NTTが非公開にした「肉片映像」を公開した狙い
プレジデントオンライン / 2019年10月5日 11時15分
■多数ある「ここでしか見られないもの」の価値
あいちトリエンナーレにおいては、インスタレーションを始めとする現代アートの作品だけでなく、映像プログラムが非常に充実している。その中には、『デトロイト』や『民族の祭典』といった広く公開された映画で、視聴が容易なタイトルもあるため、筆者は「ここでしか見られないもの」に割りきり、会場で監督とのアフタートークを楽しめるものに絞って会場で観ることとした。
こういった観点から筆者は、一般には観ることが難しかった小森はるか「空に聞く」と吉開菜央「Grand Bouquet」の2本を鑑賞した。
ちなみに、筆者は小森と長年の交友関係がある。映像作家である小森は、彼女の盟友である画家の瀬尾夏美とユニットを組み、アートによって被災地の記憶を残し続けた。
■学術でもジャーナリズムでもない第3の手法
私は阪神・淡路大震災の頃から観光を用いた復興の研究をしているが、それまで災害の記録といえば学者が行った調査とジャーナリストが残したルポルタージュぐらいしかなかった。このため東日本大震災後、仙台市の「せんだいメディアテーク」で小森はるかと瀬尾夏美が制作した「波のした、土のうえ」を見たとき、ソフトな記憶の承継手法に驚嘆した。
無理のない形で地域の中に入り、被災者に寄り添いつつ、日々の悩みや葛藤を映像の形で編み上げていく小森の方法論は、学術でもジャーナリズムでもない第3の手法ともいえ、芸術や映像文化の可能性を感じさせるものであった。
小森は公開や商用を意識せずにコンテンツを蓄積させていったのだが、その重要性に気づいた愛知芸術文化センター・愛知県美術館によってオリジナル映像作品として制作されることとなり、今回あいちトリエンナーレの映像部門のキュレーターである杉原永純によってプログラムに入った。映像作品「空に聞く」は、陸前高田における復興期の臨時災害FM局の活動を追ったものであり、ラジオ局が傷ついた人々の心を繋ぎ、人間関係のネットワークのハブとなっていく状況を丁寧に追いかけた力作である。
なお、今回のあいちトリエンナーレでは、小森の作品以外に映像プログラム中で富田克也が「典座(TENZO)」を上映するとともに、現代美術では藤原葵が「Conflagration」を発表するなど、東日本大震災という巨大災害とそこからの復興について、それぞれの芸術家がそれぞれの手法で描こうとしている点が横断的に確認できる。
■NTTの判断により一部のシーンを非公開とされた作品
吉開菜央の「Grand Bouquet」は、中止となっている企画展「表現の不自由展・その後」に通じるところがある。この作品は15分程度の小品であるが、映像中に肉片が飛び散るシーンがあり、身の毛が震える悍(おぞ)ましさを覚えかねず、また同時に、見ている者の精神を揺さぶる。
この作品は、2018年に東京・新宿の「NTTインターコミュニケーション・センター」(以下ICC)で展示されたが、NTTの判断により「ふさわしくない」と判断されたシーンが公開されず、来訪者は不完全なバージョンしか観ることができなかった。この経緯は作者自身が詳細な記録を発表している。
今回、あいちトリエンナーレでフルバージョンが公開され、筆者も観覧する僥倖に恵まれたわけだが、本能的な忌避感と圧倒的な美しさがせめぎ合う15分は見る者の感性に挑戦するかのようで、非常にスリリングな体験であった。
■なぜ日本の情報通信産業はGAFAに勝てないのか
NTTがこの作品を一部のシーンを非公開としたことは、日本の情報通信産業の限界を感じる。不快な表現、気持ち悪い表現であっても、そこには芸術文化をさらに高める可能性があり、非公開という判断は同社が企業文化活動を「当たり障りのないもので構わない」と考えていることが疑われる。
よく「なぜ日本の情報通信産業はGAFAに勝てないのか」などといわれるが、日本最大の情報通信企業がチャレンジをしていないのではないか、という不信感が増幅される事案だった。もちろんICCがすべての来場者の目に触れる形でこの作品を公開する必然性はない。映像の持つ可能性を知らしめるために、年齢によって区切ると行った「ゾーニング」を行い、来場者とのコラボレーションが図れるような仕掛けを検討すべきであったろう。
なお、2つの作品とも終了後に芸術監督の津田大介を交えたアフタートークが行われた。この仕切りは、ジャーナリスト津田大介の真骨頂を見るかのように素晴らしいものだった。オーディエンスに代わり、アーティストから知りたいことを聞き出し、言葉にまとめていく。
今回、津田についてはキュレーションミスばかりが話題になったが、ジャーナリストとしての力量を生かした場面も数多くあるので、彼のファンは足を運ぶ価値があろう。
