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地図研究家が嘆く「たまプラーザ駅にあって、高輪ゲートウェイ駅にないもの」

プレジデントオンライン / 2020年3月27日 9時15分

開業したJR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅=2020年3月16日(東京都港区) - 写真=時事通信フォト

3月14日、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」が開業した。地図研究家の今尾恵介氏は「新しい街を開くにあたって駅名は重要だ。たとえば『たまプラーザ』は東急田園都市線の新しい駅名として、五島昇社長がじきじきにと命名した。一方、高輪ゲートウェイはどうだったか」という――。

※本稿は、今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■悪い予想が大当たり「高輪ゲートウェイ」

ああ、またかと思った。「高輪ゲートウェイ」という新駅名を報道で知っての第一印象である。たぶん高輪ナントカに決まるだろう、しかもそのナントカはカタカナに違いない、という悪い予想は当たった。

今から半世紀近くも前の話だが、小学校の5、6年生だった時に、鉄道が好きだった私は京浜急行の駅名を暗記した。自宅があって頻繁に利用する相模鉄道は自然に覚えていたので、意識的に覚えた最初が京急だったのである。とにかく品川から各駅を順番にズラズラと唱える「遊び」で、品川、北品川、北馬場(ばんば)、南馬場、青物横丁、鮫洲(さめず)、立会川(たちあいがわ)……と当時の終点だった三浦海岸まで早口言葉のような按配だ。青物横丁、梅屋敷、雑色(ぞうしき)、追浜(おっぱま)などなど引っかかりのある駅名が満載で、今思えば沿線の「地名のごった煮感」を子供心に味わっていたように思う。

蛇足ながら実は本線の当時の起点は泉岳寺(せんがくじ)で、終点も浦賀なのだが、そんなことは知らなかった。ちなみに北馬場と南馬場はその後統合されて新馬場となったが、リズムが崩れるので今も暗誦するなら昔の駅のままで、能見台(のうけんだい)も旧名の「谷津坂(やつざか)」である(ローカルな話ですみません)。

■全国各地の駅名を暗唱する子供だった

京急の次は東海道本線。そして山陽本線、東北本線と手当たり次第に覚えたのだが、不思議というべきか、当然ながら小学生の頃に覚えたものは今も無意識にスラスラと出てくるのに対して、高校生の時に覚えた伯備(はくび)線とか高山本線は今ひとつ覚束ない。掛け算の九九を小学生に叩き込む重要性は、この一事だけでもわかる。

それはともかく、子供の頃から駅名に親しみ、駅名から漢字を教えてもらった。なんでこんな読み方をするのか理解に苦しむ駅名も多く、それが地名への興味につながって、結果的に今のような仕事に至っている。講演する際の滑舌の訓練にも駅名暗誦が少しは役立っているかもしれない。

北海道の根室本線など、駅名を口に出していて快感を覚えたものである。上野からずっと唱え続けて青森から青函(せいかん)連絡船に乗っているつもりになり、函館に上陸すればまず息継ぎで少し「停車」して函館本線を北上する。最初から五稜郭(ごりょうかく)、桔梗(ききょう)なんて地方色豊かな駅名が並ぶのでワクワクした。札幌を過ぎて滝川(たきかわ)からこの線に入るのだが(当時は石勝(せきしょう)線も開通していなかった)、帯広も釧路も過ぎていよいよ終盤に差しかかった厚床(あっとこ)、初田牛(はったうし)、別当賀(べっとが)、落石(おちいし)、昆布盛(こんぶもり)、西和田、花咲(はなさき)、東根室、根室まで。特にアイヌ語由来らしい駅名をひとつひとつ発音しながら、どんな由来があるのか漠然と思いを巡らしたものである(この中に最近になって廃止された駅が2つもある)。

■「希望ヶ丘」は全国に30カ所近くある

子供の頃に利用した最寄り駅は相模鉄道の希望ヶ丘駅であった。テレビアニメの「魔法使いサリー」の舞台になったのと同じ希望ヶ丘小学校に通い、3年生の時にさちが丘分校(後のさちが丘小学校)ができたのでそちらへ転校している。いずれも地元の町名なのだが、いかにも高度成長期に新しく開発された住宅地の地名の典型だ。希望ヶ丘(希望が丘)という地名が全国に30カ所近く(通称なども含む)あることを知ったのはずっと後のことである。

中学生からは地形図にのめり込み、珍しい地名、印象深い地名があると大学ノートに書き留める地名マニアだったので、歴史的地名が好きな反面、新奇な「作り物」の地名や駅名を嫌う高校生に育った。ちょうどその頃に開通したのが相鉄いずみ野線で、新駅が発表になって衝撃を受ける。特に緑園都市と弥生台(やよいだい)の二駅は地元の地名とは何ら関係がなく(弥生台は弥生式土器が出たことに由来)、いずみ野も古くからの和泉村を継承した和泉町をわざわざひらがな書きして「野」をくっつけたイマ風であった。

この駅名を批判する文章を高校の文芸同好会に出したのが、地名・駅名についての初投稿である。地元の歴史的地名を使わずになぜ「作り物」にするのか、という主張であったが、それから44年経った今も同じようなことを本に書いているのはなかなか感慨深い。

