タニタで、正社員から個人事業主に転換したスタッフの年収がいきなり40%もUPした理由
プレジデントオンライン / 2020年7月4日 6時15分
■能力もやる気も高い社員のモチベーションアップに
体組成計や体脂肪計など健康計測機器の生産と販売、さらには「タニタ食堂」の展開でもおなじみのタニタ。現在の社長である谷田千里(たにだせんり)さんが2017年1月から始動させた「日本活性化プロジェクト」が、今注目を浴びている。簡単にいうと、同プロジェクトに参加したい社員は、会社を辞めて個人事業主となり、その後タニタと契約して働くというシステムだ。
谷田さんが社長に就任した08年は、タニタの体組成計市場でのシェアが下がり、業績も悪化していた。このまま業績が下がり続けたら、優秀な社員が会社から離れてしまうのではないかと谷田社長は危惧した。近年の、残業時間の減少など労働時間の短縮ばかりに焦点があてられる風潮にも疑問があった。
「残業などの過重労働は、国の制度上規制しないといけません。しかしここ一番の頑張りどころや、スキルを上げていこうというときにもっと働きたい場合はどうしたらいいのか? 彼らの努力が報われるようなシステムを作って、相応の報酬を払えば、働くモチベーションが上がるのではないかと考えました」
そこで谷田社長は、以前から関心があった個人事業主の働き方を徹底的にリサーチ。会社の枠を超えて仕事ができ、働いたら働いた分だけ稼ぐことができる能力主義の世界であること、さらに確定申告時に業務にかかわる経費を計上でき、さまざまな控除が受けられるので、社員時代よりも手取り額が多くなる可能性が高いことがわかった。
個人事業主になったメンバーの初年度の報酬は、会社員時代と仕事内容が変わらない場合、減ることはほとんどなく、むしろ増えることが多い(図参照)。メンバーはタニタの仕事を優先的に行って成果を上げつつ、タニタ以外の仕事でスキルも収入もアップできれば、会社もメンバーもWin-Winの関係になれる。
16年に全社員に向けて同プロジェクトの説明が行われたが「社長は一体、何を言い出すのか? 意味がわからない」「体(てい)のいい首切り、人員整理ではないのか?」「プロジェクトメンバーに仕事の指示ができなくなって、組織が崩壊するのではないか?」というネガティブな反応を持つ社員や経営層が多かったそうだ。仕事や収入が担保され、働き方の自由度が上がるとはいえ、安定した社員の身分を捨てるのは勇気がいるだろう。“9時~5時で仕事は終わり”というサラリーマン意識が強い人には向かない。高いスキルと、仕事への情熱と向上心が、プロジェクトメンバーには欠かせない。
■健康管理のデータ解析は価値が高いスキルだ!
そんな嵐の船出の中、8人が第1期メンバーとなり、個人事業主に転換した。その1人である西澤美幸さん(51歳)は大学の栄養生理学研究室で学び、1992年の入社以来、開発部に勤務。世界初の体脂肪計の開発に従事し、最年少で社内初の技術系女性課長となる。自らを「データオタク」と呼ぶほど、“三度の飯よりデータ解析が好き”。
「若い部下と仕事をするのはとても楽しかったし、課長を任されたことも実績を評価されたのだと感謝していました。でも自分は管理職には向いていないと実感していたのです」
そんな西澤さんにとって転機となったのが、出産を機に本社の開発部を離れてタニタの子会社に移ったとき。自由なテーマでコラムを書いたり、タニタのデータを使ってアプリケーションを作るための開発をするなど、ワクワクするような仕事に出合えた。
その後再びタニタの課長職に戻るが、あの高揚感が忘れられず自ら希望して管理職を離れて、エキスパート職の研究員になる。数年後に「日本活性化プロジェクト」の説明会が行われた際「あなたの働き方に合っている気がする」と同期の女性に言われて、興味を持った。
「個人事業主になれば、大好きな研究やデータ解析に没頭できるし、仕事の選択肢が増えるのではないかと思い、手を挙げました」。うれしいことに社員時代より収入が40%ほど増えたし、講演や原稿の執筆の依頼も積極的に対応できるようになった。「講演はタニタの名前や開発リソースを使ってお話しするので、まずは開発部や広報に相談。追加業務になれば報酬も話し合いで決めます」
人の体に関する健康分野のデータ解析ができるスキルには、かなりの価値がある。この分野のベテラン研究者である西澤さんならば、研鑽(けんさん)を続けたら、もっとお金を稼ぐことができるだろう。その半面クオリティーの低い仕事は許されない。
「ちゃんとコストに見合った仕事をしなければならないので、気が抜けないです。3年契約なのですぐに仕事がなくなることはありませんが、いつも、緊張感を持って仕事をしています」
■いつか自分の名前の“看板”で自由に仕事がしたい
同じくプロジェクトメンバーである久保彬子さん(35歳)は、2007年に入社後、国内営業部に配属され、家電量販店やネット通販関係の営業を担当。3年前に部署異動願いを出した時期に、プロジェクトの説明が行われ、メンバーになることを決意する。しかし公務員だった両親に心配され、周囲の個人事業主の知り合いに相談しても賛成と反対が半々だったそう。主な反対意見としては、自分の名前を売って仕事をとるのは想像以上に大変、常にお金の心配がつきまとう、会社員の安定した身分を捨てるのはリスキーだ、などがあった。
「ただ世間一般の個人事業主と違って、今はタニタの仕事が柱なので、収入が減少するわけではないです。何より自分らしく楽しく働きたい。この制度を利用してスキルを上げて、いつか自分という看板で、会社の枠を超えて幅広い仕事がしたいという希望があります」
