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日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある

プレジデントオンライン / 2020年1月29日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cyano66

日本のクラシック業界が衰退している。それはなぜか。指揮者の大友直人さんは「評論家やジャーナリストの質が変化している。極端にオタク的な評論が増えた結果、嫌いなものを認めない感性を持つ人を増やし、初心者は聞き方を押し付けられるようになってしまった」と指摘する――。

※本稿は、大友直人『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■90年代以降、勢いを失っていった

音楽のすばらしさを言葉で語り尽くすことはできません。しかし人間は、確かに音楽によって心を癒され、励まされたり勇気づけられたりすることがあります。これほど神秘的でおもしろい世界は、他になかなかありません。

そんなすばらしい音楽を、一人でも多くの人が享受できる。それこそが望ましい社会だと私は思います。クラシック音楽には心の琴線に触れるすばらしいものがたくさんありますから、分け隔てなく多くの人が楽しみ、感動を受け取れる存在であるべきだと思います。”高級な音楽”とカテゴライズされることで、聴かれる機会が減ってしまうのは残念なことです。

しかし今、クラシック音楽界は、残念ながら衰退の道を辿っているといわざるをえません。私自身、自戒の念をもって、これまで私たちは、クラシック音楽のすばらしさを人々に知ってもらうための十分な努力をしてきたのか、今の世の中に受け入れてもらえる、適切な内容の音楽を提供してきたのかということを考えています。

戦後の日本のクラシック音楽界を振り返ると、1970年代初頭までは、東京交響楽団や日本フィルが経営に行き詰まるといった悲劇はありましたが、その分野の努力において状況は悪くなかったのではないかと思います。これは、クラシック音楽界にかかわる人たちが、一心不乱に質の向上を目指していた時代です。

しかし1990年代以降……これは残念ながら私が活動する時期とほぼ重なっているのですが、クラシック音楽界は徐々に勢いを失っていったように思います。

■かつての評論には「社会」があった

その理由の一つとして、まず、クラシック音楽を一般市民に広げていく使命を持つ評論家やジャーナリストの質の変化が挙げられるでしょう。彼らがどんな哲学やポリシーのもとで、クラシック音楽の世界を広げ、支援しようとしたのか。そのやり方に問題があったのではないかとも思います。

私が子どもだった1970年代まで、クラシック音楽の最新情報を入手する主な方法には、音楽専門誌やFM放送ぐらいしかありませんでした。しかしそこでは、吉田秀和さん、野村光一さん、山根銀二さん、藁科雅美さん、中島健蔵さん、遠山一行さん、寺西春雄さん、さらにその前の世代だと、日本の音楽評論の先駆者である大田黒元雄さん、野村胡堂(あらえびす)さんなど、私自身は音楽家としてほぼ接点のない、大正、明治生まれの世代の評論家の文章を読むことができました。

この世代のまっ当な人たちは音楽に詳しいだけでなく、社会とはどういうものなのか、さらに、社会において文化や音楽はどのような存在なのかを十分に理解されていたのではないかと思います。今、聴衆が求めている情報は何か、自分の発信するその情報が世の中においてどんな意味を持つのかを認識したうえで、言葉を発していたように思います。

■「嫌いなものは認めない」人を増やしてしまった

しかしいつからか、音楽専門誌で書かれている評論は、極端にオタク的なものとなっていきました。もちろん、広い知識を持ち、適切な評論を発表する書き手もまったくいないとはいいませんが、アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストやライターが、あるときから増えてしまいました。それによって、一般の音楽愛好家がもう少し多くのことを知りたいと思ったときに、評論サイドの個人的嗜好を知らされるだけで本当に有益な情報を得られる場所がなくなってしまったのです。特に、初心者でこれからクラシック音楽を好きになっていこうとする人にとって、適切な情報や文章が提供される場は、ほとんどなくなりました。

長年にわたり、多くの評論家やジャーナリストがその文章や発言によって音楽界を盛り上げるという視点に欠けていたことは否めない事実でしょう。

こうした積み重ねがどんな状況を生んだか。日本のクラシック音楽の聴衆の間に、極端なオタク的感性を持つ人が増えてしまいました。自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人を増やしてしまったといえるでしょう。

■現場と社会を結ぶ「パイプ」不在の状況

この状況は、情報を発信する人たちの自覚が著しく欠けていたためにもたらされた悲劇だったと思います。もちろん私たち演奏の現場にいる人間の責任も大きい。しかし立ち止まることもできず、毎日ひたすら走り続けている演奏の現場を高い見識を持って社会と結びつけてくれるパイプの役割を果たすのが、評論やジャーナリズムのはずです。この数十年間、日本ではその機能が十分に働いていなかったのではないかと思います。

評論家やジャーナリストに、自分もクラシック音楽界の一翼を担っているのだという大きな責任感や使命感を持ち、自分自身の実力と置かれている立場を理解している人がどれだけいたでしょうか。社会をより一層豊かなものにしていくために活動しているのだという意識を持つ人が、少なくなってしまったのではないかと思います。

■「背中を追いかけたくなる大人」が減っている

人が誰かの影響を受け、憧れて上を目指そうとするには、その周囲に本当に魅力的な先人がいることが大切だと思います。それはたとえば、身近なところでいえば父親や母親、学校や習い事で出会う先生など、さまざまなケースが考えられるでしょう。

教育によってそういった立派な人物が増える世の中になれば、自然とその波及効果が出てくるでしょう。理想論、教養主義と言われるかもしれませんが、やはり教養豊かで魅力にあふれた大人の存在は、社会や若い世代を変えると思います。

