56年前に比べて「日本人が障害者を見る目」はどれだけ変わったのか
プレジデントオンライン / 2020年5月22日 11時15分
■当時の日本では「車いす」の人を見る機会はほとんどなかった
——1964年の東京パラリンピックは、出場した選手にとどまらず、選手を支えた人たちの人生、さらには日本の福祉制度を変えた大会だったと指摘されていますね。
56年前の東京オリンピックは、戦後復興を国内外にアピールするために取り組んだ国家的なプロジェクトでした。経済発展して、貧困を乗り越えたはずの日本が障害者問題をそのままにしておくわけにはいかなかった。
障害者の自立は、戦後の日本社会が置き去りにしてきた社会的な課題だったと言えるでしょう。もちろんそれは当事者や医療関係者だけの努力で解決できる問題ではありません。そんななか、のちに社会の変革に大きな役割を果たすのが「語学奉仕団」です。
「語学奉仕団」は、「ボランティア」という考え方を日本に紹介した橋本祐子が結成した通訳ボランティア団体です。東京でパラリンピック開催が決まると、日本赤十字社の職員だった橋本は、外国からやってきた障害者が日本語だけの社会に放り込まれたら「新たに口と耳の2つの障害を持つことになってしまう」と言い、語学に堪能な学生を約200人も集めて「語学奉仕団」を組織しました。
パラリンピックをめぐる体験は、20歳前後だった彼らの人生に大きな影響を与えました。当時の日本では街に傷痍軍人の姿はあっても、車いすの人を見る機会はほとんどなかった時代ですから。
——なるほど、だからなおさらインパクトが大きかったのですね。
奉仕団に参加した若者たちは、事故などで脊椎を損傷した患者が集まる箱根療養所などで彼らが置かれた状況をはじめて目の当たりにします。そこで彼らは想像したことのなかった障害者の生活を見たわけです。
ただし、パラリンピックに出場した選手たちがそうだったように、奉仕団のメンバーの衝撃も一度では終わりませんでした。
■車いすの外国人選手に情熱的に口説かれた女子学生もいた
彼らはパラリンピックで再び衝撃を受けます。そのひとつが外国人選手と日本人選手の違いです。選手たちが集まるクラブで、車いすの外国人選手たちは、持ち込んだギターの演奏に合わせて歌い、踊り、盛り上がっている。なかには、海外の選手に情熱的に口説かれた奉仕団の女子学生もいたそうです。
——一方の日本人選手たちは、うつむきがちで気後れしていたという回想があります。そのギャップが、選手や関係者にとって衝撃だったのですね。
そのころ日本の障害者は社会に保護されるべき存在とみられており、彼ら自身もそう考えていたそうです。それが外国人選手と交流して意識が変わった。
障害を持つ人も、自分たちと同じように自立して生活を営める存在なんだ、と身をもって気づかされた。
その気づきが、従来の障害者像を覆すきっかけになり、若者たちに対し、生涯にわたる問いを投げかけた。障害者が自立できる目指すべき社会とは何か。日本社会はどうあるべきなのか、と。
語学奉仕団を代表する人物に、慶応大学の学生だった丸山一郎さんがいます。彼は大会後、障害者の問題に関わり、大学教授として福祉政策などを教えました。彼は、東京パラリンピックに参加した外国選手たちが、弁護士や教師、音楽家などとして活躍していたことを知って、とても驚いたそうです。
■美智子さまが障害者スポーツに抱かれていた強い思い入れ
そして、衝撃や驚きを共有した選手や語学奉仕団のメンバーたちは、いまも強い結びつきでつながっている。1964年に形成されたネットワークの原点に、深く関わっていたのが、当時は皇太子妃だった美智子上皇后です。
以前から日赤で熱心にボランティアをしていた美智子上皇后は、橋本祐子さんをとても慕っていました。また美智子上皇后は、語学奉仕団の結成式に出席し、選手とも積極的に交流なさっていた。その後も、語学奉仕団の集まりに参加し、メンバーのなかには福祉政策や障害者福祉の面で美智子上皇后の相談相手となった人もいました。
美智子上皇后がいかに障害者スポーツに強い思い入れを抱いてこられたかは、上皇陛下が在位最後の誕生日の「お言葉」で障害者スポーツに触れられていることからも分かります。両陛下の歩みをたどっていくと、国民に寄り添ってこられたおふたりの原点の一つに、障害者スポーツやパラリンピックがあったことが浮かび上がってくるのです。
■障害を負ったあと社会復帰を目指すのは当然になったが…
——新型コロナの影響で、オリンピック・パラリンピックの延期が決まりましたが、元選手や関係者からの反応はありましたか?
