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「早く子供を」の声に向き合った地域映画の挑戦

プレジデントオンライン / 2019年11月21日 15時15分

映画「夕陽のあと」監督:越川道夫 出演:貫地谷しほり、山田真歩、木内みどりほか - 写真=筆者提供

鹿児島県長島町は地域映画「夕陽のあと」を制作し、劇場公開した。映画のテーマは「子育て」。長島は合計特殊出生率が2.06人という“子だくさん”な島だが、その一方で、「出産して当たり前」という空気に苦しむ人も暮らしている。地域映画で社会的なテーマに触れた狙いはなにか。プロデューサーの小楠雄士氏が解説する――。

■なぜ、あえて「ご当地映画」を選んだのか

全国の地方自治体が町おこしのために作る「ご当地映画」が乱立している時代。鹿児島県の最北端に位置する島・長島町も、映画で地域の魅力を発信していくという地方創生施策をあえて選んだ。

単に町のそのままの姿をPRするだけなら、ドキュメンタリーを制作すればよいかもしれない。しかし、それだけで「地方創生」と呼べるのだろうか。

長島町は日本の食卓を支えるほど農業・漁業がさかんな地域だが、最大の特徴は何よりも出生率の高さである。人口約1万人の島で、合計特殊出生率は全国平均の1.44人を大きく上回る2.06人(2016年調べ)。この数字を支えているのは島のお母さんだけではなく、すべての島民で子どもたちを育てるという、長島町で受け継がれてきた価値観にある。

「夕陽のあと」は、そうした“長島町の子育てのリアル”を描き、子どもをめぐってさまざまな事情を抱えるすべての人に問いかける、普遍的なテーマを目指した映画だ。

■映画館やレンタルショップがない町に生まれた映画

東京で生まれ育ち、大手IT企業や出版社に勤めていた私は2018年2月、この作品を世に出すために仕事を退職し、長島の地域おこし協力隊として映画づくりの世界に飛び込んだ。

「長島を舞台にした映画を作りたい」――。2017年、国の地方人材支援制度で総務省から期限付きで長島町に赴任した井上貴至副町長(当時)が思いを伝えると、町の職員は「映画? どうやって作るんですか?」と、そう答えたそうだ。

無理もない。長島には映画館はおろか、レンタルビデオ店すらないから、町民に映画のなじみがない。

それでも井上氏は、部下をはじめあまりにピンときていない周囲への説得を続けた。彼を突き動かしたのは、岐阜県恵那市や北海道剣淵町が舞台として描かれた地域映画があること、地域の美しさや豊かさを伝え、シビックプライド(市民としての誇り)を高めるような映画と長島町との可能性を信じる熱い思いだった。

その熱が伝播していくと、映画づくりのイメージが沸かない人たちのまなざしにも変化の色が見え始めた。「町が一体となる映画を作る」、その思いが周囲の人々へ届き始めると、川添健(かわぞえたけし)町長は、映画制作に向けての企画書を国に提出。町おこし事業として認められ、地方創生推進交付金補助の内定が決まった。

映画制作を長島町の総合戦略に位置付け、いよいよ映画制作に本格的に着手をする日が訪れた。

写真=筆者提供
長島町から見える朝陽(長島町・針尾公園) - 写真=筆者提供

■食料もエネルギーも完全に島内でまかなえる

鹿児島県最北端に位置する長島は漁業、農業、畜産と一次産業が盛んな町だ。食料自給率、エネルギー自給率はともに100%を超えている。養殖業では、ブリの出荷は単一漁港で日本一の出荷量を誇り、タイ、サバ、シマアジ、アワビ、ワカメなどバラエティはとても豊富だ。毎日のように行われている市場の競りでは、その日の網漁で揚がった魚が陳列されている。

農業もミネラルや鉄分が含まれた見事な赤土が恵みをもたらし、全国クラスの生産量であるジャガイモやサツマイモは、秋から春にかけて収穫の最盛期を迎える。わが家で食べる米を自分で育てているという話もよく耳にする。

