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「野球選手を目指す」はアリでも、「プロゲーマーを目指す」がダメである理由

プレジデントオンライン / 2020年3月12日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milan_Jovic

わが子が「プロゲーマーになりたい」と言ったらどうするべきか。アルコール依存症の専門医の中山秀紀氏は「スポーツと違って、ゲームには依存性というリスクがある。『プロを目指している』という言い訳が、依存症を悪化させる恐れがある」という——。

※本稿は、中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■「ゲームは教育的に良い」は本当か

「eスポーツ」(イースポーツ)という言葉を、最近よく耳にするようになりました。

eスポーツとは、コンピューターゲームの一種である、対戦型ゲームを競技として捉えた際の名称です。ゲームの対戦をスポーツの競技になぞらえ、多額の賞金が出る大会が開催され、ゲームで生計をたてる「プロゲーマー」と呼ばれる職業も出現しています。

賞金総額100億円以上の某シューティングゲームの大会がニューヨークで行われ、青少年と思われる日本人選手も活躍したことが、小学生向けの漫画雑誌にも華やかに掲載されています。そこには決勝に進出すると600万円以上、ソロの優勝者には3億円以上の賞金が出たことが書かれています。この一攫千金の夢に胸がときめいた小学生も多かったのではないでしょうか。

2019(令和元)年に茨城県で行われた国民体育大会の文化プログラムで、全国都道府県対抗eスポーツ選手権が開催されました。そして一部の学校では、こうしたゲームを部活に取り入れているようです。

自治体や学校(特に公立)での活動にeスポーツを取り入れるということは、「ゲームは教育的に良い」とお墨付きを与えたと捉える人もいるのではないでしょうか。なお、遊びを部活に取り入れるという点については問題ではない、と私は思っています。遊びと学業の間に明確な境界線はありませんし、たとえば囲碁、将棋、野球も遊びです。

そうではなく依存物であるゲームを競技としたり、学校で推奨したりすること自体が問題だと思うのですが、それ以外にも再考すべき点があります。

本稿では、スマホ依存症対策の壁の一つとして立ちはだかる、eスポーツとプロゲーマーについて考えることから始めます。

■スポーツは疲れてしまうので「やりすぎ」の心配はない

eスポーツは、ゲームなのにスポーツという名称であることに違和感を覚える人も多いと思いますが、一般的なスポーツとゲームを比較できるよい機会だと私は思っています。

現在、プロ化しているスポーツはいくつかあります。

たとえばプロのサッカー選手になるには、学校の部活か、ユースチームなどに所属してそこからスカウトされるのが主な道とされています。プロ野球選手になるには、同じく学校の部活か大学野球のチーム、社会人チームに所属して、やはりそこからスカウトされるのが主のようです。

一般的に、プロ選手になるまではスポーツと学業・仕事を両立させるということが大原則なので、部活やユースチームの練習は、学校の授業時間や深夜には行われません。学業や仕事、ましてや健康の障害になることをしてはいけないからです(大会などで学校を休むことはあるかもしれませんが)。

アマチュアの場合も同様です。すでに成功を収めているような選手の場合は、学業や仕事よりもスポーツ中心の生活をしているかもしれません。ですが、普通のアマチュア選手は、将来たとえプロ選手になれなくても、それまでの学歴や職歴を活かして進学、または社会人として生活していくことができます。こうした一定のルールのもとで、スポーツは教育や仕事と共存しているのが原則です。

そして一般のスポーツは、ほとんどの人にとって依存物には当たりません。スポーツ自体は「楽しい」かもしれませんが、疲れて続けられなかったり練習が苦しいことも稀ではないので、一般に「やりすぎ」てしまうという心配はほとんどないでしょう。

■ゲームは24時間365日一人でも続けられる

それに対し、ゲームはいつでもプレイすることができます。極端にいえば、24時間365日可能です。

ゲームは、手軽に、楽しく、飽きずに続けることができる依存物であり、どこまでもいつまでもやり続けることも原則として可能です。ですからプロゲーマーになるために本気でゲームで強くなろうとしたら、学校に行かないで幼少の頃からゲームを「練習」としてし続ける選択肢もあるということです(それで本当に強くなるかどうかはわかりません)。

人は楽しいことは一人でもできますが、苦しいことはみんなと一緒でないと、気持ちが折れてしまうことがあります。そんな観点から、苦しいスポーツの練習を集団で行うのは一定の合理性があります。

しかし、ゲームは依存物の特性(手軽に、楽しく、飽きずに続けられる)を備えているので、一人で延々とゲーム(練習)を続けられます。またゲームは家にパソコン(もしくはスマホ、タブレット、ゲーム機でも可能)があれば、適当にネット上で仲間と集ってプレイできます。

■自己責任の不完全な子供がゲームに触れるリスク

また一般のスポーツと異なり、ゲームには、野球場のような特別な設備も1カ所に人を集める必要もありません。しかるべき管理者、指導者がアマチュアの練習やゲームプレイを管理するというスタイルも、現状ではあまり見られないようです。実際、久里浜医療センターの受診者の中にはアマチュアのゲームチームに属している人もいますが、学業や仕事との両立をまともに管理・支援されているという話は聞いたことがありません。

現状ではほとんどの場合、学校の授業時間や深夜にゲームをするかどうかも「自己責任」です。オンラインゲームが盛り上がる時間は深夜であることが多いのは事実でしょう。ゲームと学業・仕事を両立させるかどうかもますます「自己責任」になります。

