英国の超名門校が教える「人生を楽しむために必要な3つの力」
プレジデントオンライン / 2020年6月16日 15時15分
■11歳で渡英「普通こそすべてだと思っていた」
【三宅義和(イーオン社長)】ハリーさんは、イギリス人のお父様と日本人のお母様をお持ちで、東京のインターナショナルスクールに通われた後、11歳のときにイギリスに移られました。移住当時の心境はどのようなものでしたか?
【ハリー杉山(タレント)】変な言い方かもしれませんが、当時はとにかく「普通こそすべてだ」と思っていましたね。いまの時代だと「個性」イコール「面白い」「恵まれている」「かっこいい」といったポジティブなリアクションがありますが、当時は逆に普通でいたかった。
【三宅】それは……日本だと意図せずに目立ってしまう経験があったからですか?
【ハリー】いや、もっと単純な理由で、周りの同級生たちの会話についていけなかったからです。英語は問題なく話すことはできました。しかし、現地で育った同い年のクラスメートと比べると圧倒的に語彙力が足りません。彼らのジョークや『モンティ・パイソン』みたいなコメディを見ても何を言っているのかわからない。
【三宅】英語ができることと現地の人の話題についていけることは別ですからね。
【ハリー】まったく別です。それに現地の子たちはすでにラテン語やフランス語を5年くらい習っているのに、僕は東京で習っていなかったので根本的にビハインドだったのです。クラスのテンポについていけず、次第に「あいつに聞いてもどうせ何も答えられないよ」みたいな扱いになって……。
【三宅】それは大変ですね。
【ハリー】いついじめられてもおかしくない状況でした。そこで母親にお願いしてラテン語とフランス語の家庭教師をつけてもらい、1年半ぐらいで追いついて、やっとクラスのみんなと同じように授業を楽しめるようになりました。
【三宅】相当努力されたのでしょうか。
【ハリー】語学の学習は、少なくとも初歩的な段階では、とにかく膨大な表現のパターンを暗記すれば何とかなります。ですから、その時間をどれだけ割けるかが勝負だと思って、最初の1年間は学校にいる時間とサッカーをしている時間以外は、ひたすら勉強をしていました。
■名門パブリックスクールで寮長に
【三宅】そんなハリーさんですが、生徒会長になられたんですね。
【ハリー】はい。11歳から13歳まではロンドンのヒル・ハウスというプレップスクール(パブリックスクール進学を目指す生徒のための私立小学校)に通っていて、そこで日本の生徒会長にあたるプリーフェクト(prefect)になりました。
そこからウィンチェスター・カレッジという全寮制のパブリックスクール(13歳~18歳の子供を教育するイギリスの私立学校の中でもトップの10%を構成するエリート校の名称)に進み、最後の年に日本語でいう寮長、つまり生徒の代表になりました。
【三宅】それはすごい。ウィンチェスターといえば、名門中の名門ですからね。
【ハリー】実は父も祖父もウィンチェスター・カレッジで寮長になっていたのです。だから、僕がもし父親になって息子ができたら、我が家の伝統としてウィンチェスターに送りたいと思っています。
【三宅】学校での学びと、全寮制の仲間との交流。貴重な体験ですよね。
【ハリー】もちろんすべてが楽しかったわけではなく、しんどいときもありました。上下関係がものすごくしっかりした世界でしたが、ウィンチェスターで得た絆は永久に続くんですよ。当時の仲間とはいまでもSNSでつながっています。この間も、シリコンバレーで働いているインド人の同級生と12年ぶりに会いました。彼はもう結婚して子供もいる。だけど、当時の話題になった瞬間、急に12年前にタイムスリップして、みんなの顔と声、香りまでを鮮明に思い出すんです。それだけ濃厚なんですよ。
■「人生を楽しむ」ために必要な3つの力
【三宅】パブリックスクールでは、やはりジェントルマンになるための厳格なトレーニングを積むわけですか?
【ハリー】パブリックスクールのベースには、そういう伝統があると思います。しかし、ウィンチェスターでは、「ジェントルマンとしての心構え」というよりも、人として、「人生をより楽しむためには何が必要なのか」を学んだ気がします。
【三宅】人生を楽しむ、ですか。
【ハリー】人によっていろいろな定義があると思いますが、いわゆるヘドニズム(快楽主義)のことではなく、人生をとことん全うするために自分が好きなことを徹底的に追求していく、という意味ですね。
【三宅】そのためにはどんなことが必要なのでしょう?
【ハリー】まずは、人が言ったことにただ従うのではなく、自分なりに判断を下せるようになること。つまり「一人で考える力」ですね。あとは他人から受け取った言葉をちゃんとキャッチボールできる「コミュニケーション力」。そして社会に出たときの一番の武器となる「個性」。このあたりでしょうか。
【三宅】なるほど、日本人がことごとく弱いところですね。
■第二次世界大戦について日本人の立場で議論
【三宅】イギリスの学校で印象的だった出来事はありますか?
【ハリー】ヒル・ハウスの歴史の授業で第二次世界大戦について学んだときのことです。南京事件に関するディスカッションをクラスでやることになって、僕一人に対して全員が相手という構図で議論をすることになったのです。僕は当時の日本軍の行為を肯定するつもりはまったくなかったんですけれども、クラスで唯一、日本人の血を受け継いでいるという理由で。
【三宅】ディスカッションはどうなったのですか?
