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韓国で「嫌日本」を見つけたジャーナリストが気づいた間違い

プレジデントオンライン / 2020年2月21日 9時15分

『六本木 キム教授』の書影

街の書店に行くと、韓国への憎悪や差別を煽る「嫌韓本」が置いてある。「書店に行くのがつらい」と語る常連客もいる。嫌韓本はこれからも増え続けるのか。ジャーナリストの石橋毅史氏は「『嫌韓本の対を探す』という発想が間違っていた」という――。

※本稿は、石橋毅史「本屋な日々75 憎悪を探して」(発行:共同DM「今月でた本・来月でる本」、編集:トランスビュー)の文章を加筆・再編集したものです。

■意外と“謙虚”な韓国ヘイト本

日本に戻ると、買ってきた『六本木 キム教授』を東京に住む韓国人の知人に渡した。ソウルではその場で拾い読みをしてもらっただけなので、もっと詳しく知ることにしたのだ。

2日後に連絡をくれた知人は、判断の難しいところだが、ヘイト本とはいえないのでは、と印象を語った。

予想できない反応ではなかった。ヘイト本は「外交政策などを批判する範疇を逸脱し、民族そのものを貶めるような本。それを煽動する本」と定義される。だが、この定義だと、ヘイト本か否かの判断が読む人によって異なる本も出てくるのである。

東京/中日新聞でアジアの本屋についての連載をはじめた頃から、ヘイト本とされる書籍に少しずつ目を通すようになった。この韓国行きの前後にも、嫌韓をアピールする雑誌や書籍を何冊か読んだ。

それらの本は、思ったより“謙虚”だった。自身の主張や表現を前に出すよりも、読者の需要に応えることに徹しているように読めた。韓国は間違っている、韓国人は嫌いだ、そう思う人たちを腑に落ちた気分にさせる「商品」としての完成度を競う世界にみえた。

■ヘイト本と反ヘイト本が「同じ角度」から批判を展開

けっしてカンタンな仕事ではないと思う。たとえば、『マンガ大嫌韓流』(晋遊舎、2015年)の主な登場人物のひとりで、韓国の「反日プロパガンダ」に対抗して「嫌韓プロパガンダ」を打ちだすことにしたというサークルのリーダーは、見るからに正しい人ではなく、狂気を孕んだカルト教団の教祖のように描かれている。そのうえ、あくまでも日韓友好を目指したいという結論に至る主人公の考えを肯定するなど、わりと複雑なキャラクターなのだ。悩み多き若い世代がリアリティを感じられるように工夫していることがうかがえる。

石橋毅史「本屋な日々75 憎悪を探して」(発行:共同DM「今月でた本・来月でる本」、編集:トランスビュー)
石橋毅史「本屋な日々75 憎悪を探して」(発行:共同DM「今月でた本・来月でる本」、編集:トランスビュー)

ヘイト本と反ヘイト本が、同じ角度から対象を批判しているケースもある。

『さらば、ヘイト本』(ころから、2015年)の大泉実成の寄稿のなかに、「影(シャドウ)」というユング心理学の用語を用いてヘイトスピーチにはしる人を分析する場面がある。排外主義的な発想に陥る人は、うまく言葉にできないが気に入らない相手に対してとんでもない理屈で攻撃してしまう。それは自分の心に潜むものの「投影」なのだが、本人はなかなか気づくことができないのだという。

同じ用語で韓国人の反日感情を解説しているのが、『韓国人による恥韓論』(シンシアリー、扶桑社、2014年)である。著者は、韓国人こそが「影」を抱えていて、日本を非難することは自身の心の投影だというのだ。

煽動するというよりはクールなトーンで書かれている『恥韓論』は、はたしてヘイト本なのか。自信をもって判断するには、歴史をはじめ多方面の豊富な知識が必要になりそうだ。

■友人は「長く読み継がれることはない」と語る

もっとも、知識の乏しいうちは引き下がるしかないのかといえば、そうでもない。

平積みされていた『六本木 キム教授』
撮影=石橋毅史
平積みされていた『六本木 キム教授』 - 撮影=石橋毅史

その本が対象への「憎悪」や「蔑み」で書かれているか、「敬意」や「相互理解への希望」を前提にして書かれているかを判断することは、さほど難しくない。ヘイト本の場合、「憎悪」や「蔑み」は本のタイトルや目次に表れている。なぜなら、そういう言葉を求める人びとに向けて刊行された商品であるからだ。

それでも……真に理解しようとすれば、やはり自分で読んでみるしかない。

では、『六本木 キム教授』は?

