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米国人記者が驚いた「日本メディア」の談合体質

プレジデントオンライン / 2019年9月12日 6時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/microgen

国内の新聞社やテレビ局などで構成される「記者クラブ」は日本独特の制度だ。元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は「この制度の存在に何度も驚かされてきた。忖度や同調圧力が飛び交う雰囲気のなかで、半ば談合的に記事が生み出されているのではないか」と指摘する——。

※本稿は、望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー『同調圧力』(角川新書)の第3章「メディアの同調圧力」の一部を再編集したものです。

■「質問を事前に伝える」謎習慣

日本ならではのシステムと言っていい、この記者クラブ制度という存在に何度も驚かされてきた。

たとえば2003年。私はAP通信からウォール・ストリート・ジャーナルへ移り、東京支局の特派員として取材にあたっていた。日本銀行の福井俊彦総裁の記者会見が開かれ、私もぜひとも取材したいと日本銀行広報部へ連絡を入れた。返ってきたのは意外な言葉だった。

「私どもではなく、記者クラブの許可を取ってください」

記者クラブは加盟しているテレビや新聞各社が、持ち回りで幹事社を務めている。幹事社の担当記者に連絡を入れると、記者クラブ加盟社ではないという理由でいきなり断られた。食い下がると、ある条件つきで出席を許可された。それは福井総裁へ質問をしないことだった。

日本の場合は総理大臣をはじめとする政府高官の記者会見において、質問を事前に通告する習慣が定着している。アメリカではありえないことだ。たとえばトランプ大統領の記者会見では何をぶつけてもいい。

自分が取材を受ける場合、事前に言われていれば、考え方を整理しておくうえでも助かると思う。それ自体は悪くはないと思うが、答える側にとって都合の悪い質問を除外することを目的にしているとすれば、悪しき習慣だと言わざるをえない。

実際、日本の政府高官の記者会見は判で押したような質疑応答になっている。質問する側の例外の一人が東京新聞の望月衣塑子記者だ。質問するという記者として当たり前の仕事をしているようにしか見えないが、その望月さんが浮いているという状況が、今の日本メディアを物語っている。

■忖度と無縁だから独自取材ができる

話を記者クラブに戻そう。

国連特別報告者として世界各国の言論や表現の自由を調査しているデビッド・ケイさんが2016年4月に来日したとき、記者クラブの廃止に言及している。記者クラブはアクセスと排除を謳(うた)う存在であり、ゆえにフリーランスやオンラインのジャーナリストの不利益になっているという指摘はまさに的を射ていた。

ただ、記者クラブに加入していないからといって、ニューヨーク・タイムズ時代もウォール・ストリート・ジャーナル時代も、東京特派員として仕事がやりづらかったかと問われれば答えはノーだ。

ニューヨーク・タイムズは、政権に批判的なメディアというレッテルを官邸や外務省から貼られた。2009年に東京支局長に就き、官邸へあいさつに行ったときには前任者が書いた批判的な記事が取り上げられ、官邸で取材をする条件としてその前任者の記事を批判し、謝罪する文を官邸に提出するように求められたが、もちろん断った。忖度(そんたく)とも同調圧力とも無縁の環境だからこそ、調査報道や独自の取材に専念することができた。

■「談合的」に記事が生み出される仕組み

記者クラブは公的機関や業界団体などに、中央や地方を問わずに存在している。

加盟することで得られるメリットを考えてみると、各種の会見や発表に関する連絡が確実に届くことで、記者がストレスを感じることなく仕事ができる点があげられる。当局側としても媒体ごとに個別に対応するよりも、記者クラブという窓口を介して一括に連絡できることで、仕事の煩雑さを避けることができる。

アクセス・ジャーナリズム(権力者から直接情報を得る手法)はアメリカにも存在するが、必要以上に依存度が深まればさまざまな弊害が生まれる。忖度や同調圧力が色濃く飛び交う雰囲気となり、暗黙の了解のもとで、ストーリーを決める権利を情報源に譲ってしまう。半ば談合的に生み出された記事に果たしてどのような価値があるのだろうか。

