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天才ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を描く前に数学を勉強したワケ

プレジデントオンライン / 2020年9月16日 11時15分

「最後の晩餐」(1495-1498)レオナルド・ダ・ヴィンチ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂(ミラノ)所蔵 - public domain

「最後の晩餐」等数々の傑作で知られる天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画に遠近法を積極的に取り入れている。当時の最新技術を習得するため、ダ・ヴィンチは数学者ルカ・パチョーリのもとを訪ねている。東京画廊代表の山本豊津氏は「ダ・ヴィンチがこだわっていた究極の遠近法を実現するためには、どうしても数学が必要だった」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、山本豊津、田中靖浩『教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■サイエンスから生まれた「遠近法」「ぼかし」の手法

【田中靖浩】レオナルド・ダ・ヴィンチがルカ・パチョーリから数学を学んだこと、これがのちの作品に強い影響を及ぼしたことは間違いなさそうです。例えば《最後の晩餐》に用いられた遠近法の表現、ぼかしとか。これは当時としては画期的な技術だったそうですね。

【山本豊津】ダ・ヴィンチは遠近法の一つである透視図法を用いました。彼はルネサンスの画家マザッチョの透視図法をより正確なものに再構築しつつ、それに「遠くのものは色が変化し、境界がぼやける」という空気遠近法を組み合わせました。

もともと透視図法は光の存在を明かしたサイエンスが前提となっています。それまでの世界観では、ピラミッドの頂点に神がおり、人間は下々にいるわけです。当然、絵画もこれに影響を受けて神から見た視点によって描かれていました。しかしルネサンス時に、人から見た数学的で工学的な視点が誕生しました。それが「消失点」の創造と、そこから生み出された一点透視、二点透視、三点透視図法です。

技術的なことはさておき、ここで確認しておきたいのは、透視図法の出発点に「私がここから見ている」という人間の主体性が存在することです。消失点の創造と透視図法の発展は「神からの視点」から「人間の視点」への転換を意味します。ダ・ヴィンチは透視図法を使っていますが、パース(パースペクティブ、遠近法のこと)を強く設定して絵画としての個性を考えたのも主体性と関係しているかもしれませんね。

■神がいなくなり、人間の視点が生まれた

【田中】消失点は、実際には平行に走っている道が遠くに行くほど狭まって見え、やがてそれが交差する点のことですね。透視図法の背景には、そんな「神から人間への視点転換」があったのですね。先端技術の裏側に、極めて精神的な主人公の転換があった。一見するとかけ離れた技術と精神の組み合わせで透視図法が生まれたとは、かなり驚きです。

実は会計の世界でも、似たようなことがあります。中世イタリアの帳簿には、表紙に「神と利益のために」と書かれていたりします。これはおそらく、神に誓って悪いことをしないから儲けさせてくださいという意味です。当時は神がガバナンス(統治)の中心だったわけです。それが神のいない時代に入って、ガバナンスは人間自ら構築しなければならなくなりました。透視と統治はなんとなく言葉も響きも似ていますが、そのルーツも似ているのですね。

【山本】ちなみに透視図法の始まりである消失点の延長線上に、写真機の「焦点」があります。遠近法の延長線上に写真機ができたことは、科学という発展のなかですごく大事なことだと僕は思います。

■西洋と東洋の「描き方」「つくり方」の違い

【山本】人間の視点が動かない西洋絵画に対して、東洋絵画の特徴は身体が動くことです。例えば水墨画を床の上で描く場合、紙が大きいから遠くを描くには自分がそこに移動しなければなりませんよね。ダ・ヴィンチがキャンバスで遠くの絵を描くときは自分が動く必要はないけれど、東洋絵画は物理的に身体を動かすことが必要になるわけです。ここから西洋とは異なる「遠遠、中遠、近遠」という三遠法という東洋独自の遠近法が生まれてきます。

【田中】自分が動くか、それとも動かないか。その違いにおいてダ・ヴィンチの遠近法が重大な転機だったということですね。

【山本】そうです。『ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯』という1972年のドキュメンタリードラマがあるのですが、そのなかで彼は、「もっと光を」という言葉を残します。なぜかと言うと、蝋燭(ろうそく)の光を向こうに置き、光がこっちに来るときに薄い布をかけて、そこに絵を描き込むのが重要ポイントなのです。

例えば、オペラの劇場でも後ろに布をたくさんかけますが、それは実際より遠近感を強調するためです。川をつくって向こう側にボートを置いて、布をかけてわざと遠くをぼんやりさせて遠近感を演出する。日本の歌舞伎などはそんな方法を用いず、舞台の平面性が強いです。このように東洋と西洋では、舞台の奥行きのつくり方も全然違います。

■幾何学的発想なしには生まれなかった「点」という概念

【田中】先ほどダ・ヴィンチが建築家の透視図法を発展させたという話がありました。彫刻や建築は結果として3次元の立体をつくるために、そのプロセスとして2次元の透視図法で図面を描くわけですよね。図面がおかしいと立体の建造物が狂ってしまう。そこで透視図法が発展したのはよくわかります。

これに対し、ダ・ヴィンチは結果として2次元絵画で3次元の立体を正確に描くため透視図法を用い、そこにわざと遠くをぼんやりさせる空気遠近法を組み合わせた。かなりのこだわりをもって遠近法を磨き上げたわけですね。それを実現するためには芸術の技だけでなく数学が必要だったと。

