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地下鉄サリン「霞ケ関駅」の地獄をみた人たち

プレジデントオンライン / 2019年9月9日 15時15分

オウム真理教の信者によってサリンが散布された電車が停車中の地下鉄霞ケ関駅構内に向かう化学防護服を着用した東京消防庁化学機動中隊の隊員=東京都千代田区霞が関で1995年(平成7年)3月20日、東京本社写真部員撮影 - 写真=毎日新聞社/アフロ

1995年、麻原彰晃を尊師とするオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件。その惨劇の現場を実況中継する――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第1章「『オウムの狂気』に挑んだ6年」の一部を再編集したものです。

■地下鉄の惨劇

「オウムだ。間違いない。やったのはオウムだ」

テレビのニュース速報を食い入るように見つめながら、私は何度も呟いた。

1995(平成7)年3月20日、月曜日の朝だった。

オウム真理教の5人の信徒が、猛毒のサリンを入れたポリ袋を新聞紙で包み、先の尖ったビニール傘を持って、別々の地下鉄に乗り込んだ。傘の先端が尖っているのは、袋に突き刺して穴を開けるためだ。

5本の列車が交わるのは、都心の霞ケ関駅。朝8時前後にこの駅へ差しかかる各線は、中央官庁に勤める公務員の通勤ラッシュで満員になる。警視庁や警察庁、検察庁の職員が多く利用する時間帯に最大の被害を出し、教団への強制捜査を遅らせることが、教祖・麻原彰晃の狙いだったという。

霞ケ関駅への到着予定時刻は、

千代田線・我孫子発、代々木上原行が、8時11分。
丸ノ内線・池袋発、荻窪行が、7時58分。
丸ノ内線・荻窪発、池袋行が、8時9分。
日比谷線・中目黒発、東武動物公園行が、8時14分。
日比谷線・北千住発、中目黒行が、8時6分。

5人の実行犯は、霞ケ関駅に着いたときにサリンが車内に充満するよう、3駅から5駅手前でポリ袋に傘を突き刺し、地下鉄を降りた――。

■駅構内に広がる刺激臭

世界初の化学兵器テロ、日本で最大の同時多発無差別テロが炸裂する。13人が亡くなり、6300人以上の負傷者が出た。25年近くたった今も、視力障害や痙攣など、重い後遺症に苦しむ人がいる。

もっとも多くの死者を出したのは、⑤の日比谷線だった。小伝馬町駅で4人、八丁堀駅で1人、築地駅で3人。

『週刊文春』(95年3月30日号)は、サリンの恐怖を目の当たりにした人々の生々しい証言を載せている。

56歳の会社員、石井正武さんは、八丁堀駅で⑤に乗車した。

〈緊急停止ベルが鳴ると、石井さんが乗っていた日比谷線の車内はパニック状態となった。

「人が倒れたぞ!」
「電車を止めろ!」

叫び声が飛び交う。数分後、電車は隣の築地駅に到着。ホームにいた駅職員は、車内で苦しそうに助けを求めて手を振る女性を発見。慌てて電車に駆け寄ると、開いたドアから乗客五人が、口から泡を吹きながら、転がり出てきた。

駅構内にたちまち刺激臭が広がる。ホームにそのままへたり込んだ人が7、8人。一人はベンチにグッタリとくずおれてしまった。〉

■口から泡を吹いて目が半開きの男

築地駅。48歳会社員、松岡憲雄さんの証言。

〈「三両目の後方には3メートル四方くらいの水たまりがあり、それをはさむように2人が倒れていました。『死ぬ!』とか『救急車を呼んでくれ!』という悲鳴が聞こえました。

私も駅員さんと一緒になって、具合の悪くなった人を電車の外に引きずり出していましたが、目の前が暗くなり呼吸が苦しくなってきたので地上に出ました。地上では、先程まで先頭に立って救助に当たっていた駅員さんが、目をひきつらせて激しく痙攣していました」〉

築地駅の地上出口には、自力で脱出した50人くらいの人がうずくまっていた、と記事は続く。

〈ほとんどの人がハンカチで口を押えている。自分の吐瀉物で背広を汚して倒れている男性や、紫色がかった顔色で鼻と口から血を流している人もいる。〉

小伝馬町駅も修羅場と化していた。

〈「真ん中の車両のあたりから『ウ~ッ』と呻くような奇声が2、3回聞こえてきました。『ホームは空気が悪いようなので外へ出てください』とアナウンスがあって、みんなゾロゾロと出口の方へ歩き出しました。(中略)

地上に出ると、人がバタバタ倒れていて、口から泡を吹いて目が半開きの男の人もいました。本当に想像を絶する光景でした」(紙井智子さん・27・会社員)〉

■長く語り継がれる悲劇

そして、①の霞ケ関駅では、長く語り継がれる悲劇が起きた。

〈午前8時頃、乗客が「先頭車両に異臭を放つものがある」と通報。かけつけた高橋一正助役(50)が、新聞紙に包まれた容器を素手で200メートル離れた駅事務所まで運んだ。高橋助役はその直後に気分が悪くなり病院に運ばれたが、午前9時23分に死亡した。〉

