようです。「じつはいま無一文で困ってる」と本当のことを明かしたのもよかったのかもしれません。何組か送客したらアクティビティ会社のオーナーにも信用してもらえて、その日のねぐらも確保できました。

【田原】警察には行かなかったの?

【三木】行きました。だいたい2カ月後ですが。

【田原】どうしてすぐ行かなかったの?

【三木】じつは盗まれたキャリーバッグに160万円近く入っていました。僕としては、それをプーケットでのビジネスで取り返すというか、何か次につなげたいという思いがあって、警察に届けるのは後回しにしました。

【田原】その感覚がよくわからないな。そもそもビジネスといっても、観光客の送客じゃたいしたことないでしょ?

【三木】プーケットにはおもしろい遊びがたくさんあります。映画『ザ・ビーチ』のロケ地になったピピ島のアイランドホッピングなんて、本当にきれいですばらしい。でも、観光客の多くはピピ島を知らないか、知っていても行き方や遊び方を知らなかったんです。そこでアクティビティ会社と話して一緒にツアーを企画したりしました。日本にいたころはITをかじっていたので、ウェブページをつくってあげたりも。2カ月で月100万円くらい稼いだんじゃないかな。

【田原】日本にはいつ帰国したの?

【三木】2カ月後です。パスポートが再発行されたので。

【田原】日本に戻って何を?

■世界にはおもしろい遊びがたくさんある

【三木】プーケットでの経験を通して、世界にはおもしろい遊びがたくさんあるのに、うまく商品化されていないことを知りました。一方、観光客のほうも団体旅行から個人旅行にシフトしていく中で、おもしろい遊びに出合えずにいる。この課題を解決するビジネスをやろうと考えて、まず東京に出ました。といっても、東京に知り合いはそれほどいません。世界に向けたビジネスをするには、いろいろな人の助けが必要です。そこで、まずはスタートアップのコミュニティーに入るため、投資家やエンジェルの方に会いました。同時に事業の構想を練って、半年から1年くらいかけて形にしました。会社を設立したのは14年1月です。

【田原】事業というのは、アクティビティと観光客のマッチング?

【三木】最初に一気に、世界300都市1万ツアーをウェブ上で企画しました。それに対して集客したら、月1000人弱集まりました。

【田原】三木さんはオプショナルツアーのプラットフォームをつくろうとしたのかな。つまり旅行業界のグーグルとかアマゾンになろうとした?

【三木】そのつもりでした。ただ、ウェブでツアーを申し込めるプラットフォームは、それこそグーグルやアマゾンがいずれつくってしまうかもしれません。また、実際に始めてみると、お客さんは大勢集まるのに、現地のアクティビティ会社の体制が追いついていないことがわかりました。供給側の質が低いままマッチングをやっていても、お客さんに感動を届けるのは困難です。ならばプラットフォームで集客しつつ、自分たちでコンテンツもつくったほうがいい。そう考えて、約1年前からアクティビティをつくるほうにシフトしています。

【田原】おもしろい。いまはみんなプラットフォーマーを目指すけど、三木さんはコンテンツのメーカーになりたいわけだ。でも、質の高いコンテンツって具体的にどうするの?

【三木】いま僕たちは「ファントリップ」というブランドを展開しています。このブランドを、世界中の旅行者が安心、安全に旅行できるスタンダードにしたいと考えています。ツアーって、安心できないシーンも多いんですよ。たとえば僕が荷物を取られたのもそうだし、ガイドにお土産屋さんに勝手に連れて行かれたり、そもそもガイドが現地の言葉しか話せないこともある。あるいはホテルに泊まったら、部屋にゴキブリが出たり、シャワーが水しか出ないこともあります。そういうことがないように、どの国の人がどこに行っても安心して楽しめるツアーにします。

【田原】どうやって実現するの?

【三木】現地のアクティビティ会社に入ってアドバイスをしています。じつはいまでもノートに○×をつけてお客さんの管理をしているような会社が多いんです。そういった仕組みのところも含めてノウハウを提供しています。もし車を買い替えるお金がないのなら、資金の提供も可能。ファイナンスも含めて支援します。

【田原】現地の会社を支援するだけでなく、自分たちでもアクティビティ会社を立ち上げているんですか?

■ガイドの雇用が担保される

【三木】現地の支援から始めて、いまは自社で立ち上げた会社と、現地で買収した会社があります。現地のアクティビティ会社はとくに上場を目指していませんが、僕たちが買収することで送迎車が新しくなったり、ガイドの雇用が担保される。僕たちが上場まで行けばお金も入る。現地のオーナーから見ると願ったりかなったりです。

【田原】何社くらい買収したの?

【三木】いまグループは7社あって、うち5社が買収した会社です。ほかにも話をしている案件がいくつかあって、10社くらいで回すことになりそうです。

【田原】いま客数はどれくらい?

【三木】現在は月10万人弱です。仲間入りする会社が増えれば、そこもさらに伸びると思います。

【田原】どんどん会社を増やすと、品質の維持が難しくなるんじゃない?

【三木】いや、買収した会社が50点だとすると、僕たちのグループに入ってそれが60点や80点になっても、40点に下がることはないです。もともとある程度信頼できる会社しか仲間にしないし、そこはクリアできます。

【田原】ちなみにファントリップはいま何点ですか?

【三木】60点かな。旅行者の方に安心して遊んでもらえるレベルにはなりましたが、感動を呼ぶところまでは、もっとやれることがあるかなと。

【田原】三木さんは孫さんに憧れて起業家になった。もっと大きくなれば、ソフトバンクとの協業もありえるかもしれませんね。

【三木】孫さんのビジョンファンドは、ちょうど僕らの競合になる香港と欧州の会社に約500億円出資している。旅行市場には注目されているはずなので、僕らも孫さんに興味を持ってもらえる会社になりたいです。

【田原】孫さんは、もう自分でコンテンツをやる気はないよね? いまは事業家というより投資家だ。

【三木】僕たちはコンテンツをやりつつ、半分はそこを狙っています。旅行業界で現地の困っている人たちをファイナンスでサポートして、バリューアップしていくビジネスモデルですね。H・I・Sの澤田(秀雄)さんが起業したころ、旅行はニッチな産業でした。しかし、いまはみんなが余暇を楽しめるようになって、これからは世界の主要産業になっていきます。そのわりに、投資先としてはまだあまり注目されていないので、やるならいまのうちかなと。

【田原】澤田さんはコンテンツが好きだから、そこにエネルギーを注ぎすぎてしまって、会社が大きくならない。逆に孫さんはコンテンツに興味をなくして会社を大きくした。三木さんはいまのところ中間を狙っているみたいですね。将来どっちにいくのか、注目して見ています。頑張ってください。

三木さんへのメッセージ:世界中の人が使う旅行サービスをつくれ!

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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三木 健司(みき・けんじ)
タビナカ CEO
1990年、兵庫県生まれ。高校卒業後、単身で渡米。現地で見たiPhoneに可能性を感じ、日本でソフトバンクの代理店を展開。その後会社を売却し、世界に通用する事業をつくろうと海外を渡航。2014年にタビナカを設立。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗、タビナカ CEO 三木 健司 構成=村上 敬 撮影=宇佐美雅浩 撮影協力=アニバーサリークルーズ)

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