NYタイムズは記者を引き上げ…とうとうメディアの"香港脱出"が始まった
プレジデントオンライン / 2020年9月2日 11時15分
■香港における「当局と外国メディアとの対立」
「香港の自由が失われる」と日本語でも支持を訴えている民主活動家、周庭氏(アグネス・チョウ、23)らが逮捕された8月10日、香港では驚くべきことが起きていた。日本経済新聞の香港支局に警察当局の捜査員3人が令状を持って訪れていたのだ。
この日、周氏のほか、反中を訴える新聞「りんご日報(アップル・デイリー)創設者の黎智英氏(ジミー・ライ、71)とその息子ら計10人が当局によって逮捕された。こうした当局の動きはいずれも6月30日に施行された香港国家安全維持法(国安法)違反の疑いによるものとされるが、外国メディアの出先機関にまで捜査の手が伸びている事態は尋常ではない。
今回は、香港における「当局と外国メディアとの対立」について検討してみることとしよう。
■「デモシスト」の意見広告を問題視
日経香港支局への捜査員訪問を報じたのは、フランスの通信社AFPの記事だ。この記事は、匿名の人物がAFPに対して語った話として伝えられている。捜査員3人は8月10日の周氏逮捕の数時間前に香港島にある日経の香港支局に令状を持って訪れ、同紙がおよそ1年前に周氏らが所属していた民主派団体「香港衆志(デモシスト)」が国際的な支援を求める意見広告を載せたことについて、事情聴取を行なったという。
日経新聞広報室は「法的な理由でコメントを差し控える」としている(日本経済新聞、9月1日)。一方、国安法違反容疑で保釈中の周庭氏は9月1日に地元警察へ出頭。取り調べ後の取材に応じた際、警察が日経香港支局を捜査したことに言及した。
取り調べでは、2019年にデモシストが日経紙面に掲載した意見広告を証拠品として警察から見せられたという。AFPは「意見広告は世界の主要紙に掲載され、その費用はクラウドファウンディングにより集められたもの」と伝えており、これ自体は疑わしいものとは思えない。
もし、AFP報道や周氏の発言が正しいとしたら、こうした香港当局による捜査は、国安法に綴(つづ)られた「本法律の施行後の行為は、法律規定によって処罰される(第39条、つまり、法の効力発効前の事案には遡及しない)」とする条文に明らかに抵触する。なぜなら捜査の理由が「1年前の広告の掲載が問題」としているからだ。
逮捕から24時間後に保釈された周氏が「何が理由で逮捕されたのかよく分からない」と言っている状況と類似性がある、ともいえようか。
■米中の「報復合戦」が行われている
香港の外国人記者クラブ(FCC)は8月6日、「複数の外国人記者に対するビザについて『極めて正常でない対応』がなされている」と指摘。米中両国に対し「記者の処遇を政争の具として使うことをやめてほしい」と述べた。
現在、米中双方が相手国の記者に対するビザ発給を拒む状況が続いている。今年に入って、中国本土では米国の主要3紙の記者らが実質的に国外追放となった。香港でも、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)、ニューヨーク・タイムズ(NYT)の記者らに対するビザ延長手続きが遅れているという。
FCCはこうした事態に対し「プロの記者が作る正確な情報が人々
こうした外国メディア関係者へのビザは、これまでなら「一国二制度」のもと、香港政府の権限で手続きがなされてきたが、現状ではなんらかの変化が起きていることをうかがわせる。
■ビザ審査のため新設された謎のセクション
本来、香港では一定の報道の自由が約束されている上、香港に滞在するための手続きについても、中国本土の外国人管理の機関とは全く別組織の「香港入境事務処(Hong Kong Immigration、俗に移民局とも)」が判断して上陸許可を出す格好となっている。そのため、中国本土と香港とのあいだには諸外国への出入国検査と同様のパスポート検査が行われ、厳然と2つの領域を分ける仕組みが存在する。
ところが、国安法の導入後「外国人記者に対するビザ発給の仕組みが変わった」との指摘が聞こえてきた。
こうした動きに対応する法律的根拠があるのかどうか、改めて国安法の条文を確認してみるとこんな記述がある。
香港の英字紙「ザ・スタンダード」など複数のメディアが入境事務処に近い関係者の話として伝えたところによると、外国人記者の労働ビザ発給については、今年6月末に新たにできた「国安セクション」と呼ばれる部署が可否判断を行っているという。これが条文にあるメディアへの「必要な措置」なのだろうか。
