人生最大の危機を救った「手書きノート術」

プレジデントオンライン / 2019年11月20日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/g-stockstudio)

リーマンショックの影響で勤めていた父親の会社が民事再生を申請し、一家全員無職に。絶望のどん底にいた山田智恵さんが立ち直るきかっけになった「嬉しいこと日記」の書き方を紹介します。

※本稿は山田智恵『ミーニング・ノート』(金風舎)の一部を再編集したものです

■突然、一家全員無職に

私は大学を卒業して、父が経営していた会社に入れてもらいました。

父は「日本の製造業を強くする」という志のもと、40歳の時に起業し、会社は20年ほど順調に成長していました。私は恵まれたことに、生活の心配もしたこともなく、世間知らずのまま、ヌクヌクとお嬢様生活をさせてもらっていました。

それが、ある日突然ガラガラと音を立てて、人生が変わってしまいました。

2008年にリーマンショックが起きて、会社は民事再生を申請することになったのです。なんとか再生の申請は通り、会社は倒産することなく経営を維持することはできました。

ところが、社内で色んなことが起き、創業者であった父も含めて、私たち家族はクビになり、一家全員無職となってしまったのです。

今でこそ人に話せるようになりましたが、当時はかなり落ち込んでいました。いえ、落ち込むというより、絶望という言葉の方がしっくりきます。

信じていた人たちに裏切られ、心はボロボロに。そして、何より一家全員無職の状態です。いきなり、裸で社会にポーンと投げこまれた感覚でした。

■絶望から立ち直るための新しい習慣

「これから、どうやって生きていこう……」

新聞にも会社のことが載り、世の中全てに見放された気持ちになった私は携帯の番号を変えて、誰とも連絡を取らなくなりました。

そして、ネットカフェに1日中引きこもってマイケル・ジャクソンのマン・イン・ザ・ミラーを何百回と聞いて過ごしていました。出かけるのは、弟と一緒にハローワークに失業手当をもらいに行く時だけでした。

3カ月くらい経ったころ、なんとか気持ちを回復させようと思って始めたのが毎日嬉しいことを3つ日記に書く「嬉しいこと日記」です。

最初は、嬉しいことを3つも探すこと自体が大変でした。

でも、他に頼るものもなく、毎日続けていたら、「本当に私の嬉しいことってこれだけ? もっとあるでしょ!?」という気持ちがムクムクと生まれてきたのです。それから、私はもっと慎重に「嬉しいこと」を探し始めました。

そうしたら、少しずつ、毎日違う嬉しいことを見つけることができたのです。

・かよちゃんが励ましのメールを送ってくれた。
・「きみたちはどう生きるか」を読んで感動した。

私は、この嬉しいこと日記を通じて、「探せば見つかる」という体験をしました。嬉しいことがなかったわけではなかったのです。ただ、私が見ていなかっただけ。

■32歳就活未経験からの出発

嬉しいこと日記にずらっと並んだ嬉しいことを見ていると、「人生悪いことばかりじゃないな」と思えるまで、私の心は少しずつ回復してきました。

でも、現実は甘くありません。失業手当をもらえる期間も残り少なくなっていました。

「働きたくないなぁ、やりたいことなんてないし。そもそも、就職活動とか怖いし。あなたの強みはなんですか? なんて聞かれても、そんなものないよ」

正直なところ、こんな風に思っていました。でも、自分でどうにか生きていかないといけないので仕方ありません。

32歳で、仕事の実績も大してなく、それどころか就職活動もしたことがない当時の私。ネットで履歴書の書き方を調べ、知恵熱が出るほど緊張しながら、生まれて初めての就職面談に出かけました。

そして、何社か落ちた後、「あ、ここの会社の人たちって、素敵だな」と思える会社と出会い、運よく拾ってもらったのです。

会社に入れる! ということでホッとしたのも束の間。

■10年の遅れをどう取り戻すか

それまで親の会社でヌクヌクと生きていた私は、会社の電話に出たこともなければ、銀行にもあまり行ったことがない「ザ・世間知らず」でした。スキルもなければ、キャリアもなく、ないない尽くしで、10年遅れの社会人デビューをしたのです。交通費申請も、見積書を作るのも、何もかも初めて。でも、それが会社の人にバレたら社会人失格の烙印を押されてしまう! とビクビクしていました。

こんな毎日を過ごして、私はハッキリとわかりました。

みんなと同じ努力をしたところで、この10年の遅れは到底取り戻せない!