通読した知人は、たしかに著者は日本や日本人を非難しているが、その多くは実体験をもとにした怒りや不満であり、あくまで個人的意見の表明というニュアンスも残されていると思う、と話した。そして、ただし話が浅い、と付け加えた。「日本のことをよく知らないけど嫌い、という韓国人は読んですっきりするかもしれないが、仮りに一時的に売れることがあっても、長く読み継がれることはないだろう」

■ヘイトの前段階にある「過剰な一般化」

幾つかの頁を口頭で訳してもらう。そして、もはや無意味なことだと思う。著者の目的が憎悪の煽動なのか、語らずにいられない切実さがあるのかは、自ら読み、行間に滲むものを感じとり、僕自身の責任で判断すべきなのだ。ハングルを学ばない限り、僕にこの本を論じる資格はない。

『六本木 キム教授』と同種の本は、過去にもあった。

『イルボヌン オプタ(日本はない)』という原題で1990年代に刊行された本だ。これは『悲しい日本人』(たま出版、1994年)の邦題で翻訳されている。

本書の著者も、日本での生活体験をもとに日本人と日本社会への怒りを綴っている。日本人は「日帝」時代と正面から向き合う教育を受けていない、人の心を賠償金で買えると考えている、挙句、あの頃の日本は良いこともした、過去にこだわる韓国のほうが悪いと主張する評論家まで増えてきた……まるで現在の日韓関係を語っているかのような批判が続く。日本人を十把一絡げにして語る場面も多いが、嫌日本ではあっても、ヘイト本とはいえない気がする。

ヘイトの前段階として「過剰な一般化」がある、と教えてくれた人もいた。もとは「over generalization」という英語圏の言葉で、論理展開において陥りがちな過ちのひとつとされる。『悲しい日本人』は、この段階にはあるといえるかもしれない。

■「嫌韓本の対を探す」という発想が間違っていた

そして、こう考えるようになった―― 嫌韓本と対になる嫌日本(けんにちぼん)を探す、という今回のソウル行きは、発想のスタート地点から間違っていたのではないか?

両者を並列して比較することに違和感がある。そもそも、それぞれの感情の生まれた背景が違うからだ。

そう考えさせてくれたのは、『禁じられた郷愁――小林勝の戦後文学と朝鮮』(原佑介、新幹社)である。1971年に43歳で逝去した作家・小林勝の作品を丹念に読み解き、いまの日本に伝えるべきものとして紹介した評伝だ。2019年3月に刊行されている。

小林勝は1927(昭和2)年、日本の植民地であった朝鮮の慶尚南道に生まれ、15歳のとき日本へ帰国。戦後の20代半ばから小説家として活躍した。

彼の作品は、生地である朝鮮を舞台にしたものばかりだった。故郷を懐かしむような話は皆無で、自分が暮らした当時の「植民者である日本人」と「被植民者である朝鮮人」の関係を、息苦しいほど厳しい姿勢で描きつづけた。

戦争を生涯のテーマにした作家、植民地からの引揚げ者としての寄る辺なさを語った作家は多いが、植民者としての贖罪意識をもとに書きつづけた作家は小林しかいないという。当時の朝鮮へ移住したのは両親であり、彼はそこで生まれ、育ったに過ぎないのだが、だから日韓の歴史に自身の責任はないという態度を、この作家はけっしてとらなかった。

■いまを生きる“わたしたち”への道しるべ

著者の原佑介は、あの時代にもあったはずの日本人と朝鮮人の心温まる交流も書かず、かといって「日本は悪、朝鮮は善」という安直な構図の物語にもせず、植民地朝鮮の風景、植民者と被植民者の言動や心象を執拗に描きつづけた作家がなにを伝えようとしていたのかを丁寧に探ってゆく。

著者の狙いはなにか。

いまを生きる“わたしたち”が、70年以上も昔の出来事の責任をとることは実質的に不可能である。自分の生きた時代ではないのだからどうしようもない、これが偽らざる本音だ。

だが、それを言い訳にして歴史の過ちからなんとなく目を逸らし、なんとなく忘れようとする“わたしたち”の態度は、「あの時代の日本は良いこともした」とか「そんな過去はなかった」という言説が広がる温床となる。

著者は、小林勝という忘れられた作家に光をあてることで、いまの“わたしたち”の態度が再び過ちを犯す危険を孕んでいること、過去は清算されるものでも簡単に正解にたどりつけるものでもなく、よく見つめ、考えつづけるものであることを知ってほしいのだと思う。

