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会社のロッカー室で首を切り血だらけの辞表を叩きつけた女の情念

プレジデントオンライン / 2020年9月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

大手通販会社に勤める女性は、上司との関係に悩み、メンタル不調で精神科を受診した。診察にあたった精神科医の遠山高史氏は「何度目かの外来で、彼女は顔を腫らしていた。上司から不本意な注意を受け、悔しくて、更衣室のロッカーに自ら顔を打ち付けたそうです。その後、事態はさらに悪化しました」と振り返る——。

※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「先輩が怖くて仕事に行けないんです」

20代の保育士が父親とやってくる。先輩が怖くて仕事に行けないという。父親は職場の連中に問題ありと言いたげである。

彼女は通常6人の幼児を世話しているが、正規職員なので保育士全員のリーダーでもある。40歳も年上で主任経験のある再雇用者や、パートのママさん保育士など、子育てを経験し、保育の仕事に自信のあるベテラン保育士たちを時には指揮しなくてはならないのである。

年の離れた弟はいるものの、一人娘で大事に育てられた彼女には、母親よりも年上の先輩たちの言葉がきつく感じられるようなのだ。同期3人のうち1人は最近辞めてしまい、もう1人は別の部門である。

いまや若者は、どの職場にも少ない。先輩たちに大事にされて伸びていく若者も無論いるが、苦手な上司や同僚に出くわすと、たちまちへこたれるひ弱な若者が少なくない。先輩の保育士たちは、彼女のたどたどしい仕事ぶりに、つい一言注意したくなるのだろう。

特別意地悪されているわけではなさそうだが、祖母にも溺愛された彼女はそれを耐え難い厳しさと受け取ってしまうようだ。

今日の他罰的風潮では、これを職場いじめやパワハラといった文脈に当てはめて説明しがちである。別の似たようなケースでは労災の申請もなされている。

若い保育士の彼女は見るからに人が好さそうで、しかもなかなかの美形である。一所懸命に仕事をしていることも確かなようだ。それ故、休養を要すとの診断書を書く時も父親と同様、つい肩入れしたくなった。

しかし、彼女が仕事に行けなくなったのは、どうやら食物アレルギーのある子供に普通のミルクを飲ませそうになり、先輩から酷くなじられた一件が影響しているようだった。

それは、逞(たくま)しく生きてきたであろう熟年女性にしてみれば当然の注意だった可能性が拭えない。

■「豊かさ」が困難に立ち向かう逞しさを奪う

結局、いじめが原因では、という父親の言い分は採用せず「原因は特定されない」と説明した。

安易にいじめの可能性ありと意見書など出されれば先輩たちも心穏やかではあるまい。場合によっては配置転換になるだろう。

昨今の日本の娘たちは美形になっている。日本の豊かさがもたらしたものであろうが、その豊かさは同時に、娘たちから困難に立ち向かっていく逞しさや強かさを培う機会を奪ってしまったのではないか。

そのことが、相互に大して悪意がないにもかかわらず面倒な対立関係に至りやすくさせている一つの原因ではないだろうか。

その昔、貧しい日本の子供であった私は、好きな子の誕生日にはプレゼントをするものだと西洋かぶれの教師から教わった。クラスの可愛い女子に渡そうと、四つ葉のクローバーを校庭で探し、見つけた瞬間、力の強い生徒に横取りされた。返せとつかみかかったが、突き飛ばされ、鼻血まで出すことになった。

四つ葉で何をするのか聞かれたくなかった私は、担任に黙って帰宅した。

鼻血の跡を見据える母に、上級生に殴られたと言ったら「この世は甘くないことを教えてくれたんだから、その子に感謝しな」と、理由を聞こうともしなかった。

突き放すような言い方の裏に、お前はこれくらいのことでへこたれるようなひ弱な子ではないはず、との思いがあったのだろう。私は学校を休もうとはしなかった。もし母親がこの件で立腹し、学校に怒鳴り込んでいたなら、私は恥ずかしくて登校できなかったであろう。

