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「マラソンは○、1万mは×」ナイキ厚底規制に翻弄される駅伝大国ニッポン

プレジデントオンライン / 2020年9月20日 9時15分

ナイキ「エア ズーム アルファフライ ネクスト%」 - 写真提供=ナイキ

長距離選手が軒並み好記録を出すナイキの厚底シューズの「規制」で、日本の陸上界が揺れている。世界陸連が今年12月1日から800m以上のトラック種目で使用を禁じたため、日本で盛んな1万mレースでの影響が大きいのだ。スポーツライターの酒井政人氏は「日本では1万mが駅伝選手を選考する基準になっている。だが、これだけ1万mが盛んなのは日本ぐらいだ」という——。

■ナイキ厚底シューズを信奉するランナーが日本に圧倒的に多いワケ

新型コロナウイルスの影響で、日本陸上界はシーズン開始が大きく遅れた。有力選手が出場した大会でいうと中長距離種目のみで行われる7月の「ホクレン・ディスタンスチャレンジ2020」(計4日間)が“スタート”になった。

シーズン序盤にもかかわらず、同大会は好タイムが続出。多くの選手の足元にはナイキ厚底シューズが輝いていた。

同チャレンジ千歳大会(7月18日)の男子5000mでは石田洸介(東農大二)が高校記録を16年ぶりに塗り替える13分36秒89をマーク。この石田もナイキ厚底シューズ(エア ズーム アルファフライ ネクスト%)を着用していた。従来の記録は、16年も前に佐藤秀和(仙台育英)が出した13分39秒87(2004年)でミズノのスパイクを履いて出した記録になる。

石田は3000mの中学記録を持つ選手。高校記録を狙える逸材だと注目されていたが、他の“厚底ランナー”も快走しており、同大会でもナイキ厚底の威力がいかんなく発揮されるかたちになった。

2017年夏に初めて一般発売されたナイキ厚底シューズ(当時はズーム ヴェイパーフライ 4%)は、世界のマラソンシーンを激変させる走りを引き出してきた。日本では駅伝やトラックでも信じられないタイムを残している。

■2020年1月の箱根駅伝のナイキ厚底シューズ使用率84.3%

例えば、学生ランナーの1万mだ。例年、11月後半の1万m記録挑戦競技会に箱根駅伝出場校が大挙して出場している。

学生トップクラスの証しといえる28分台は、ナイキ厚底シューズが登場する前の2016年大会は16人がマークした。それが厚底登場後の2019年大会では30人と倍増。さらに同年11月30日の日体大長距離競技会1万mでも33人の学生ランナーが28分台で走破するなど、28分台の価値が急降下するくらいの状況になっているのだ。

なお2020年1月の箱根駅伝ではナイキ厚底シューズの使用率が84.3%まで増加。昨年末の1万m28分台の大半は同シューズがもたらしたものだった。

今年の箱根駅伝で大活躍したナイキ厚底シューズを履いた選手は、筆者の取材に対して、1万m28分台が爆増したことに、「厚底参考記録ですよ」と話していた。それくらいトラックのタイムも変わってくるようだ。

■12月1日から800m以上のトラック種目でナイキ含む「厚底使用禁止」

長距離&トラック競技の記録が向上するのは素晴らしいことだが、手放しで喜んではいられない状況になっている。なぜなら世界陸連は7月28日にシューズに関する規定の改定を発表した。トラック種目では、ナイキ厚底シューズの使用が規制されることになるからだ。

世界陸連はこの規制に先立ち、今年1月にもシューズの新規定(当時)を発表していた。靴底の厚さは「スパイク(ピン)なし40mm以内、スパイクあり30mm以内」で、ナイキ厚底の最新モデルであるエア ズーム アルファフライ ネクスト%(靴底39.5mm)はトラック種目でも使用OKのはずだった。

