"スタバでMacは残念"の記事に激怒した人へ、「私は事実を述べただけ」

プレジデントオンライン / 2020年3月17日 11時15分

スタバの店舗構造は作業一般に適していないし、そもそもそのように設計されていないし、そこでMacを広げる蓋然性がない=2016年11月30日、東京都品川区(写真は一部加工) - 写真=時事通信フォト

■人間は脆弱なアキレス腱を突かれたとき、激烈な反発を見せる

『プレジデント』2020年1月31日号で寄稿した私の「スタバでマックを広げている人たちの残念すぎる仕事効率」が大きな反響を得た。半分が共感、もう半分が激烈な反発である。どだい、何かのオピニオンを問うとき賛否は同数ととらえるのが物書きとしての常識であるが、今次反発を感じた半分の読者は、スタバでマックブックを広げて仕事をする人そのものだったのか、あるいはそれに準じる存在であったとして差し支えないであろう。

人間は最も脆弱(ぜいじゃく)なアキレス腱を突かれたとき、最も激烈な反発を見せる。私はスタバでマックを広げて仕事をしているいわゆる「ノマドワーカー」を外見ばかり気にし、自意識が肥大してその実中身は全くない「意識高い系」と喝破したが、その指摘にグサリと己の後ろめたさを痛感した御仁がそれだけ多いということである。

繰り返し言うように、私はスターバックスやマッキントッシュが嫌いだ、と言っているのではない。ただスタバの店舗構造が作業一般に適していないし、そもそもそのように設計されていないし、そこでマックを広げる蓋然(がいぜん)性がない、と言っているにすぎない。仕事は通勤先のオフィスでやるものだとか、足を使った営業がすべてに勝る、というインパール的精神論を言っているのでもない。

■私はただ、事実を述べただけなのである

ただ、世界中に展開するスタバの中で、日本のそれだけが、都市部の知的労働者や「ノマド」を最初に提唱した安藤美冬氏の外面上のイメージに憧れを抱き、それを薄くトレースしているだけで、その実、合理的な仕事効率とは何ら関係がないという特殊な事実を述べただけである。

日本ではここ数年、生産効率とか仕事効率という言葉が大きくクローズアップされるようになった。人口が減り、総体としての経済規模があまり変わらない中、一人頭の生産性向上が日本経済喫緊の課題とされ、官民挙げて生産性向上が謳(うた)われている。生産性、効率……。この掛け声がエスカレートして歪曲されたのが、自民党某議員による「LGBTには生産性はない」というトンデモ寄稿であり、結果として大手出版社の出す雑誌がひとつ潰れる騒動になったが、これは論外としても、社会の中にある生産性の低さは、実は高度成長時代から日本経済の負の面として大きく横たわる構造的欠陥であった。

いわゆる日本の「二重構造」問題である。東京や大阪などの大都市部における、国際競争力が高く合理的な先進企業が経済を牽引する一方、成長に取り残された都市下層や農村・地方においては、いまだ封建的な慣習のもとに非効率な中小零細企業が圧倒的多数を占めている……。

■所得格差や疲弊が顕著になり、仕事効率に注目

この「二重構造」を是正することが戦後の民主日本経済の大前提とされた。高度成長が一巡した1970年代後半以降、この日本経済の「二重構造」は、経済規模そのものの量的拡張をもっておおむね解消したとされたが、実際はまやかしであった。

農村や地方を支持基盤とする自民党一党支配は90年代、および2000年代後半の間、欠期を除き現在でも続き、その間、自民党は非効率的で生産性の低い、都市下層部や農村・地方の中小零細企業を各種の補助金や税制優遇等で温存し続けた。しかしこういった矛盾は、紆余(うよ)曲折はあれど日本経済が拡張を続けたおおむね97年ごろまでは、総体として経済が拡大しているのでないこととされた。

現在、生産効率とか、仕事効率というのが再び話題になっているのは、こうした日本経済の規模拡大が20年前に終焉(しゅうえん)を迎え、元来非効率で生産性の低い日本の中小零細企業とその雇用者に、大企業と比べて目に見える所得格差や疲弊が顕著になってきたからである。つまり日本経済は、戦後の課題であった「二重構造」を一向に克服せぬまま、経済規模の拡大によってその構造的欠陥を糊塗(こと)してきたということになる。

■都市部の知的労働者の多くは、生産性や仕事効率が何か理解していない

「スタバでマックを広げる人」はこうした、経済拡大のなくなった時代に提唱されたまやかしの労働価値観への従者たちである。経済成長が鈍り、労働者の実質賃金が下落し、一部の「合理的」な企業の利益だけが肥え太る結果となった21世紀以降、官民挙げた生産性向上の掛け声に、ほとんどの日本人労働者はどうしたらよいのかわからなくなった。

なぜなら、そもそも日本経済は、生産性や効率が高い優良企業と、そのほか大勢の非効率的中小企業が一方で温存されてきた。その両者の格差が人口増加と経済規模拡大によって隠されてきた、という根本的構造を解消することができなないまま21世紀を迎えたのだ。

文筆家・古谷経衡氏。「『スタバでMacを広げる人』は経済拡大の無くなった時代に提唱されたまやかしの労働価値観への従者たちだ」
文筆家・古谷経衡氏。「『スタバでMacを広げる人』は経済拡大の無くなった時代に提唱されたまやかしの労働価値観への従者たちだ」

だから特に都市部の知的労働者の多くは、生産性や仕事効率というのが実際に何を意味するかを理解できず、マックというツールや、スタバという空間に接続することでその解決を図ろうとした。「スタバ(カフェ等)でマックを広げて仕事をする人」を「ノマドワーカー」と定義した前述安藤氏自体、その薄い著書を隅から隅まで読んでも、スタバでマックを広げて仕事することの何が合理的で生産性向上につながるのかの根拠は一切述べていない。

