引退後もプーマほか12社がスポンサー「ウサイン・ボルト」はビジネス上手
プレジデントオンライン / 2020年3月22日 11時15分
■彼を超える人間は今後現れないだろう
ウサイン・ボルトは、21世紀に登場した人類の“進化”の象徴だったのではないか――。
“ライトニング・ボルト”と呼ばれた彼の足跡をたどると、そんな気がしてくる。
2008年8月16日、北京オリンピックの陸上競技男子100メートルの決勝の舞台で、私はボルトが9秒69で駆け抜けるのを眼前で目撃した。
その10秒足らずの時間は、とても一瞬の出来事とは思えなかった。序盤から中盤に向け、黄色のユニホームを着たボルトがどんどん加速していき、ひとりだけ異次元のスピードで走ってくる。ラストではあふれ出る喜びを制御することができず、おどけたようにゴールを駆け抜けていった。
電光掲示板に記された数字は9秒69。世界新記録。わずか10秒足らずの時間は濃密な瞬間の集積であり、濃度によって時間の概念が変わることを私は知った。
翌年、ベルリンで行われた世界陸上で、ボルトは自身の記録を9秒58にまで伸ばす。今後、彼の記録を塗り替える人間は誰もいないのではないか。
■なぜボルトが世界のトップに立つことができたのか
ここでは、なぜボルトが世界のトップに立つことができたのか、その理由を探っていきたい。
①成長できる環境
ボルトは恵まれた肉体を持つ。特に彼のアキレス腱の長さは見事としか言いようがない。ただし、そうした素質をさらに引き出したのは、彼の育った環境である。
彼の自伝には、幼少期から家の近くの森を走り回り、目についた果物をもぎっては食べていた描写が出てくる。自然の中に飛び込み、不整地を仲間と駆け抜ける少年。そして天然の恵みである食べ物がボルトの強靭な肉体を作ったといっていい。
周りの環境がボルトの資質を形作ったのだ。
②陸上はストイック
ボルトはスポーツ好きな少年だった。学校に通うようになってからは、陸上で才能を示す一方、クリケットにも熱中した。最終的に彼が陸上を選んだのは、父が個人競技を勧めたからだ。
「クリケットは、チーム内の政治が絡む。監督がおまえを選ばなかったら、試合に出られない。おまえの責任で完結できる陸上がいいんじゃないか」
ボルトは高校を卒業してから故郷を離れ、ジャマイカの首都キングストンでトレーニングを積むようになるが、そこで彼は「パーティーピープル」になる。もともとのお祭り好きには、夜の刺激が強すぎたのだ。
しかし、陸上のトレーニングシーズンが始まると、一気にストイックになる。練習に集中し、陸上に対して時間を捧げるようになるのだ。
ただし、ボルトが100メートルで世界記録を出すようになったのは、偶然的な要素が強い。彼のコーチは、ボルトの特質は200メートルと400メートルに向いていると考えていた。ところが、400メートルの練習はキツい。時に600メートルを走ったり、やや持久的な要素が入り込んでくるからだ。ボルトはこれを嫌がり、400メートルの代わりに100メートルをやらせてほしいとコーチに頼み込んだ。とあるレースで10秒10を切り、コーチを納得させた。100メートルの練習のほうが前向きになれた、とボルトは語る。
とはいえ、オリンピックとなればボルトはコーチの計画には従った。ストイックな姿勢を維持できたからこそ、彼は先頭を走り続けることができたのだ。
③スイッチの切り替え上手
ロンドンオリンピックの前のこと、イギリスに向かう機内に乗ったボルトは、自分の携帯で自撮りの動画を撮影しながら、こう話す。
「俺は王者としてここに帰ってくる。それまで携帯の電源を切る」
なんと、ジャマイカからイギリスに向かう最中からオリンピック期間中までボルトは携帯の電源を切っていた。余計なことに煩わされないよう、競技にすべてを注入するために。
当時はまだインスタグラムもなく、今ほどSNSは発達していない。しかし、ボルトは余分な情報を遮断することにためらいはなかった。
スマホが手放せない時代となった現代では、スマホを忘れる、あるいはなくしてしまうと、精神的な安定が失われる。自分から遮断するのは至難の業だ。しかし、ボルトは大きな目標を達成するために、携帯を一時的に捨てた。
SNSで発信することがアスリートのブランディングにも寄与する時代、ボルトのようなストイックさを持つ選手は果たしてどれくらいいるのだろうか?