たった人口約1万人の島に、一体どれほど日本の食卓は支えられているのだろうか。1974年に黒之瀬戸大橋が完成し、県本土と陸路で往来できるようになったが、長島、伊唐島(いからじま)、諸浦島(しょうらじま)、獅子島の有人島を含めて23もの島々が連なり、豊かな食材に恵まれ、島々に建つ巨大な風車によってエネルギー自給できる姿を見ていると、まるで一つの大陸のように見えてくる。

このたくましい産業を育てあげた地元の有志が集い、「長島大陸映画実行委員会」は発足した。実行委員長を務めた長元信男氏は、長島の海で育まれた養殖ブリを世界各地へと届ける、東町漁業協同組合の組合長だ。

写真=筆者提供
漁港で開催される祭りの風景(長島町・薄井) - 写真=筆者提供

映画を後押しする補助金、そして地元で構成された委員会。ただそれだけのことだが、映画が始まる夜明け前のような期待が膨らんだ。

■顔を見ればどこの誰の子かすぐに分かる

長島大陸映画実行委員会は「夕陽のあと」の企画原案を担った舩橋淳氏と、制作会社のドキュメンタリージャパンと出会い、映画づくりを進めた。彼らを長島町に招き、シナリオを書く前に舞台となる場所を訪れる「シナリオハンティング」が行われた。

取材を進めていくなかで、私たちは長島町の合計特殊出生率の高さに着目した。さらに、離婚後に長島に戻るシングルマザーや、男手1人で子育てをするシングルファーザーの存在が多いことにも注目した。制作チームと共に、1人で子育てに励む親たちに集まってもらい取材すると、実際にこんな声が聞こえてきた。

「長島は子育ての制度が充実している」
「地域の人たちが子どもの面倒を見てくれる」
「母親同士のコミュニティのおかげで不安がなくなった」

長島では高校までの医療費が免除され、卒業後10年以内に町に戻った島民を対象に奨学金の返済が免除される「ぶり奨学金プログラム」など、公的な子育て支援に力が入っている。行政が運営する子育てサロンも設けられており、島のお母さんたちの交流も生まれている。

集落、PTA、同級生、縦の関係も横の関係もさまざまなコミュニティが存在し、コミュニティ同士が交流しあう祭りやスポーツイベントも定期的に行われている。島中が親戚だらけの長島では、誰がどこの子か顔を見ればすぐに分かるのだ。外様の自分からすると、長島自体が大きな1つの家族のようにも見える。

写真=筆者提供
「夕陽のあと」でも題材となった集落で受け継がれる伝統文化(長島町・汐見) - 写真=筆者提供

■「全国クラスの出生率」の裏側に潜む価値観

取材を重ねるうちに、長島を舞台にしたシングルマザーや子育てを描く物語を作ろう、と制作陣の間で話が進み始めた。台本制作は以下のようなプロットから始まった。

夫の育児放棄、DV、行き着く先の貧困によって子どもを育てることができずに手放してしまった“産みの親”が、里子として引き取られ、長島で育つ“実の子”を取り戻すために長島へ。だが、“育ての親”と共に育った“実の子”は、手放していた間に“長島の子”になっていた。産みの親は、長島で暮らしていく子の幸せを願い、子と暮らす夢を前向きに諦め、初めて“本当の母”となる。

このような展開で物語は考えられていった。子どもを産み、地域で育てていくことは長島では当然のことと考えられてきた。それは台本作りにも大きく影響を与えてきた長島らしい子育ての文化だ。

しかし、シナリオ作りのための取材をその後も進めていくと、長島の出生率の高さの裏側にある問題が見え始めた。不妊治療によって心身ともに疲弊した結果、夫婦で子作りを諦める選択をとった女性が語ってくれたときのこと。

つらい決断だったのにもかかわらず、地域の距離感が近すぎるゆえなにげなく「早く子どもを作らんとね~」と周囲の年配の人たちに言われることもしばしば。子を産むことができない女性にとっては、十字架を背負わされるようなことだ。

