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フランス人が好む「エッチなジョーク」の中身

プレジデントオンライン / 2020年1月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/swissmediavision

笑いには世界共通の型がある。一方で、国民性や国柄を如実に映し出す。落語家の立川談慶氏は「フランス人はエッチなジョークを好む」という。その理由とは——。

※本稿は立川談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

■国ごとに好まれるジョークは違う

世界中のジョークを見渡したとき、落語のように、人間の「弱さ」や「駄目さ」をテーマにしたものは、どこの国にも共通して存在していることがわかります。

たとえば「酒のしくじり」などの「ドジ話」の類です。

落語のように、「人間の業を描いて、それを笑い飛ばす笑い」は、やはり普遍的な“型”の一つなのです。

また、身近な外国の方に「あなたの国の面白いジョークを教えて」とお願いするのもとても良いことです。

「日本の笑いを紹介しよう」と意気込むよりも、相手の懐に飛び込んで教わるほうが、より良いコミュニケーションにつながりやすいものです。

ビジネスの現場でも、「笑い」を各国の人たちとシェアできれば、一気に関係が深まることは間違いありません。それは、その場が笑いに包まれて明るくなるだけでなく、お互いを理解し合うことにつながるからです。

■アメリカンジョークの3つの特徴

アメリカンジョークには、「わかりやすい」「皮肉っぽい」「タブーネタもOK」という3つの特徴があります。

アメリカは「人種のるつぼ」、様々な国の人たちが集まった国です。人種はもちろん、文化的、宗教的な背景も異なります。

そのような社会構成である以上、「わかりやすい笑い」が多く見られます。

また、あからさまな「差別ネタ」も、アメリカンジョークには多く見られます。

このような笑いが生まれてくる背景には、やはり「人種のるつぼ」であることが関係しているのでしょう。有名なアメリカンジョークをいくつかご紹介しましょう。

■有名なアメリカンジョーク

【私の嫌いなもの】(※悪名高いフレーズ。その場に白人しかいない前提で話される
「私は、人種差別と黒人が大嫌いです」
【リンカーンの年には】
父親「リンカーンが君の年のときは、暖炉の火で一生懸命に勉強していたらしい」
息子「リンカーンがお父さんの年のときは、もう大統領だったよねえ」
【ワシントンと桜の木】
先生「ジョージ・ワシントンは、父親の桜の木を切ったと正直に認めました。けれども彼のお父さんは、ワシントンを罰しませんでした。いったいなぜでしょう?」
生徒「ジョージが、斧をまだ手にしていたからです」

■中国のジョークは古典由来が多い

現代の中国は、共産党による専制政治体制がとられ、言論や表現が厳しく統制されています。そのような社会で、一般の市民たちはネット上で皮肉や風刺に満ちた「小話」を披露している、とよく言われます。「笑い」が、現実社会の一種のガス抜きとして機能しているのでしょう。

そんな「生きづらさ」を感じさせる隣国、中国ですが、実は長い「笑い」の歴史を誇ります。専門用語で言うと、「滑稽本」「滑稽文学」の流れです。その代表格といえば、明の時代の末期に編纂(へんさん)された笑話集『笑府』でしょう。『笑府』は「笑い話の倉庫」という意味で、多様なジャンルの笑い話を13巻にまとめたものです。

