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なぜ週刊文春だけに日本を揺るがすスキャンダルが集まるのか

プレジデントオンライン / 2020年6月9日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shaun

■これほどスクープを放つ週刊誌は見たことがない

文春砲から次々に繰り出される大スクープが、安倍政権を崩壊寸前にまで追い込んでいる。

3月18日に発売された3月26日号は、相澤冬樹大阪日日新聞記者(元NHK記者)の「妻は佐川元理財局長と国を提訴へ 森友自殺<財務省>職員遺書全文公開『すべて佐川局長の指示です』」を掲載し、森友学園問題は逃げ切ったと思っていた安倍晋三首相と妻・昭恵の心胆を寒からしめた。

5月21日に発売した5月28日号では、「現場スクープ撮 黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常習犯 5月1日、産経記者の自宅で“3密”6時間半」を掲載した。発売前日の文春オンラインで概要の速報を流すと、黒川は発売と同時に即、辞任したのである。

無理やり黒川を検事総長に据えようとしていた安倍首相には、取り返しのつかない痛手となった。文春によると、2つの号はともに一時完売したそうである。

新型コロナウイルス感染への対策でも、ミスを重ねる安倍政権は、文春のスクープと相まって、ついに支持率が一時20%台へと急落し、政権存続も危ぶまれる事態に追い込まれたのである。

私は講談社という出版社で月刊誌や週刊誌に携わり、定年後も、毎週、ほとんどの週刊誌に目を通しているが、これほどの大スクープを次から次へと放つ週刊誌はこれまで見たことがない。

なぜこれだけの大スクープを一週刊誌がものにすることができるのか。その理由を、私なりに考えてみたい。

■創刊時は小説やコラムが充実した「サロン雑誌」だった

私が講談社に入社したのは1970年。出版社系週刊誌初となる週刊新潮が創刊されたのが1956年で、その3年後に週刊文春と週刊現代(講談社)が出ているから、新潮が出てから14年がたっていた。 前年の1969年には、週刊現代元編集長と記者たちを引き抜いて週刊ポスト(小学館)が創刊された。

当時はすでに新聞社系の週刊誌、週刊朝日、週刊読売、サンデー毎日などは、出版社系週刊誌の競争相手ではなかった。

当時の色分けは、新潮は事件ものに強く、警察への食い込み方は、私から見てもすごいものがあった。現代はサラリーマンのための週刊誌をコンセプトに、政治から芸能、グラビアまで幅広い「幕の内弁当スタイル」。

文春は、国民雑誌といわれていた文藝春秋の弟分で、小説やコラムなどの読み物が充実した、いい方は悪いかもしれないが、品のいい「サロン雑誌」だった。勢いが一番あったのはポストだった。一番遅れて創刊されたため、話題をつくり知名度を上げていかなければと考えたのだろう。文字通り湯水のごとくカネを使って、スクープをものにしていた。

当時吹き荒れていた「プロ野球の黒い霧」スキャンダルではキーマンの永易将之(西鉄ライオンズ=当時)の手記を取るために、彼を九州から東京までタクシーに乗せて連れてきたという話も業界の大きな話題になった。

女優が自らのSEX遍歴を赤裸々に語る「衝撃の告白」も大きな話題を呼んだ。当時の部数でいえば、現代とポストが上位争いをして、次に新潮、文春という順ではなかったか。

■文春・新潮と現代・ポストの違いとは

新潮は、沖縄返還時の日米間の密約公電を報じた毎日新聞・西山太吉記者と“情を通じ”て、当該の機密文書を渡した外務省女性事務官との不倫をスクープしたり、共産党の宮本顕治委員長を批判したナンバー2袴田里見副委員長の手記を掲載したりと、超ド級のスクープを放ち、われわれ同業者の度肝を抜いた。

スクープを日々競い合っていたのは、現代とポストであった。それは編集部の構成が新潮、文春とは大きく違っていたからである。

新潮と文春は、フリーの記者は抱えずに(フリーの記者も社員化していた)、編集部員が取材からまとめまでをやっていた。

現代、ポストは、編集部員のほかに多くの専属記者を抱えていた。多いときは80人ぐらいいたのではないか。その多くは、学生運動や安保闘争にのめり込み、大学を退学、中退した者たちであった。

編集者と記者数人が班となり、編集者が取材テーマを記者に投げ、彼らが取材先に飛んで、それをデータ原稿にまとめる。データを読み込んだ編集者がレジメをつくり、アンカーマンというまとめ屋に頼むというシステムである。編集者が原稿を書くことはほとんどなかった。

