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哲学者が書いていない「哲学本」が売れてるワケ

プレジデントオンライン / 2019年10月11日 11時15分

玉川大学文学部名誉教授の岡本裕一朗氏(撮影=中央公論新社写真部)

「哲学は役に立たない」と言われているのにもかかわらず、書店には哲学の入門書がたくさんある。哲学者の岡本裕一朗氏は「売れている哲学書がすべて専門家によるものだとは限らない。なかには、哲学の概念を誤って伝えているものもある」という——。

※本稿は、岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■「哲学」の意味は「知識に対する愛」

【深谷】今日は、レンズをグッと「いま」に引き寄せて、いま哲学と広告で何が起こっているのか、どんな課題に直面しているのかを明らかにしていきたいと思います。双方の課題から、いまという時代をどう見たらいいのかその視点が浮かび上がってくるのではないかと期待しています。

さて、おそらくこの本(『ほんとうの「哲学」の話をしよう』)を手に取ってくれた読者は、ぼくと同じように哲学に何かを求めているのだと思うのですが、ぼくの感覚としてはいま哲学への注目にともない、ちまたには細分化した哲学の断片があちらこちらに散在していて、専門家ふうの人が書いた書籍はちょこちょこつまみ食いをするには都合がいいのかもしれないのですが、もっと骨太な哲学の根っこや幹に触れてその躍動を自分の力にするにはどうしたらいいのだろうと考えてしまいます。哲学は本来すべての学問の原点という側面があるのですよね。

【岡本】あります。哲学は、何かについての学問というのではなく、すべての学問を含む「知」としてはじまりました。フィロソフィという言葉からしても「知識に対する愛」という意味ですから、学問領域を限定していません。ですから西洋では、学問の最高位である博士はすべてPh.DつまりDoctor of Philosophyということで、みな哲学博士になってしまうのですね。

■20世紀、哲学の居場所がなくなった

【岡本】ただ、哲学がすべての学問の原点だというときに、大きく二つの意味があります。一つは古代ギリシア時代の発想で、いま言ったようにすべての知を含めた学問が哲学だということで、たとえて言えば大工の棟梁のような親分的存在であるという位置づけです。アリストテレスにしても、生物学から数学、論理学とすべての学を修めました。

それが近代にいたって、今度は哲学というのはすべての学問の基礎いわば根本にあたる部分なんだというふうに、位置づけが変わりました。カントにしてもそうで、世の中の基礎づけをおこなうのが哲学と考えています。そのため法学の基礎を考えるのは法哲学、社会学の基礎を考えるのは社会哲学というかたちで、それぞれの学問の基礎理論を考えるのが哲学であるという位置づけがなされていました。

ところが20世紀になると、そんな基礎なんて、もういらないよっていう話になってきた。それぞれの学問は、自分たちの内部で基礎理論まで確立するようになり、哲学に基礎づけてもらう必要なんかない、と言いはじめたのです。これは世界的な潮流でした。そうなると何が起きると思いますか。

【深谷】哲学の居場所がなくなった?

■「役立たず」な存在になってしまった

【岡本】そのとおりです。それぞれの学問が、もう上からの援助も下からの支えも必要ないと言って独り立ちしてしまうと、哲学にはやるべきことがなくなってしまった。そうなると哲学独自の学問領域というものはもともとなかったわけですから、もう居場所がないわけです。ハイデガーはこれを「哲学の死」と呼びました。それ以降、哲学は、役立たずの何かわけのわからないことをやっている人たちの集まりと見られるようになっていったんです。

博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表の深谷信介氏(撮影=中央公論新社写真部)

【深谷】哲学の悲哀ですね。本質を追わなくなる、技法に終始するいまの時代と通じます。

【岡本】本当に。哲学の存在自体が危機に瀕したのですから、20世紀の哲学者たちは、「じゃあこれからどうするの?」「自分たちは何をやるの?」とあらためて哲学の役割を定義しなおさなければならない現実に突き当たったわけです。

そこでたとえばアメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931~2007)などは、哲学は諸学問のあいだのコミュニケーションをはかる一つのツールとしての役割を担うものだ、と言いました。法学者は法学の議論しかしないし、芸術家も芸術の話しかしない、科学者は科学の議論で終始しているから、それらの学問を相互にとりもつハブになるのが哲学なのだと言うわけです。まあ言っていることはわかりますが、やはり苦しまぎれの考え方ですよね。学問領域が拡張するいっぽうで専門化と細分化がとめどなく進展している今日、すべてをカバーできる人なんて誰もいないですからね。その意味では哲学というのは、20世紀において非常に大きな転換期を迎えたのです。

