もう第二のリーチ、五郎丸、松島は出てこない
プレジデントオンライン / 2020年8月29日 9時15分
■あなたが思い描くラグビーの聖地はどこか
ラグビー夏合宿の聖地・菅平が危機に瀕している。
ラグビーの“聖地”といえば多くの人は冬の全国高校ラグビー選手権の舞台・大阪の花園ラグビー場と答えるだろう。または、数々の名勝負が記憶に残る東京・秩父宮ラグビー場か。新しいところでは、19年W杯でジャパンが快進撃を見せた横浜・日産スタジアムも加わるかもしれない。
しかし、連日の酷暑に見舞われるなか、少なからぬラグビー経験者・ファンは、夏の長野・菅平高原を聖地に思い浮かべる人も多いはずだ。
■あのラグビー選手たちを育てた菅平に人がいない
長野県上田市北部の菅平高原には毎夏、小学生のラグビースクールから、高校、大学、トップリーグのチームまで、全国から年代・カテゴリーを問わず合宿、練習試合を行うために集まる。そのチーム数は800以上、100面を超えるグラウンドでは、夏の間、朝から日が暮れるまで常にどこかで試合とハードな練習が行われている。標高1500メートルほどの準高地ゆえのトレーニング環境のよさに加え、練習試合の対戦相手に困らないことが全国からチームが集まる要因になっている。ラグビーW杯で日本中を熱狂させたマイケル・リーチや、フランスプロリーグに挑戦中の松島幸太郎、ゴールキックで人気者になった五郎丸歩や、「ノーサイドゲーム」で俳優デビューも果たした廣瀬俊朗などもこの地で合宿を経験し世界に羽ばたいていった。
■ラグビーショップも閉店中だ
菅平では例年夏の期間は、町を歩けば短パン姿のラグビー部員と鉢合わせる。ラグビー用品を販売するショップや限定Tシャツを販売店も開店する。メインストリートに構えるセブン-イレブンには夕食後の時間になると大男たちが大挙して押し寄せる。そのため、品ぞろえもプロテインが山と積まれ、業務用冷凍庫には予約制の氷がぎっちり。肌着のサイズもLLからがメインだ。昨年のW杯の盛り上がりを受け、今年はファンも多く訪れるはずだった。
しかし、今年の菅平には、風物詩のはずの大柄の選手たちの姿はない。ラグビーショップは開店せず、お土産用のTシャツも買えない。新型コロナウイルスの影響が、菅平を直撃したのだ。
■ラグビートップリーグはいち早く全日程中止を決めた
感染拡大防止のために、あらゆるスポーツが練習を抑制、交流試合を自粛した。スポーツの中でもラグビーはとくにコンタクトの激しいスポーツで、試合どころか練習すらためらわれる状況だった。実際、トップリーグの全日程中止の決断は3月23日、プロ野球やサッカー・Jリーグよりも早かった。ましてや、合宿ともなれば県境を越えた移動にもなり、クラスターを発生させる恐れもある。毎年恒例の夏合宿を取りやめる学校、チームが続出した。
■宿の稼働率は前年比マイナス90%
「例年800を優に超えていたチーム数は、30チームほどに減りました」(菅平プリンスホテル専務で菅平高原旅館組合副組合長の大久保寿幸氏)という壊滅的な状況になっている。「合宿の町」の経済的なダメージは、計り知れない。
2012年から15年まで、エディー・ジョーンズが率いたラグビー日本代表がキャンプ地に選び、トップリーグのサントリーサンゴリアスや東芝ブレイブルーパス、大学ラグビーの名門慶應義塾大学も例年宿泊するプチ・ホテル ゾンタックもキャンセルの連絡が続々と入ったという。オーナーの松浦紀美雄氏は、現状をこう語る。
「7月の売り上げは昨年対比で10%。8月は数件ですが合宿が入ったので25%ほどの見込みです。合宿はもう少し入る予定でしたが、同じタイミングで複数のチームが予約したとわかると、先方から『密になるから』とキャンセルになったケースもありました」
夏はラグビー一色に染まる菅平だが、ラグビーのほかにも準高地で過ごしやすい気候を求め、陸上の長距離や水泳、サッカーなどのチームが合宿に訪れる。冬にはパウダースノーを求めてスキー合宿の子どもたちなども多くやってくる。
しかし、コロナ禍で訪れる人がいない事態が続くと、来年にはおおよそ半数の宿が廃業に追い込まれる可能性があるという。損失額は宿泊費だけで20億円を超えるという試算もある。
ラグビーでの合宿の場合、宿経営者たちが「菅平ルール」と呼ぶ慣例がある。その一つが、合宿を受け入れる宿はかならずグラウンドを保有していないといけない、というものだ。これも菅平ならではだが、100面以上あるグラウンドのほとんどが、行政ではなく宿それぞれが持っている私有地なのだ。ほかの宿のグラウンドを使用するには、規定の使用料を払う必要がある。「菅平は、宿がグラウンドを持っているんじゃなくて、グラウンドに宿がついている」(松浦氏)というほどだ。
