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年収700万を捨てて「山奥で起業」を選んだワケ

プレジデントオンライン / 2019年11月9日 9時15分

「地元カンパニー」代表の児玉光史さん

東京大学の野球部で4番打者を務めた児玉光史さん(40歳)は、農学部を卒業後、都内の一部上場企業に就職した。年収は約700万円。ところが、その恵まれた待遇を捨てて、実家のある長野県でUターン起業をした。一体なにがあったのか。本人に聞いた——。

■東大出身者はなぜ東証一部上場企業を辞めたのか

東京大学の卒業生は、都内でステータスの高い職業に就いている人が多い。だが、そうした生き方が幸せだとは限らない。東京を離れて、新しい仕事を始める人もいる。児玉光史さん(40歳)もそのひとりだ。

児玉さんは長野県有数の進学校である上田高校から一浪して、東大理Ⅰに入学。農学部に進み、卒業後は、東証一部上場企業である「電通国際情報サービス」に就職した。同社は、海外のソフトウエアや自社開発のシステムを組み合わせて、企業にITサービスを提案する会社だ。

児玉さんはキヤノン、エプソン、ソニーなど大企業を顧客とする優秀な営業マンとなった。給料も年収約700万円と悪くなかった。だが、サラリーマン生活を4年続けた頃、「俺はこのままでいいのか」と自分の今後の人生について迷うようになった。

自分は長男であり、父親は長野でアスパラガスの兼業農家を営んでいる。それを放っておいていいのだろうか。東大農学部で学んだことを生かせないのか。そんな思いが高まったのだ。

「もやもやした気持ちを抱えながら、1年くらいプー太郎のような生活していました。その後、実家が農家という仲間をウェブで募って、東京・自由が丘で野菜を売りました。また農業の現状視察をしたくて農家に手伝いに行ったり、農業ベンチャーの会社でバイトをしたりして。おかげで小売りや流通の流れを肌で感じることもできました」

モラトリアムのような生活が6年ほど続いた。そろそろ腹をくくらなければ、と思っていた2012年、「結婚式の引き出物」に疑問を抱いた。さっそくカタログギフト事業を手がける「地元カンパニー」という会社を渋谷で立ち上げる。4年後には、「地元・信州で仕事をやりたい」と考え、会社を出身地の上田市内の武石という集落に移転した。新幹線の上田駅から車で1時間ほど、オフィスからコンビニまで歩いて1時間弱はかかる「山奥」に、だ。

■弱小東大野球部4番打者が山奥で「年商1億」

このカタログギフト事業はちょっとユニークなビジネスとして注目されている。

例えば、長野県出身の新郎、熊本県出身の新婦による披露宴が都内で開かれた場合、参列者には引き出物として地元カンパニー作成のカタログが渡される。ギフトメニューは、カップルの地元である長野や熊本の名産品だ。ありきたりの既製品でなく、新郎新婦にゆかりのある土地のものだから、贈られる側にも気持ちが届く。

ギフトメニューは地域別に用意しており、現在、全国42都道府県を網羅している。児玉さんらスタッフが現地に直接足を運び、調査した地域の知る人ぞ知る逸品をそろえた。

この事業は評判を呼び、結婚式の引き出物以外にも広がっている。出産内祝いや香典返しといった個人客のほか、企業の周年記念や株主優待品として贈られたこともある。県内の自治体や南三陸町、女川町の各地の観光協会でも、ふるさと納税の返礼品などにも採用された。

「地元カンパニー」が出がけるカタログギフト

さらに、児玉さんはIT企業での勤務経験を生かして、このカタログギフト事業のシステムそのものを他社に販売している。

「会社を立ち上げた1年目の売り上げは数百万円でした。今は、おかげさまで年商約1億円になりました。ビジネスモデルとしては自信があったのですが、なにせ最初は資金がなかった。銀行などから数千万円を借りましたが、無理なく返済できているので事業は順調かなと思っています。注文のほとんどがインターネット経由です。注文が入ると、送付する品物の梱包の一部を障害者支援施設にお任せしています」(児玉さん)

■「自分一人でやって儲けることに面白み感じない」

社員は少しずつ増えて今は13人。社員の給料は、長野県の平均並み。土日は休みで、残業はない。2017年に実家の隣の空き家を200万円で買い、400万円をかけてオフィスに改装した。パソコンが20台ぐらいあり、リラックスできる音楽が流れ、立って仕事をする人が多い。