それが7月28日の新規則では、1月発表の内容を覆し、なぜか「800m以上のトラック種目及びクロスカントリーは、ソールの厚さが25㎜以下(スパイクの有無は問わない)」に改定したのだ。なお「レースで使用するシューズは4カ月前までに市販されていること」という規定は撤廃された。

若い女性選手が音楽を聴きながら競技場のトラックを走る
写真=iStock.com/wundervisuals
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wundervisuals

新規定は12月1日から適用で、11月30日までが「移行期間」となる。その間は新ルールを適用するかどうかは大会主催者の判断に任せられる。ただし、適用しない場合でも、規定外シューズを履いてレースに出場した選手は「Uncertified(非公認)」扱いになるという。

そのため、規定外シューズを履いて世界記録を上回るタイムを出した場合は、「世界記録としては認められないが、日本記録としては認められる」というややこしい状況になるようだ。

■ナイキ厚底シューズでトラックを走る選手が日本だけ異常に多い理由

世界陸連の動きを受けて、日本陸連は8月15日付で「WA規則第143条(TR5:シューズ)のルール再改定について」をリリース。新たなレギュレーションが確定したが、早くもトラブルが起きている。

8月23日に新国立競技場で開催されたセイコー・ゴールデングランプリの女子1500m。田中希実(豊田自動織機TC)の使用予定だったシューズが「靴底25mm以内」ではないと判断され、コーチである父・健智さんがホテルに急いで戻り、規格に合ったスパイクをレース直前に届けているのだ。

田中はアクシデントを乗り越えて、14年ぶりの日本記録更新となる4分05秒27をマークした。ちなみに田中はナイキではなく、ニューバランスの契約選手。国内でのアナウンスが不十分だったこともあり、「25mm以内」の新規定を理解していなかったのかもしれない。

今回の新ルールで、今後しばらく日本の長距離界での混乱が起こる可能性がある。ここ1、2年は「25mm」を優に超える、主にナイキの厚底シューズでトラックを走る選手が急増しているからだ。これは世界的なものではなく、日本独自の流れになる。

というのも、世界的にはトラック種目はスパイクを履くのが当たり前で、昨秋のドーハ世界選手権でも5000mや1万mでナイキ厚底シューズを履いている選手は見ていない。

■日本では駅伝が盛んなため、海外では少ない1万mレースが多い

もともとナイキ厚底シューズはトラックを速く走るためではなく、マラソンの終盤に余力を残すことを狙いとした設計になっている。具体的には靴底(主にミッドソール)を厚くすることで、脚へのダメージを軽減させて、エネルギーリターンを高めることがポイントになっているのだ。

では、なぜ日本人選手はトラックでも厚底シューズを履くのか。

それはトラックの延長に駅伝があるという実態と、日本ほど1万mレースが盛んな国はないからだ。

海外では1万mレースの数が少なく、長距離種目といえば5000mがメインとなる。加えて、駅伝もない。裏を返せば、箱根駅伝(10区間217.1km)やニューイヤー駅伝(7区間100km)があるからこそ、日本人はトラックの1万mを走るのだ。なぜなら5000mより1万mの方が本番の距離の近いため、「メンバー選考」の参考になるからだ。

スパイクはトラックをピンでキャッチすることができるため、スピードを出しやすい反面、脚へのダメージが少なくない。しかし、ナイキ厚底シューズはエネルギーリターンが高いので、速く走れるだけでなく、脚へのダメージも少ないというメリットがある。加えて、トラック1万mの走りをそのまま駅伝に持っていく流れを作りやすい。

マラソンをする人々、上から撮影
写真=iStock.com/ZamoraA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ZamoraA

世界大会のように細かいスピードチェンジを繰り返しながら、ラスト1周(400m)を53秒前後のスパートで勝負がつくレースではスパイクが不可欠だ。しかし、国内の冬に行われる1万mは「記録会」と呼ばれるレースが大半だ。順位を競うのではなく、全員がタイムを狙うため、ほぼ一定ペースで進行する。スピードを切り替えるのは終盤くらいのため、ランニングシューズでも十分なのだ。

