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「嵐・二宮の結婚」はジャニーズ凋落の始まりだ

プレジデントオンライン / 2019年11月19日 17時15分

2019年7月10日、ジャニー喜多川氏(故人)が興した「ジャニーズ事務所」の外観。 - 写真=AFP/アフロ

■芸能界の非人道的な因習を知らしめた

「嵐」の二宮和也(36)と元フリーアナウンサーの伊藤綾子(38)の結婚発表は、芸能界にはスターの結婚が許されないという非人道的な因習がまだ残っていることを、多くの人に知らしめたという一点においてだけ、評価され、祝福されるべきだと、私は考える。

はるか昔にも、映画会社の縛りによって、トップスターの結婚が許されない時代があった。

今は覚えている人も少ないだろうが、日活という映画会社の大スターだった石原裕次郎が、映画『狂った果実』で共演して恋仲になった、これもトップ女優だった北原三枝との結婚を、日活が許さなかった。

追い詰められた2人は、手に手を取ってアメリカへ「婚前旅行」に踏み切ったのである。メディアがそれを知ってすっぱ抜こうとしたため、日活側が折れ、2人そろって羽田空港に帰ってきた。

結婚した北原は芸能界を引退した。その後、裕次郎は日活を飛び出し、独立して映画『黒部の太陽』を作ったことはよく知られている。

これも大昔だが、歌手の美空ひばりと俳優の小林旭が結婚したときも、大騒ぎになった。

■ジャニーズ事務所最大の事件「中森明菜自殺未遂」

近くに目を転じれば、ジャニーズ事務所最大の事件といわれる「中森明菜自殺未遂」がある。

1989年7月11日、六本木の自宅に帰ったジャニーズ事務所所属のアイドル・近藤真彦(当時25歳)は、当時「親密交際」していた歌手の中森明菜(当時23歳)がバスルームで血を流し倒れているのを発見した。

明菜の傷は、左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの神経に達するほどの重傷だったという。救急車で運ばれた慈恵医大病院で6時間にもおよぶ緊急手術が行われ、命に別状はなかった。

人気絶頂だった2人に何があったのか、一般紙も含めた多くのメディアは血眼になって詮索した。

近藤と明菜は、テレビや雑誌などで何度も共演しており、2人の仲は公然の秘密であった。

その当時の報道によると、すぐにでも結婚したい明菜と、結婚は30からと考えていた近藤との意識のズレがあったのではないかという見方が多かったようだ。

また、その年の2月に、『フライデー』が、近藤と松田聖子との「密会」を報じたことが、明菜にショックを与えたのではないかともいわれた。

だが私は別の理由があったと考える。

■なぜ復帰会見に「金屏風」が置いてあったのか

田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」をつくって一世を風靡(ふうび)し、その後ソロデビューも果たした近藤は、事務所にとって絶対欠かせないドル箱アイドルだった。

その近藤が、中森明菜と結婚することを、事務所側が許すはずはなかった。

それを知っていた明菜は、近藤と事務所への“抗議”の意味で、自殺を図ったのではないだろうか。

それは、事件から半年後の12月31日に行われた中森明菜の「復帰記者会見」に表れていたのではないかと、私は思っている。

彼女のトレードマークだったロングヘアを切ってショートにし、「皆さんにご迷惑をおかけしたことを深くおわび申し上げます……」と涙ながらに謝罪した。

途中から同席した近藤は、明菜のことを気遣いもせず、明菜との結婚について聞かれると、「まったくありません」といってのけたのである。

2人の背後には、おめでたいときに飾られる「金屏風」が置いてあったことが物議を醸した。明菜は、「近藤が結婚すると言ってくれるから」と言われて、連れてこられたのではないか。

事務所側が、近藤に因果を含めて、「明菜との結婚はない」と報道陣の前で言わせたのではないか。

さまざまな推測が飛び交ったが、いまだに真相は闇の中ではあるが、これだけは言えると思う。ジャニーズ事務所は、稼いでいるタレントが結婚することを絶対許さないということである。

