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韓国への輸出管理を厳正化すべき歴史的な事実

プレジデントオンライン / 2019年9月1日 9時15分

明は火薬の原料となる硝石の対日輸出を禁止していたが、ポルトガルがそれを横流しした結果、戦国時代の日本で鉄砲が広く普及することに――ポルトガル船(左)が日本の港に入港し、荷降ろしをしている様子を描いた、16世紀末の狩野道味作とされる南蛮屏風。 - 写真=GRANGER.COM/アフロ

日韓関係がギクシャクしている。直近の問題は、韓国に対する輸出手続き簡略化(ホワイト国扱い)の廃止だ。韓国は日本の対応を非難しているが、駿台予備学校で歴史講座を担当する茂木誠氏は「戦略物資の流通管理はいつの時代も重要なテーマだ。たとえば戦国時代の『鎖国』をめぐっても、似たようなことがあった」という――。

■なぜフッ化水素に「厳正な輸出管理」が必要なのか

韓国に対する3品目の輸出審査強化と、韓国に対する輸出手続き簡略化(ホワイト国扱い)の廃止が、「日本による経済制裁だ」と、韓国で激しい反発を引き起こしています。

しかし、韓国の貿易管理体制には、安全保障上の疑義があります。「半導体生産のため」という名目で韓国に輸出されていたフッ化水素などの工業原料の一部が行方不明になっているからです。フッ化水素は半導体の製造に不可欠ですが、同時に広島型原爆製造の前提となるウラン濃縮の際に大量に必要な物質でもあります。

「イエローケーキ」とも呼ばれる天然ウランのなかから、核分裂を引き起こすウラン235を抽出する作業を「ウラン濃縮」といいます。ウランは鉱石ですから、気体にするには3745度の超高温を維持することが必要です。

ところが天然ウランにフッ化水素ガスを反応させた「六フッ化ウラン」は、56.5度で気体になります。これを回転式のシリンダーに詰め、遠心力を使って比重の軽いウラン235を中心部に集めるのが遠心分離装置です。したがって、フッ化水素ガスなしにはウラン濃縮はできないのです。

フッ素は「蛍石」という鉱石に含まれ、これに濃硫酸を反応させたのがフッ化水素ガスです。スプーン1杯で致死量という猛毒であり、その生産と管理には万全の防護が必要です。2012年に韓国のクミ市の化学工場で、タンクローリーに積んだフッ化水素ガスを工場タンクに詰め替える際に起きた流出事故では、従業員5人が死亡、住民4000人が健康被害に遭いました。

中国は蛍石の大生産国ですが、いまだに高品質フッ化水素の量産システムを確立できていません。世界のフッ化水素の供給シェアのじつに80%を日本が占め、その大半を森田化学工業が独占しています。

さらにフッ化水素ガスは、科学兵器のサリンガス、VXガスの原料でもあります。こうした物質が、不適切な貿易管理によって第三国に流出するようなことはあってはなりません。世界の安全保障にかかわる戦略物資であるフッ化水素の輸出を、日本政府が厳正に管理するのは当然のことです。

■中世の戦略物資だった「硝石」と「硫黄」

現代の「ウラン」や「フッ化水素」に似ているのが、中世の「硝石」と「硫黄」でしょう。これらは宋代の中国で開発された黒色火薬の原料で、木炭と硫黄3+酸化剤の硝石7の割合で配合します。鉱山開発のほか、兵器としても使われました。

宋代に発明されたのは火槍(かそう)という兵器で、槍の先で火薬を爆発させ、敵を威嚇したり、殺傷したりしました。宮崎アニメの「もののけ姫」に出てくる「石火矢」は、この火槍がモデルのようです。南宋を制圧したモンゴル軍がこれを改良し、当時モンゴル帝国の支配下にあったイスラム世界や欧州へ伝えました。英仏百年戦争で大砲が、イタリア戦争では鉄砲が使われています。

欧州式の鉄砲は、大航海時代にポルトガル人の手で日本に伝来し、大砲も明代の中国と日本にほぼ同時に伝わりました。これら火砲は原理的にはみな同じで、黒色火薬の爆発力で弾を飛ばすのです。