地獄絵図、阿鼻叫喚。新聞紙面に躍ったそんな四字熟語が陳腐に思えるほど、あまりにも凄惨な現場だった。

事件発生から数時間とたたないうちに、警視庁は、残留物からサリンが検出されたと発表する。この時点で、私のオウムへの疑いは確信に変わった。

サリン事件から2日たった3月22日、山梨県上九一色村のサティアン群など、オウムの教団施設への強制捜査が始まった。4月に入ると、幹部クラス6人を次々に逮捕。教祖・麻原は、5月16日、上九一色村の隠し部屋に潜んでいたところを発見される。

新聞もテレビも雑誌も目の色を変えた。ありとあらゆるマスコミが、記者とカメラマンを総動員する態勢を整えた。この年1月17日に阪神淡路大震災が起こり、当時のマスコミは地震報道を中心に据えていた。それがサリン事件を境に、紙面も画面も誌面もオウム一色に塗り替わる。

■ワイドショーで流れた刺殺シーン

とりわけ血眼になったのが、民放テレビ局だ。朝と午後の各局ワイドショーは、ほとんどの時間をオウムで埋め尽くし、夕方から夜にかけては、「緊急報道スペシャル」とか、「報道特別番組・オウム真理教」略して「オウム特番」で競い合う。

逮捕が近いと囁かれるオウム幹部には、100人を超える記者と何10台ものカメラが張り付き、追いかけ回す。そんな「オウム取材フィーバー」のさなかに、惨劇が起きる。

4月23日夜8時30分過ぎ、取り囲む200人もの報道陣の目の前で、オウム幹部の村井秀夫が刺殺されたのだ。

港区南青山にあった、教団の東京総本部に入ろうとする村井に記者たちが群がり、質問を浴びせる。そこに突然、男が現れ、大型のナイフのようなもので、左腕と右脇腹を続けざまに突き刺した。苦悶に歪む村井の顔、騒然とする現場……その一部始終が、居合わせたテレビ局のカメラに収められたのだ。

刺殺シーンはワイドショーだけでなく、通常のニュース番組でも繰り返し流された。世論の厳しい批判を浴び、テレビ各局がようやく放映中止を決めたのは、4月27日のことだ。

犯人は、右翼の構成員を名乗る暴力団員だった。しかし供述は曖昧で辻褄が合わず、オウムとの接点も、背後関係も不明のまま、懲役12年の刑に服す。

殺された村井は、オウムの科学部門担当の責任者。サリン事件にからむ「口封じ」説も有力だったが、今に至るも真相は明らかにされていない。

■1億円でも足りない執念と熱意

過熱する一方の「オウム特番」に必ず招かれ、いつも冷静にコメントしていたのが、ジャーナリストの江川紹子さんだ。番組がしばしば興味本位の話題に走りそうになると、ひとり真っ当な意見を述べて、流れを引き戻す。

松井 清人『異端者たちが時代をつくる』プレジデント社

1989年に起こった「坂本弁護士一家殺害事件」以来、まる6年にわたってオウムを追及し続けてきたから、取材の厚みが違うし、情報の量も中身もまるで違う。テレビ局にすれば江川さんは、「オウム特番」に絶対に欠かせない存在だった。

そのころ、旧知のテレビ局プロデューサーと飲む機会があった。私は当時、月刊誌『文藝春秋』のデスクの一人だ。

「江川さんを独占したいんですよ。ウチの特番だけとは言わないけど、他局と時間が重なったら、最優先でウチに出てほしい」

「無理でしょう」と私は返した。

「私も長い付き合いだけど、毎月一本の原稿をもらうのが精一杯。なにしろ、殺人的なスケジュールだから」
「独占できるなら、白紙の小切手を渡してもいいんです」
「白紙の小切手! 勝手に金額を書いていいわけだ」
「そうです。松井さんが江川さんなら、いくらと書きます?」
「う~ん…………1億円」
「1億! そりゃ無理だ。この話、なかったことにしてください」

酒席で交わす他愛ない冗談で話は済んだが、「1億」と言った私は、半ば本気だった。

江川さんの6年に及ぶオウム追及の軌跡を、この目で見てきたからだ。その執念と熱意を金銭に換算したら、1億円でも足りないだろう。それが私の正直な思いだった。

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松井 清人(まつい・きよんど)
文藝春秋 前社長
1950年、東京都生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、74年文藝春秋入社。『諸君!』『週刊文春』、月刊誌『文藝春秋』の編集長、第一編集局長などを経て、2013年に専務。14年社長に就任し、18年に退任した。

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(文藝春秋 前社長 松井 清人)

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