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コロナ大恐慌後、日本を襲う最悪のシナリオとは

プレジデントオンライン / 2020年5月25日 9時15分

1929年10月24日 - 写真=Bettmann /gettyimages

90年前に起きた世界的な感染症流行から世界恐慌、さらに世界大戦にまでいたった過去の歴史から学ぶ。

■「恐慌入り」は待ったなしか

新型コロナの衝撃で、日本と世界の経済はこの先どうなっていくのでしょうか? 各国政府や金融機関・シンクタンクが発表する失業率や経済成長率といった予測数値は、わが目を疑うようなものばかり。世界中の人やものの行き来が分断され、需要と供給が同時に消え去る恐ろしさは、この数カ月だけでもよくわかります。このうえ、再起動を模索中の世界の経済活動が、新型コロナ第2波によって再度停止・分断されたらどうなるのでしょう。

国内では、すでにコロナ禍前から景気減退の兆しが明らかでした。昨年10月の消費税増税によって、10月~12月期は個人消費を示す民間最終消費支出が11.0%減少、実質GDPも年率換算で6.3%減と、ともに想定外の大きな落ち込みを見せており、かつ世界経済のけん引役である米国もまた、昨秋から景気後退局面入りがいわれていました。

そこにコロナショックとそれにともなう緊急事態宣言の発令という追い打ちで、企業の業績は急落。何もなければ普通に存続していたはずのブランド企業が、あえなく消えてしまっています。ワクチンの開発がすぐには望めぬ今、2008年9月のリーマン・ショック超えどころか、すでに「恐慌入り」待ったなしの状況なのでしょうか。

■歴史は繰り返す

この先行き不安に対する答えは、「歴史は繰り返す」という格言の中にあるかもしれません。科学やテクノロジーの進化とは裏腹に、それを生み出しているはずの人や人の集団の心理・行動がそうやすやすとは変わらないことが、この格言を裏付けているように思います。

感染症のパンデミックは過去に何度も起こりましたが、中でも過去最大規模の感染症の一つがスペインかぜ。第一次世界大戦のさなかの1918年に流行りはじめたこの疾病は、少なく見積もっても2500万人以上という膨大な犠牲者が出たため、第一次大戦そのものの終結を早めたと言われているほどです。

それだけではありません。パンデミック研究の必読書であるA・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)の記述には、スペインかぜとその後の歴史の相関が示唆されています。

1918年から19年にかけて話し合いが持たれたパリ講和会議。19年春のパリで米・英・仏・伊の4首脳会談に臨んだウィルソン米大統領は、出席者の中で唯一、戦敗国であるドイツには賠償金をかけないというスタンスでした。ドイツに過大な負担をかけることは、世界の平和秩序に悪影響を及ぼすとの判断からです。ところが、ウィルソンはその持論を捨てて他国の首脳に追従、ドイツは巨額の賠償金の支払いを課せられてしまいます。

■スペインかぜと世界大戦の関係

なぜ、そうなったのか。パリにまだ蔓延していたスペインかぜに、よりによってウィルソン大統領が感染してしまったのです。前掲書によると、ウィルソンが感染後に突然、人が変わったようになったことを、多くの人が証言しています。

「そのうち彼の声はしわがれ始め、次第にひどくなっていった(中略)やがてウィルソンはほとんど歩けなくなった。体温も39.4度にはね上がり、(中略)またその症状があまりに激烈だったために、グレイソン(主治医・編集部注)は当初、大統領は毒を盛られたのではないかと疑ったという」「世界で最も重要な人物の運命は、グレイソンの手の中で絶たれてしまう可能性すらあった」(ともに前掲書238ページ)

同書からは、ウィルソン大統領の判断がウイルスの攻撃によって捻じ曲げれ、最終的に巨額の賠償金がドイツに課せられてしまったことが伺えます。当時の米国大統領の体を激しく蝕み、それまでの主張をひっくり返させたというわけです。

このときドイツを再起不能寸前に追い込んだ重荷と、それに対するドイツ国民の不平不満が、のちにヒトラーが歴史の表舞台に経つ土壌となったことは言うまでもありません。疫病はこうした形でも歴史の行方を左右するのです。

■第二次大戦につながった「ブロック経済圏」

スペインかぜの流行は、世界的に1918年春、秋、冬(19年春との表記もあり)3つの波があったとされています。新型コロナについても、すでに年単位で対処策を講じる必要がいわれていますが、集団免疫が役に立たない第2波は本当に来るのか、そうだとしたらいつ、どんな形で? とはまだ誰にもわからぬこと。第1波による企業の業績急落を見るにつけ、戦々恐々とせざるをえません。