チャンスをつかまなくては!

でも、チャンスはどうやってつかむのだろう? と考えたら、私は過去にたくさんのチャンスを逃してきたことを思い出しました。

あの時、みんなと同じように就職活動していたら、今ごろはキャリアウーマンになれていたかもしれない……。あぁ、あの時、つきあっていた彼氏と結婚していたら、幸せになっていたかも……。

就職するチャンス、留学するチャンス、結婚するチャンス……。今思えば、どれもこれもチャンスだった。でも、私はそれをチャンスだと気がつかずに、見逃してしまった。だから、私はこんな人生になってしまったんだ!

体が震えるほど後悔をしました。その時に、ハッと気がついたのです。

あ! もしかしたら、「今この瞬間」も、私はチャンスを見逃しているのかもしれない……!

今またチャンスを逃したら、未来の私が後悔してしまう。もうこれ以上、チャンスを見逃すわけにはいかない!

それから、私は嬉しいこと日記を、チャンスを書くことに切り替えました。

嬉しいことも最初は見つからなかったけれど、ノートに書くようにしたら見つけられるようになったので、チャンスもノートに書けば見つかるだろうと考えたのです。

■チャンスは日常の中に落ちている

2011年は、激動の年でしたが、時代の変化を感じるある出来事がありました。Apple創業者のスティーブ・ジョブズが亡くなったのです。

私は、自分で作った会社から追い出されたことがあるジョブズの生き方に興味があり、スタンフォード大学の卒業式でジョブズが話した、有名なスピーチ動画をYouTubeで何度も見ていました。

その動画を見て、私はチャンスについて大きな誤解をしていたことに気がついたのです。

ジョブズは、スピーチの中で、自分の経験から得た人生観を話していました。大学を中退して、カリグラフィー(洋風習字)と出会ったおかげで、世界で初めて美しいフォント(書体)を搭載したパソコンを開発した話や、ガンとなって死に直面することで、自分の直感や心に従うことの大切さを改めて感じた話など。人生において何を大切とすべきかを、これから社会に出る学生に話す感動的なスピーチでした。

ジョブズは、この言葉で締めくくります。

“Stay hungry, stay foolish!(ハングリーであれ、愚か者であれ!)”

この言葉にジョブズの生き方が全て表れているのでしょう。この言葉を紹介しながら、「私自身いつもそうありたいと思っているし、これから卒業するあなたたちにもそうあって欲しい」とスピーチを終えます。

私の解釈では、ジョブズは「新しいことに挑戦すると、人から愚かに思われるかもしれない。でも、人生は1回きり! そんなことは気にせず、自分が信じた道をハングリーに進もう!」と、私たちに伝えようとしたのかなと思いました。

ジョブズが締めに選んだこの言葉は、70年代半ばに、当時の若者が熱狂した『Whole Earth Catalog』という本の裏表紙に書かれていた言葉だそうです。

そう、「本の裏表紙」です。

私は何度か、このスピーチを聞いた後に、気がつきました。

誰でも買えた本の裏表紙に、人生を変える言葉と出会うチャンスがあったのか……。

そんな、なんでもないところにチャンスって落ちているのか!

