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マツコの「コスプレと似てる」発言で考えた"女装"をめぐる根深い問題

プレジデントオンライン / 2020年2月19日 11時15分

2019年3月16日、資生堂「薬用 ケアハイブリッドファンデ」発表会のプロモーションイベントに登場したマツコ・デラックスさん - 写真=つのだよしお/アフロ

■コスプレと同じくらい「市民権を得た」のだろうか

少し前になるが、あるテレビ番組でマツコ・デラックスさんが女装とコスプレを重ね合わせ、「何か共通するもの」があると発言した、という記事を読んだ(マイナビニュース<マツコ、衣装手作りのコスプレイヤーに共感「女装と似てる」>1月25日)。

番組の中でマツコさんはコスプレについて「市民権を得た」と言っているが、では「共通するもの」のある女装も同じくらい「市民権を得た」だろうか。

この問いについてあれこれ考えているうちに、より根本的な疑問が頭をもたげてきた。つまり、「女装」という言葉の指す内容、あるいは「女装している人」として想定される人物像は、人によってかなり異なるのではないか? そしてそれは、性の多様性に関して多くの人々がもっている偏見や誤解と関連しているのではないか。

そこで本稿では、性の多様性を理解する現在の標準的な枠組みについて女装を足がかりに解説し、そののちに、先に述べた偏見や誤解がどのようなものなのかについても考えてみたい。「実地訓練」になるべく近いところで性の多様性についての「基礎講座」をやってしまおうというのが、今回の目的である。

■性の多様性の4要素

さっそくだが、次の4つの要素の組み合わせで性の多様性を理解していくのが現在では標準的である。

性の多様性の4要素

「出生時に割り当てられた性別」については、生物学的性別と言った方が理解しやすい人も多いだろう。ただし、「生物学的」とされてきた性別判断も、実際には自然科学的な専門知と社会的常識を組み合わせてなされていることから、(特に後述のトランスジェンダーに関する議論や実践の中では)「出生時に割り当てられた性別」というより、正確な表現を使うことが現在では少なくなく、本稿もその方針を踏襲している。

さて、女装は上記の4つの要素のうち「性表現」を使って説明することができる。「女性が女装する」という言い方は(しないわけではないが)それほど一般的ではないので、男性が「女性らしい」性表現をすることが「女装」と呼ばれていると考えてよいだろう。

■だれを「男性」と呼ぶべきか?

しかし、ここに次の疑問が立ちはだかる。ここで言うところの「男性」とは上記の4つの要素のうちのどれなのか。

ぜひ押さえてほしい重要なポイントはここだ。性の多様性に関する議論における現在の標準的な言葉遣いでは、性別に関する当人の身体感覚や自己認識を尊重しようという考えから、出生時に割り当てられた性別ではなく、性自認が男性である人を男性と呼ぶ。

具体例をあげよう(ここから先は「LGBT」に関する下記の図表を見ながら読んでほしい)。マツコ・デラックスさんは、男性としての自認をお持ちで、男性を性愛の対象とする方なので、同性愛者の男性である。したがって、メイクや衣装などの性表現から判断して、彼が女装していると考えることに問題はない。

LGBT当事者の身体感覚と自己認識

他方、はるな愛さんは出生時に割り当てられた性別が男性であり、現在女性としての性自認を持って活動なさっているので、彼女はトランスジェンダーの女性である。したがって、メイクや衣装などの性表現は、彼女の性自認に沿ったものであるだけであり、それを女装とは呼ばない。

彼女がときおり出生時の名前でもある「大西賢示」としてのキャラクターを提示するのは、はるな愛さんが「本当は男性」であることの証拠などではなく、むしろ、あえて言うならば彼女がときおりパフォーマンスとして「男装」していることを示しているのである(もちろん、これらはあくまでそれぞれの方に関するいくつかのインタビュー記事や番組出演時の発言に基づく単純化された推測であり、マツコさんやはるなさんの本当の性のあり方については、ご自身やその親しい友人でなければわからない)。

■「男の娘」はトランスジェンダー女性にあたる?

せっかくなので他の現代的な事象についてさらに検討してみよう。「男の娘(おとこのこ)」という言葉をご存じだろうか。「出生時に割り当てられた性別」と「性自認」がともに男性で、女性の格好をする男性のことを指す言葉である。「男の娘」は、たとえばはるな愛さんと同じようにトランスジェンダー女性なのか?

