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五木寛之「心が萎えた人にこそ、前向きに生きなくていいと伝えたい」

プレジデントオンライン / 2020年10月2日 15時30分

作家 五木寛之氏 - 撮影=尾藤能暢

■「絆」から「ソーシャル・ディスタンス」に大変化

――前編では、五木さんがコロナ禍の影響で、半世紀以上続けてた夜型から朝型に変わったことから、時代の大転換を促すような他力の風が吹いているというお話をうかがいました。今回は、これからの人間関係や心のありようについてお聞きしていきたいと思います。

コロナの影響で、リモートワークやリモート会議がかなり普及するようになりました。また、少しずつ経済活動が戻ってきたとはいえ、飲食店の多くは夜は早めに締まっています。そうやって人はなかなか移動しなくなった。はたしてそういう時代に、人と人との関係はどのように変わっていくでしょうか。

【五木】東日本大震災の後、さかんに言われたのが「絆(きずな)」でしたよね。人間の絆を取り戻そう。被災地でみんなが輪を作って手をつなぎ、「故郷」を歌うシーンがテレビのドキュメンタリーで流れていた。このシーンが象徴するように、ついこの間までは絆と言って、みんな寄り添って、腕を組み、身体を寄せ合って生きていこうということが力説されていたのに、今やもうソーシャル・ディスタンスです。これも、ものすごく大きな変化ですね。

僕は『孤独のすすめ』という本を書いたときに、「Together and Alone」という言葉を引いたんですね。これは、カラオケやツアーに行く、あるいは市民運動に参加するというふうに、いろいろな形でみんなと一緒にいながら、個人でいることを守るという考え方です。『論語』にある「和して同ぜず」ということですね。

■集団行動が「連帯の証」となる時代は終わった

ところがコロナ禍ではこれが逆転して、「Alone and Together」になりました。つまり、みんなステイホームで孤立しているけども、ネットで交流してなんとか連帯を維持しようとする。昔はみんなと一緒だけど独りだったのが、いまは「一人でいるけど独りじゃない」となっているわけです。

夜の街が元気だった頃は、「口角泡を飛ばして」というように、お互いに胸ぐらをつかみ合って議論し合うこともありました。僕は昔、渋谷でジァン・ジァンというホールで「論楽会」という催しをやっていたんです。詩人、俳優、学者、作家などさまざまなジャンルの人を読んで、音楽や議論、講演、パフォーマンスを一緒くたにやる。これは午前0時からスタートして、朝の始発電車の時間に打ち上げをするんです。

寂しい気はするけれど、そういうことができる時代はもう終わったということですよね。これからはフィジカルな密着ではなく、内省的な、精神的な共感を共有し合う連帯が主流になっていくのでしょう。昔はデモンストレーションをしたり、一緒にシュプレヒコールを上げたり、集団で行動するのが連帯の証でした。これからは個々の人間が孤立しながら連帯していくという時代に入っていくんだろうと思います。

■「心が萎えた人」にこそ、宗教が重要になる

――20年以上前に五木さんがお書きになった『大河の一滴』を、いま再び大勢の人が手にとって読んでいます。『大河の一滴』の冒頭には、「心が萎える」ことに対する洞察が記されていますが、このコロナ禍で多くの人が「心が萎える」経験をしているかもしれません。

五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎)
五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎)

【五木】今度のコロナに際して、教会や偉いお坊さんたちの声があまり聞こえてこないのが気にかかります。12世紀末から13世紀ぐらいに、日本中で干ばつが起こり、農村が荒廃したため、農民は農地を捨てて逃げ出して都へ向かいました。しかし都では疫病が大流行して、地震や津波も起こった。ちょうど鴨長明が『方丈記』を書いている時期ですよ。しかも内乱が続発して大変な時代だった。地獄の様相だったんですね。

「女盗(めと)り子盗(こと)りは世の習い」という言葉があったぐらいで、女でも子どもでも、町を歩いているとかっさらわれて、奴隷市場に売り飛ばされる。日本にも奴隷市場というのがあったんです。直江津や京都などあちこちにあって、そこで値段を付けられていた。奴婢(ぬひ)といいます。

みんなが生きていることの中で絶望しきっていた。八百万(やおよろず)の神様や仏様に頼もうとしても、振り返ってもらえない。そのときに大流行した「今様」という歌謡曲があります。「はかなきこの世を過ぐさむと/海山稼ぐとせしほどに/よろずの仏に疎まれて/後生わが身を如何にせん」という歌です。

■コロナの流行で多くのお寺は拝観を停止してしまった

「海山稼ぐ」とは、闇商売をやったり人を殺したり、いろんな悪事に手を染めたということです。そうやって悪事を働いてきたから、仏様や神様になんとか後生を助けてほしいと頼んでも、相手にされず嫌がられる。ああ、もうすがるものがないじゃないか。これが当時のヒット曲でした。

そこへ出てくるのが、『大河の一滴』にも書いていますが法然や親鸞、日蓮、道元、栄西という人たちです。今、日本の宗教家を10人挙げる中で、5人までは全部その時代に一挙に出てくるんです。その人たちが出世栄達を保証されている比叡山から下りて、庶民の間に入っていき、そこでみんなに語りかける。それで一挙に鎌倉新仏教の時代が来るわけですね。