■時代がどこに向かっているかを示せるツール

【深谷】細分化という話は、産業界でも同様のことが起きていて、企業でも職種がどんどん細部化して分断されてしまって、メーカーのエンジニアが苦しんでいたりする姿にあうことがあります。たとえば自動車メーカーに入って、車を設計したかったのに定年までずっとそのパーツの設計の仕事で終わるというようなこともあって、車というプロダクトの全体像も、会社という自分が属している組織の全体像も見えない、感じられないまま最後までいく。本当は車が好きだったのに、この会社に憧れて入ったのに、みたいな切なさ、組織と自分とのベクトルのずれは、企業内にかぎらず社会全体を覆っているようにも思います。さらに、目的に沿って共同で事業を展開するコンソーシアム型のプラットフォームビジネスも起こっているように、組織は拡大する一方です。

そうやって分断されてしまった思いを、どうやったらもう一回、自分のなかで立て直せるかというときに、哲学は頼っていいものなんでしょうか。

【岡本】それはまったくそうですね。ヘーゲルの言葉ですけど、「だれでももともとその時代の息子である」と。つまりわたしたちは誰もが一つの時代のなかで考え、時代の空気を吸い込んで生きているので、例外なくその時代の制約のもとにある。でも自分がいったいどんな時代に生きているのかを意識しているかどうかは、人それぞれですね。意識せずに過ごしてもいっこうにかまわない。ですが、あるときやはり自分なりの思考のモデルを組み立てようとしたときに、いまという時代がどのようなかたちでどこに向かっているか、そのオリエンテーションを提供するのは、たしかに哲学の働きなのだと思います。時代の見立てをおこなう学問、ツールとしての哲学ですね。

■「役に立たない」のに売れる哲学書

【岡本】先ほど、深谷さんはいま世の中には哲学の断片が散在しているとおっしゃいましたが、どんなところでそう感じるのでしょうか。

【深谷】たとえば哲学でも歴史でも、「10分でわかる世界史」とか、「いますぐ使える哲学」とか、「宗教 超入門」とか、そんなキャッチコピーばかりが目に飛び込んできます。そんなにすぐにわかるようになったり使えたりするはずはないと思うので、きっとそれらは食べやすいように細かく切って、美味(おい)しいところ、美味しそうなところだけをお皿に盛りつけたものなんじゃないかと思うんですが。でもそういうものは手を替え品を替えほぼ全分野で次々と出てきています。

【岡本】たしかにそうですね。書店に行けば、役に立たないと言われる哲学のコーナーにもつねに新刊書が並んでいます。最近では、哲学書でもけっこう売れるものもあって、話題になることもありますね。でもよく見ると、売れている哲学書がすべて哲学者や哲学研究家によるものかというと、そうではありません。むしろ哲学を生業(なりわい)としていない方が書かれた本のほうが売れているようにも思います。

これにはきちんと理由があるんですね。一般に広く読まれている本のなかには、哲学を専門的にやっている人間からすると、「そんなことは言えないよ」とか「その解釈は間違っているな」とか「その説明だけでは不十分でしょ」などなど、ツッコミどころがもう山ほどあるわけです。逆に、そういうこだわりがあるので、一般向けの解説本はあまり書きたがらないわけですね。

■「生業としない人」が入門書を書くようになった

【岡本】たとえば弁証法(ディアレクティーク)というと決まって「正・反・合」という解説がなされます。しかし弁証法が正反合だなんていうのはまったくのインチキで、わたしはそういう説明を聞くたびに「ちょっとやめてよ」と言いたくなる。

じゃあ弁証法とは何ぞや、と問われると、プラトンの「問答法(ディアレクティケー)」から理解しないといけない。もちろん、プラトンの問答法は「正・反・合」なんて言いません。そう考えると、弁証法を解き明かすのはなかなかたいへんで、そんなにすらすらとおもしろおかしく書けるものではありません。なので本を書いてもやっぱり難解だと遠ざけられ、結果売れない本になってしまうだろうと思うのです。

かつて、深い教養のある本当の哲学者が哲学の入門書を執筆するという時代もありましたし、戦後すぐの頃は人々が哲学に期待をしていたのでしょう、日本でも哲学の大家である西田幾多郎(1870~1945)の全集が売れた時代もありました。しかし最近では、哲学をめぐるマーケットの事情で、哲学者が入門書を書くというのは非常にやりにくい状況になっていると言えます。