【ハリー】そもそも僕自身が1930年代の中国でおきたことについて知らなかったので、何も言い返せませんでした。でも、その授業でビデオや写真でいろいろ見せられて、かなり痛烈な体験をさせてもらえました。
【三宅】いろんな意味で痛烈ですね……。
【ハリー】ただ、戦争で難しいところは、戦勝国の歴史が正当化されてしまうことです。ようするに当時の僕にはディベートをするだけの知識とディベート力がなかっただけなんですね。後々いろんな勉強をしたり、父が書いた本も読んだりしで、両サイドの見方を知ることができるようになった今なら、1対全員でもそれなりの議論ができると思います。
■一族200年の歴史の中で初のオックスフォード不合格
【三宅】ハリーさんのお話を聞いていると、現在の生き方や価値観の根幹にイギリス時代のことが深く根づいているようですね。
【ハリー】それはあります。でも、すべてが成功体験とは言えません。とくに20代半ばから後半にかけて僕の中でずっと十字架のように重みを感じていたことは、実は大学入試のことです。
僕のイギリス側の家族であるスコット・ストークス家では、男子は代々オックスフォード大学かケンブリッジ大学に進んでいます。僕も当然そのつもりだったのが、200年の歴史で僕が初めて落ちたんです。
僕はそれがずっと悔しくて。しかも恥ずかしいことに試験すら受けさせてもらえなかった。その前の面接で落とされているんです。
【三宅】ということは、学業ではなく姿勢の問題?
【ハリー】気の緩みがあったのだと思います。僕はオックスフォード大学の日本学科に入ろうとしていました。向こうからすると「母親が日本人の学生が来た。英語もペラペラだし、ウィンチェスター・カレッジの寮長だし、なるほどなるほど」という感じでしょう。
その面接で「日本に対して興味があるのか」と聞かれたとき、「いろんなことを知っています」という態度で答えてしまったんです。「すでにある程度日本語を喋れるし、とりあえず入れてくださいよ」みたいに。学ぼうとする姿勢がゼロですよね。
■人生のモットーとなった、父の言葉
【三宅】名門パブリックスクールを出たからといって、名門大学に入れるわけではないと。
【ハリー】そうです。当時はブレア首相の時代で、オックスフォードとケンブリッジについては私立出身者と公立出身者の割合が半々になるように調整されていました。その結果、私立出身で調子に乗っていた僕は落とされてしまった。それを僕は人生の汚点だとずっと思っていたんです。
【三宅】汚点ではないと思いますが……その挫折はどうやって乗り越えたんですか?
【ハリー】2012年にNHKの番組で父と話す機会があって、思い切って聞いてみたんです。「あのとき、お父さんは正直どう思ったのか」と。逆に言うと、それまで怖くて聞けなかったのです。
そのとき父が投げかけてくれた言葉はいま、僕の人生のモットーになっています。それは「Don’t worry. You failed upwards.」。「君は上に向かって失敗したんだから心配しないでいいよ」という意味です。この言葉は僕の胸に刺青のように刻まれていて、それ以来、よりアグレッシブに生きられるようになりました。
【三宅】素晴らしい言葉ですね。英語にしても、失敗が怖くて英語を使うことをためらう人がたくさんいます。
【ハリー】本当にそう思います。日本の教育も失敗がもっと許されるものになってほしいです。語学だけではなく、スポーツでも科学でもビジネスでも何でもそうだと思うんですけれど、失敗しないと進歩は見えてきません。すべてトライ・アンド・エラー。老若男女関係なく、何かにチャレンジして失敗した人たち全員に投げかけたい言葉です。むしろ失敗してよかったねと。
【三宅】お父様の言葉で気持ちを整理できたわけですね。
【ハリー】いまとなったら落とされて良かったと思います。受かっていたらおそらく芸能界にも入っていなかったと思いますし、このインタビューを受けることもなかったでしょう。
■日本の投資銀行で働きながら副業でモデル活動
【三宅】大学はロンドン大学に進まれて中国語を専攻され、北京師範大学に1年留学されています。
【ハリー】ロンドン大学に東洋アフリカ研究学院という外交関係に強いカレッジがあります。1年目はロンドンで中国語を学び、2年目は北京師範大学に1年留学しました。留学が終わって中国語の日常会話が話せるようになったところで大学を中退して、日本に帰国することにしました。父と祖母の老いを感じていたので早く家族に貢献したいという思いが強かったことと、ロンドンという楽しみに溢れた町に帰ると時間やお金の無駄になりそうな気がしたことが大きな理由ですね。
【三宅】そして日本に戻って来られて、投資銀行で働きながら副業でモデルをされる。最近の日本では副業解禁の流れが加速していますが、ユニークな経歴ですね。
【ハリー】そうですね。僕の場合、入社の段階でモデルの仕事は社長から直々にOKをもらっていました。平日は投資銀行でM&Aコンサルタントとして有価証券報告書やブルームバーグの分析をする仕事をこなし、週末は「DIESEL(ディーゼル)」というブランドでモデルのアルバイトをする日々を過ごしました。非常に忙しい毎日でしたけど、楽しかったですよ。
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イーオン代表取締役社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。1985年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。
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タレント
1985年、東京都生まれ。イギリス人の父親と日本人の母をもつ。11歳で渡英後、英国最古のパブリックスクール「ウィンチェスター・カレッジ」に進学し、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院に進む。英語、日本語、中国語、フランス語の4カ国語を話す。現在は、タレント・MC・ラジオDJ・ドラマ出演など、多岐に渡って活躍。
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(イーオン代表取締役社長 三宅 義和、タレント ハリー 杉山 構成=郷 和貴)
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