■日記に「殺す」という文字が……

20歳に届かない娘が職場のストレスで眠れないとやって来る。

彼女は大きな通販会社に勤めている。一人変わった上司がいて、何かと些細なことで注意をしてくる。そのくせ妙になれなれしく、猫なで声ですり寄ってきたりもする。

それがストレスで、会社に行きたくないが、ここで辞めるのも癪だから頑張っているのだという。

その上司は、気になる女子にちょっかいを出すいじめっ子に似ているのだろう。

彼女は腰まで届きそうな長い髪を持ち、色白で細面の美形である。口呼吸の多い最近の若者に似ず、きりりとむすばれた口、吊り上がった目尻、内面はややきつそうである。

彼女には男の横面をひっぱたいてやるのが似合いそうだが、今日では勧められない。

人と人との関係は、仲の良し悪しにかかわらず心理パワーゲームでもあるから、質の良い睡眠をとって元気力を培っておくこと、職場で孤立しないようにし、さらに上の上司にも相談することを勧めた。

とはいえ、しつこく付きまとう輩を遠ざけるのはそう簡単ではない。ひとまず、依存性のない睡眠薬とストレス緩和に役立つ漢方薬を処方する。

何度目かの外来で、彼女は顔を腫らし、目をぎらつかせてやってきた。

誰かに殴られたのではなく、その上司から不本意な注意を受け、悔しくて、更衣室のロッカーに自ら顔を打ち付けたという。

結局、会社では誰にも相談せずにいたようだが、日記帳を取り出し、私に読んでほしいという。

読み進むと最後に「殺す」の一言があった。まさか実行に移すはずはなかったが、彼女の内面の情念の激しさに驚かされた。

■血だらけの辞表を提出

最近の若者には、情念の厚みを感じさせない者が多い。

人を殺すにしても、一見計画性があるように見えて、実は衝動的である。スマホゲームや漫画に出てくる殺戮(さつりく)に衝動を引き出された、一種の愉快犯、模倣犯と思える殺人者も少なくない。

診察の終わりに、君は困難にめげない芯の強い女性だから、バカなこと(殺人)はしないでしょうねと言ってみた。

実際その時、彼女は怪しげな魅力を漂わしていた。ふと小泉八雲の雪女に似ていると思った。

人間に変身した雪女は、木こりの妻として一見平和な生活を送るが(実際にはさまざまなストレスを呑み込んで頑張っていたはずだが)、ある日突然、夫の裏切りに怒りを爆発させ、鬼に戻ってしまう。

裏切った夫に「殺す」と迫るが、結局、殺さず去ってゆく。この自ら去ってゆくという日本の鬼の秘めた優しさに、感銘を覚えたことがある。

遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)
遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)

私の知る限り西洋の物語で、こういった場面で殺さずに去る鬼はいない。

さてその後のある日、彼女は会社のロッカー室で睡眠薬を大量に飲み、首の左半周をカッターで切った(深くはなかったが)。

ふらふらした足取りで事務室に乗り込み、血だらけの辞表を提出すると、その場で倒れ、病院に運ばれた。

まるでドラマのような振る舞いであるが、ここに至らせたカウンセラーとしての反省はあるにしても、この半端ないやり方に、私は妙に感心してしまった。

これほどの怒りを周囲に悟らせず、我慢し続け、自分を傷つけることで表現したことに、今どきの若者にはない情念を感じたのである。

それは雪女が見せた古風な優しさにも通じるものではなかったか。

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遠山 高史(とおやま・たかし)
精神科医
1946年、新潟県上越市生まれ。すぐに東京に移り、そこで成育する。千葉大学医学部在学中に、第12回千葉文学賞受賞。大学卒業後は精神病院勤務を続け、1985年より精神科救急医療の仕組みづくりに参加。自治体病院に勤務し、2005年より同病院の管理者となる。2012年、医療功労賞受賞。2017年、瑞宝小綬章受章。自治体病院退職後、2014年に桜並木心療医院を開設。現在も診療を続けている。46年以上にわたり臨床現場に携わった経験を生かし、雑誌『FACTA』(ファクタ出版)にエッセイを連載中。著書に『微かなる響きを聞く者たち』(宝島社)、『ビジネスマンの精神病棟』(JICC出版局。のち、ちくま文庫)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)など多数。千葉県市原市で農場を営み、時々油絵も描いている。

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(精神科医 遠山 高史)

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