ただし今後はトラック種目で厚底シューズが使えなくなると、日本の1万mは記録が低下する可能性があるだろう。さらに、トラックの1万mを駅伝につなげていくという考え方を改める必要が出てくるかもしれない。果たして、今冬はどのような影響が出るのだろうか。

■ナイキは超厚底のトレーニング用モデルを発売

国内のトップランナーはマラソン、駅伝、トラックの各分野でナイキ厚底シューズを履く選手が増加。彼らは本番大会前後のトレーニングでも同モデルを履くという流れが加速している。しかし、今年3月の東京マラソンでエア ズーム アルファフライ ネクスト%(以下、アルファフライ)を着用して2時間5分29秒の日本記録を打ち立てた大迫傑は最速モデルを練習時に多用するのはよくないのではないか、と話している。

「アルファフライは大切な練習と試合のときしか履かないですね。その日のためにとってとっておくイメージです。普段の練習では、薄底タイプのシューズを履くことが多いですし、トラック練習ではスパイクも履きます。トレーニングに応じてシューズは履き分けています。練習で自力をつけていくことで、アルファフライを履いたときに最大限の力を引き出せるんじゃないでしょうか」

ナイキ厚底シューズを履くことで、ハードなメニューを通常のシューズと比べて楽にこなせたとしても意味はない。昨年の箱根駅伝と全日本大学駅伝を制した東海大もトラック練習ではナイキ厚底シューズの使用を控えるように指導しているという。

そんな実情を察知したのか、ナイキはアルファフライのトレーニング用モデルといえる「エア ズーム テンポ ネクスト%」(以下、テンポ)を発売(メンズは8月27日、ウィメンズは9月10日)した。

■ナイキアルファフライの新色「ブライト マンゴー」が登場

テンポはアルファフライがベースとなっており、前足部には2つのエアポッドを搭載。ただし、プレートはカーボンファイバーではなく合成樹脂で、ソールの構成も少し異なる。アルファフライと比べて、エネルギーリターン(反発力)は劣るが、シューズの耐久性は高い。価格はアルファフライより8800円安い2万4200円(税込)だ。

筆者も実際に履いてみたが、走りの感覚はアルファフライに近い。ナイキファンの中では、今後、普段の練習はテンポで行い、本番はアルファフライで勝負するというかたちがスタンダードになっていくかもしれない。

ナイキは2~3年前に当時の厚底最速モデルである「ズーム ヴェイパーフライ 4%」とビジュアルがそっくりな「ズーム フライ」を出している。そのときは両モデルの履き心地がかなり違っていただけに、トレーニング用モデルは格段に進化した印象だ。

さらにナイキはアルファフライの新色「ブライト マンゴー」を新しく登場させる。9月18日にNIKE.COM、NIKEアプリなどメンバー限定で発売して、9月25日に一般発売を開始する予定だ。7月2日にアルファフライの新色(ホワイト)が発売されたときには、公式オンラインショップでは10分弱で完売しており、今回も“争奪戦”になるのは間違いない。

ただし大人気モデルをゲットできたとしても、悩ましい問題がある。

レースでアルファフライを履く機会がなかなかないのだ。コロナ禍で3万人以上が参加する大阪マラソン(11月29日に開催予定だった)など、秋冬に開催予定だったロードレースは軒並み延期や中止に追い込まれた。来年3月7日に開催予定の東京マラソンも、新型コロナウイルスの影響で実施困難な場合は、来年秋の開催を検討している。

2018年11月25日に開催された大阪マラソン
写真=iStock.com/mu_mu_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mu_mu_

ロードレースが通常開催されるまでは、テンポなど他の厚底以外のシューズでトレーニングを積むしかない。そして、アルファフライでレースを思い切り走れる日を楽しみに待つとしよう。

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酒井 政人(さかい・まさと)
スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)

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(スポーツライター 酒井 政人)

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