実は、『笑府』は落語にも影響を与えたことが明らかになっています。

「まんじゅうこわい」は、『笑府』の原作をほぼ流用して作られたとされています。

現在の中国では、政治批判を主とした風刺の笑いが主流になっていますが、おおらかな「笑いの古典」を数多く生み出していた時期もあるのです。

■有名な中国のジョーク

【ロバを連れた親子のお話】(※古典より。詳しい出典は不詳
農村に住む親子が、1匹のロバを連れ、街まで買い物に出かけました。
父親がロバに乗り、息子はムチを持って後ろを歩いていると、通行人のつぶやきが聞こえてきました。
「自分だけロバに乗って、子どもを歩かせるとは、ひどい父親だ!」
父親は、あわてて息子をロバに乗せ、自分は歩くことにします。
すると、別の通行人の声が耳に入りました。
「父親を歩かせて、自分だけロバに乗っているとは、親不孝な息子だ!」
父親は、自分もロバに乗ることにします。
しばらく行くと、また別の通行人にこんな言葉を投げつけられました。
「ロバに二人も乗るとは、お前たちはロバを殺す気か!」
親子は急いでロバから降り、ロバを引いて二人で歩いて行くことにしました。
その後、別の通行人に指をさされ、とうとう笑われてしまいます。
「あの二人はなんて馬鹿なんだ。せっかくロバがいるのに乗らないとは!」
これを聞いた父親は、縄を探してロバを縛り、息子と二人で街まで担いでいくことにします。しかしロバはとても重いもの。通行人たちの邪魔になるのを心配した親子は、大声で叫びながら進んでいきます。
「畜生ー! 道を開けてくれぇぇぇ!」

■フランス人はエッチな話がお好き?

「フランス人は、エチケットとして女性を口説く」
「エッチなジョークを言えることこそ、教養の一つ」

このような国民性で知られているフランス人ですから、「艶笑話(えんしょうばなし)」という「笑い」のジャンルが確立しています。

文学史を紐解(ひもと)いてみると、そのルーツは13世紀頃に流行した「ファブリオ」というジャンルにまでさかのぼるようです。

「ファブリオ」とは、庶民が主役となる「性」にまつわるあけすけな笑い話のことです。中には権力者を笑ったり、人々の愚かさを面白く描いたりした作品もあります。本来はタブー視されているような「売春」「不倫」「聖職者の性」。また「死」や「糞尿」などについても、陽気に笑い飛ばしているところが、大きな特徴です。

「ファブリオ」の意外なところは、もともとは韻文で書かれていることです。その書き手としては、知識人が多かったとされています。

また「ファブリオ」の作品群はイタリアの作家ボッカチオの代表作『デカメロン』などの正統派の文学にも影響を与えたことがわかっています。

「ファブリオ」の作品群こそ、現代フランス人のユーモアの源泉であるのかもしれません。

このような陽気な「笑い話」が大量に生み出され、受け入れられたフランスの13世紀という時代は、社会学的に見ても「庶民にとって生きやすい時代」でした。天候もよく、農業生産が飛躍的に増え、人口も増加し、人々は安定した暮らしを営んでいたのです。

ところが、14世紀に入ると、フランスは地方文化が栄えた封建体制から、中央集権体制へと移行しました。また、ヨーロッパ全体が冷寒期に突入し、飢饉が訪れたり、ペストが流行したりと、苦しい時代へと突入していきます。当然その時期には、笑いを楽しむ余裕すらなくなり、「ファブリオ」は廃れていきます。

つまり、「エッチなジョーク」が流行している時代は「佳き時代」であり、それを楽しんでいる人は「心に余裕がある幸せな人」。そう言えるのではないでしょうか。

■有名なフランスのジョーク

【1時間】
とある女子校での話です。道徳の授業中に講師がこう話しました。
「もし誘惑に負けそうになったら、『たった1時間の快楽で一生後悔するのは割に合わない』と思いなさい」
すると一人の美しい生徒が、こう質問しました。
「1時間も持続させるだなんて、いったいどうすればいいんですか?」
【陣痛】
陣痛を迎えた妻に、亭主が優しく声をかけました。
「僕のせいで、君にこんなに苦しい思いをさせてしまうだなんて……。本当に申し訳ない」
妻はこう返します。
「気にしないで、あなたのせいじゃないわ」
【白雪姫】
美しく清らかな娘が、天国の入口にやってきました。
聖ペテロが彼女にこう尋ねます。
「お前は、処女か?」
「はい。多分そうだと思います」
「『そうだと思います』とは、いったいどういうことなんだ? 怪しいなあ。
ちょっと天使の検査を受けなさい。お前が本当に処女であれば、すぐに天国へ行ける。でも、処女だという証拠が必要になる」
天使が娘の体を調べ、聖ペテロに報告します。
「確かに彼女は、処女といえば処女なんです。でも、ちょっとおかしなことがありまして。針で突いたような小さい穴が7つも開いているんです」
聖ペテロは驚きます。
「なんだって、針で突いたような穴が7つも? でも、それだけで地獄に送り込むわけにもいかないしなあ。これ娘、お前の名前は何と言うんだ?」
娘は静かに答えます。
「私の名前は、白雪姫です」