新潮、文春が少数精鋭方式だとすれば、現代とポストは人海戦術方式といっていいだろう。何でもいいからスクープを取って来いと、編集長に檄(げき)を飛ばされ、仕方なく街へ出て、人と会い、浴びるほど酒を呑み、寝言にもスクープをくれと叫ぶほどだった。私も、スクープを追いかけて毎晩夜の巷(ちまた)をほっつき歩いたが、スクープとは全く無縁だった。

■約20年前にも高検検事長のスキャンダルが

「噂の真相」(以後「噂真」)という月刊誌を岡留安則が創刊したのは1979年である。初めは出版界などマスコミの噂話を載せていた業界誌だったが、そのうち、大手週刊誌ではやれないさまざまな情報が「噂真」に流れ始めたのである。

岡留編集長のやり方が功を奏してきたのだ。彼は、入ってきた情報はすべて誌面に載せると公言していた。事実、真偽の分からない情報でも、ページの両端に一行情報として掲載したのである。その後、ネットが普及してくると、誌面に入りきらない情報をそこにも載せた。

私は岡留にいったことがある。いくら一行でも、名誉棄損で訴えられるから止めたほうがいいと。しかし、彼は載せ続け、1999年、当時の東京高検検事長で将来の検事総長間違いないといわれていた則定衛の女性スキャンダルをものにし、朝日新聞が、「噂真」によればと一面で報じたのである。

則定は辞任するが、歴史は繰り返す、今回の黒川弘務のケースとよく似ている。

それを機に、「噂真」は評価も部数も伸ばし、部数的には文藝春秋の次といわれるまでになったのである。だが、知名度が上がれば、名誉棄損などで訴えられることも多くなるのは必然である。機を見るに敏な岡留は、2004年、「噂真」が絶頂の時に休刊を決断するのである。

■噂の段階から追及するのが週刊誌の強み

いつの時代もスキャンダルのネタは尽きない。さまざまな意図を持って、スキャンダルをメディアに持ち込む人間はいる。だが、新聞は、確たる裏付けがなければなかなか飛びついてはくれない。

1989年、リクルート事件の責任をとって竹下登首相が辞任した後を受けて、宇野宗佑が首相に就任した。宇野夫妻が笑顔で映るテレビを見て、以前、宇野から「30万円でオレの女になれ」といわれた神楽坂の元芸者が激怒する。「こんな人間が首相なんて許せない」と、新聞社に宇野との愛人関係を暴露したいと電話するのだが、朝日新聞や読売新聞は、彼女の話を聞いてくれなかった。

ようやく毎日新聞が、「それならサンデー毎日がいい」と、編集部に回し、当時の鳥越俊太郎編集長がやると決断した。発売後、外国の新聞が取り上げ、大スキャンダルになり、宇野はわずか69日で辞任に追い込まれてしまった。

週刊誌の強みは噂の段階から追及していくことである。新聞やテレビは、事件化し、警察などが発表しないと書かない。そのために勇み足も多くなり、告訴されることも多いのだが、噂の中にも、幾ばくかの真実がある。

文春の名を知らしめた「疑惑の銃弾」(1984年)という連載があった。夫が妻を殺して保険金を受け取ろうとしたのではないかという疑惑であった。結局、男は逮捕されたが、妻殺しでは一審有罪、二審で逆転無罪となった。

件(くだん)の男は、その後、報道機関を名誉棄損で訴え、多くのところはカネを払って和解した。

■ビートたけし軍団による「FRIDAY襲撃事件」

名編集者といわれた新潮社の斎藤十一が写真週刊誌FOCUSを創刊したのは1981年だった。続いてFRIDAYが講談社から出され、文春からEmma、小学館からTOUCHが出て、写真週刊誌ブームが起きる。

特にFRIDAYは芸能人たちのスキャンダルを得意とし、いくつもの張り込み班を組織して、カネも人も大量につぎ込み、毎週のように隠し撮り写真を掲載して部数を伸ばした。FOCUSも負けじと隠し撮りに力を入れFF戦争といわれた。だが、ビートたけし軍団がFRIDAYの編集部を襲い、副編集長にケガを負わせる障害事件が起き、写真週刊誌の取材に対する批判が巻き起こった。

それを機に、写真誌は急激に部数を落とし、当時500万部といわれていた写真誌も次々に休刊してしまった。現在、FRIDAYとFLASHだけが残っているが、両誌合わせても約14万部である。

