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衝撃…「コロナはただの風邪だ!」と聞かない人が知らない事実

プレジデントオンライン / 2020年7月27日 13時15分

再度の緊急事態宣言はやむを得ないのか、「過度の対応」なのか? ※写真はイメージです - 写真=PIXTA/YNS

新型コロナの感染拡大が報じられる中、「大変だ。命を大切に」「大したことなし。経済を回せ」という2つの相いれぬ見立てが摩擦を生んでいる。

■「感染者数増」で社会全体のストレスは再び上昇

東京都をはじめ全国で感染者数の増加が確認され、社会全体のストレスは再び上昇している。「正しく怖がろう」とは、今回の新型コロナ禍が始まった当初、声高にいわれた戒めだった。それからほぼ半年が経過した今、虚実ないまぜのコロナ情報があふれ返っている現在は、「正しく怖がる」前提である「正確な情報、正しい見立て」がいったいどれかの判別がつかず、かえって混迷が深まっているようだ。

もっとも、世界中の誰にとっても未知の体験であり、あらかじめ用意された正しい情報などどこにもない。そのおかげで、新聞・テレビ・雑誌といった既存メディアやインターネット・SNSに至るまで、同じか類似の見解を持つ人々が入った“タコツボ”のすぐ横に、まるで違う見解を持つ人々の“タコツボ”が並んでいる感がある。しかも互いに隣の“タコツボ”の存在に気づかないか、気づいてもはなから拒絶して、自分のいる“タコツボ”から動こうとしない。一度固まった思考の枠を変えるのは苦痛だし、容易ではないからだ。

これら“タコツボ”のうち主だったものをピックアップすると、「大変だ。ニューヨークのように人がバタバタ死ぬかもしれない。命を守るために自粛しろ」という切迫感を持つ人々と、「経済を回さなくてどうする。死者の少ないコロナは、インフルエンザと変わらない」と楽観視する人々との2派が目立つ。

■「PCR教信者」のA派、「人命軽視」のB派

既存メディアがもっぱら前者ばかりなのは、公的に発表された数字なら自らの責任は問われずに「政府がこう言っている。大変だ」と安心して騒げるのと、長年の習癖でクレームに過敏になるあまり「人命第一」という建前を崩せず、仮に現場の記者が後者であってもそれを実際の報道に反映しづらいという側面があるだろう。

ともあれ、互いに相いれることのなさそうな両者は、お互いのどこが気に入らないのだろうか。仮に前者を「A派」、後者を「B派」と呼ぶことにして、一部を検証してみようと思う。

A派の目に、B派はどう映っているのだろうか。列挙すると、

1)人命軽視。「新型コロナはインフルエンザと同じ」だと思っている
2)死亡者が他国より少ない日本はスゲーと思っている
3)3密回避など、自粛の決めごとをちゃんと守らない、守れない
4)「死んでも仕方ない人」を想定。死者多数のスウェーデン「ノーガード戦法」が理想
5)「経済か命か」の2択で金もうけ優先の前者を選びかねない

逆に、B派から見たA派はどうだろう。

1)感染者数の増減だけみて一喜一憂。感染と発症を同一視している
2)日本人の死亡者数の少なさに目が向かないか、「誰かが隠している」と疑っている
3)マスクを取ったり、社会的距離を守らないと、「即感染する」とおびえている
4)精度の怪しいPCR検査を崇拝する「PCR教」信者
5)「経済か、命か」の2択で、後者を絶対視。お金に余裕がある人たち

■見逃しがちな、苦しい病状と後遺症

こうして両派ともお互いを“情弱”呼ばわりするわけだが、A派がB派を不道徳視する大きな理由の1つは、感染者数の激増をほぼ無視して、最悪でサイトカインストームを起こして苦しみのうちに死に至るコロナの恐ろしさを軽視する、極端に言えば「放っておいても万事OK」「老人と病気持ちは多少死んでも仕方ない。それ以外は死なない」と残酷に割り切っているように見えることだ。

感染者が増えれば発症者が、ひいては入院患者も増える。新型コロナが今も指定感染症に定められたままなので、PCR検査で陽性が出れば、原則的に無症状の人も軽症の人もすべて入院隔離措置が執られるからだ。だから重症者・死亡者数は増えずとも医療現場の負担は重くなる。コロナを指定感染症から外すという選択は、今の政府は念頭にないようだ。

さらに、すでによく知られているように、「軽症」と診断された患者の症状は、素人が想像する「軽症」よりずっと苦しく、重い。後遺症もまた無視できない。すでに退院後の患者のめまいや味覚障害、酸素投与の必要な事例などが報じられている。このあたりに思いが及ばぬB派は意外に多いようだ。

■感染者の増減だけを見て一喜一憂する

多数の死亡者を出したイタリアでは、新型コロナから回復した143人(19歳から84歳、平均年齢56.5歳、女性53人)のうち、治療後の症状なしが12.6%で、1つか2つの症状があったのが32%で、半分以上の55%には3つ以上の症状があったというから、治癒後の患者の87%に後遺症が残ったことになる。