久保さんの場合、新規事業に携わることが多く、あるプロジェクトでは企画、あるプロジェクトでは営業など、職種が限定されないことも、自由な発想で働きたい久保さんには向いていた。現在も谷田社長からの依頼で、ゲームプロジェクトのリーダーを任されていて、社員時代より収入が30%ほど増えた。
「ただ、どこまでが仕事で、どこからがオフなのか境目がなくなってしまって、土日も休まず働いてしまうことも……。タニタの名前で仕事をしている以上、働きすぎで倒れるというのはありえないので健康管理も大事。でも、これも仕事になるかも、あれも仕事になるかもと考えるのが楽しくてしようがない。この人とこの人をつなげてプロジェクトに巻き込めたら面白い化学反応が起きていい仕事になる、などとオーガナイズするのが自分は得意だということがわかりました」
もし後輩から自分もメンバーになりたいと言われたら、久保さんはどう答えるのだろう。「その人の状況にもよりますが、タニタが好きならやったほうがいいと答えます。会社と対等のビジネスパートナーのような形で仕事ができるからです」
■多様な働き方ができるチームづくりを目指して
では、2人のような働き方をする部下を持つマネジャーはどのように感じているのだろう。森稔貴(としたか)さん(44歳。入社7年目)は、健康測定のアプリケーションを開発する部署の課長。部下には、個人事業主以外に、タニタの秋田工場のサテライトオフィスで働く社員もいる。
「タニタのアプリケーションは機器との接続もあり、リモートだけのコミュニケーションが難しい部分もあります。しかし個人事業主のメンバーとは自宅勤務と出社のスケジュールを共有しているので、コミュニケーションが取れないということはないですね。秋田勤務の部下とも定期的なビデオチャットでミーティングしているので、仕事に不都合はほとんどありません」。課題があるとすれば、勤務場所が違うことで、仕事以外の話をするきっかけが少なくなること。そこで2人一組で仕事をする「バディ制」を取り入れ、仕事以外の話ができるようにも努めている。
個人事業主のメンバーは、チームの主戦力だ。もし彼から他社の仕事を受けるためタニタの仕事を減らしてほしいと言われたら? 「チャレンジを応援したいが、チームとしては痛手なので複雑な気持ちになるでしょう。問題なく仕事を進めるには、業務を属人化しないなどの工夫も必要ですね」と森さんは語る。お互いに今の仕事を続けられない、または発注できない、となれば、3年の契約期間中に次の手を考えればいい。
社内結婚をして、夫が個人事業主の深山(みやま)知子さん(44歳。入社22年目)は、体の部位ごとの脂肪や筋肉を計測できる体組成計の開発を担当し、19年に管理職になったばかり。20代で子どもを2人出産し、子育てと両立しながら仕事を続けてきた。育休制度が現在のように整っていなかった時代、働きながらの子育ては苦労が多かったはず。まだ子育てが終わっていない深山さんならば、自身が個人事業主になって自由な働き方をしてもいいような気もするが。
■夫が会社を辞めても不安はなかった
「実は夫から活性化プロジェクトのメンバーになったと聞かされたのは、すでに彼が会社を辞めた後(苦笑)。普通なら夫が会社を辞めたとなると大問題でしょう。でも長年働いている会社ですし、私も説明会でプロジェクトの詳細を聞いていましたから、それほど不安はありません。うちは下の子がまだ中学生なので、私は会社員のままがいいと思ったのです」
夫婦2人とも個人事業主で働くのにはリスクがあるが、一方が社員のままでいるのは賢い選択かもしれない。夫は工場で量産する体組成計などの電気回路を設計するチームの長のまま個人事業主に。社員時代と仕事の内容は変わらないが、働き方の自由度は上がり収入も安定。不安があるとすれば会社任せだった税金関係をすべて自分で申告しなくてはならないこと。タニタでは、メンバーで構成する互助会が契約する税理士がサポート。納税や社会保険料などのシミュレーションも行ってくれる。
■日本全体の活性化につながれば
それにしてもこれらの働き方改革がなぜ「日本活性化プロジェクト」と名付けられたのか? プロジェクトの先導役である谷田社長は語る。「『タニタ活性化』ではなく『日本活性化』にしたのは理由があります。現状の残業時間削減にばかりフォーカスした働き方改革を進めても、日本の経済は元気にならない。今回のタニタの取り組みが、自社だけでなく他の企業や日本全体の活性化につながればと思って名付けたのです」。重要なのは、“働く時間”だけではなく、“仕事の質”を上げること。会社から言われたことをこなすだけでなく、いかに前向きに主体的に仕事に取り組めるかが大事なのだ。
「課題はまだまだあるので、4年目のプロジェクトメンバーの応募がどれだけあるか不安です(苦笑)。たとえば個人事業主には産休や育休がなく、育児休業給付金なども出ない。そのような制度が整っていない事例にこれから向き合わないといけません」。しかしこれはタニタだけではなく、日本の個人事業主全体の問題だ。このような問題提起は、まさに“日本活性化”につながる。
「時間をかけて取り組み、改善を繰り返していれば必ず良い結果を生み出すと信じています。私が社長である以上、この制度は続けます」。やる気のある社員が主体的に働けるようになり、幸福感や充実感が大きくなれば、真の意味でタニタと日本の活性化に近づくだろう。
(東野 りか 撮影=アラタケンジ)
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