■ラガーマンたちがクラウドファンディングでの支援を開始
そのため各宿は、天然芝のグラウンドの維持費はもちろん、固定資産税も経営に大きくのしかかる。現在の状況が続くと、宿の経営がたちゆかなくなり、グラウンドも使われず、合宿地としての存続が難しくなる。夏合宿の“聖地”が、消える可能性が出てきたのだ。19年のW杯であれだけ日本中を熱狂させたラグビー選手たちを育てた聖地がなくなるかもしないのだ。
そこで、この菅平を危機から救おうと有志が集まり「WE AREスガライダーズ」というクラウドファンディングのプロジェクトも立ち上がった。8月末までに5000万円を集め、宿を支援することで夏合宿の聖地を守り、そこから羽ばたく選手を増やそうとしている。
■全国から強豪校が集結する夏の菅平
元ラグビー日本代表キャプテン・廣瀬俊朗氏も、菅平に特別な思い入れをもち、クラウドファンディングを支援している。
「菅平は、高校、大学、トップリーグ、そして日本代表でも合宿に行った個人的にもとても大切な場所です。はじめて行ったのは高校のとき。道路やグラウンドにいるガタイのいい学生のカバンを見ると、『おお、あそこの高校か』と。日本中から集まった強豪校の名前をチェックしていましたね。僕の高校(大阪府立北野高校)は弱くて、普段は彼らと試合する機会もなかったのでいちいち驚いていました。懐かしいですね」
廣瀬氏はいま「一般社団法人スポーツを止めるな」の共同代表理事を務め、コロナ禍で大会が中止になりアピールの場を失った高校生アスリートを支援する活動に取り組んでいる。選手が投稿した動画に「#ラグビーを止めるな2020」とタグ付けしたものを、大学のリクルーターなどが見られるように仕掛けた。廣瀬氏の呼びかけで、五郎丸歩選手などのトップ選手が動画にコメントをしたり、リツイートしたことでムーブメントは拡大。実際にプレーをアピールする動画の投稿をきっかけに大学進学のチャンスをつかむケースも出てきている。
■合宿を経験することでえられるもの
高校ラグビーでもコロナ禍で3月の全国選抜大会、7月に菅平で開催される7人制ラグビーの全国大会も中止になった。
「直接高校生のアスリートと話していると、トレーニングの方法や進路についての悩みも当然ありますが、試合がなくなることで自分の成長が実感できないという気持ちが大きいなと感じています。いくら一人で練習していても、試合や他の人とのトレーニングで客観化、相対化できないと自分の成長度がわからない。チームのキャプテンたちと話していても、チームのいまの状態が図れない不安を抱えている。その観点からみても、菅平での合宿がいかに意味あるものだったかと痛感しました」(廣瀬氏)
■これまで泊めた中で最も印象に残った選手は、あの有名選手
ゾンタックの松浦オーナーは、これまで30年にわたってトップ選手を見てきて印象に残った場面をこう語る。
「東芝のキャプテンとして来館したリーチ・マイケルさんのことは印象に残っています。彼はバスから宿に荷物を運びおろすときに、他の選手はすぐに部屋に入る中、何を言うでもなく率先して、そして最後まで残ってやっていました。こういう人が一流の『キャプテン』なんだと思わされましたね」と、普段は見られない合宿生活ならではのエピソードを語ってくれた。
新型コロナは、大会・試合の中止だけでなくそれを支える産業にも大きなダメージを与えている。まだ表出していない被害は、今後さらに拡大する可能性がある。いま、自分に何ができるのか。苦しいときにどう頑張るのか――そんな問いを、夏合宿の聖地・菅平は投げかけているのかもしれない。
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1981年、大阪府生まれ。5歳からラグビーをはじめ、大阪府立北野高校、慶應義塾大学、東芝ブレイブルーパス、日本代表でも主将を務めた。「#ラグビーを止めるな2020」では、選手のプレー動画をSNSに投稿し、大学などのリクルーターが見られる仕組みを構築。取り組みはラグビー以外のスポーツに拡大している。
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(ライター 伊藤 達也)
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