それまで自分の日常にチャンスなんて落ちていないと思っていました。例えばダボス会議やセレブが集まるパーティなど、普通では入れない特別な場所に、チャンスが落ちていると思っていたのです。

このスピーチを聞いて、それは大間違いだったと気がつきました。

人生を変えるようなチャンスは、ふとした日常の中にも落ちているのです。大切なのは、特別な出来事に出会えるかではなく、自分の心が動いた出来事をつかんで離さないことだと気がつきました。

例えば、人からもらった褒め言葉、ふと思いついたアイデア、何かのお誘い、人との出会い、感動したニュース、新しく学んだこと……。

日常の中で、“自分の心が動いた出来事”が「チャンス」なのだと、気がついたのです。

それから、自分の心が動いた出来事を慎重に探し始めました。

■小さなチャンスでも、見落とすよりはマシ

じゃあ、いったいどんなチャンスを書いていたでしょうか。嬉しいこと日記と同じで、最初はひどいものでした。思い出深いひとつの例をご紹介します。

ある日、会社で、お客さんに送ったはずの書類が届いていないと大騒ぎになったことがありました。

それは上司から「山田さん、これお客さんに送っておいて」と頼まれて、私が送った書類でした。私は、上司から手渡された書類を持って、会社の前にあるコンビニに行き、自腹で切手を買って、郵便ポストに出していたのです。

山田智恵『ミーニング・ノート』(金風舎)

そうなんです。今でこそ笑い話ですが、世間知らずだった私は、会社に宅急便のシステムがあることも、経費は会社に申請できることも知りませんでした。「手紙といえば、切手を貼ってポストに投函」という方法しか頭になかったのです。

そして、会社の人に世間知らずであることを知られてはいけないと思って、必死に隠していたので、何も聞けずに「私は全部知ってますから」という顔をして過ごしていたのです。それが原因で、社内の追跡システムがある宅急便を使わずに、郵便ポストで出すという間違いをしてしまったのでした。

運悪く、そんな風に切手を貼って、郵送していた書類のうちの1つが、失くなってしまいました。

当然ですが、上司に怒られました。「なんで、郵便ポストから出したの!? どうして社内の宅急便を使わないんだ!」

怒られて初めて、社内の宅急便という仕組みがあることを知ったのです。「そんな便利な仕組みがあるのか!」と驚いて、その日のノートには、こう書きました。

重要書類は宅急便で。

怒られたことで新しく学んだことを、チャンスだということにしたのです。

これがチャンス?

正直、私は、自分のチャンスの小ささに泣けてきました。32歳ともなれば、仕事で活躍している人は、社内で社長賞をとったり、海外駐在になったり、最年少で係長とかになっている人もいました。それに比べて、私は宅急便のことを知ったことがチャンスだなんて……。

でも、どんなになげいても、起きたことを変えることはできません。「チャンスを見落として後悔するよりはマシ!」だと考え直しました。

どんなに小さなチャンスだとしても、どんなに望んでいないチャンスだとしても、自分の毎日の中で心が動いたチャンスをつかむしか、私にできることはない。そのチャンスから、必ず何かを得よう!

そんな覚悟が生まれた瞬間でした。

とにかく、1ミリでも心が動いたものはチャンスとみなして、そのチャンスにどんな価値や可能性があるのかを考えて一緒に書き始めたのです。

・経理の高沢さんに親切にしてもらった。今度困ったら相談しよう。
・生活費を稼ぐためだけに、人生のほとんどの時間を使いたくないと気がついた。
・恵比寿駅で震災のボランティアに来た外国人に道を聞かれて立ち話。送ってあげればよかった。
・ちきりんの「働かない生活」という提案、新しい。

こんな書き方に変えてから、私の人生は一気に変わっていきました。

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山田 智恵(やまだ・ともえ)
株式会社ダイジョーブ CEO ミーニング・ノート発案者
リーマンショックの影響で、勤めていた父親の会社が民事再生を申請し、一家全員無職となる。32歳で初の就職活動を行うなど、ゼロから人生を切り開かなくてはならず、チャンスをつかむために「ミーニング・ノート」を始める。そこから人生が好転し、転職した一部上場企業ではたった1年で部長に昇格し、外資系スタートアップ企業にも社外取締役として参画する。2016年に株式会社ダイジョーブを設立。ミーニング・ノートを広める活動を行なっている。また、組織の意思決定の場に女性が少ないことを課題に感じて、女性管理職のためのコミュニティ「Women@RoundTable」を運営している。慶應義塾大学大学院経営管理研究科(MBA)卒。

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(株式会社ダイジョーブ CEO ミーニング・ノート発案者 山田 智恵 写真=iStock.com)

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