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これから人間は「超人」と「動物」に分かれていく

プレジデントオンライン / 2019年10月9日 11時15分

玉川大学文学部名誉教授の岡本裕一朗氏(左)、博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表の深谷信介氏(右) - 撮影=中央公論新社写真部

デジタル情報があふれる社会に、人間は適応できるのか。哲学者の岡本裕一朗氏は「大量のデジタル情報は、人間の処理能力では太刀打ちできない。これから先、人間は動物化するタイプと、超人化するタイプに分かれていく」という——。

※本稿は、岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■デジタル情報は「人間の身の丈に合わない」

【深谷】この20年ぐらいで情報の量も質も動き方も相当変わってきていて、哲学も広告も大きく変わりつつあるのはまぎれもない事実なんですが、あふれる情報をどう扱っていいのか、ぼくらはまだわかってないですよね。人間は、このデジタル情報の扱い方をいつかうまくできるようになるのでしょうか。こうやればいいということがわかるようになるんでしょうか。

【岡本】ならないと思います。無理です。

【深谷】そうですよね、やっぱり。

【岡本】一つには、これはイギリスの理論物理学者スティーブン・ホーキング(1942~2018)が言ったことにもかかわるのですが、人間が取り扱う情報は基本的にはアナログ情報なんですね。そしていくら情報が増えても、その情報をさばく人間の脳の処理能力は1万年前から進化をしていないんだと。なので高速計算されて繰り出される膨大な量のデジタル情報は、そもそも人間のアナログ的な情報処理能力では太刀打ちできない。要は「身の丈に合わない」んです。したがって、それにきちんとしたかたちで対応できるようになることはたぶんないだろうと思うわけです。

ホーキング博士は、「完全な人工知能の開発は人類の終わりを意味するかもしれないと思っています。……独自に活動し始めどんどんペースを上げながら自己改良していくでしょう。……緩慢な生物学的進化に制限されるヒトはそれと競争できず、地位を取って代わられる」とも言っています。これは情報に関しても一緒だと思います。

■「AI」対「人間」で語るときに忘れられていること

【深谷】身の丈をはるかに超えた膨大な情報を扱いきれず、メディアを開けばよくも悪くもパターン化された情報が刷り込まれて、結果人はだんだんものを考えなくなっていく……、これが21世紀の人間の姿だとしたら、ホーキング博士の警告どおりAIの登場は脅威です。わたしたち人間にはそれでも、AIの計算能力をしのぐ直感の力があると信じていいのだろうか。現代技術をしのぐような日本の匠(たくみ)の卓越した五感力は、人間固有の能力としてあり続けるのだろうか。

【岡本】そうですね。どうかな。たぶんですね、そうした最近よく聞かれる問いには、基本的にその問いの前提条件にまで遡(さかのぼ)って問い直す必要があるのではないかと、わたしは思っています。

【深谷】どういうことでしょうか。

【岡本】たとえばAIに対して「わたしたち人間は」と、人間をひとまとめにして語ろうとしていますね。そこには、共通の「人間」というイメージがあるんだと思うのですが、人間はみな同じでしょうか。そんなことないですよね。

【深谷】それは人間はそれぞれみな違って、価値観も違うし、なのでその多様性を大事にしなければならないということは日々思っていますが。大衆から「分衆の誕生」というメッセージを我が社が発信したのは、1985年でした。当時は、ある製品が普及し1世帯あたりの平均保有数が1以上になることを指していたようです。家族という単位から個人という単位へのシフトですね。

■「ダイバーシティ」の薄っぺらさ

【岡本】いえ、わたしが考えているのは、そういった価値観の多様性とか、世代ごとの感性の違いとか、趣味趣向や生き方の違い、といったことではないんです。表現は難しいのですが、それら個別に語られてきた違いを総合したかたちでのより大きな違いとでも言ったらいいのでしょうか。そうした人間同士のあいだでの差異が、おそらくこれからより鮮明になっていくだろうとわたしは見ています。

ですので、先ほどの問いに戻りますと、AIと「わたしたち人間」という対比でこれからどうなっていくのかを問う前に、わたしたち人間がこれからどのような能力によってどのように分かれていくかを考えてみるべきなのではないかと。そろそろそういう時期にきているのではないかと思っているのです。

【深谷】ほう。なんだか、多様性だ、ダイバーシティだと言っていることが、じつはとても表層的なんじゃないかと思えてきました。人間はヒト科ヒト属に属する一つの種なのか? そんなふうな問いかけにも聞こえます。

【岡本】わたしは大きく分けて、動物化するタイプと、超人化するタイプと、たぶんこの二つに人間が分かれていくだろうと見ています。ポスト近代の新たな人間像はそこからあらわれてくるのではないかと思っています。