残念だけれど、仕方がないと思っている方が多いのではないでしょうか。ただ彼らにとって、現在のパラリンピックは、別の意味合いがあるのだと思います。
——かつてパラリンピックの「パラ」は、下半身麻痺を示す「プレパラジア」でしたが、現在は「もうひとつの」という意味の「パラレル」という意味で用いられています。名称の変更とともに、大会の役割も変わったということでしょうか。
1964年のオリンピックは国際的な祭典として盛り上がりました。一方、2週間後に開かれたパラリンピックは、観戦した人によれば、「大きめの会社の社内運動会ほど」の規模に見えたと言います
そして56年が過ぎたいま、パラリンピックを知らない人はいませんし、障害者がスポーツに取り組むのも当たり前の社会になった。大きなけがや病気で障害を負ったあとに社会復帰を目指すのも、当然のことと捉えられるようになった。その意味で、初期のパラリンピックの目的は達せられたのではないかと思います。
もちろん1964年のパラリンピックは、いまの時代に続く源流ではあります。しかし現在のパラリンピックを目指すパラアスリートの存在は、「見世物として扱われるのが怖かった」と語ったかつての選手とは、異なる文脈で語られるべきでしょう。
■当時のパラリンピックが「いま」に向けて投げかける問い
——障害者の自立をめぐって、日本社会は変わったのでしょうか。
56年前に比べたら、バリアフリーは進みました。どこの建物にも、車いす用のトイレも、エレベーターも設置されている。でも、障害者スポーツをめぐる状況に限っていえば、ほとんど変わっていない面もあります。車いすバスケの練習をしようにもフロアに傷がつくから、と体育館すらなかなか借りられません。
元選手や関係者が56年前に体験した衝撃や驚きを、「過去の話」として語るのはためらわれます。ぼくたちの社会は、果たして本当の意味で変わったのだろうか、と。コロナ禍で延期となったいまだからこそ、当時のパラリンピックが「いま」に向けて投げかける問いにも重みが増しているのではないでしょうか。大会を延期するか、中止するか……。1964年のパラリンピックには、そんな議論を超えた意味があったと思うんです。
——パラリンピックは、障害者の自立、やがて障害者差別という社会の課題を乗り越えるきっかけになった。コロナウイルスも、分断や格差という社会問題を突きつけているように見えます。
はい。だから考えてしまうのかもしれません。例えばもしも、日本初のパラリンピックを主導した中村裕医師が生きていたら、いま、何をしたのだろうか、と。
新型コロナウイルスの感染を防ぐために、人と人が距離を意識して、「ソーシャル・ディスタンス」を保った生活をしなければならなくなってしまった。でも、また近い将来、さまざまな意味で社会の人々が手をつなぎ直して生きていく日が、きっとやってくるでしょう。
そのときに、もう一度、見つめ直してほしいのです。
障害者スポーツを通して自立を目指した選手たちや、彼らを支えて社会を変えようとした人たちの歩みには、どんな意味があったのか。1964年のパラリンピックは、日本社会に何をもたらしたのか。そこには、いまの私たちに突きつけられた問いを考える上での多くのヒントが含まれているように思うのです。
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ノンフィクション作家
1979年生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に『こんな家に住んできた 17人の越境者たち』(文藝春秋)、『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『ドキュメント 豪雨災害』(岩波新書)などがある。
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(ノンフィクション作家 稲泉 連 聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川 徹)
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