同リポートでは、熱や急性疾患の兆候・症状はなかったものの、疲労や呼吸困難、関節痛、胸痛といった症状を個々人が報告しているという(以上、米JAMA Network7月9日付)。日本政府の元患者2000人を対象とした調査開始は8月から。本格的な調査はまだこれからなので、日本人のケースと単純に比較してよいか否かは不明だが、政府調査の結果が出るまで念頭に入れておく必要はあるだろう。

では、逆にB派のA派に対するツッコミどころはというと、感染者数の増減だけを見ての一喜一憂がいの一番に上がるだろう。

■今カウントされている感染者数には、無症状の人も相当数入っている

B派の目には、検査の数を増やせば感染者数が増えるのは当然と映る。感染者数の増加が際立つ東京都の場合、7月上旬に行ったPCR検査の数は、4月の2~3倍あるし、そもそも日々明らかになる感染者数は、初期は発症したかその疑いのある人しか受け付けずに検査した結果の人数だったが、今カウントされている分には、以前より検査対象が広がっているため、無症状の人も相当数入っていると思われる。感染しても重症化したり死に至るケースが非常に少ないことは、理由不明ながら日本を含む東アジアにおいてはすでに既成事実となっており、心配が杞憂(きゆう)に終わる確率は高い……B派は少なくともそう見ている。

しかも、東京都が発表するコロナ関連データのカウントの仕方に疑義を唱える報道も出始めている(週刊新潮)。感染者数だけを追っていると、見当違いの状況判断を行ってしまう可能性が高い。

他方で、死亡者数というデータは、こうした不確定要因からは比較的自由と思われる。それゆえ、B派はもっぱら死亡者数の推移をもとになりゆきを観察してきた。しかし世間やネットの一部では、日本もニューヨーク同様に大量の死者が出るに違いないと信じ、「死亡者はもっと多いはず」「隠すな」などと疑るA派の人が存在する。当たり前だが、統計の意味合いが変わるくらい多数の遺体を、誰にも知られることなく処理するなど不可能だ。感染拡大当初の「火葬場が忙しくなった」旨のツイートも、即座に否定されている。

■陽性者は厳密な死因を問わず「コロナによる死者」に

さて、こうして見ると、個人目線で部分最適のみを見るA派と、大局を見て全体最適を目指すB派が相いれないのは当然だが、実際にコロナ禍と向き合いながら社会生活を営む実務者にとっては、一見冷酷なB派の視点がどうしても必要となろう。ひとまずは、感染者数のグラフとともに急上昇している国内社会のストレスと向き合い、「経済と命」のバランスをどう取るかが喫緊の課題となる。「手洗い・うがい」等々、個々人がやるべきことは年初からここまで変わることはないが、重症者数・死亡者数に大きな変化が見られぬ現段階で、再度の緊急事態宣言入りに、政府が踏み切るのは妥当なのだろうか。

■死亡者数と感染者数との関連性は、どんどんなくなっている

ロックダウンを行わない新型コロナ対処法が、国内外で議論を巻き起こしたスウェーデンでは現在、1日あたりのコロナ感染者・死亡者数は激減している。陣頭指揮を執ったアンデース・テグネル氏は7月24日、夏季休暇後のインタビューで、多数の死者を出した失敗は認めつつも、その原因は「同国の死亡者のカウントの仕方が他国より厳しいことと、同国の介護施設特有の原因があり、そこは改善済み」とした。

氏はさらに、「死亡者数に関係するのは、感染者の世代、老人施設での防御、医療システムが機能しているか否か。感染者数そのものとの関連性はどんどんなくなっている」「最終的には、感染者致死率(IFR=Infection Fatality Rate)は0.1%と0.5%の間。毎年のインフルエンザと根本的な差異はないと思っている」とコメントしている(UnHerd7月24日付)。

そのスウェーデン公衆衛生局と隣国フィンランドの共同報告では、小学校をずっとオープンにし続けたスウェーデンと、ロックダウンと一時閉鎖を行ったフィンランド双方の小学生の感染例を比較。「学校の閉鎖の有無と双方の症例数に直積的な影響はなかった」と結論付け、「閉鎖は利益よりも悪影響のほうが大きい」と述べている(ロイター7月16日付)。

言うまでもなく、ロックダウンや自粛の可否については、他国の事例だけで可否を判断できるわけではない。しかし、妥当とは言いかねる連日の報道に押されて、日本はあたかも「緊急事態宣言」ありきで一斉に走り出しかねないように見える。そんな中で経済活動の継続を言い続けるのは胆力のいる決断だが、流れに任せずに、経済と命のバランスの最適解を見つける努力だけは怠ってほしくない。

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西川 修一(にしかわ・しゅういち)
プレジデント編集部
1966年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒業。生命保険会社勤務、週刊誌・業界紙記者を経てプレジデント編集部に。

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(プレジデント編集部 西川 修一)

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