■人間は「共通である」と考えてきた近代

【岡本】「動物化」という概念は、もともとはフランスの哲学者アレクサンドル・コジェーヴ(1902~68)が提起した概念で、日本では批評家の東浩紀さんの『動物化するポストモダン』(2001年)によって広められました。

もういっぽうの「超人化」については、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)が提唱した概念の一つとして有名ですね。ニーチェはニヒリズムの彼方に現れるであろう、価値と意味を創造し新しいあり方を体現する人類をこう呼んだのです。

「近代」というのは、人間という概念が普遍的に共通であるというのが大前提なんですね。生まれてから死ぬまで、要するにある一定の年代になれば成熟して、そして死を迎える。人間はみんな共通なんだよ、という考え方がいっぽうにあって、そのなかで個人個人が自分たちの能力を発揮するという図式が大前提にありました。

近代以前の中世では、封建社会ですから生まれつき身分が定められていて、生きる世界もそれぞれ違っていました。そこから近代になって、経済の面では産業資本主義、政治の面では民主主義、そして思想的には自由平等の理念が大前提となったわけです。

■私たちは「歴史的な転換点」にいる

【岡本】理念としての自由平等は、近代人にとっては強力な信条ですね。でもそれは、フィクションであるとまでは言いませんが、多分にフィクション性を帯びていると言えると思います。実際に科学の先端的な知識を参照すれば、人間を共通なものととらえる近代的枠組みは、必ずしも適正とは言えないことを、科学者でなくとも最近の人たちは知っていますよね。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』(2014年)で、集団でフィクションを信じることができるという「shared fiction」が、人類が文明を築き世界を征服した鍵であると語っています。shared fictionとは、古代人にとっては神話であり、近代人にとっては「大きな物語」と言えるでしょう。

そう考えれば、近代の人間は、自由平等という大きな物語をみなで信じることで、たくさんの偉業を成し経済発展と科学技術の進歩を遂げてきたと言えそうです。

そのハラリですが、『サピエンス全史』の次の『ホモ・デウス』(2016年)では、21世紀の人間は、ごく一部の神のような人々「ホモ・デウス」と、それ以外の「無用者階級」に分かれていくだろうと言っています。

ハラリの議論には、議論の中心をなす概念にきちんとした定義がなされていなかったり、またさまざまな未来予測がどのような時間的スケールで語られているのかが明確でないなど、気になる点はいろいろあるのですが、わたしたち人間がいま歴史的な転換点にいるという認識では共通するものがあると思っています。

■情報に「受動的な人」と「能動的な人」の差

【深谷】最近では、テレビでも、ゲームでも、ネットでも、それを一日中見て過ごすという生活は十分可能で、必要なものはすべてネットで注文すれば自宅に届きます。

そういう生活が健全なのかどうかを問う前に、広告はそういう生活をも後押ししていて、人々がもうあまり活動しなくてもいい、何も考えなくていいという状態をつくる方向にどんどん進んでいるのではないかと思います。なぜなら、利便性や快適性というニーズ、すなわちそういう生活を心地よいと思い望む人たちがいるからです。

しかしもういっぽうでは、商品やサービスを売るための行為のみに陥ってしまったから広告はおもしろくないんだとか、広告が人間をだめにするとか批判的に思う人がいるということもわかっています。デジタルネットワーク世界で流通する情報に対する感覚の違いは、もしかしたら動物化する人々と超人化する人々が分かれていく入り口になったりするのでしょうか。

【岡本】それはイメージとして非常にわかりやすいですね。新しいメディアが登場すれば当然、そこに人は群がりますし、魅力的なコンテンツが登場すれば当然、人はそれに熱中します。テレビでも映画でもいまのインターネットでも同じです。ただし情報への接し方は、きわめて受動的な人と、きわめて能動的な人―そういう人をクリエイティブというのかどうかはわかりませんが——、そのあいだにはものすごく大きな差がありますよね。

■超人化する人は、たった1%程度

【岡本】おっしゃるように、与えられるまま享受するだけで十分楽しく、それに満足している人たちが大勢いるいっぽうで、なんでこんなにつまらない情報ばかりなんだろうと思っている人たちも山ほどいるでしょう。

さらに、つまらないと思っている人のなかにも、つまらないからもう見ないといって情報から離れていく人たちと、自分ならもっとおもしろいものをつくれるぞといって実際におもしろい情報や仕組みをつくりあげる人がいると思うんですね。

ただし、そういう人には誰もがなれるわけではない。おもしろいものをつくる、おもしろい仕組みをつくるとなれば、知識も技術も必要ですし、構想する力も必要です。道具や材料、場所や時間、仲間も必要かもしれません。それらをすべて総合して能力と見るならば、みんなが共通の能力をもっているとは言えないですね。それはありえないことなんです。

