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ジリ貧のクラファンが3年で黒字化できたワケ

プレジデントオンライン / 2019年9月27日 6時15分

マクアケ社長 中山亮太郎氏

映画『この世界の片隅に』、ペダル付き電動バイク「glafit」、完全ワイヤレスイヤホン「Air by crazybaby」。これらに共通するのは、クラウドファンディングサイト「Makuake」を利用して世に出たこと。サービスを運営するマクアケは、サイバーエージェントの100%子会社だったが、2017年に本田圭佑氏や市川海老蔵氏も出資。同じタイミングで自らも出資してサラリーマン社長を卒業した中山社長を、田原総一朗が直撃した――。

■弁護士事務所で見たキラキラした人たち

【田原】中山さんは、どんなご家庭で育ったのですか?

【中山】うちはサラリーマンがいない家系でした。曽祖父は山口で大工をしていて、祖父は林業を営んだ後、個人投資家に。父は山口から上京して、裸一貫から医学書の出版社を立ち上げて、いまも経営しています。もう40年近くやっています。

【田原】大学は慶応でした。

【中山】もともとは本気でサッカー選手になりたかったんです。でも、高校に入ってから全然ついていけなくなり、無理だと悟りました。ただ、普通に諦めるのは恥ずかしい。そこでサッカー選手を諦める言い訳として、「弁護士になりたい」と言い始めました。本当はどんな仕事かもよくわかっていなかったのですが、難しそうだから、そう言っておけばカッコがつくかなと(笑)。言った手前、とりあえず法学部に入らないといけません。弁護士の出身大学で多かったのが東大、早慶、中央など。結局、浪人して慶応に入学しました。

【田原】意外ですね。経営者になるために慶応に行ったのかと思った。

【中山】事業に興味が出てきたのは大学生になってから。弁護士の仕事がよくわからなかったので弁護士事務所でアルバイトを始めたのですが、新規事業の法律相談にやってくるビジネスパーソンたちを見ていたら、ゼロから事業をつくっていくことのほうがおもしろそうに思えました。

【田原】お父さんからの影響はなかったのですか?

■社会に何か価値を残すべき

【中山】父は普段は何も言いません。ただ、家族で焼き肉屋さんに行ったとき、突然、改まった顔で、「人として生まれたからには、社会に何か価値を残すべきだ。子どもを残すのもいいし、事業を残すのもいい」と言われたことはあります。それなら僕は事業だなと。

中山亮太郎●1982年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、2006年サイバーエージェントに入社。メディア事業やベトナムでのベンチャーキャピタル事業の立ち上げを経て、13年にCAクラウドファンディング(現・マクアケ)社長に就任。

【田原】卒業後はサイバーエージェント(CA)に入る。どうしてCAに?

【中山】入社したのは2006年。いまでこそCAは大きな会社ですが、僕が就活をしていた04~05年はアメーバブログが始まったあたりで、とにかくいろんなことに挑戦していました。成長中の若い会社なら、20代のうちに事業を起こすチャンスがあるはず。そう考えて入社を決めました。IT領域であることも大きかった。既存の産業だと、若い自分は40~50歳のベテランに比べて周回遅れのスタート。しかし、新しい産業ならベテランと同じ位置から始められる。スタートが同じなら若いほうが勝つと思っていたので。

【田原】入社してみて、藤田晋さんはどんな人でしたか?

【中山】朴訥な人ですよ。それと同時に、あれだけバランス感覚を持って社会とマーケットを見られる人はそういないと思っています。

【田原】バランス感覚を持っていると、普通はいろいろ気配りして保守的になっていくんだけど、藤田さんはそうじゃないんだ。

【中山】取りうるリスクを最大限取って経営していますよね。たとえばAbemaTVはまだ赤字ですが、その他の事業が伸びているから思い切った投資ができる。取りうるリスクがあるのに取らないのはダメだと、背中で教えてもらっている気がします。

【田原】若手のころから藤田さんと話す機会はあったのですか?

■マンツーマンで帝王学

【中山】僕が入社したころにはもう社員が500人くらいの会社になっていましたが、幸いなことに、同期数人とローテーションを組んで藤田さんの運転手をさせてもらえる機会がありました。朝の20~30分、マンツーマンで帝王学を教えてもらっていました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】たとえばどんなことを?