■子どもを楽しませるようなプログラムは少ない
この他、あいちトリエンナーレの公式プログラムでは、音楽やラーニングなど、さまざまなイベントが用意されている。ただあいちトリエンナーレのプログラムを体験するなかで、ひとつ気になったのは子供関連のプログラムの少なさだ。
各地の公立美術館では、現在、幼少期からアートに触れさせ、将来のファンを増やす「鑑賞者開発」に熱心である。あいちトリエンナーレでは、「アート・プレイグラウンド」というラーニング・プログラムがあり、公式サイトには子供の写真があしらわれているものの、自由にアートで遊ぶというよりも、やはり“ラーニング(学び)”に重点が置かれていた。この辺りは、子どもを楽しませることに長けた近隣の科学技術系博物館のノウハウを参照してほしかった。
他方、科学技術系博物館は子どもたちに、バラ色の未来しか見せないため、現代アートの手法を使って科学への畏怖や畏敬の念を育むことができれば、科学教育としても相乗効果が期待できる。そもそも、近隣の科学技術系の博物館には親子連れが次々と吸い込まれていたが、私が訪れたときは三連休にも関わらず美術館では家族連れをあまり見かけなかった。
■名古屋の「科学博物館」のメソッドを活用できれば
私の住む金沢は、人口に対して美術館や文学館に恵まれており、単純化すれば文化観光で飯を食う街である。現代アートの聖地として知られる「金沢21世紀美術館」を始め、市民が文化に触れる機会が数多くあり、親子(母子が多い印象をもった)が暇つぶしになんとなく美術館へ行くという状況がある。
一方、名古屋は産業都市であるため、親子(金沢と比べて父子が多い印象をもった)がなんとなく科学博物館で過ごすというのが定番なのかもしれない。とすれば、美術館で休みを過ごそうとする名古屋の親子は筋金入りの美術ファンである可能性が高く、文化都市での親子の過ごし方とは雰囲気がまた異なってくるのはある種の必然と言えよう。
■展示作品は意欲的だが、「年少者への配慮」には問題あり
冒頭で称賛した映像プラグラムに関しても、年少者への配慮という点では問題がある。
欧米では映像の過激さに応じて、視聴可能な年齢をわける「レイティング」が一般的に行われている。たとえば、あいトリで上映された映画『デトロイト』に関して日本では特に制限がついていないが、アメリカでは「R指定」になっており、17歳未満は保護者同伴でなければ鑑賞できない。国際芸術祭である以上、海外でR指定となっている作品については、鑑賞者に何らかの注意喚起をするべきであったろう。
また、前述の吉開菜央の映像は、作品として秀逸だったが、年少者の鑑賞に関する制限はなかった。会場を訪れた年少者が仮に予備知識のないまま見てしまった場合、大きな衝撃を受けることになる。
地域振興も視野に入った芸術祭である以上、なんとなく会場に来てしまった親子が、安心かつ安全にコンテンツを楽しめるような設定が必要であるのだが、こうした見方は観光学の立場からの苦言なのかもしれない。(続く)
年少者の鑑賞には向かないという事前の注意喚起・告知は控えていましたが、映像プログラム会場受付では、おおよそ中学生以下に見受けられるお客様が受付に来られご鑑賞を希望する際は、個別に内容に関してお声がけしていました。その上で、お子様連れでの鑑賞を辞退された方、ご理解いただいた上でお子様と最後まで鑑賞された方、途中で退室された方もいらっしゃいました。なお年少者だけお二人づれのお客様が「Grand Bouquet」鑑賞を希望されたこともありましたが、注意喚起した上で、ご入場いただき、お二人は最後までご覧いただきました。
事前告知を控えた理由は、本作に関しては様々な経緯がありましたが、その話題だけに不用意に焦点が当てられることは、作品の意図を損ねると考えたためです。代わりの対応として、映像プログラムでは上映ごとに受付をしていたため、個別に、過度になりすぎないように、必要に応じてお客様に注意喚起しておりました。
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観光学者
金沢大学国際基幹教育院准教授。近畿大学助教授、首都大学東京准教授、追手門学院大学教授などを経て現職。1968年長野県生まれ。京都大学経済学部卒、同大学院法学研究科修士課程修了、同大学院情報学研究科博士後期課程指導認定退学。博士(情報学)。社会情報学とダークツーリズムの手法を用いて、東日本大震災後の観光の現状と復興に関する研究を行う。著書に『ダークツーリズム拡張 近代の再構築』(美術出版社)などがある。
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(観光学者 井出 明)
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