■「脱ポチ宣言」を掲げた朝日の残念な撤退

朝日新聞は2011年10月、調査報道を専門とする特別報道部を東京本社内に立ち上げている。きっかけは東日本大震災および東京電力福島第一原発事故に関して、民主党政権や経済産業省、東京電力の発表を垂れ流す報道に終始して、信頼を失った苦い経験に対する深い反省だった。

記者は総勢30人。特別報道部のドアに「脱ポチ宣言」と書かれた紙を貼った。記者クラブの飼い犬にはならない——馴れ合い体質との決別を宣言する不退転のスローガンだった。

その後、数々のスクープを打った特別報道部が2014年5月20日の朝刊1面で大々的に報じた調査報道が、大きな波紋を広げた。

東京電力福島第一原発事故が発生した当時の所長、吉田昌郎氏が政府事故調の聴取に応じた際の記録で、約3年間にわたって非公開とされてきたいわゆる「吉田調書」のコピーを極秘裏に入手した。

約400ページにわたる文書のなかで特別報道部が注目したのは、福島第一原発に詰めていた所員の約9割にあたる約650人が、吉田所長が待機命令を出していたにもかかわらずに現場から撤退。結果として事故対応が不十分になった可能性があると言及されていた点で、見出しにはこんな文字が躍っていた。

〈原発所員、命令違反し撤退〉

しかし、朝日新聞は約4カ月後の9月になって、誤った記事だったとしてこのスクープを取り消している。さらには記事を書いた特別報道部の記者をデスクとともに処分し、木村伊量代表取締役社長も騒動の責任を取る形で同年末に辞任した。

内容的には正しかった。本来ならば見出しのなかの〈違反〉という言葉が誤解を招くとして、見出しの訂正が必要という程度だった。

おりしも朝日新聞は、激しいバッシングを浴びている渦中にいた。

吉田調書に関する記事を取り消す約1カ月前のこと。太平洋戦争中の済州島などで1000人を超える若い朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行したとする、吉田清治氏の証言に基づいた記事16本を取り下げると突然発表していた。

直後から激しい批判が浴びせられ始めた。ほかにも「吉田証言」を基にした慰安婦記事を掲載していた新聞が少なくなかったが、朝日新聞だけに批判が集中した背景には、ことあるごとに名指しで非難している安倍晋三首相の発言も大きい。

■アメリカのような「横のつながり」がない

追い打ちをかけるかのように、8月下旬になると「吉田調書」記事を誤報だとする反論が他紙に掲載された。読売新聞や産経新聞も「吉田調書」のコピーを入手し、朝日新聞を徹底的に攻撃する。政権へのスタンスをかんがみれば、吉田調書のコピーは権力者側からリークされたと見るのが自然だろう。やがては朝日新聞と同じリベラル派の毎日新聞にも、共同通信が配信した朝日新聞への批判記事が掲載された。

アメリカではメディアに対して理不尽な攻撃を仕掛けてくるトランプ政権を前にして、場合によってはトランプ応援団のFOXニュースと批判的なCNNが共闘することもある。使命感や倫理観が共有されているからこそ、横のつながりが会社やイデオロギーの差異を乗り越える。

■「ポチ」に戻ることを自ら選んだ

話を朝日新聞の「吉田調書」の件に戻せば、記事の取り消しや記者の処分以上に、ジャーナリズムを担う組織として重大な過ちを犯してしまった。

朝日新聞は特別報道部に所属していた記者の数を、いきなり半分ほどに減らしてしまった。部署こそ存続させたものの、金看板として掲げていくはずの調査報道に白旗をあげ、実質的に撤退した。

安倍政権や同業他紙、そして世論から非難の集中砲火を浴び、読者から寄せられていた信頼も著しく失墜。発行部数も激減していく危機のなかで、生き残るためには高いリスクを伴う調査報道を捨て、再びポチに戻ることを朝日新聞は自ら選んだ。