【中山】ビジョンの話は刺さりましたね。当時、eコマースのマーケティングメディアをつくる事業をやっていたのですが、チームのみんなにビジョンがなかなか浸透しなかった。そのことを相談したら、「そう簡単に浸透しないよ。とにかく言い続けるしかない」と。これはいまマクアケの事業にも生きています。

【田原】eコマースのマーケティングメディアというのは何ですか?

【中山】たとえばカード会社や航空会社は大きな会員組織を持っています。その会員の方々に向けて、僕たちがつくったサイト経由でeコマースを利用するとポイントがもらえますよというメディアをつくっていました。僕は4年くらいやったかな。

【田原】その後は、ベトナムでベンチャーキャピタル事業を立ち上げた。自分で手を挙げたんですか?

【中山】はい。入社した当初はまだ世の中のことを知らなくて、僕自身のビジョンは「社長になりたい」「事業をつくりたい」というとても小さなものでした。でも実際に事業をつくっていく中で、「世界の隅々に価値を残したい」と大きくなった。そうやって価値観が広がっていく一方で、自分の頭の中の地図が逆に狭くなっていることに気づきました。普段の行動範囲は、渋谷、池袋、大手町の往復で、電車の路線図より小さい。これで本当に世界に価値を残せる人間になれるのか。そう危機感を抱き始めたころに、タイミングよく役員に声をかけてもらえて、「はい、僕が行きます」と。

【田原】ベトナムではどんな発見を?

【中山】ホーチミンに1年、ハノイに1年半いましたが、現地で感じたのは、日本製品のプレゼンスが毎月のように下がっていること。家電量販店に行くと、真ん中の派手な場所でプロモーションしているのはサムスンやLGの製品で、日本メーカーの製品は隅っこに追いやられ、蜘蛛の巣が張っている。日本ではクールジャパンが世界を席巻と喧伝されていますが、それも事実と違う。音楽は韓流、映画は中国、スポーツはイギリスのプレミアリーグ。コナンなど人気の日本アニメも一部ありますが、少なくとも席巻という感じではなかったです。

【田原】どうして日本はダメなんですか。値段が高いから?

■みんなが欲しいものをつくれていない

【中山】一部にはそれもあると思います。日本はコンテンツのライセンスフィーが高いのですが、韓国はとても安いので。でも、ものづくりの分野に関しては、それ以前の問題ですね。当時、ベトナムでは10万円するiPhone4が年間200万台売れていました。初任給が2万~3万円の国で、10万円はかなりの額。それでも売れるのですから、高い安いじゃない。日本メーカーは単にみんなが欲しいものをつくれていないだけだと。

【田原】どうして日本から欲しいものが生まれないんだろう?

【中山】日本の企業にも、いいコンテンツや商品の企画はあるんです。でも、それが世に出る前にお蔵入りしてしまう。それはいまの事業をやってから気づいたのですが。

【田原】中山さんはベトナムから帰ってきてマクアケを立ち上げました。ベトナムでそのことに気づいて事業を立ち上げたんじゃないの?

【中山】それならストーリーとしてカッコいいのですが、実際は事業立ち上げが先です。CAで役員たちが新規事業を考える「あした会議」で、クラウドファンディング事業を立ち上げることが決まり、僕がやることになりました。

【田原】そうですか。クラウドファンディングというのは、どういうビジネスですか?

【中山】当時はふわっとしていましたね。たとえば非上場株への投資プラットフォームもクラウドファンディングと呼ばれていたし、いやいや、社会貢献活動への寄付サイトでしょという見方もあった。10人いればそれぞれ抱くイメージが違って、最初は僕もよくわかっていませんでした。

【田原】最初は何から始めたの?

【中山】最初は募金ツールのイメージを持って始めました。そのように位置づけたのは、お金さえ集まればすべて解決できると考えていたから。でも、いろいろ話を聞いてみると、そうじゃなかった。

【田原】どういうこと?

