野村克也が「王貞治」に抱いたジェラシーの正体
プレジデントオンライン / 2019年11月5日 11時15分
■海水入り酒瓶で素振りユニフォームも買えず
「嫉妬」とはつまり「やきもち」のことだろう。最近ではやきもち妬く相手もいなくなったが、若い頃はずいぶんと妬いた。育ちからして他人を羨まざるをえない。思えば俺の人生、嫉妬にまみれていた。
俺が3歳の頃に親父が戦争で死んで、そこからずっと母子家庭。当時は学校で「父親がいない」ってのは、それだけでもう劣等感の塊だ。
母親が必死になって働いて、それでも生活はカツカツ。俺も小学3年生から新聞配達をして、夏はアイスキャンディー売り、冬は近所の子守なんぞをしたもんだ。子どもはさっさと寝かすに限る。そうしたらこちらは楽だからね。でも、その親からは怒られたねぇ。「昼間寝かすから、夜寝ないのよ!」って(笑)。学校ではいじめられてたよ。4つ年上が仲間を引き連れて校門の前で待ち伏せして、教科書をぶちまけたりしょうもないことをしていた。
野球を始めたのは中学3年生から。でも貧しくってユニフォームなんて買えねえの。集合写真撮っても俺だけ短パン、ランニング姿。試合では後輩からユニフォームを借りていた。
実は俺の野球人生は中学で終わるはずだったんだよ。母親から「中学を卒業したら働いてくれなきゃ困る」っていわれて。だけど兄貴が「高校くらい出ていないと将来苦労する。俺が大学進学しないで働くから」と後押ししてくれたんだ。もう頭が上がらないよね。俺と違って頭がいいのに、その言葉どおりに高校卒業後に就職して、しかもその後、ちゃんと夜学で大学までいったんだから、俺とはまったく出来が違う。
だいぶ後になって兄貴に聞いたことがあるんだよ。「俺の野球の素質を見抜いていたのか」って。そうしたら、「いい素質しているなとは思っていたけれど、プロになれるとは夢にも思っていなかった」とさ。
野球部の顧問にもお世話になった。金がないから野球ができないというと、わざわざ自宅にまで来て母親に「野村君は野球の素質がある。私が父親代わりとして就職まで世話をします」と直談判してくれた。こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。
高校には1日4本しか走らない汽車で登校していたからバイトもできない。ユニフォームや道具は先輩からの払い下げ。海水入りの酒瓶をバットにして、必死に素振りした。
高校卒業前に、南海ホークスの入団テストを受けた。部活の監督が「お前ならひょっとするとひょっとするぞ」と大阪までの汽車賃まで貸してくれて、それで見事受かったんだから、自分でもびっくりよ。
でもこれには後日談があって、実は田舎者ばかり受かっていたんだよ。キャッチャーはとにかくピッチャーの球を受け続けなきゃいけないから絶対数が必要だ。あるとき二軍のキャプテンにいつ試合に出られるのか聞いたら、「がっかりするなよ、後は自分で決めろ。テスト生から一軍に上がった奴なんて過去にひとりもいねえよ。お前らは全員ブルペンキャッチャーとして採用されたんだよ」と。
もうショックもショック。田舎者は純粋で忍耐強いだろうと採用されたんだ。でも、3年後に仲間は全員クビになったが、俺だけ残った。不思議だ。いまだに理由がわからない。
■王よ、お前さえいなければ……
そんな底辺にいた俺が野球界に残り、将来を嘱望され華々しくデビューしたのにその後鳴かず飛ばずで消えていく人間がいる。その違いは何だろうと考えることがあるんだ。
きっとそれは目標と到達点を勘違いするからなんだよ。みんなプロの野球選手になりたくて必死の努力をしてくるわけだろう。そして夢が叶う。でもそれは人生の到達点じゃない。むしろ出発点だよ。なのにそこで安心して遊びまくってしまう。
■俺の野球人生で数少ない満足の瞬間
そこに金の魔力がくる。プロ野球選手なんて若くして尋常じゃない給料や契約金を得て、酒と女を覚える。夜なんて合宿所に誰もいやしねえ。
俺? 俺は契約金0円のテスト生で、遊びたくても金がねえ。2年間、背広をつくる金もないからずっと学生服を着ていたくらいだから「金のある奴はいいなぁ」と妬みながら、1人黙々とバットを振っていたよ。
俺なんぞは監督が褒めるところがなくて「よう頑張っとるな」くらいしかいえない。マメをつくるくらいしか努力のしようがなかったんだよ。
そんな人生に転機が訪れたのは、入団から3年目。帯同したハワイキャンプで試合に出させてもらえたこと。理由はなんてことはない、一番手が肩を壊し、二枚目の二番手がハワイで遊び惚けて、監督が激怒。
「もういい! 野村お前出ろ!」と投げやりに仰せつかったんだ。
でもそこで大活躍できて運命を変えたんだから、人生わからないもんだ。人間、努力をすれば誰かしらが見てくれているもんだとも思ったね。
俺の野球人生で数少ない満足の瞬間がある。52本のホームランで新記録をとったとき。「これで俺の地位もあと10年は安泰だ」と一安心したら、翌年に王(貞治)がその記録を抜きやがった。表向きはにこやかに接したけど、王、あいつは俺の価値を下げた男よ。あいつさえ、いなければ……。
ちなみに、オールスター戦で王と戦った数十打席、俺は1度も王にヒットを打たせなかった。「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。なんでやねん。
長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。
俺は今、84歳。俺から野球をとったら何も残らない、そんな人生だった。今思うことは、なんで若い選手たちからもっと記録が出てこねえんだろうなぁということ。野球知識も増えて、才能ある選手もいて。時代的に恵まれすぎているのかな。俺がプロになろうと決意したのが、小さい頃から苦労をかけてきた母親を楽にさせてやりたかったから。ハングリー精神は必要だよ。
世のなか「努力=結果」ばかりじゃない。でも、努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ。「この世界は才能。素質だよ。バット振って一軍になれるなら、みんな一軍になっているよ」って俺も散々いわれた。でも「才能がない」ってのは、甘美なる逃げの言葉だ。それくらいなら、他人を妬んでもその感情を「なにくそ!」と力に変えるほうが人を成長させるんじゃないかね。
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野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、プロ野球の南海に入団。70年からは選手兼任監督。その後、選手としてロッテ、西武に移籍し45歳で現役引退。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任。野球評論家としても活躍。
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(野球評論家 野村 克也 構成=三浦愛美 撮影=村上庄吾 写真=時事通信フォト)
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