第一次大戦の終戦とスペインかぜの終息を経て、1929年には米国発の大恐慌の波が世界を襲い、欧米列強は「ブロック経済圏」を築いて生き残る道を選びました。ブロック経済圏とは、「自国、自治領と植民地だけの閉じられた経済圏」です。ただ鎖国とは異なり、他国との交易の余地は残しつつも、高い関税率などの障壁で保護経済圏を作るわけです(英語で「bloc economy」と表記され、塞ぐという意味の「block」を連想しがちですが、正しくは「bloc(圏、連合)」です)。その端緒となったのは、米国が高い関税率を定めたスムート・ホーリー関税法(1930年成立)でした。いずれにせよ、戦後の世界経済の発展を促した自由貿易の概念とは正反対の動きです。

このブロック化が、後の第2次世界大戦につながったとする学説が、現在も通説となっています。どういうことでしょうか。

■現在も進んでいる世界経済の「分断」

大恐慌当時は、同じブロック経済圏でも、植民地を「持てる国」と「持たざる国」とに分かれました。そして「持たざる国」のブロック経済圏が次第に困窮してゆき、その突破口として他の経済圏を武力で侵略した……という一連の流れが、戦争に至るセオリーというわけです。ちなみに、その「持たざる国」の代表格が旧枢軸国である日本・ドイツ・イタリアとされ、このとき戦争を避けられなかった反省から、戦後は米国主導で自由貿易を原則とするブレトンウッズ体制が敷かれました。

国家・企業間の関係がより深化・複雑化し、戦争そのものの形態も様変わりした今の国際社会で同じことが起こるとは必ずしもいえませんが、気がかりな動きは少なくありません。たとえば、トランプ米大統領は5月14日、米FOXビジネスのインタビューで「cut off the whole relationship(with China)(中国との断交)」を口にしました。外交上のブラフとか大統領選対策という側面もありますが、ただでさえピリピリしていた米中関係が、コロナ禍を機にいっそう先鋭化。日本も日系企業の中国“脱出”のために2400億円もの予算を組みました。「一帯一路」経済圏を目指す中国と日米、EUとそこを脱して昔の連邦復活を目指す英国といった、各国や地域の「分断」が始まっているようです。

少し前に成立したTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、EPA(日EU経済連携協定)等も、当時から「ブロックではないか」と警戒する声もきかれました。自由貿易とは真逆の流れが加速すれば、90年前と同じ歴史が紡がれないという保証はありません。

■“シブチン”緊縮派の経済学者を重用する日本の危機

「恐慌」を克服して、戦争を回避する方法はあるのでしょうか。実は大恐慌後、ヒトラーの率いるドイツや、蔵相の座に高橋是清が就いた日本は、減税と、税金を“大盤振る舞い”する積極財政によって景気を刺激、短期間での立ち直りを見せています。その積極財政が軍備増強につぎこまれ、やがて他の列強との戦争になだれ込んだのは誠に不幸なことでしたが、同様に立ち直った米国が「ニューディール」と名付けたこの「減税と積極財政」が、恐慌脱出の重要なカギの一つだったことには留意すべきでしょう。

しかしそうなると、その真逆の“シブチン”緊縮財政路線をガンとして変えない日本政府と財務省の姿勢に懸念が残ります。「自国の通貨建てなら、膨大な支出も可」とするMMT理論が世界で真剣に議論され、「財政赤字は『むしろ良い』、変わりつつある評価」(1月12日付ロイター)、「コロナウイルスが破壊した財政赤字の神話」(4月17日付・英ガーディアン紙)といった記事も散見されるようになった今、2度にわたる消費税増税で景気に冷水を浴びせ、今この時期に新型コロナの「専門家会議」に財政緊縮派を4人も送り込んだ安倍政権と財務省の姿勢には、やはり不安を覚えます。

財政赤字に気を取られ、『一向に給付されない「一律10万円」…いつまで国民は我慢を強いられるのか』の拙記事で述べたように中途半端な「戦力の逐次投入」の愚策を続けると、恐慌の谷底から抜け出すのはますます難しくなります。ただでさえ、コロナ前の状況に回帰するには途方も無い期間を要する可能性があるのです。我が国にとって平成の30年間は「かつての日本の国力が失われた30年」だったわけですが、これが更に長期化し、日本のさらなる凋落につながることになりかねません。

(ビジネスジャーナリスト 黒坂 岳央)

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