ホリプロ創業者「大逆風下で僕たちが笑っていられた理由」
プレジデントオンライン / 2020年10月22日 11時15分
■ホリプロは三浦友和に負けたんだ
ホリプロ創立20周年を翌年に控えた1979年のことです。わが社の看板スターだった山口百恵が突然、引退すると言い出しました。そして80年10月に潔く芸能界を引退し、俳優・三浦友和君と結婚式を挙げました。多くの業界関係者は「これでホリプロもつぶれる」と思ったようです。
というのも稼ぎ頭だった彼女がいなくなるのは、当社にとって大きな痛手だったからです。しかし私は、売り上げが大幅に減るのを承知で百恵の引退を承諾しました。「三浦友和の魅力にホリプロが負けたんだから仕方がない」。そう言って社内を説得しました。
なぜ、快く百恵を送り出すことができたのか。それは、ひとりのアーティストに全体の25%以上の売り上げを依存しないという「2割5分の原則」を守って、彼女の売り上げを22%にとどめておいたからです。22%減ならそれまで食べていたステーキをカレーライスに替える程度の努力で耐えられます。
もっとも、2割5分という数字に根拠があるわけではありません。3本の矢で有名な毛利元就なら、リスクの上限は3割3分3厘と言うかもしれません。野球でも一流選手の打率は3割台。でも、私は自分が凡才だとわかっていたので、いいとこ2割5分だろうと決めたのです。
百恵が引退した翌年には、ホリプロ初のミュージカル『ピーターパン』で、榊原郁恵が大ブレークして、百恵の抜けた穴を見事に埋めてくれました。しかし、あれにはアイドルの寿命を延ばすというもうひとつの目的があったのです。
第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝した郁恵が歌手デビューしたのは77年。当時、アイドルの寿命は3年といわれていましたから、私もアイドルとしてはそろそろ厳しいと思う一方で、郁恵ならやりようによってはまだまだ稼げるのではないかという気持ちもありました。
そこで、アイドルからファミリータレントへ彼女のイメージを進化させようと考え、ピーターパンという家族で観に来られるミュージカルをブロードウェイからもってきて、その主役をやらせることにしたのです。
ところが、当初この企画を支持する声は、社内にはほとんどありませんでした。演劇という不慣れなことに手を出して本当に採算がとれるのかという不安に加え、郁恵のグラマーな体形がピーターパンのイメージにそぐわないというのがその理由です。しかし、なんとか「3年の壁」を壊したかった私は、自分の意見を押し通しました。
その結果、郁恵は見事に脱アイドルを果たし、7年間、340回ピーターパンを演じ続けたのです。もちろん、ピーターパンにふさわしい体形をつくりあげた郁恵のプロ魂がなければ、これほどの成功はなかっただろうことは想像に難くありません。
■才能があったというよりも、運がよかった
このように、浮き沈みの激しい芸能界で今日までこうしてやってこられたのは、私に才能があったというよりも、運がよかった――もっというと、運を摑まえるのがうまかったからでしょう。運というのは誰のところにも平等に回ってきます。運の良し悪しというのは結局、それを見逃さずに摑まえられるかどうかの差なのです。
運をキャッチできるようになるにはちょっとしたコツがあります。まず、いつもいい顔でいること。暗い顔をしているとせっかく幸運の女神がやってきても、あっという間にどこかに行ってしまいます。
だから、たとえ嫌なことがあっても、決してそれを表情に出してはいけません。ホリプロのエレベーターホールの鏡に小さく「いい顔作ろう」と書いてあるのには、そういう理由があるのです。
それから、日ごろからセンサーを磨いておく。いま世の中ではどんなことが流行っているのだろう、どこかにおもしろいことはないだろうか、そういうことを常に意識して生きていれば、センサーは自ずと磨かれます。そして、センサーが感知したら即座に行動に移すこと。人より先に仕掛ければうまくいく確率は上がるし、失敗しても名誉が手に入ります。逆に、あとから仕掛けて失敗したら、それは単なる恥。社員にも、人の後追いだけはするなと言ってきました。
■俺の人生は、四毛作目に入った
ただし、仕掛けがあまり早すぎてもうまくいきません。私は、これからはテクノロジーの時代だと、80年代にロボットタレントを開発したり、初音ミクが登場する10年以上も前に3DCGのバーチャルタレント「伊達杏子」をデビューさせたりしたのですが、いずれも失敗に終わりました。どうやら半歩先ぐらいがちょうどいいみたいです。
私は還暦を迎えるにあたって、この先80歳まで生きるなら残りの20年はまったく違う人間になろうと決めました。そこで「人生二毛作」というキャッチフレーズを掲げて、自宅、ゴルフセット、ゴルフのスイングと、片っ端から変えたのです。女房以外はすべて新しくしたと言っても過言ではありません。通勤もそれまでの車をやめて、家から会社までの約2キロを歩くことにしました。それはいまも続けています。86歳でゴルフのエージシュートを達成できたのも、このとき一念発起して徒歩通勤に切り替えたおかげだと思っています。
節目だからといって自分の考え方や価値観を変えるのは簡単なことではありません。それでも、無理やりにでもやってみると、これまでとは別の世界が見えてきます。人生を2度生きられるのですから、やらない手はないでしょう。
そういえば百恵や郁恵も、まさに人生二毛作です。和田アキ子がここまで長く芸能界で活躍できているのも、途中でそれまでの歌中心という生き方から軸足をトークに移したからにほかなりません。別に私がアドバイスしたわけではありませんが、彼女も人生二毛作を上手に実践していたのです。
さて、2020年6月で私はホリプロのファウンダー最高顧問を退任しました。80歳が終点だと思って人生二毛作を決め込んでいたら、続きがあったのです。これまでの人生を振り返ると、音楽の表舞台で10年、裏方で60年、さらにその途中で60歳のときに1度区切りを入れているから、正確には今度が四毛作目になります。盟友だった大橋巨泉は50代でセミリタイアだといって仕事をやめ海外に移住したけれど、さすがにそこまでの勇気はありません。ただ、肩書のない素浪人は初めてです。そういう立場でどんな挑戦ができるか、いまからワクワクしています。
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1932年、横浜市生まれ。明治大学商学部卒業。学生時代からバンド活動を始め、人気を博す。60年にホリプロダクション(現・ホリプロ)を設立。和田アキ子、石川さゆり、森昌子、山口百恵、榊原郁恵ら数々のスターを発掘・育成した。エンターテインメント産業の社会的地位の向上に尽力した。
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(ホリプロ創業者 堀 威夫 構成=山口雅之 撮影=石橋素幸 写真=時事通信フォト)
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