【中山】メーカーになぜアイデアがお蔵入りするのかと聞きに行ったら、「売ってくれる人と買ってくれる人がいればつくる」という。ものづくりは投資が大きくなるだけに、販路や顧客に確証がないと、ゴーサインを出せないというのです。

【田原】つまり営業サイドがイエスと言わないと商品化されないわけだ。

【中山】そうです。ならば、つくる前に、欲しいかどうかを消費者に直接問いかけて、テストマーケティングしてみればいい。そこに気がついて、事業を始めて2年経ってから予約購入スタイルに切り替えました。

【田原】結構かかりましたね。

■おまえがやりたかったのって、そんなことだっけ

【中山】予約購入に切り替えるまでは厳しかったです。計画ではすぐに黒字化するはずでしたが、最初の資本金8000万円は10カ月でなくなりましたから。当時は迷走していて、藤田さんに「芸能人が旗振りして募金活動するサイトに事業変更したい」と相談したほど。すると、「おまえがやりたかったのって、そんなことだっけ」と一蹴されました。「お金のことはCFOに相談すればいいから」と背中を押してもらえて、なんとか事業を存続できました。

【田原】経営が軌道に乗ったのは、予約購入にしてから?

【中山】お金が尽きかけて数カ月後、「ノット」という時計のベンチャー企業が、先行販売的にクラウンドファンディングを実施しました。このプロジェクトで500万円分の予約ができて、社長さんはその実績を持って小売店に営業したところ、扱ってもらえるようになりました。その社長から「マクアケはお金を集めるだけのサイトじゃない。メーカーにとっては、つくる前に、顧客がいることを証明できることが何より後押しになる」と指摘されて、はじめてこの事業の可能性に気がつきました。それから他のメーカーさんにも話を聞きに行って、事業を募金サイトから予約購入モデルに再定義した。そこから順調に伸びて、3年後に黒字化しました。

【田原】マクアケの競争相手はどんなところですか?

【中山】米国も含めて比べられるサービスはいくつかあるのですが、見ているマーケットは違います。水にも植物にあげる水から工業廃水になる水があるように、同じクラウドファンディングでも中身は別。僕らが大切にしているのは、生まれるべきものがどうやったら生まれるかということです。そこに軸足があればいいので、クラウドファンディングという言葉に踊らされることなくやっていきます。

【田原】中山さんが見ているマーケットは将来、伸びますか?

【中山】つくってから売る場所はゾゾやアマゾン、楽天などたくさんあって、僕の前の世代の起業家はそこで勝負をしてきました。しかし、つくる前に売る“0次流通”は手つかずのまま。マーケットのポテンシャルは非常に高いです。また、地方にも可能性を感じます。地方のメーカーはいま大手の下請け化が進んでいます。新商品を出して在庫を抱えるリスクを嫌うからですが、そうしたメーカーほどマクアケを活用したクラウドファンディングが役に立つ。地方の会社は、僕らにとって欠かせないパートナー。このサービスが、地方を活性化させるファーストトリガーになればいいと思って取り組んでいます。

【田原】海外の展開はどうですか。

■日本進出はどうしても大掛かり

【中山】海外は2つの方向性があります。1つは、日本進出を考えている海外メーカーへのアプローチ。取扱説明書やカスタマーサービスを日本語対応にしなければいけなかったり、日本独自の規制を満たさなければならないので、日本進出はどうしても大掛かりになります。そこでまずはテストマーケティング的に使ってくださいと提案しています。

【田原】もう1つは?

【中山】海外のクラウドファンディングサイトと連携して、マクアケでできたものを売ってもらおうとしています。いま相互にブリッジするサイトを広げている段階。もちろんいずれはダイレクトに世界のコンシューマーに届けたいです。簡単ではないですが、世界に価値を残すことがそもそものビジョンなので。

【田原】頑張ってください。ちなみにいまおいくつですか。

【中山】37歳です。いま藤田さんが46歳。僕がその年齢になるまでには、グーグルやアマゾンのように、世界で100兆円のインパクトを残せる企業にしていきたいですね。

中山さんへのメッセージ:日本に埋もれるアイデアをもっと世界に出していけ!

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

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中山 亮太郎(なかやま・りょうたろう)
マクアケ社長
1982年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、2006年サイバーエージェントに入社。メディア事業やベトナムでのベンチャーキャピタル事業の立ち上げを経て、13年にCAクラウドファンディング(現・マクアケ)社長に就任。

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(ジャーナリスト 田原 総一朗、マクアケ社長 中山 亮太郎 構成=村上 敬 撮影=今村拓馬)

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