答えは「ノー」だ。現在では、「性自認が男性で、女性の格好をしたい」あるいはその逆であるだけでは、トランスジェンダーには含めないことが一般的なのである。実は、「女性の格好をしたい」ことは「女性になりたい/自分は女性だと認識している」ことに近いとされていたので、異性の性表現をおこなう人(異性装者)は「トランスヴェスタイト」と呼ばれ、「トランスジェンダー」の一部だとかつては認識されていた。

写真=iStock.com/SeanPavonePhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SeanPavonePhoto

しかし現在では、「性表現」はその人の「性自認」を必ずしもあらわしているわけではなく、「性自認に沿った性表現をする人が多いとしても、両者は別の要素」と考えるのが一般的である(余談ではあるが、拙著『LGBTを読みとく』出版時に、「記述が古い」と批判を受けたのもこの点に関する記述であった)。したがって、「男の娘」はもちろん異性装者ではあるが、トランスジェンダーではない。

■改めて、女装はLGBTに含まれるか

具体例を経由してきたので、最後に本稿のタイトルにもなっている疑問を考えてみよう。下記の図表を見ながら読んでほしい。

LGBT当事者の身体感覚と自己認識

L、G、Bは性自認と性的指向の組み合わせに関する、Tは出生時に割り当てられた性別と性自認の関係にまつわる性のあり方である(空欄は何であってもよい。また、この表にはあらわせない性のあり方がたくさんあることも補足しておく。そもそも人の性のあり方を図表の中に押し込めること自体とても乱暴だが、説明のための方便としてお許しいただきたい)。

LGBTと女装

ご覧のように、性表現はLGBTを特徴づける3つの要素(出生時に割り当てられた性別・性自認・性的指向)とは別のものなので、女装だからLGBTだとは言えないし、LGBTのどれかだと必ず女装しているとも言えない。レズビアン、バイセクシュアル女性、トランスジェンダー女性の性自認は男性ではないのでそもそも女装はできないし、ゲイ、バイセクシュアル男性、トランスジェンダー男性は、女装は可能だが、それぞれの性のあり方それ自体が必然的に女装を伴うわけではない。要するに、「ある人が女装をするか」と「その人がLGBTに含まれるか」は、そもそもまったく別のことなのである。

■「オネエ」という言葉に潜む古い価値観

しかし、女装は実際にはなんとなくLGBT、あるいはセクシュアルマイノリティ(性的少数者)のイメージと重ね合わされる。そのことを象徴しているのが、女装となんとなく互換的に扱われている「オネエ」という言葉である。ここでも具体例から考えてみよう。「オネエ」には女装するゲイ(マツコ・デラックスさんなど)、トランスジェンダー女性(はるな愛さんなど)、女性らしい振る舞いをする異性愛男性(りゅうちぇるさんや尾木直樹さんなど)など、さまざまな人がいる。

これらの人々は、出生時に割り当てられた性別が男性で「女性らしい」性表現をしているという共通点を持っている。しかし、これは性自認を尊重し、「性自認こそその人の性別だ」と考える発想から後退した、「出生時に割り当てられた性別こそその人の性別」という発想に基づくものである。

■多様な性のあり方が「オネエ」で一括りにされている

この発想のもとでは、ゲイやトランスジェンダー、異性愛者といった、出生時に割り当てられた性別・性自認・性的指向を中心に性の多様性を理解する方法においては全く別物とされる性のあり方が、「オネエ」という言葉のもとに一つにまとめられてしまう。「オネエ」というカテゴリーは、「LGBT」の理解の基礎となっている性の多様性についての現代的な認識枠組みにくらべて、きわめて特殊な枠組みに立脚したものなのだ。

そして、この方法にはあまりに弊害が多いことがくりかえし指摘されてきている。たとえば、トランスジェンダー女性とゲイを混同する、ゲイはみな女性の格好をしていると勘違いする、トランスジェンダー女性を(ゲイや異性愛男性と同列とみなし)女性ではなく男性だと判断してしまうなど、実際のセクシュアルマイノリティを傷つけ、危険にさらすような誤解がいくつも「オネエ」という言葉づかいのもとでは生まれやすくなる。

「オネエ」という言葉そのものがいけないわけではないが、それを女装と同一視し、LGBTのイメージの中心に据えてしまうことは、(強い表現になるが)暴力を引き起こしかねないのだ。

■「女装を楽しめない」理由を取り除く社会を目指して

女装を足がかりに、ここまで性の多様性について整理してきた。本稿のサブタイトルに最後にあらためて答えておこう。「女装はLGBTに含まれますか?」。

結論としては、「女装とLGBTには直接的な結びつきはない。しかし、両者が結びつけて考えられがちな点にこそ、現代社会に根深く残る、性の多様性への誤解を見て取ることができる」ということになる。

当たり前のことだが、女装は悪いことではないし、女装に基づく芸や笑いがあること、あってよいことも、たとえばマツコ・デラックスさんを見ていればわかるだろう(おこのみであれば、たしかに女装は「市民権を得つつある」と言ってもよいかもしれない)。ただし、おそらく私たちは、女装をなんの弊害もなく存分に楽しめるほどには、性の多様性に対するみずからの偏見や誤解を乗り越えられていない。必要なのは「女装を楽しめなくさせる理由を、私たち自身の手でひとつずつ取り除いていく」ことなのだと、私は思う。

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森山 至貴(もりやま・のりたか)
早稲田大学文学学術院准教授
1982年神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(相関社会科学コース)博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教を経て、現在、早稲田大学文学学術院准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『「ゲイコミュニティ」の社会学』『LGBTを読みとくークィア・スタディーズ入門』。(プロフィール写真:島崎信一)

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(早稲田大学文学学術院准教授 森山 至貴)

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