【深谷】超人化していくタイプって、どのくらいの割合でいると思われますか。

【岡本】社会の推移を見ても、だいたい一定のパーセンテージのような気がしますね。人数的にはたぶん1%とか、そのぐらいのレベルではないでしょうか。そういう人たちが、21世紀なかばくらいに、世界のあちこちに出現してくるような気がします。

【深谷】人間はほぼ動物回帰へ。もしくは変わらず動物のまま。何か予言のようです。

■能力や才能には、生まれ持った違いがあるはず

【岡本】たとえばスポーツの世界だったら、ある競技の競技人口から逆算して、上位何%しかオリンピック選手になれない、という確率は単純な計算で導くことができますよね。しかも、それは公然と発表されてもなんの問題もありません。でも、それ以外の能力に対してこういう計算をしようとすると、その途端に差別的な発想だとシャットダウンされてしまいます。

身体能力にかぎらず、芸術的な才能も知的な能力も、ある程度生まれたときから人それぞれすいぶん違っているはずです。マラソンに力を発揮するDNAを受け継いでいる人たちもいれば、単距離走に強い身体能力のDNAをもつ人たちもいるように。

21世紀、DNAの研究と、生物、バイオサイエンスの研究がさらに進んで、それに基づく知的あるいは身体的な能力との対応関係は明らかになっていくでしょう。そうなると、わたしたちが理念としてもっていた「わたしたち人間」の共通性への信頼は、否が応でも少しずつ崩れていく可能性があるのではないでしょうか。

もっと言えば、遺伝子を組み換えたり、編集したりすることが人間にもおこなわれるようになれば、その大前提は確実に崩れていくということは誰もが予感していることですよね。だからこそ、そうした技術を強硬に批判する人たちもいっぽうではいるんですね。

■「人はみな平等」が大きく揺らぐ

【岡本】ただいずれにしても、近代が前提に置いていた人間の平等感といったものは今後大きく揺らいでいくだろうと思います。それに応じて社会制度や法律さえ変えざるをえない状況はそう遠からずおとずれるのではないでしょうか。

【深谷】超人化と動物化は、何かで分けられるというより、自然に分かれていくという感じなんでしょうか。

【岡本】そうですね、自分で選択するということではないでしょうね、気がついたらそうなっていたということだと思うんですね。すでにいろいろなところで、分かれていく契機は見えはじめているのだと思います。仕事だとか、社会のなかでの活動や文化的活動、人とのつき合い、住んでいる場所など、そういうものも含めてね。ただほんとは分かれているのに、分かれていないと思っているだけという面もあるかもしれません。

【深谷】人間はみな同じように潜在的な力をもっているのだから、努力して、頑張ってそれを伸ばそう、みたいに叱咤激励することが通用しなくなりそうですね。

■超人とAIによる「支配」は起こらない

【岡本】それはそうですね。おそらく頑張ったところで、自分が変わるという感覚をもたないというかもてない部分がやっぱりある、ということになるんじゃないですか。

だって実際にそうでしょう。デキる人のデキる場面を見たときに、(あまりデキない)自分がやっても同様にデキるとは到底思えないことってたくさんありますよね。小さな子どもだって、そういうことを感じることはあるはずですよ。それを自覚しながら大きくなるという面はありますよね。ですから、あらためて言わなくても、もうすでにそうした方向には動いている。おそらく全世界的にそうした新しい人間観や人間像を模索する時代に入っているんだろうと思います。

岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)

ただ、人間が超人化と動物化に分かれていく、などというと、超人化した人間がAIとタッグを組んで、動物化した人間を支配するといったステレオタイプの未来像を描きがちですが、そういうことにはならない。

まず、超人化と動物化というのは、それほどきっちりと分けられるものではないですからね、しかもそのあいだにAIが入ってくるかもしれない、となれば支配と被支配といった単純な関係性にはならないはずです。

また、社会が成立するためには、超人化する人たちにとっては絶対に動物化する人たちが必要ですし、逆も言えるので、双方もちつもたれつの関係になっていくのではないでしょうか。

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岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシア出版)など多数。

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深谷 信介(ふかや・しんすけ)
博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表
スマート×都市デザイン研究所所長。名古屋大学未来社会創造機構客員准教授、富山市政策参与他。1963年石川県生まれ。慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。博報堂では、事業戦略・新商品開発などのマーケティング/コンサルティング業務・クリエイティブ業務やプラットフォーム型ビジネス開発に携わり、都市やまちのイノベーションに関しても研究・実践をおこなっている。著書に『未来につなげる地方創生』(共著、日経BP社)、『スマートシティはどうつくる?』(共著、工作舎)などがある。

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(玉川大学文学部名誉教授 岡本 裕一朗、博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表 深谷 信介)

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