■落語に人殺しは出てこない

ここまでアメリカ、中国、フランスの笑いについて話してきましたが、日本の伝統芸能「落語」には他人を罵(ののし)ったり蔑(さげす)んだりする表現は出てきません。そしてもう一つ、落語には大きな特徴があります。

「人を殺す」というシーンや、描写が出てこないのです。

もちろん「死」にまつわる噺(はなし)はいくつかあります。登場人物が病死したり、お葬式の相談をしたり、復讐を企てたり……。しかし、リアルタイムで登場人物が「人を殺す」というシーンは、めったにありません。

「宿屋の仇討」という、いかにも仇討に成功しそうな題名の噺も有名ですが、最後にドンデン返しがあり、噺の中で誰かが殺されることはありません。それどころか、むしろ喜劇っぽいオチになっています。

一方、海外の笑いの中には「人を殺す」というシーンは決して珍しくありません。また社会主義の国のジョークにおいては、「人を殺す」描写は、むしろ多い印象さえあります。

この点については、談志もよく指摘をしていました。

「俺は、落語は人を殺さねえから好きだ」

また、談志は映画界の鬼才・北野武監督を高く評価しながらも、一方で「映画はなぜあんなに人を殺すのか」と不思議がってもいました。

やはり、落語とは「皆でニコニコ笑って楽しめる」という最大公約数的なところを理想とした芸能なのでしょう。もっとも、その傾向が極端になると、全体主義的になり、「互いの顔色をうかがい合う」という弊害が出てくるかもしれませんが……。

しかし「人を殺す」ことを是としない落語の姿勢は、素晴らしいものです。やはり、落語は世界に誇れる日本の文化だと言えるでしょう。

■「飢え」と「寒さ」が落語のベース

また談志は「飢えと寒さが落語のベースである」とも看破しました。

江戸時代の資料を見ると、庶民層は「空腹と寒さ」によく悩まされていたようです。

だからこそ「寒いね」「ええ、寒いですね」と相手に共感し、寄り添い合うという行為で不快感を緩和していたのです。想像してみるとよくわかりますが、一人でブルブル震えているよりも、誰かに「寒いね」と言って、「そうだね、寒いね」と返してもらったほうが、寒さが少し和らぐものですよね。

立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)

ですから現代でも、日本人は「共感できる要素」のある笑いを好みます。

そんな気質が「人殺し」のような残酷なシーンや、ブラックな笑い、シニカルな笑いを無意識のうちに遠ざけるようになったのでしょう。

そういった意味では、バラエティ番組で多く見られる「いじめ」「弱者差別」のような笑いのネタは、落語とは全く異なる流れから生まれたもの、という気がしてなりません。なぜなら、落語には「人殺し」どころか「いじめ」を描いたシーンも一つもないからです。

今の日本には、様々な「笑い」が溢れています。

時折立ち止まって、「その笑いに“品”があるかどうか」を考えてみてください。

差別をしたり、相手をこきおろしたり、おとしめたり、一方的に傷つけたりといった笑いが、本当に心を豊かにしてくれるものでしょうか。

「人として共感できるかどうか」という指標で判断するのも、笑いの価値を測る一つの方法です。

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立川 談慶(たてかわ・だんけい)
立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。

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(立川流真打・落語家 立川 談慶)

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