唯一といってもいい例外は、木村拓哉と工藤静香の結婚であった。

■「ユーの自由だよ。ただ、ファンはどう思うかな」

キムタクが工藤と結婚すると聞いて、メリー喜多川副社長(当時)は激怒したという噂(うわさ)があるが、キムタクが結婚を発表したとき、工藤は妊娠4カ月だったという。

「できちゃった婚」、それに工藤の所属事務所が力を持っていたから、ジャニーズ事務所側が折れたといわれるが、女性のほうがキムタクより上手だったということであろう。

キムタクの結婚で、ジャニーズ事務所のタレントたちの結婚が次々に解禁されるかと思ったが、そうはならなかった。

あるジャニーズの人気アイドルは女性歌手との一泊旅行が発覚した際、ジャニー喜多川からこう諭されたという。

「ユーが好きで付き合うのはいいよ。ユーの自由だよ。ただ、ファンはどう思うかな。ファンのことを一番に考えてね」

姉のメリー喜多川の考え方は、さらにシビアだそうである。

「彼女はよくファンを髪の毛にたとえて、『年をとればだんだん減っていく』。ファンについては『来る者は拒まず、去る者は追え』」がメリーの信条だそうで、結婚はファン離れの1番のリスクだと考えているといわれる。

■人権を無視したやり方がいまだに横行している

そう考えるジャニーズ事務所に、交際さえも許されず、記者たちの前で「もう会うことも一切ございません」と言わされたのが、「嵐」の大野智(34、当時)だった。

『フライデー』2015年10月2・9日号で、10歳年下の元女優A(24)との同棲愛が発覚した大野は、フライデー発売翌日の9月19日、宮城県内でのコンサートの開演前に、各スポーツ紙の担当記者たちの取材に応じた。

「交際が報じられてすぐに、ジャニーズ事務所の幹部からAと別れるように迫られたようだ。大野は記者一人ひとりの手を握って頭を下げ、痛々しいほどでした」(当時取材したスポーツ紙デスク)

タレントの人権を無視しているとしか思えないジャニーズ事務所のやり方である。

こうしたことがまかり通ってきたことが、私には理解できない。

だが、NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」で一躍スターになった能年玲奈が、事務所を離れて独立する時、本名である能年玲奈は商標登録してあるから使わせないと事務所側から言われ、「のん」という芸名で芸能活動を続けているのを見ると、こうした理不尽というしかないことが、芸能界では平気で横行しているのである。

自社のタレントの自由恋愛など許さないのは、当然の権利だといまだに考えているようだ。

■結婚願望が「嵐活動休止」発表につながった

今回、伊藤綾子と結婚を発表した二宮和也も、ここまでくるには大変な苦労があったこと、想像するに難くない。

『週刊文春』(11/21号)によると、伊藤は山形大を卒業後、秋田放送のアナウンサーになったが、「東京でキャスターになりたい」と、07年に退社している。その後、29歳で日テレ系の「news every.」のレギュラーになって夢を実現した。その上、二宮とも交際を始めたという。

伊藤はそれが嬉しかったのだろう。『文春』で、日テレ関係者が「メイク中も普通に二宮クンとLINEでやり取りしてました」と話している。

彼女は当初から結婚を意識していたようだが、16年7月に女性セブンが、二宮の自宅マンションへ足しげく通う伊藤のことを報じると、嵐のファンから猛バッシングを受けたのである。

伊藤の事務所も、当然ながら、ジャニーズ事務所も2人を守ってはくれなかった。

伊藤は番組降板にまで追い込まれ、公の場から姿を消した。だが、二宮との交際は続いていた。これまでの報道によれば、二宮も伊藤との結婚を熱望していたが、藤島ジュリー景子社長が猛反対していたというのだ。