新たな部署ができたことで、記者らへのビザ発給が遅れているとされるが、その理由として「記者が最初に労働ビザを申請した際、異なる職種で申告していた」ことが挙げられており、加えて「香港の民主化運動の報道を行っていたとみなされる場合は、ビザの更新手続きに時間がかかる、もしくは更新を認めない」という事例もあると伝えられている。
なお、この「国安セクション」は本来の入境事務処ビル内には当該事務を行う部屋がなく、担当者も「入境事務処の職員機構図には存在しない」とされ、なんらかの別組織が審査に関与していることをうかがわせる。
■メディアの香港脱出が始まった
NYTは香港での活動に見切りをつけ、一部のスタッフを除き、ソウルに移転すると公表した。これについて、同紙は、
「香港で中国が施行した、広範囲にわたる新たな治安維持法(国安法)は、私たちの事業とジャーナリズムにその新規則がどう影響するのかをめぐって、多大な不安を生んだ」。スタッフの一部はすでに就労許可を得るのに苦労しており、許可は「中国では困難だったが、(香港では)まず問題にならなかった」(BBC日本語版、7月15日付)と明言している。
外国人記者の活動が狭まっている中、こうした空席を狙って職を得ようとする香港人が今後増えるとは到底思えない。国安法上の規定を鑑みた時、積極的に外国メディアの香港支局等で働こうとはしないだろう。旧英国領だった香港には優秀な英語の使い手も多いが、もしそんな人なら、どこか別の外国に職を求めて、そこから「真実」を伝えようと努力することだろう。
周氏は地元警察による取り調べ後の取材で「国安法は香港メディアに影響を与えているだけでなく、香港で活動している外国メディアにとっても脅しとなっている。つまり、国安法は、報道の自由を破壊する政治の『武器』として使われている」と危機感を募らせており、NYTに追随する外国メディアが今後増える可能性もある。
8月10日に逮捕された黎氏は、国安法の導入に先立ち、民主派、建制派(親中派)の双方が「同法が導入されたら黎氏が逮捕される可能性は非常に高い」と危惧していた。これに対し同氏はAFPおよびドイツの公営放送「ドイチェヴェレ」(DW)の取材に対し、「牢屋に入れられることになっても後悔はしない。香港を離れることはせず、(自由のために)最後の1日まで戦う」と明言した。
■日本メディアが中国批判をできない理由
こうした状況を追ってみると、「香港におけるメディアの自由」は確実に狭まっているとみるべきだろう。日経新聞香港支局への捜査員訪問は、報道内容の制限を求められたケースではないが、「なんらかの圧力が今後かかるかも」という「重し」と感じる記者がいるかもしれない。
ところで日本と中国(本土)政府との間には、「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」というものが取り交わされている。これは日中両国間における記者の相互常駐に関するもので、日中国交正常化以前の1964年に結ばれた「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」を踏襲している。
具体的には、政治三原則(※)と政経不可分の原則に基づいて記者交換を実施、日本のメディア各社は記者を中国に派遣するに当たり、「中国の意に反する報道を行わないことを約束」するものとなっている。
※政治三原則:1.日本政府は中国を敵視してはならない 2.「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない 3.中日両国の正常な関係の回復を妨げない——ことを定めた。
■中国に配慮した報道は続くのか
目下のところ、香港は「一国二制度」の下、こうした公文の適用範囲から外れている(はずだ)。ただ、現状のように、外国人記者への締め付けとも言える状況が進む中、中国との間でこうした「約束事」を持つ日本メディアはどう動いてくるだろうか。
香港からの記事を中国本土と同じ基準で伝えようとするのか、それともあくまで香港ならではの独自性を持つ記事を送ろうと努力するのか——。記者への労働ビザが政争の具となる中、日系メディアはどこまで踏ん張れるかが今後の課題となるだろう。
折しも、「中国への忖度」が常に取り沙汰されていた安倍晋三首相が自ら辞職の道を選んだ。中国との適切な関係性の確立を求める声が世界中で高まる中、新しい政権は香港との関係についても確固たる立場を打ち出す必要があるのではないだろうか。
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ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)
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