そのかわりに、哲学を職業としていない人で、哲学に詳しく、知識も文章力も備えたライターさんなどが深入りせずに書いて、それが広く受け入れられているわけです。それはたぶん、歴史学でも宗教学でも同じようなことが起きているのではないでしょうか。

■研究者が社会との接点を持たなくなっている

【深谷】哲学はいま、もっとやさしくならないか、もっと使えるようにならないかという世間一般からの要請というかマーケタビリティがありますよね。

いまの時代、何かを世の中に出すときに、「わかりやすい」ことがずいぶんと大事にされる風潮があります。わかりやすさが売れるための条件のように言われたりする。単純さ・わかりやすさだけが求められているわけではないとぼくは思うのですが、売れることをゴールにしたとたんに「わかりやすい」ことが正確さを押しのけて優位に立つという感じです。そして結果、売れたものが「正しい」となる。

売れる哲学と売れない哲学の乖離(かいり)はますます広がりそうですが、そうした乖離については哲学研究者の方々はどう思っているのですか。

【岡本】研究者はそんな世間一般でのできごとなどまったく意識していないですね。なぜかというと、哲学研究者は、おおかたみなさん大学に自分のポストをもっていますから、もっぱらの関心は学術論文を書くことで、一般に向けたわかりやすい本を書くなんてことをあえてしようとは考えないです。大学の教員であれば基本的に生活に困窮することもないですからね、社会との接点はなくなっていきます。

■文脈を外してしまうと「誤配」になる

【深谷】哲学には広告性が埋め込まれていたというお話からすると、その広告性を哲学者みずからが放棄してしまっているということなのですね。

岡本裕一朗・深谷信介『ほんとうの「哲学」の話をしよう』(中央公論新社)

【岡本】そうですね、いろいろな見方はあろうかと思いますが、研究者が引きこもりがちになってしまっているがために、専門家以外の人が、一番いいところだけを掬(すく)って魅力化して打ち出す、という方法で哲学の広告化をおこなっているという面はあると思います。ただ正直な話、哲学でそれをやると、いいとこ取りで都合よく意味づけや理由づけのためにその概念を使ったという印象はぬぐえません。

これはわたしのモットーなのですが、哲学の概念にはそれぞれに文脈があります。ですので、その文脈を外して概念を使おうとすると、それは誤解にならざるをえません。いいとこ取りをした哲学本は、ある意味哲学の「誤配」です。しかし概念を誤解することで、その概念をやさしく説明でき、すぐに使えるものにできるのかもしれません。だから誤解が悪いと言っているわけではないですよ。誤解の下に行動して結果うまくいくことも十分ありえますから、それはそれでいいと思います。

先ほどの弁証法への誤解についても、「ヘーゲル弁証法はすごいね、意見が対立しているときにみんなで「正・反・合でジンテーゼに行こうじゃないか」って言って意見を統合したらうまくいったんだよ、さすが弁証法だよね」。それって弁証法の使い方としては完璧な誤解ですけれども、それで会議がうまく運んだのであればそれはよいことですから、そうした使い方を否定するつもりは一切ありません。ただ、わたしには哲学を誤配することはできないということです。

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岡本 裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部名誉教授
1954年福岡県生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)。九州大学助手、玉川大学文学部教授を経て、2019年より現職。西洋の近現代哲学を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。著書『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)は、21世紀に至る現代の哲学者の思考をまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『フランス現代思想史』(中公新書)、『12歳からの現代思想』(ちくま新書)、『モノ・サピエンス』(光文社新書)、『ヘーゲルと現代思想の臨界』(ナカニシア出版)など多数。

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深谷 信介(ふかや・しんすけ)
博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表
スマート×都市デザイン研究所所長。名古屋大学未来社会創造機構客員准教授、富山市政策参与他。1963年石川県生まれ。慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。博報堂では、事業戦略・新商品開発などのマーケティング/コンサルティング業務・クリエイティブ業務やプラットフォーム型ビジネス開発に携わり、都市やまちのイノベーションに関しても研究・実践をおこなっている。著書に『未来につなげる地方創生』(共著、日経BP社)、『スマートシティはどうつくる?』(共著、工作舎)などがある。

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(玉川大学文学部名誉教授 岡本 裕一朗、博報堂 博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表 深谷 信介)

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