④高い集中力
北京オリンピックの400メートルリレーで銀メダルを獲得した朝原宣治氏は、そのときの招集所でのボルトのふるまい、所作がとても印象的に残っているという。
「招集所に入ってくるでしょ。みんなと明るく挨拶するんです。テレビのバラエティ番組で見るような調子ですよ。ところが、レースの30分前くらいからグッと集中力が上がっていくんです。誰も近寄りがたいオーラが漂い始めます」
これは貴重な証言である。
競技場に入ってから、ウオーミングアップの段階で体をほぐした後、選手たちはゼッケンの確認をしてもらうために招集所に集まる。その時点では「社交家」としてのボルトの顔が前面に出る。自伝を読んでも、他の選手たちと無駄話をしながら当初はリラックスしている。しかし「臨戦態勢」に入ると、集中力がグッと高まり、他者を寄せつけないほどにテンションを高めていく。
集中力を高められることは、才能の一種である。レース前の紹介で髪を撫でつけるしぐさをしたり、ふざけたイメージのあるボルトだが、それは集中力を高め、いざレースに臨むときのルーティンとも思える。ここ一番での集中力は、ボルトの凄みのひとつだった。
■北京五輪期間中にはチキンナゲットを千個
⑤ストレスフリー
陸上に関しては、極めてストイックな面があるボルトだが、彼には自分の欲望を思い切り開放する瞬間がある。それは食欲も例外ではない。
北京オリンピックのときだが、彼は選手村に入っているマクドナルドでチキンナゲットを食べに食べ続けた。なぜなら、選手村の食事が口に合わなかったからで、「安心できる」チキンナゲットを主食がわりにしていた。ボルトの試算によると、期間中に食べたチキンナゲットの数は1000個に及んだという。
栄養学の視点から考えれば、この食事は正しいものとはいえないだろう。脂肪が多く、どうしても栄養が偏ってしまう。ボルトもそんなことは百も承知だが、あるがままに食欲を開放させた。栄養学的に正しいことよりも、「ストレスフリー」であることを望んだのである。
スポーツの世界では、体重管理が重要とされている。女子の体操の取材に行くと、カロリーコントロールがしっかりとなされている。陸上長距離でも、体重の増減はタイムに直結するので、食事量を制限する管理栄養士もいると聞く。
■ボルトは規格外だった
しかし、ボルトは規格外だった。自分が気持ちよく走るためには、欲望に素直に生きる。我慢しないのだ。管理が尊ばれる時代に、ボルトの生き方は正反対といえるが、もしも食事でボルトを管理しようとしたらどうなっていただろう?
おそらく、機嫌を損ねてしまい、パフォーマンスにも影響が出ていたかもしれない。万人にチキンナゲット1000個は勧められないが、天才ボルトにはストレスフリーであることが重要だったのだ。
⑥好奇心とビジネス感覚
ボルトは好奇心の塊でもある。サッカーをはじめとした他の競技にも興味を示していた。現役時代から、「引退後は、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドの選手になりたい。俺みたいなスピードを持った選手は、きっと魅力的なはずだからだ」と自伝に書き記していたほどだった。
18年には、オーストラリアでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせるなど、旺盛な活動は衰えることを知らない。
それは、ビジネス面にも当てはまる。結果を出し、企業が支援を名乗り出るようになると、周りを信頼できるパートナーで固め、契約を進めた。
特に、彼を長期間にわたってサポートしてきたプーマとの関係性を重視していることは見逃せない。ことビジネスに関しては、パーティーピープルの派手さは感じられず、手堅い「商売」を心がけているように見える。
彼のホームページを見ると、プーマのほかにゲータレード、ヴァージン・メディアなど12社がスポンサーに名を連ねており、引退してなお、ウサイン・ボルトというブランドは大きな価値を持っている。
19年にはボルトの名を冠したロゼ・シャンパンを発売させてもいる。これからもボルト・ブランドはますますバリューを上げていきそうだ。
⑦社会的な役割の自覚
これまでボルトは、致命的なスキャンダルに見舞われたことはない。自伝の最初に記されているが、マンチェスター・ユナイテッドの試合を見るために車を飛ばした結果、交通事故を起こしたことは大きく報道されたが、あとはゴシップ記事がちらほら程度。
ボルトは結果を出すにつれ、社会的な役割を自覚するようになったと思う。チャリティ活動にも積極的に参加するようになり、インタビューでの受け答えにも隙がなくなった。ボルトはお調子者に見えて、失言は極端に少ない。大会を盛り上げるための発言も多いし、記者が求めることを敏感に察知し、言葉を紡ぐ。
ボルトは社会的な責任を背負うことで、人としての器を大きくした。今後は「スポーツ・セレブリティ」として、多くの活動に参加していくことになるだろう。ウサイン・ボルトは、人類最速として世界のカルチャーに大きなインパクトを与え、社会的な責任を引き受けることで、莫大な成功を収めた稀有な人間なのである。
▼USAIN BOLT'S HISTORY
1986 ジャマイカに生まれる。
2002 地元ジャマイカで開催された世界ジュニア選手権の200mにて大会史上最年少で優勝。
2008 5月、100mで9秒72の世界新記録(当時)を樹立。8月、北京オリンピック100mで9秒69に世界新記録(当時)を更新。200mでは19秒30の世界新記録(当時)を樹立。
2009 世界陸上ベルリン大会100m決勝で、人類最速となる9秒58を記録。
2012 ロンドンオリンピックで100m、200mで優勝。両方の2連覇は史上初。
2017 世界陸上ロンドン大会にて現役引退。引退後はプロのサッカー選手を目指すも断念。現在は、小型電動モビリティー事業などのビジネスを手掛けている。
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スポーツジャーナリスト
1967年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂を経て、ノンフィクションライターになる。翻訳書に『ウサイン・ボルト自伝』(集英社インターナショナル)のほか、著書多数。
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(スポーツジャーナリスト 生島 淳 写真=AFLO)
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