売れなければ、無駄の多い張り込み取材に人もカネもつぎ込むわけにはいかない。

さらに、1997年をピークに、週刊誌の部数も下がり続け、現代、ポスト、新潮は実売20万部前後、文春も30万部を切っている。ネットの発達により、週刊誌がスクープした記事も、アッという間にネット上で拡散してしまうため、スクープ=部数増とはいかなくなった。

現代とポストはカネのかかる事件物やスクープ競争から手を引き、高齢者向けの病気、年金、相続というテーマに絞った誌面作りに方向転換してしまったのである。

■2012年、文春編集長が「スクープに絞る」と宣言

そんな中、2012年4月に週刊文春編集長に就いた新谷学は、「うちはスクープに絞る」と宣言した。以前、私がエルネオスという月刊誌で、新谷編集長をインタビューしたことがある。そこで彼はこういっている。

「文春は少なくともロス疑惑報道の頃からスクープ、スキャンダルがわれわれの最大の武器であるというところについては、今に至るまで大きく変わっていません。それが結果的に文春の特徴を際立たせる結果になって、あっと驚くスクープが時には飛び出す雑誌であるという存在が注目を浴びていると思うんです。

どういうターゲットを選ぶかということに関しては、思いついたものをやっているだけですよ。例えば宮崎さん(謙介元衆議院議員)という人の育休不倫がありましたけど、あの人はもともと女性の噂が多い人ではあったんです。ただ小物ですよね。ところが育休宣言をしたことによって、俄然、脚光を浴びた。

いったいどんな人間なんだ。この人には女の話がいろいろあったから、もう一回きちんと調べたらおもしろいかもしれないとデスクと話して、取材を始めたら間もなくして現場から、地元の京都で不倫をしているという話が上がってきました。すぐ張り込めと指示したら、三日で撮れたんです」

■なぜスキャンダルは週刊文春に集まるのか

黒川弘務東京高検検事長の「賭け麻雀」スクープは、文春によれば、文春オンラインにある情報提供サイト「文春リークス」に、産経新聞の人間が情報を寄せ、それをもとに取材を始め、現場を特定して写真を撮ったという。

新谷編集長の志を継いで現在の加藤晃彦編集長もその路線を突っ走っている。古巣である現代の“惨状”を見ている私には、文春の頑張りがうらやましくてならない。

だが、先ほども触れたように、いつの時代もスキャンダルはあるのだ。だが今は「噂真」はない。写真週刊誌もかつてのようにスキャンダルを毎号追っかけるようなことはできない。ポストは知らないが、現代にスキャンダルを持ち込んでも、かわいそうないい方になるが、そうしたネタを扱える編集者も、取材できる記者もほとんどいなくなってしまっているはずだ。かくして、スキャンダルネタを持っている人間は、文春か、時々新潮に、持ち込むということになる。

もちろん、文春には、持ち込まれたスキャンダルの真偽を見分ける編集者や、そのネタをもとに、裏を取り、ファクトを積み重ね、ものにする取材力のある記者がいるからできることは間違いない。

■もう一つは「書き手を大切にすること」

それと今一つ文春の強みは、書き手を大切にすることである。文春を舞台に大きく成長した書き手を幾人も知っている。

自殺した近畿財務局職員の遺書をスクープした元NHK記者の相澤冬樹は、NHKを辞めたいきさつを書いた本を文藝春秋から出している。本を出しただけではなく、その後のフォローもしていなくては、ネタを持っていこうとは思わないだろう。

昔、私の現役時代は、作家やノンフィクション作家たちとの付き合いは、今よりももっと密であったと思う。書き手が困窮していれば、社と話を付けて前借をしてあげたりすることは日常的にやっていた。

だが今は、本を出すことが決まっていても、前借はほとんど断られる。私がいた頃の出版界は右肩上がりが続いていたが、大手出版社でも、マンガを除いては、ほとんどが赤字という雑誌群を抱えていては、余裕がないことは理解できる。

だが、出版という仕事は、書き手あってのものである。時には、書き手の生き死にに関わることもある。書き手の一人や二人の面倒を見られなくて、何の出版か。

文春のスクープ話から脱線したが、週刊誌が本来の役割を忘れ、現代のように、紙代や印刷代を節約するために月3回刊という変則的な出版形態になっていく中、何が何でも「スクープ命」と突き進んでいくのは、オールド週刊誌OBにはうれしい限りである。

だが好事魔多し。かつて週刊新潮がやった「赤報隊大誤報」(2009年2月5日号)のような間違いを犯さないでくれることを願う。文春がこければ、すべての週刊誌が消えてなくなることもあるのだから。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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