【山本】一点透視、二点透視、三点透視の発展にある「点」「線」「面」はもともと幾何学の発想です。点も線も抽象的な概念で、現実には面しかありません。点を描いたとしても拡大すると面になるでしょう。だから僕たちの世界には点はないんですよ。それから線もない。

■実験や実証性を通して抽象的なものを理解した

【山本】僕は、ダ・ヴィンチの面白いところは数学という抽象的なものを、実験や実証性によって体現したことだと思います。例えば、ダ・ヴィンチは人体の解剖をしていますよね。でも、当時は解剖をすると犯罪になってしまうので、生きた人間ではできない。死体を自分のアトリエに運んでこっそり解剖したわけだから、彼は物理的な実験とすごく関わりが強いアーティストなんです。

数学者も実験をするようになったのはガリレオ・ガリレイあたりからでしょう。そういう実験とか実証性みたいなものはダ・ヴィンチがもっている科学とアートの接点みたいなことだと思います。

【田中】そのような科学とアートの接点を見いだす試みは、いまも行われているのですか?

【山本】現代美術がいまやっているインスタレーションは、ある意味で実験に近く、人間の身体を使った実験で世界を表すことが、現代美術の最先端になっています。ダ・ヴィンチがやっていたことが、いまの最先端になっているというのは面白いですよね。

それにアートという言葉は、ラテン語だと「技術」というか、どちらかと言うと抽象性よりも具体的なことを指していた言葉みたいだから、その数学的な抽象性と現実との間で何か結びつけるような実証というのがアートに求められているんじゃないでしょうか。

【田中】レンブラントにも《テュルプ博士の解剖学講義》という解剖の風景を描いた有名な作品がありましたね。やはり実験とか解剖によって科学の領域に入っていこうとするアーティストはいつの時代にもいるんですね。

■「見ることとは何か」という問いから生まれた鏡文字

【山本】ダ・ヴィンチが人体を解剖することによって、見ることを明らかにしようとした実証実験も重要ですが、それを超える発想が「対象物を見ること」そのものに疑問を抱いたことです。僕はこれを新潮美術文庫4『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の東野芳明氏の解説文で知りました。彼はダ・ヴィンチが残した約5000枚の手記がなぜ左右逆になる「鏡文字」で書かれたかの謎を解き明かしています。

山本豊津、田中靖浩『教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」』(KADOKAWA)
山本豊津、田中靖浩『教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」』(KADOKAWA)

他の説と異なるのは、文字と同じ紙の上に描かれたデッサンも左右逆に描かれていると指摘した点です。ここではかいつまんで大切なことのみを話しますが、詳しく知りたい方は新潮美術文庫を読んでください。

ダ・ヴィンチが考えたことは、「私たちが見ている世界は見られている側からすると左右逆になっていて、私たちは現実を錯覚して見ている」ということです。鏡に映った自分の姿を見ると、僕の右手は映った自分の左になりますよね?

東京画廊ではこの「自分の目で見ること」の錯覚をテーマにした展覧会を1968年に企画しました。美術評論家の中原佑介氏と石子順造氏がキュレーションした「トリックス・アンド・ヴィジョン」展です。「見ること」が眼球の構造上、どうしてもトリック的であるとする2人の考えが、1974年発行の東野氏の解説に影響したのかもしれません。

■目で見ている世界は実は「錯覚」である

【山本】それにしても、450年前にダ・ヴィンチが解剖によってそのことを突き止めたのは驚きです。

神が見る側の頂点にいると信じられていた中世において、彼は「目で見ることは錯覚だ」ということに気づいていたのです。それから、ダ・ヴィンチが考えた「見ること」への探求は戦後のアメリカ現代美術のアーティストであるロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズに引き継がれ、今日に至っていると喝破した東野氏の炯眼(けいがん)には、いまさらながら頭が下がる思いです。

【田中】ダ・ヴィンチが鏡文字でメモを書いていたことは知っていましたが、それは目の構造にまで関係した話なのですね。

【山本】ダ・ヴィンチのスケッチには目の解剖図もありますから、おそらく目の構造について理解していたはずです。そのうえで「自分の目で見ること」は錯覚であり、相対的であると知ったダ・ヴィンチはまさに人間を中心とするルネサンスの申し子と言えるでしょう。ここから始まった透視図法が19世紀末まで絵画の大原理となっていたのも頷(うなず)けます。この大原理も産業革命によってイタリアの未来派やロシアの構成主義が生まれたことで徐々に後退してしまいました。

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山本 豊津(やまもと・ほず)
東京画廊 代表取締役社長
1948年、東京都生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。全国美術商連合会常務理事。著書に『コレクションと資本主義』(角川新書。共著)、『アートは資本主義の行方を予言する』(PHP新書)ほか

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田中 靖浩(たなか・やすひろ)
田中公認会計士事務所所長
1963年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、外資系コンサルティングを経て現職。著書に『名画で学ぶ経済の世界史』(マガジンハウス)、『会計の世界史』(日本経済新聞出版社)ほか

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(東京画廊 代表取締役社長 山本 豊津、田中公認会計士事務所所長 田中 靖浩)

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