強い哲学を持ち、日々がむしゃらに勉強した明治生まれの世代の人たちが社会を引っ張ったころのような雰囲気が、もう一度戻ってはこないものか。これは音楽界に限らず、政財界を含め多くの分野において感じることです。

戦後の日本の音楽界を形づくった、戦前、戦中生まれの世代の人たちというのは、限られた環境のなかでも音楽のすばらしさに魅せられ、ただひたすら、一心不乱にその魅力を世の中に伝えようとしていました。

クラシック音楽黎明期のレベルでは、技術的、能力的にできないことが多かったかもしれません。しかし、この音楽の魅力はここにあるのだ、大切なポイントはこれだということをしっかりと理解し、それを世の中に伝えるべく、演奏家、教育者、評論家として、確信をもって邁進した人たちが存在しました。

ところが我々の世代になると、恵まれて豊かな時代に育ったがゆえに、何が大事で、核心はどこにあって、それをどう伝えなければならないかをしっかり意識することなく、漫然と音楽の世界に足を踏み入れる人が増えてしまった。音楽にとって一番大切な骨格や土台をきちんと認識できないまま、この世界で活動している人が多くなったように思います。

今の時代、憧れて背中を追いかけたくなるような魅力的な大人が減っているのではないか。これは、自戒を込めて感じていることです。

■「満席のお客様の前で演じてこそ意味がある」

私は今、クラシック音楽界は、マネジメントのあり方も含め、多くのことを見直すべき時期に来ているのではないかと、心底思っています。

いいものをつくっていればいつか認められる、いずれ広がっていく。そう信じて、お客さんが入らなくても必死に耐えて活動を続けている音楽家はたくさんいます。しかし現実には、ただ演奏しているだけではなんの変化も起きません。

以前、東京文化会館での企画の相談を、能楽師シテ方の梅若猶彦(なおひこ)さんに持ち掛けたことがありました。梅若さんは真っ先にホールの客席数について尋ねられた。2300席だとお答えすると、「それじゃあ2300席を満席にする内容を考えないといけませんね」とおっしゃいました。私は普段の感覚で、「その観点からのスタートですか?」と言ったら、「当たり前じゃないですか! 私たちの仕事は、満席のお客様の前で演じてこそ意味があるんですよ。クラシックはそうじゃないんですか?」と言われてしまいました。

■優秀なリーダーが集まりにくい業界

自分でも情けないのですが、我々演奏家は、リハーサルと本番に全力で向かい、それだけでいっぱいになってしまう。その先を考える余力を持つことがなかなかできません。でも、能の世界しかり、歌舞伎の世界しかり、「満席のお客様に観ていただいてこそ価値がある」。公演の採算を考えても当たり前のことです。あらゆるところに気を配り、アイデアを出す。本来は、そうでなくてはいけないのです。

とはいえ、コンサートをつくっているのは演奏家だけではありません。オーケストラやホール、マネジメントのスタッフの力もとても重要で、それぞれが努力を重ねています。しかし現実問題として、クラシック音楽のマネジメント側の人材に目を向けると、本当に優秀なリーダーが少ないという厳しい現状もあります。

世の中はいつだって優秀な人を求めています。本当に高い能力のある若者は、求められて一流企業や官庁の仕事に就いたり、自らベンチャー企業を立ち上げるなど、別の道に進んでしまうケースが多い。ビジネスとしての成功が簡単ではなく、不安定なクラシック音楽界には、なかなか優秀な人材が集まらないのです。

■若者と新しいコンサートシーンを創り出したい

戦後すぐの時代にN響の事務長をつとめた前述の有馬大五郎さんなどは、今考えてもオーケストラマネージャーとして相当優秀な方だったと思います。しかしそれも、当時の日本では、クラシック音楽がまだ黎明期にあったから実現したことだったのかもしれません。

大友直人『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)

もちろん、今、クラシックのマネジメント側で働く人々の多くは、音楽を愛し、本物の音楽を届けようと試行錯誤しながら勇気を持ってこの困難な世界で努力を重ねているすばらしい人たちです。

本当に実力のあるアーティストを育て、価値のある演奏会をつくるにはどうしたらいいか。もしかしたら、すでに何かしらの固定観念に縛られている自分に近い世代の人に、変わらないといけないと伝えるより、次の時代をつくる若い人と議論を交わしていくほうが近道なのではないかと最近は思っています。中学生や高校生のような若い世代に、知識や社会観、自分が理想とする音楽観を伝えたり、議論してみたりすれば、そのなかから次の時代を担ってくれる人材が生まれるかもしれません。

目を凝らして若い才能を見つめて、新しいコンサートシーンを一緒に創る人を見つけ出したい。異論を唱えて、向かってきてくれるくらいの人材のほうが、私はむしろうれしいです。こちらが打ちのめされて、負かされたってかまいません。まだ私にも戦う気力はありますから。創作意欲、夢と希望にあふれる10代や20代の方と一緒に物づくりをしたい。今はそんなことを夢見ています。

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大友 直人(おおとも・なおと)
指揮者
1958年東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳で楽団推薦により同団を指揮してデビュー。以来、国内の主要オーケストラに定期的に客演する。日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、東京交響楽団常任指揮者、京都市交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドバイザー、群馬交響楽団音楽監督を経て現在東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授、洗足学園音楽大学客員教授。

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(指揮者 大友 直人)

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