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「僕は野村克也にはなれなかった」…元ヤクルト・真中満の語る無念

プレジデントオンライン / 2020年5月31日 11時15分

プロ1年目から野村監督の薫陶を受けた真中氏は、“巧打の外野手”、“代打の神様”としてチームを牽引した(1995年4月13日ヤクルト中日戦、逆転勝ちに貢献した真中氏を労う野村氏)。 - 共同通信=写真

■データに従わず、データを従える

野球は「間」のスポーツです。試合時間の長さに比べてインプレーの時間は短く、投手が1球投げるごとに間が生まれます。僕は現役時代、外野手でしたが、1球1球走者の状況や打者の様子をよく観察して、カウントごとのデータや風向きなども念頭に置きながら守備位置を変えていました。プレーとプレーの間の時間にしっかり頭を使って次のプレーを予測し、備える。ID野球を一言で表すとしたら、「考える野球」だと思っています。

しかし、データの活用はするけれども、それに縛られるようなことはありませんでした。打者の打球傾向とか投手の球種やウイニングショットなどのデータは頭にたたき込むのですが、実際にはその通りになることばかりではありません。相手の様子をよく見て、「データとは違うけど、こういうボールを投げてくるんじゃないか」というような直感が働いたときは、そちらを優先していました。「データよりも感性」だったのです。

野村監督もデータを絶対視していたわけではありません。例えば事前のミーティングで、何点差で勝っていて走者やアウトカウントがこういう状況なら高確率でバントしてくる、というようなデータがあったとします。それでもキャッチャーの古田敦也さんが「いや、ここは違う」と感じたら、それに合わせて守備隊形を変えていました。データやベンチの考えよりも、グラウンドで実際に戦っている選手の考えが優先されていたのです。それだけ古田さんはじめ、能力や吸収力の高い選手がそろっていたということでもあると思います。

データはあくまで「準備」や「備え」であり、困ったときに頼ればいい、というのが野村監督の基本的な考えです。何を投げてくるかわからない、打者が何を狙っているのかわからない、そんなときにはデータに従って動いてみる。でもそうではないときは、自分なりに考えたこと、感じたことに沿ってプレーする。データは、自分たちが考えて野球をするための材料でしかないんです。

といっても、やっぱりそのためのミーティングにはすごく時間とエネルギーを使っていました。野村監督のミーティングを10とすると、当時の他球団は3か4くらいしか時間を割いていなかったのではないでしょうか。それくらいデータを重要視していたことは確かです。

最近の野球は、「トラックマン」などを使って打球速度やボールの回転数を計測できたりして、データ量が昔とは比べものになりません。だから今に比べると扱うデータそのものはそこまで多様ではありませんでしたが、野村監督が当時から重視していたのは「カウントごとの攻め方」でした。

具体的にいうと、2ボールや3ボール1ストライクというような打者優位のカウントになったとき、苦しい立場の投手は何を投げるのかといったことです。あとは投げる球種ごとの投手の癖など、当時の野球としては相当細かく情報を集めていたと思います。

でも、データに頼るときの鉄則があって、それは「外れても文句は言わない」ということ。「このピッチャーはこういうカウントならこれを投げる」という傾向を把握していても、100%そうなる保証はありません。スコアラーが一生懸命集めてきたデータを自己責任で使わせてもらうわけですから、それが外れても文句を言う筋合いはないということです。そういう意味でも「データは重要だけど、あくまで参考に」ということでしたね。

神宮球場で開催されたヤクルト球団設立50周年記念OB戦にて打席に立った晩年の野村氏(写真中)と、それを見守る真中氏(写真左)(2019年7月11日)。
AFLO=写真
神宮球場で開催されたヤクルト球団設立50周年記念OB戦にて打席に立った晩年の野村氏(写真中)と、それを見守る真中氏(写真左)(2019年7月11日)。 - AFLO=写真

■情報戦はグラウンドの外でも

あとは、野村監督というと皆さん「奇襲」というイメージがあると思いますが、実際はそうでもないんですよね。どちらかというと「動かない野球」で、バントとかエンドランみたいにベンチが仕掛けていくことはあまりなかったんです。

僕は現役時代2番バッターを多く任されました。他球団ならバントをすることが多いと思いますが、比較的自由に打たせてもらいました。野村監督も「俺は臆病だから動けない」ってよくボヤいていましたよ。「スクイズなんて、怖くてとてもできない」って(笑)。

でも、相手は「野村監督のことだから何か仕掛けてくるはず」と思っているから、勝手に警戒してくれるんです。結果として、正攻法で十分成果を上げることができる。ID野球は「自分たちで考える野球」である一方、「相手に考えさせる野球」でもあるんです。

だから、グラウンド外では情報戦をよくやっていましたね。野村監督はメディアに対して時間をかけて、いろいろなことを話します。それが相手チームにも伝わるので、それだけで相手が悩んでくれる。スタメン発表でも、偵察メンバーとして登板予定のない投手の名前を入れたりすることをよくやっていました。相手の先発投手に合わせてその偵察メンバーを試合開始直後に入れ替えるわけです。情報戦で少しでも優位に立とうという意識は、とても強かったと思います。

■準備はやってやりすぎることはない

そして、それだけ準備すると選手のメンタルも落ち着くんです。よく「これだけ練習したんだから大丈夫」と思うために練習の虫になる人がいますが、データや準備でも同じこと。「これだけやったんだから」と思えれば、「結果は神のみぞ知る」という心境になれます。練習はやりすぎると故障やコンディション不良のリスクも高まりますが、準備はやってやりすぎることはないですから、そういう意味でも大きいです。

日本シリーズのような短期決戦だと、シーズン以上に周到に準備していました。1週間くらいの合宿を組んで、投手と野手に別れてみっちりミーティングをするんです。僕は野手だったので相手チームの投手全員について、どんな特徴や傾向があるのか分析させられました。特にキャッチャーは投手組、野手組両方に参加するので、大変だったと思います。

でも、僕が野村監督から一番学んだと思うのは、野球やデータのことではなく、人間教育的な部分なんです。野球選手である前に、1人の大人、社会人として立派であれ、野球しか知らない野球バカにはなるなと教えられました。野球をして、よい結果を残せば高い給料がもらえる、くらいにしか考えてなかった選手もいると思うんですが、なぜお金をもらえるのかといえばお客さんが来てくれるからですよね。だからファンサービスや、マスコミ対応することも大切なんだと言われましたね。

また、よく「試合は監督になったつもりで見ろ」と言われました。そうやって一段高いところから野球を見る癖をつけたことは、指導者になってからずいぶん役に立ったように思います。

僕にとって、理想の監督像はやっぱり野村監督なんです。野村監督のあと、若松勉さんや古田さんが監督を務めて、僕も経験させてもらいましたが、野村監督と同じことはできなかった。ID野球とは何かという知識や経験はみんな持っていたと思うのですが、同じようなことをやろうとしてもオリジナルではないから、どこか薄っぺらくなってしまう。人それぞれ持ち味やいいところは違いますから、それはそれでいいのですが、野村監督はやっぱり唯一無二の存在だったなと、指導者を経験した今はなおさらそう思います。

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真中 満(まなか・みつる)
野球解説者
1971年生まれ。92年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。2007年にシリーズ代打安打の日本記録を樹立。15年東京ヤクルトスワローズ監督に就任、初年度優勝を達成。

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(野球解説者 真中 満 構成=衣谷 康)

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