「スタンディングは僕のアイデアですね。動きやすいし、腰痛予防にもなるんじゃないかなって。デスクにもキャスターがついています。僕がDIYで作りました。われながら、働くにはいい環境の会社だと思います」

妻も同じ職場で働く。自分も18時には帰宅して、子守をして料理を作って皿洗いしたり掃除洗濯したり。子供は4歳と2歳で、昼間は保育園に預けている。

公私ともに充実したUターン起業家ライフを満喫している児玉さんだが、利益至上主義な考え方は毛頭ない。

「昔から自分一人でやって儲けることはなんの面白みも感じないんです。自分の給料を上げたいというのは全然ない。家とか車とか物欲もないので。仲間や社員、いろんな取引先とかと一緒に成長していきたい」

東大時代の友人は、都内でバリバリ働き、高収入を得ている者も少なくない。だが、児玉さんは彼らをうらやましいとは思わない。自分は地元の仲間とともに地に足をつけた生活を歩んでいきたいと考えている。

■ビジネスで大切なことはすべて東大野球部で学んだ

そうした考え方の原点は東大野球部での経験だ。

高校時代も野球部だったが半レギュラーだった。だが、大学では1年春から公式戦に出場、2年春からレギュラーに定着し、4番を任された。のちにプロ野球選手となる投手からホームランをかっ飛ばすスラッガーになったのだ。

「(大学4年間の公式戦で)トータル70試合ぐらいに出て、通算ヒット数は61本。東大では史上2番目に多い。ホームランも計5本。これも東大野球部史上2番目です」

ただ、東大の野球部で学んだことはバッティングの技術的なことだけではない。

「東大野球部という集団の中では主力選手になれましたが、ご存じのように東大は弱いから全然勝てません。『みんなで協力しようぜ』と言ってもうまくいかない。部員は偏差値が高く、みな弁が立つから扱いにくい。負け続けると組織はまとまらないんです。(春と秋の)リーグ戦全20試合のうち1勝をどう挙げればいいかと考え続けました。4年生の時に立教大にやっと1勝した時は、こんなにうれしいことが世の中にあるのかと思いました。仕事でも集団としてそんな感激を味わうのが目標です」

■復興支援をテーマにしたカタログギフトの商品ラインアップも

みんなで1勝するためのメンタルの持ち方。これが弱小野球部で学んだ一番、貴重なことだという。

「野球のあの敗北感、手詰まり感から弱者の戦い方も身につけました。僕の会社も弱者ですけど、東大野球部で耐えてきましたからね。事業はいかに長く続けるかが大事。野球にたとえれば、仕事は練習するような状態。売り上げが悪かったら、それは試合で打てなかったのと同じ感覚。たとえ打てなくても、諦めずに練習メニューを変えてもう一回やってみようかと取り組みます。東京にあるベンチャー企業は『上場すること=試合で勝つこと』といったような感覚でしょうが、僕はそれを狙っているわけでないんで。もっと地道にやっていきたい」

「地元カンパニー」のカタログギフトから

児玉さんは将来、近くにある空き家などを利用して無償の塾や学習施設を開きたいと思っている。また、地球環境問題、貧困問題、フードロス問題に以前から関心があり、カタログギフトでもそれに関連した商品を増やしたいという。

「最近、カタログギフトに復興支援をテーマにした商品ラインアップを加えました。大地震や大型台風、豪雨の被害を受けた地域の産品を集めたギフトです。今後もこうした方向性を強化したい。社会全体が少しずつよくなる、潤うというのが僕が理想とする世界。地に足をつけながら業務を徐々に拡大すべく、今年中には再び、東京に事務所を置くことも考えています」

今年10月、長野県武石も大雨による被災にあった。北陸新幹線が一時、不通になり、運送業も停滞した。すぐ近くの川の護岸が崩れ、道路が陥没。移動手段が失われる社員がいた。ただ、こういう時にこそ、ITの強みがある。

「電話やウェブでできることに集中できた。かえって、うちの魅力を伝えられたと思います」

今、その時、やれることをやる。その場所で最善を尽くす。児玉さんは自分の生き方の基本理念を緑の木々、山に囲まれた集落で実践していく。

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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。

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(フリーライター 清水 岳志)

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