■いかに駅名が「命名」され、変更されるのかを研究した

音楽出版社で演奏家のインタビューから広告版下作り、通販部門の仕事などいろいろやった約10年を経てこの仕事を始めたが、自著では鉄道関係の本や雑誌の記事などもいろいろと書くようになった。中でも最初に駅名に集中的に取り組んだのは、平成16年(2004)に上梓した『消えた駅名』(東京堂出版)である。社史を広範に取り揃えている神奈川県立川崎図書館に通い、各鉄道の年表などを黙々と書き写す作業が続いたが、これで駅の命名がどのようになされ、どんな事情で変わるのか認識を新たにしたものである。戦時中に「防諜のための改称」が行われたのもそこで初めて知った。

その後は監修を担当した新潮社の『日本鉄道旅行地図帳』(平成20年~)である。戦前からの鉄道関係の手持ちの地形図類を元に地図原稿を作製し、駅名の変遷について多方面の資料に当たって調べて表にした。これを地方ごとに毎月刊行したのはかなり大変な仕事だったが、明治以来駅の名前がどのように命名され、それが時代を経てどんな事情で変更されるのかを知る勉強になった。そこで大きく助けられたのがJTB(現JTBパブリッシング)の『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』(平成10年、石野哲編集長)である。残念ながら私鉄編は出なかったのでそちらについては私たちが独自に調べなければならなかったが、いくら調べても十分と言えず「泥沼」にはまった。それを助けてくれたのが駅の変遷を長らく独自研究していた星野真太郎さんである。本当に感謝している。

■「行政区分と変化の歴史」が駅名解読のカギ

『日本鉄道旅行地図帳』で扱った駅は、廃止された路面電車の停留場を含めればざっと3万ほどにものぼるだろうか。それぞれの駅の設置と名称変更(読みだけの変更、漢字だけの変更も含まれる)などを記載した、まだ不完全ながらも締切に追われて「完成」させた表を眺めるにつけ、地元の地名を採用する駅だけでなく、神社仏閣や工場、学校などさまざまな施設等の名称を採用するものもあり、またそれが時代により変化していくことがわかった。

採用される「地元の地名」にしても、合併による自治体名の変更から、市町村の中の大字(おおあざ)・町名の変更、それらのエリア変更などが駅名に影響することも少なくない。ここで断っておかなければならないのは、駅名を読み解くには行政区分とその変化の歴史について理解しなければならないことだ。過去にいくつも出た『駅名事典』の類の「駅名の由来」の誤りは多いが、その多くが駅名そのものに「地名学的なアプローチ」で取り組んでしまったものである。

たとえば京王線の南平(みなみだいら)駅(東京都日野市)の由来について「南にある平らな土地」といった表面的な解釈で済ませた記述を以前に見たことがあるが、南平という地名は南多摩郡内に2カ所あった平村(江戸時代からの村名)を明治11年(1878)の郡区町村編制法の施行で北平村と南平村として区別したものだ。それが明治22年(1889)の町村制施行で七生(ななお)村大字南平になった状態で駅は設置されている。いずれにせよ、駅名を解釈するには設置当時の「地名状況」を調べなければならない。

■「花小金井」という地名は駅名から付けられた

本書でも言及したが、駅名に由来する町名が後から発生することも決して少数ではないから、たとえば西武新宿線の花小金井(はなこがねい)駅は「地元の地名が花小金井だったから」ではない。「小金井のお花見に行くならこちらが便利です」という意図を込めたこの創作駅名がまず誕生し、命名から35年も経って駅名に合わせて町名ができたという順番なのである。

今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)
今尾恵介『駅名学入門』(中公新書ラクレ)

駅名にまつわる話は駅の数だけあるはずだ。鉄道会社や地元の思いがたっぷり入った駅名もあれば、妥協の産物のようなものもあるだろう。そういえば上越新幹線の燕三条(つばめさんじょう)という駅は新潟県燕市と三条市の境界あたりに設けられたが、三条と燕のどちらを先にするかでまとまらなかったのを、かの田中角栄さんが鶴の一声で駅名を「燕三条」とし、その代わりに北陸自動車道のインターは逆順の「三条燕」にして妥結させた、という話も聞く。

東急田園都市線の新しい駅名として、五島昇社長がじきじきに「たまプラーザ」と命名したというエピソードを聞けば、新しい街を開くにあたっていかに駅名が重要であるかを知らされるが、その背後で採用されなかった歴史的地名のことを考えると思いは複雑だ。

ずいぶん長く書いてしまったが、最初にこんなことをあれこれ並べるより本書を読んでいただくのが先である。明治5年(1872)にたった2駅(仮開業時)で始まった日本の駅は1万ほどに増えたが、その名前をめぐるあれこれを、時代背景などを思い描きながら楽しんでいただければ幸いである。

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今尾 恵介(いまお・けいすけ)
地図研究家
1959年横浜市生まれ。明治大学文学部ドイツ文学専攻中退。(一財)日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査を務める。『地図マニア 空想の旅』(第2回斎藤茂太賞受賞)、『今尾恵介責任編集 地図と鉄道』(第43回交通図書賞受賞)、『日本200年地図』(監修、第13回日本地図学会学会賞作品・出版賞受賞)など地図や地形、鉄道に関する著作多数。

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(地図研究家 今尾 恵介)

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