「自立した大人」が、自分で貯金したお金を切り崩して生活しながら一日中ゲームをしているのを他者が責めることはできません。しかし、自己責任が不完全なはずの未成年者に対する「自己責任」の適応は、その名のもとに学業・仕事の障害となり得ることを「放置」しているのと同じです。自己責任の不完全な未成年者が依存物に触れ、依存症になってしまうのが実は最も問題なのですが、これは追って触れることにします。

ましてやオンラインゲームに依存性があることを考慮すると、学業・仕事の障害となっていることを「促進」しているともいえます。つまり現状では、eスポーツも含めたオンラインゲームは、教育や就労と対決しているといっても過言ではありません。

■「プロゲーマーを目指している」という言い訳

ゲームは他の一般的なスポーツと異なり、しかるべき指導体制も管理体制もなく、あるのは「自己責任」だけだと述べましたが、「自己責任」という名の「放置」について、さらに考えてみましょう。

たとえば、「プロゲーマー」になれるような実力はなく、ただ学業や就労がおろそかになっている依存的なゲームプレイヤーでも、「プロゲーマーになるために日々練習している」「プロゲーマーになる夢を追っている」「プロゲーマーになるのに学業は必要ない」というと、周囲の人(特にゲームのことをよく知らない大人)は違和感を覚えつつもそれを否定してはいけないような気になってしまいます。

これは、「ゲーム」がごく一部の人の仕事になったために、ゲームプレイが「遊び」に留まらず、あたかも「職業訓練」のようにみなされたともいえます。でも、よく考えてみてください。このことは重大です。

ゲームが「遊び」でも、「依存物」をやりすぎているのでも、「依存症(ゲーム障害)」状態なのでもなく、「職業訓練」をしているということになったのです。「プロゲーマー」を目指しているということが、周囲の批判や自己の罪責感をかわす強固で危険な盾になり、さらに依存症の悪化・長期化をまねく可能性があるのです。

■プロゲーマーは未成年のアマチュア選手の管理が不十分

さて、一年間にプロ野球選手になれる人はセ・パ12球団を合わせても200人ぐらいでしょう(外国人選手の入団を除く)。独立リーグを合わせるともっと数は増えますが、いずれも厳しい世界です。同様にプロゲーマーになれる人も、ゲームをする人のごく一部でしょう。非常に倍率の高い競争を潜り抜ける必要があり、プロ選手になるのはとても大変なことです。

しかし、ゲームにおいてプロ選手になるための壁が厚いことは、一般のスポーツなどでも同様であり、それ自体が問題とはいえません。問題なのは、プロゲーマーを目指している未成年のアマチュア選手の管理が不十分であることです。そしてゲームが持つ依存的な特性ゆえに、最低限の学業でさえもおろそかになってしまう恐れがあるのです。そうなると、プロゲーマーになれなかったときに、全く何も残らない可能性があります。

要するに、野球やサッカーなどの一般のスポーツとゲームが決定的に違う点は、ゲームは依存物であるにもかかわらず、学業や仕事の継続に関して「自己責任」の名のもとにほとんど管理・支援されていない点です。

「自己責任」で通学、就労をしていないと、プロゲーマーになれなかったときに中学卒業以上の学歴や職歴は担保されません。これを「自己責任」で片付けるのは、世間を知らない未成年者にとってあまりにも過酷であると思います。

■「ユーチューバー」という言葉が批判をかわす盾に

いま流行りの「ユーチューバー(YouTuber)」においても、同様です。「ユーチューバー」とは独自で制作した動画を継続的にユーチューブ上で公開する人のことで、広告収入を収入源としています。

動画作成することに依存性があるかどうかはかなり個人差があると思われ、議論の分かれるところだと思いますが、「ユーチューバー」が(ごく一部の人の)仕事になったために、動画作成が「遊び」に留まらず、「職業訓練」や「仕事」として考えられるようになりました。

また他者の動画を「研究」「調査」しているという名目で、長時間インターネットを視聴していることを肯定する理由にもなり得ます。eスポーツと同じく、「ユーチューバー」というワードが、ネット依存症に対する周囲の人の批判や、自己の罪責感をかわす盾になっている可能性があるのです。

■依存性があるというリスクを十分に考慮すべき

中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)
中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)

「プロゲーマー」や「ユーチューバー」といった職業を否定するつもりはありません。新規のものを取り入れることは、賞賛・批判の両面から注目を浴びますが、決して悪いことだとも思いませんし、むしろ良いことも多いでしょう。

しかしゲームを依存物という視点で捉えると、ほとんど新規性はなく、同じことの繰り返しでしかありません。本書で述べているように、現在の依存症者の「蔓延」の時代の一事象でしかないとも評価できます。

依存物の扱いは古今東西、非常に難しいものです。一般のスポーツと同様に扱う前に、ゲームには依存性があるというリスクを十分に考慮しなくてはなりません。もしも学校など公共性のある部署や機関でゲームを取り入れるのであれば、一般のスポーツ以上に徹底した指導・管理が必要なのではないでしょうか。

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中山 秀紀(なかやま・ひでき)
久里浜医療センター精神科医長
1973年、北海道生まれ。医学博士。専門領域は、臨床精神医学、アルコール依存症。2000年、岩手医科大学医学部卒業。04年、同大学院卒業。岩手医科大学神経精神科助教、盛岡市立病院精神科医長を経て、10年より久里浜医療センター勤務。同年、「第45回日本アルコール・アディクション医学会優秀演題賞」受賞。19年、「第115回日本精神神経学会学術総会優秀発表賞」受賞。11年より、インターネット依存症治療部門に携わる

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(久里浜医療センター精神科医長 中山 秀紀)

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