いまの様子は、平安末期から鎌倉期にかけて起きた混乱の時代と非常に似ているんです。にもかかわらず、どこからも宗教家の声が聞こえてこない。これを言うと角が立つけども、コロナの流行で多くのお寺は拝観を停止したでしょう。道にコロナで倒れている人がいたら、お寺や教会はすすんで受け入れるべきじゃないでしょうか。それが宗教というものだと思うんです。

――コロナ禍の影響で倒産やリストラが急増しているという報道もよく見ます。追い詰められ、なにか依って立つようなものを求める人は多い気がするんですが。

【五木】宗教は、そういう人の不安を癒すためにあるものじゃないですか。ブッダは、不安な世界にどう生きるかという安心の道を語ったわけです。そういうふうに考えると、本当は今こそ宗教家の出番ですよね。でもなかなかその動きは見えません。これは本当に、コロナの時代の七不思議の一つです。

作家 五木寛之氏
撮影=尾藤能暢
作家 五木寛之氏 - 撮影=尾藤能暢

■努力したって報われないことは山ほどある

――『大河の一滴』には「現実にはプラス思考だけでは救われない世界があります」という一節があります。こういう核心を突いた言葉に、励まされた人も多いんじゃないでしょうか。

【五木】この本が刊行されたときの帯の文句は「もう覚悟をきめるしかない。」でした。僕は世の中のことに、すごくネガティブなんです。人間の世界というのは、間違ったことしか通らない。「善き者は逝く」という言葉が常に頭に残り続けているんですが、善良で誠実な人たちは先に逝ってしまう。生き残るのはしぶとい人間だけだ。世の中はそういう矛盾したことに満ちているわけです。

学生生活、仕事、恋愛、結婚もすべて大変で苦しくて、葛藤の連続じゃないか。僕はそういうふうに物事を見ているから、「五木は暗い」としょっちゅう言われていました。でもそうやって最低の状況から考えると、つらいことがあっても落胆しなくなるんです。その中で、思いがけず親切な人に会ったり、いいことがあったら思いきり感激すればいい。昔から「やっぱり人生はすばらしい」という考えは持っていないんです。今夜寝るところがあって、とにかく夕飯を食べられたらそれでいいんじゃないかという覚悟はありますね。

僕は昭和27年に、本当に何のあてもなく東京へ来たんです。夜、寝るところすら決まっていない。大学の文学部の入り口の石段のところで、雨露をしのげそうなところがあったから、ここで野営しようと思ったら、夜警の人に追い出されてね。学生証を見せてもダメでした。その晩は穴八幡宮という神社の床下に潜り込みました。お祭りの幔幕や何かを積み上げてるところで、何日か寝ましたね。でも、それをつらいとも苦しいとも思わなかった。今日寝るところがあってよかったと。ホームレス大学生だった。

――多くを期待しないことが大事なんでしょうか。

【五木】人生は矛盾だらけですから。たとえば、努力したって報われないことは山ほどあります。それを覚悟したうえで努力をすれば、報われなくても落ち込みません。

■明日死ぬとわかっていても、するのが養生

ついでにいうと、生まれつき努力が好きな人っているんですね。生まれつきというのは、本当に格差の元凶です。いいところに生まれて、本当に苦労のくの字も知らずに、楽々と一生を送る人もいれば、右を見たら転ぶ、左を見ても打たれるという運の悪い人もいる。だから、世の中が矛盾していることは覚悟し、その中で少しでも努力が報われたり、ラッキーなことがあったりしたら心から喜べばいいんです。

でもね、時代が大変なときに、大勢の人に対して「こうしたほういがいい」「ああしたほうがいい」という説教のような話はしたくない。人が自分のことについて語ると、たいてい自慢話になるものです。若いときの苦労や失敗談だって、結局、屈折した自慢話みたいなものですよね。

作家 五木寛之氏
撮影=尾藤能暢
作家 五木寛之氏 - 撮影=尾藤能暢

――五木さんも努力はされている?

【五木】もう80歳を超すと、肉体的な面での困難が出てくるわけです。まっすぐ立ってるつもりでも、ふらふらする。夜中に何度もトイレに起きる。歯医者によると、歯もだいたい50年しかもたないようにできていると言います。

だから、それを70年、80年維持して、ある程度長く使えるようにするためには、目に見えない努力のようなものがいっぱいあるわけなんです。でも、その努力を努力と思わないで面白がってやるというのが、僕の言う「養生」ということなんです。健康法は努力が必要だけど、養生法は道楽だ、趣味だって言っています。

――養生をテーマにした本も出されていますね。

【五木】いまも、1日でも耳が遠くならないようにいろいろ工夫してやってるんですよ。新聞も毎日自分で読めるように、視力を衰えさせない工夫もしています。でもそれは努力というより面白いからやっているんです。「明日死ぬとわかっていても、するのが養生」というのも、一つの覚悟ですから。

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五木 寛之(いつき・ひろゆき)
作家
1932年、福岡県生まれ。戦後、朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞。81年から龍谷大学で仏教史を学ぶ。主な著書に『青春の門』『百寺巡礼』『孤独のすすめ』など。

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(作家 五木 寛之 聞き手・構成=斎藤哲也)

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