嫌韓本と嫌日本を前にして無様に揺れつづける僕に、結論ではなく、指針を与えてくれる本だった。

■書店店主「自分なりの判断基準をもたなくては」

やはり昨年の秋のこと。東京・千駄木の往来堂書店でトークイベントがあり、店主の笈入建志(おいりけんじ)と並んで話した。

最近、書店に行くのがつらい。笈入は、ある常連客からそう言われたという。本は読みたいし、書店で買いたいが、棚に並ぶヘイト本を見ると買う気が失せる……いま、あちこちから聞こえるつぶやきだ。本好きをリピーターにする品揃えで知られる往来堂でも、取次から入る月刊誌の『WiLL』や『Hanada』など定番の雑誌と売れ筋の関連書くらいは置くし、それなりに売れていくという。

「本屋は入荷する本のごく一部しか読めず、自店に置くすべての本の内容を保証できるわけじゃない。いろいろな客に対応できるように、間口も広げておきたい。でも、だから本屋には責任がないというのは違うんだと思う。入ってくるから置く、売れるから置くというだけじゃなく、自分なりのガイドライン、判断基準をもたなくてはいけない」

最近はそんなことを考えている、と彼は話した。

■日本の出版社、韓国の書店が集まった「フェス」

このトークイベントが終わると、東京・赤坂のTBSへ移動し、「荻上チキのSession‐22」という生放送のラジオ番組で、『本屋がアジアをつなぐ』について話した。

このとき、一緒に話をした書評家の倉本さおりは、打合せ室に入ってくるなり雑誌『STUDIO VOICE』の最新号をとりだし、アジア各国の文学作品が豊富に紹介された充実の1冊であることを鼻息荒く教えてくれた。韓国、台湾、中国といった東アジアだけでなく、タイとか東南アジアにも面白い作品があるんですよ、と楽しそうに語った。

その翌日には、東京・神保町の出版クラブビルで「K‐BOOKフェスティバル」が開催された。韓国関連の本を出す日本の出版社、韓国の書店など25の出展社がブースに本や雑貨を並べ、韓国の作家、日韓の書店関係者のトークセッションも開かれた。神保町の韓国ブックカフェ、チェッコリの店主、キム・スンボクとそのスタッフが長い日数をかけて準備してきたイベントで、両国の関連団体の協力も得てこの日を迎えたのである。

「K-BOOKフェスティバル」の様子
撮影=石橋毅史
「K‐BOOKフェスティバル」の様子 - 撮影=石橋毅史

■「ひとりの優れた作家の物語」に人は感動する

午前11時の開場と同時に大勢の客がつめかけ、昼頃には場内を移動するのが難しいほどの入りになった。毎回のトークセッションも、50脚の椅子があっという間に埋まり、その周囲で立ち見客が三重、四重の輪をつくった。

石橋毅史『本屋がアジアをつなぐ』(ころから)
石橋毅史『本屋がアジアをつなぐ』(ころから)

『私たちにはことばが必要だ』のイ・ミンギョン。『原州通信』などのイ・ギホ。2人の作家のトークは、とりわけ盛り上がった。聴衆の誰もがいきいきとした目で作家を見つめていて、日本に来てくれてありがとう、という歓迎ムードに溢れているのだ。韓国語をわかる人も多く、作家がなにかを言うと、通訳を待たずに笑いや感嘆の声があがっていた。

イ・ギホは、好きな日本人作家はいますか、という会場からの質問に芥川龍之介などの名前を挙げ、ただ、私はそれらを日本文学として読んだわけではなかった、ひとりの作家の優れた小説として感銘を受けてきたのだ、と話した。

このイベントの先にある風景を見せるような言葉だった。「K‐BOOK」というポップな名称でPRされてきた韓国文学は、やがてブームの段階を終え、日本の書店の棚に溶けこんでゆくだろう。韓国の小説であることをさほど意識せずに手にする読者も多くなっていくはずだ。

“わたしたち”の抱えた荷物は厄介で、そう簡単に軽くはならない。それでも、時代はたしかに進んでいる。

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石橋 毅史(いしばし・たけし)
ジャーナリスト
1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、出版社勤務を経て、1998年に新文化通信社入社。「新文化」記者を務める。2005年から同紙編集長に。2009年12月に退社。現在フリーランス。

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(ジャーナリスト 石橋 毅史)

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