親が親なら子どももということだろう。だが二宮の結婚への意志は揺るがなかった。

二宮の結婚願望が、他のメンバーとの反発を招き、2020年末の「嵐活動休止」発表へとつながったといわれているそうだ。

■モルディブへ4泊5日の「婚前旅行」

18年7月、活動停止へとつながったであろう、ある事件が起こる。

二宮が伊藤とモルディブへ4泊5日の「婚前旅行」を敢行するのである。それを『文春』(2018年8月16・23日号)がすっぱ抜いた。

文春オンライン上に、結婚発表を受けて、この時の記事が再編集して掲載されている。

「7月16日午前8時前、成田国際空港に、予定より少し遅れて一機の国際便が降り立っていた。
先頭を切って機内から姿を現したのは、嵐の二宮和也(35)。黒いキャップ、ピンクのTシャツに水色のカーディガンを羽織っている。VIP扱いの二宮は、到着ゲートを出たのも誰より早かった。空港関係者が二宮の荷物を引きながら続く。二宮は手で口元を隠しながら、愛車のレクサスが停まっている駐車場へ向かった。
遅れること数分、機内から黒のキャップに黒のワンピース姿の女性が降りた。目下二宮と結婚秒読みといわれている、元フリーアナウンサーの伊藤綾子さん(37)である。二人はこの日、4泊5日の“婚前旅行”から帰国した——。(中略)
交際報道から約2年、二人は密やかに、そしてしっかりと愛を育んでいた。その象徴が、今回、小誌が目撃した海外旅行だ。
「機内で二人はビジネスクラス。隣同士の席でしたよ。スリランカを経由する便ですから、二人は高級リゾート地のモルディブに行っていたのでしょう」(乗り合わせた客)
ひとり空港の駐車場に向かった二宮は、愛車を同フロアのエレベーター付近に移動させた。
約15分後、伊藤さんの姿を確認するや運転席を降りて迎えた二宮。そして伊藤さんの重いスーツケースを持ち、甲斐甲斐しく車のトランクに収納。堂々と寄り添って歩くことのできないトップアイドルの、せめてもの気遣いだろう。伊藤さんに対する優しさが垣間見える、微笑ましいシーンとなった」

■「結婚は最近はしたほうがいいと思っている」と発言

『文春』によれば、ことあるごとに「結婚願望がない」と語っていた二宮が、13年11月に放送された「ニノさん」(日テレ系)では、「俺はね、結婚は最近はしたほうがいいと思っている」と新たな心境を吐露し、次のように続けたそうだ。

「この人がすごい好きだから結婚したいとかじゃなくて、もうそろそろ孝行の一つとして孫見せなきゃまずいかなっていう感じ。生きているだけで幸せなんだけど、もう一個嬉しいこと乗っけてあげたいってなってきたんですよ、急に」

そうしてようやくここへきての結婚発表となる。二宮のメディアへ送った文章はこうだ。

「この度、私二宮和也は、かねてよりお付き合いをさせていただいている方と結婚することとなりましたのでご報告をさせて頂きます。
結婚後も、これまでと変わらず活動してまいりますので、温かく見守って頂けましたら嬉しく思います。
今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
2019年11月12日 二宮和也」

素っ気ない文章だが、ここにも二宮と彼女、事務所側の思惑があるといわれているようだ。

■活動休止を機に事務所を離れるのではないか

メディア関係者によると、今年10月頃に一部の出版社などに彼女の代理人である弁護士から、一通の通知書が送りつけられたという。

「その通知書には、彼女は18年3月末までは芸能活動をしていたが、現在は一般人なので実名、及び顔写真等などは公開しないように記されていた」というのである。

つい1年半ほど前までは芸能活動をしていたのに、こんな書面が届くのは珍しいという。

騒がれて、前回のような騒ぎになることを恐れてのことだろうか。それとも、結婚発表にいい顔をしないジャニーズ事務所への気配りからだろうか。

テレビ、新聞、スポーツ紙は、事務所へ配慮して、彼女の実名を出さないところが多い。『フライデー』も「Aさん」である。

「嵐」が来年末で活動を休止しSMAPはバラバラ。アイドルを見出す天才だったジャニー喜多川社長も亡くなり、ジャニーズ事務所の将来は暗澹(あんたん)たるものである。

タレントたちは次々に独立し、テレビへの影響力も失いつつある。ジャニーズ凋落(ちょうらく)の象徴が二宮の結婚で、おそらく二宮は、活動休止を機に事務所を離れるだろう。

ファン離れを恐れ、カネもうけの手段としてしか自社のタレントを見ないできたジャニーズのやり方に、「NO!」を突きつけるために。

これは私の個人的な願望だが、そうなる兆しははっきりと見えた。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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