ただそれが「新しいライフスタイルである」と提唱しただけで、その例証も渋谷近辺という、東京都内のごくつましく、限られた地域に限局されて、ノマド(遊牧民)の本義を実践しているとは言いがたい。良くて「渋谷のカフェで仕事をする人」である。「だから何?」その五文字で終わる事実を、「ノマド」という新造語で取り繕って新しくもないのに新しい価値観だと喧伝(けんでん)し、少なくない知的労働者に憧れを与えたのは時代の病といえる。

■「キラキラした価値観」。実態は何もない

日本経済の成長がほぼ停滞した21世紀以降、つまりゼロ年代において、この手の「何かキラキラしたような新しい価値観を想起させる横文字」を標榜して、その実態は何もないという泡沫(ほうまつ)のような事象が現れては消えた。それはオンラインサロンであったり、インスタグラマーであったり、インフルエンサーであったり、また今日的にはユーチューバーである。

経済の拡大がなくなった世界においては、中産雇用者の賃金は一様に低下し、また消費動態も一様に縮小するので、その差異を「仕事の仕方」とか「仕事をする場所」とか「仕事をする道具」というものに求めていく。

「この腕時計をすれば上司からデキる男と思われる」とか、「秋はちょいモテコーデで取引先からの好感度アップ」などという、生産性や仕事効率というものの実態とは何の関係もない、「自尊心」や「自意識」をくすぐる文句に、労働者は煽(あお)られていく。

「スタバでマック」などこの典型で、たった数百円のコーヒー代を払えばいっぱしのエリート・ビジネスマンになった気分が手に入るのだから、日本でこの手の「偽りの労働形態」が隠さざる自意識を伴って繁茂するのは当然といえる。

たった数百円のコーヒー代を払えば一端のエリート・ビジネスマンになった気分が手に入る。
写真=PIXTA/COLLESTA
たった数百円のコーヒー代を払えば一端のエリート・ビジネスマンになった気分が手に入る。 - 写真=PIXTA/COLLESTA

■問題の答えは「移民政策」にあり

では、生産性や仕事効率の向上という、もはや国家のお題目となったスローガンを達成するには何が必要なのかというと、一にも二にも戦後日本経済の宿痾(しゅくあ)である「二重構造」の解消である。つまり非効率的で生産性の低い、都市部や地方に存在する中小零細企業を統合して、大企業の中に包摂し、無駄なマンパワーや資源をすべて集産的計画に従って配置換えをする。

実際にこうして成長してきたのがアメリカであり、だからこそアメリカの産業構造は大企業寡占で、逆にその集産的発想に乗り遅れた日本ほど、先進主要国の中で中小零細企業が多くの雇用を抱えている国はないのである。ここまで言うと新自由主義的と批判される向きがあろう。だが私は修正資本主義に肯定的で決して新自由主義の信奉者ではない。

非効率的な中小企業の統廃合は一時的にだが大量の失業者やさらなる労働者間の格差を生む。それが嫌だというのなら、歪な経済構造を温存したまま経済規模の拡張を進めるしかない。その解答は単純に言えば生産人口の増加であり、日本においては移民政策である。

古くて効率の悪い産業構造を温存して国内の労働者を保護したまま成長したいのなら、人口増加が最も手っ取り早い方法であるが、いまだ日本には左右ともに強烈な移民アレルギーがある。右には排外主義的な世界観による移民拒否。左には正規労働者の雇用保護の観点がその理由である。

■たしかにスタバでマックぐらいがちょうどよいのかも

が、先進国のほぼすべてが抱えた母国人の人口減少という問題と、その代替としての移民政策は、避けて通れない道であり、それを安倍政権も重々わかっているからこそ「実習生」という名目で人権蹂躙(じゅうりん)状況のまま、なし崩し的に移民政策が敢行されるという、きわめて玉虫色の展開で事は動いている。日本がやることは「スタバでMacを広げる」のではなく、はっきりと「日本人労働者と同等の権利を有した移民を認め、法的に保護し、彼らに門戸を開く」という宣言である。

日本がやるべきなのは「スタバでMacを広げる」のではなく、日本人労働者と同等の権利を有した移民を認め彼らに門戸を開くこと。
写真=時事通信フォト
日本がやるべきなのは「スタバでMacを広げる」のではなく、日本人労働者と同等の権利を有した移民を認め彼らに門戸を開くこと=埼玉県加須市、2018年8月30日 - 写真=時事通信フォト

ところがこういった国家の姿形が根底から改良される大きな構造変化に対し、ゼロ成長が20年以上続いた守勢の日本人はあまり乗り気ではない。経済規模が日本の15分の1以下のフィリピンですら(と言えば失礼だが)成しえた米軍撤退や地位協定改廃には全く無関心で、社会の本質とは無関係な俳優や女優の不倫に汲々(きゅうきゅう)とし、生産性とは無縁な「道徳心」を声高に叫ぶ世論の矮小(わいしょう)化と堕落にあって、やはり移民への門戸開放だのという大きなお題目は響かない。

数百円を払ってスタバでマックを広げてノマドに変身できるお手軽で境界の薄い自意識の高揚のほうが、手っ取り早くインスタントなのだ。昭和元禄は遠く、電子立国ですらなくなった黄昏(たそがれ)の経済大国には、スタバでマックぐらいがちょうどよいのかもしれない。嗚呼、貧すれば鈍する。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。

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(文筆家 古谷 経衡)

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