火薬がなければ、鉄砲もただの筒です。各国は火薬の原料となる戦略物資の硫黄と硝石の確保に躍起となりました。火山が少ない中国では硫黄の確保が困難で、火山国日本からの輸入に頼っていました。一方、硝石は窒素化合物であり、動植物の遺体や排泄物などの有機物をバクテリアが分解して生まれたもので、民家や家畜小屋の床下から採取されました。水溶性のため、露天では確保が困難で、湿潤多雨の日本では当時、硝石の自給は不可能でした。

■「硝石戦争」でもあった信長と石山本願寺の戦い

鉄砲で武装した海上武装商人団・倭寇に苦しめられた明朝は、日本への硝石の輸出を禁止していました。しかし、ポルトガル商人が横流しする中国産硝石は日本へ渡り、戦国時代の日本に鉄砲を普及させることになったのです。その窓口が長崎であり、大分(豊後中ノ浜)であり、大阪湾の堺でした。

当時の大阪平野は低湿地であり、のちに大阪城が建つ場所に、石山本願寺が建っていました。本願寺を総本山とする全国の一向宗(浄土真宗)の門徒たちは、武装して戦国大名と戦っていました。教団兵力の最精鋭部隊が、紀伊の根来寺を拠点とする雑賀衆(さいかしゅう)と呼ばれる鉄砲隊ですが、彼らに硝石を提供していたのが堺でした。

伊勢長島の一向一揆に苦しめられた織田信長は、堺の制圧なしには一向宗の制圧なしと悟りました。15代将軍足利義昭を奉じて上洛した信長は、堺の自治権を奪いました。石山本願寺は信長に激しく抵抗し、10年におよぶ石山戦争(石山合戦)が勃発。この戦争は宗教戦争であると同時に、硝石をめぐる戦いでもあったのです。戦いに敗れた顕如が大挙したあと、石山本願寺は取り壊され、その跡地にはのちに、豊臣秀吉の手で大坂城が築城されました。

本能寺の変で信長が倒れたあと、権力を握った秀吉は、九州平定を急ぎました。九州には、大友・大村・有馬・小西などのキリシタン大名がいて、硝石を手に入れるためにカトリックに改宗し、ポルトガル船とイエズス会宣教師を誘致していたからです。大村純忠は長崎港をイエズス会に寄進しています。宣教師たちに教唆されたキリシタン大名は神社仏閣を破壊し、「異教徒」である日本人奴隷の輸出にも手を染めていました。ポルトガル船が求めた商品は、日本産の硫黄と銀、それに日本人奴隷でした。

これらの事実を知った秀吉は、宣教師(バテレン)追放令を発し、ポルトガル人との貿易を管理下に置きました。こうして輸入硝石は、豊臣政権によって一元管理されることになったのです。

■輸出入管理がもたらした「徳川の平和」

茂木誠『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』(KADOKAWA)

関ヶ原の戦いを経て、この体制を引き継いだ徳川家康は、欧州ではスペイン・ポルトガルと敵対関係にあった新教国のオランダとイギリスに接近し、イギリスからは射程の長いカルバリン砲を輸入しました。これらの最新兵器は、大坂冬の陣で豊臣家を屈服させるのに効果がありました。

3代将軍家光は、長崎一港に貿易を制限し、オランダと中国にのみ通商を許しました。宣教師を送り込んでくるポルトガル船の来航を厳禁し、それでもマカオからやってきたポルトガル人を処刑しました。

これがのちに「鎖国令」と呼ばれる一連の通達であることは、『世界史とつなげて学べ 超日本史』で詳細に説明したとおりです。それは外国との貿易禁止ではなく、国家による貿易の一元管理と海外渡航の禁止を主眼とするものでした。その目的は、戦略物資である硝石の独占、銀の流出制限、奴隷貿易の禁止だったのです。かくして徳川家は鉄砲生産を独占し、260年におよぶ「徳川の平和」を可能にしたのです。

・敵と味方を見誤らない。
・戦略物資の輸出入を厳格にする。
・同盟国とは兵器を共有する。

徳川幕府から現代日本人が学ぶべき点はたくさんあります。

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茂木 誠(もぎ・まこと)
駿台予備学校世界史科講師
東京都出身。東大・一橋大など難関国公立大クラスを担当する。YouTube「もぎせかチャンネル」でのニュース解説も人気。『世界史で学べ! 地政学』ほか著書多数。

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(駿台予備学校世界史科講師 茂木 誠)

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