写真=筆者提供
映画のメインの舞台となった港町(長島町・宮之浦) - 写真=筆者提供

また、別の女性は「男児だけの兄弟だから、女の子も産まないとね」と集落の人たちから言われることもあり、女児だけの姉妹の親も同様の経験をしたと言う。その言葉たちが、彼女たちの心をすり減らしてきた。

取材を続けてきた結果、地域が一体となり子どもを育てていくことをDNAのように受け継いできた長島の文化も、今一度立ち止まって町の人たちが見つめ直さなければいけないのかもしれない。「全国クラスの出生率」の裏側に潜む、固定化した価値観を解きほぐす必要性を制作陣が体感した。

■「この2人に僕は決着をつけられない」

わが子を手放すしか選択肢が残されていなかった“産みの親”と、子宝には恵まれなくともわが子のように愛情を注ぎ、共に暮らしてきた“育ての親”。どちらが「本当の親」なのか、物語のクライマックスではその決着をつける予定だったが、越川道夫監督はこう言った。

「この2人に僕は決着をつけられない」

常識だけでは判断つかないことがある。「夕陽のあと」では、誰も頼ることができず絶望の淵に立たされ、子どもを手放すことしかできなかった産みの親をただの善悪基準で悪人に仕立てるのではなく、長島で暮らす育ての親が、産みの親を理解していこうとする軌跡を映し出す。

誰かの意見ではなく、一歩立ち止まって、自分がどう物事と対峙するのか。親とはどういう存在か、子育てとはどういうことか、家族とはなんなのか。越川監督が与えた一言の思いは「夕陽のあと」に宿り、長島に限らずあまねく人々へと問い掛ける普遍的な作品となった。

「夕陽のあと」の9割以上は長島町内で撮影された。長島の美しい景観や、快活に暮らす島の人たちを映している。ただ、長島の良い部分だけを切り取った作品にはなっていない。不妊治療、特別養子縁組、ネグレクト、シングルマザーの貧困……そして子どもを育てていく場所。子育てと切り離すことができない問題へ、本作は真っ向から立ち向かった。

■大人は子どもたちに何を残していくのか

前述したように、長島は地域一体となって子育てをしている。核家族化や児童虐待が連日取り上げられる昨今とは対極の社会が作品の中でも描かれている。距離が近すぎるあまり、デリケートな部分に触れすぎてしまうことだってある。ただ、そのような社会が今なお日本に残っている、それを知るだけで救われる人だってきっといるだろう。

写真=筆者提供
2018年11月~12月にかけて行われた撮影(長島町・大陸市場食堂前) - 写真=筆者提供

そして、日本にはさまざまな家族の形がある。どこで暮らそうが、どんな家族の形であろうが、未来を生きる子どもたちに大人は何を残していくのか……。作品を見ている人自身に考えるきっかけを投げかけ続けている。

公開に先立ち、島内で町民向けに実施した完成披露試写会では「期待以上」という声が多く集まった。作品に触れる感想も多く、「ひと言で“良い映画”とは言い尽くせない心に刺さる映画だった」「地域で子どもを育てる意味を改めて考えさせられた」、このような声が寄せられた。東京で行われた試写では「舞台はローカルなのに、テーマはグローバルだ」という評価も受けた。

地域が地域を再発見できる、それは地方映画のあるべき姿なのかもしれない。「夕陽のあと」はそれを丁寧に突き詰めていった。その結果、よそで暮らす人にとっては“長島で生きていく”という選択肢になりうる。そんな思いがめばえてくれたら、と願っている。

『夕日のあと』公式サイト Ⓒ長島大陸映画実行委員会

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小楠 雄士(おぐす・ゆうじ)
「夕陽のあと」長島町プロデューサー
1985年東京生まれ。明治学院大学卒業後、楽天に入社し、パッケージメディアのEC販促などを担当。2017年幻冬舎に入社し、NewsPicksアカデミアの立ち上げなどを担当。2018年、地方でのコンテンツ制作を志して退社し、長島町を舞台にした映画「夕陽のあと」プロデューサーとして長島町地域おこし協力隊に着任。映画制作の準備段階から台本制作や、完成後の宣伝などを仕掛けてきた。

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(「夕陽のあと」長島町プロデューサー 小楠 雄士)

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