読者の期待を裏切ってしまった朝日新聞が、再びジャーナリズムの矜持(きょうじ)を見せたのは2017年2月。森友学園問題の調査報道まで待たなければならなかった。

■メディアは信頼を失い、レイシストが跋扈(ばっこ)する

ジャーナリズムが本来の役割、つまり権力の監視役を果たしていない状態が続けばどうなるのか。本来は面白いはずの政治に対する無関心だ。

日本は、革命の歴史がない民主主義国家である。国民が自分たちの手で王室やアンシャンレージムを倒して、民主主義を手に入れたという経験はない。そのため、主権が国民にあるという、民主主義の最も基礎的な考え方を持っていない。日本の今の民主主義は、占領軍が持ってきたものだから、国家が自分たちのものだという意識も薄く、お上(官僚)国を任せてしまう。権力者を常に監視しないとダメだという意識さえ薄い。そのため、権力側の意向を忖度するような報道があっても、あまり違和感を感じない。

既存のメディアに対する不信感も増幅されていく。しかし、生きていくうえで情報を得る作業は欠かせない。そして、情報が一方的に発信されるだけだった新聞、テレビ、雑誌などの既存のメディアに取って代わる存在となったのがソーシャルメディアだろう。

もっとも、オンライン上でユーザー同士が双方向で情報を共有することで成り立つソーシャルメディアは、情報を不特定多数へ素早く伝えられる利点がある一方で、いわゆるフェイク・ニュースが拡散されやすい点で、諸刃の剣だ。

そうした背景が、極端に偏った主張や感情論をツイッター上などで繰り返すTroll(荒らしや)という新しい存在を生み出した。意見があまりにも攻撃的で、主張も際立っているがゆえに目立つ。

歪んだ人間関係のなかで匿名にて発信できるツイッターは、荒らす人にとって理想的なツールだろう。

■「望まない圧力」にのみ込まれない人になる

いままで見聞きしたことのない状況に直面したときに、しっかりとした自分の考え方に添って物事をとらえ、行動していくうえで何よりも求められるのは正しい知識だ。新聞やテレビが自ら信頼性を放棄してしまったなかで、本来ならばアメリカのように新しいメディアが台頭してこなければいけない。

望月衣塑子、前川喜平、マーティン・ファクラー『同調圧力』(角川新書)

日本でも新しいメディアがようやく注目を集める状況が生まれている。早稲田大学ジャーナリズム研究所のプロジェクトとして2017年2月に発足し、1年後に独立した「ワセダクロニクル」は、調査報道を専門とする特定非営利活動法人(NGO)。編集長は朝日新聞出身だ。運営資金は寄付金でまかなわれ、発足と同時に開始されたクラウドファンディングでは4カ月で550万円超が集まった。

日本では企業をはじめとするさまざまな組織のなかに、家族の絆にも似たウエットな関係がもち込まれる手法が定着している。強い仲間意識のもとで、お互いを支え合う構造に居心地のよさを覚えるほど、自分なりの倫理観を貫きながら行動することが難しくなる。和を乱す、信頼できない人間というレッテルを貼られてしまうからだ。

自分が何をしたいのか。何をすることが正しいのか。ただ何となく生きるのではなく、強い覚悟と自尊心を貫けば、望まない圧力にのみ込まれることもない。

そのためにも、正確で公正な情報を届けてくれる、信頼に足るメディアを自分自身で選び、確保してほしい。時間と労力を要する作業になるが、無数の情報が飛び交うネット空間から自分の力で探し出すことが、頼もしい道しるべになるからだ。

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マーティン・ファクラー 元ニューヨーク・タイムズ 東京支局長
1966年アメリカ・アイオワ州生まれ。AP通信社北京支局、ウォール・ストリート・ジャーナル東京支局などを経て、2005年ニューヨーク・タイムズへ。09~15年同東京支局長。著書に『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)ほか。

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(元ニューヨーク・タイムズ 東京支局長 マーティン・ファクラー)

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