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結婚後、単身赴任で挑んだ事業が1年で解散。それでも私が上を目指した理由

プレジデントオンライン / 2020年10月5日 6時15分

パーソルキャリア喜多恭子さん 写真提供=パーソルキャリア

人材サービス会社「パーソルキャリア」の生え抜き社員で、同社初の女性役員となった喜多恭子さん。管理職時代は厳しい上司として知られていたが、内心ではずっと不安と孤独を感じていたそう。世の女性の「働く」を後押ししてきた喜多さんの、山あり谷ありのキャリアとは──。

■入社1年目の業績は同期で最下位クラス

学生時代から「組織の決められたルールの中で働くのは得意じゃない」と感じていた喜多さん。将来は組織を出て独立することを前提に就職活動を行い、男女平等にチャンスがもらえる、専門知識や人脈を得られる、独立できる程度のお金がもらえるといった条件をクリアする会社を探したという。

希望にマッチしたのは、当時ベンチャー企業だったインテリジェンス(現・パーソルキャリア)。人材業界に関する知識はなかったものの、ここで5年ぐらい働いて社会人としての基礎を固めようと入社を決めた。

「バリバリ活躍するつもりで入ったんですが、自己イメージと違って全然成果を出せなくて。仕事はできないし、プライドが邪魔して人にも聞けないしで、1年目は同期の中でも最下位群で過ごしました」

当時の仕事は関西支社での法人営業。あまりの業績の低さに、上司から別の職種を打診されたこともあったそう。暗に「君に営業は無理」と言われたも同然と感じたが、喜多さんは「この仕事ができなきゃどこに行っても通用しない」と踏ん張った。

早くに“できない自分”を自覚できたのがよかったのかもしれない。上司の言葉をきっかけに、わからないことがあれば積極的に人に聞こう、できない分は量でカバーしようと決心。「他の人の2倍働く」と決めてがむしゃらに頑張ったところ、2年半を過ぎた頃から業績が上向き始めた。

■「厳しい上司」の顔は不安や孤独の裏返し

以降、キャリアの大部分を営業ウーマンとして歩んできた。今では「営業大好き! こんなに楽しい仕事はないと思う」と迷いなく言い切る。ベンチャー企業だけに個人の裁量権も大きく、自由な発想で顧客に価値を提供していけた。

パーソルキャリア喜多さん
写真提供=パーソルキャリア

顧客は課題をクリアすれば大いに喜んでくれ、それが自分の喜びにもなった。同時に業績も伸び、「お客様に育ててもらっている」という感謝の思いがさらなる意欲につながった。

もちろん、失敗したこともある。20代半ば頃、とあるミスをして顧客に謝りに行くはずだったのが、約束の時間を大幅に間違えてしまったのだ。先方の部長や役員に待ちぼうけを食わせる結果となり、一時的に同社を担当する全国の営業マンが出入り禁止に。会社に大損害を与え、喜多さんは償うには退職しかないと考えた。

「そうしたら当時の上司が『絶対に辞めるな、プロなら損失分の金額を会社に返してから辞めなさい』と。そりゃそうだと思い直しました。私は辞めることが謝罪になると勘違いしていたけれど、プロなら損失分を稼いで会社に還元すべき。それを教えてくれた上司には今も感謝しています」

営業のプロとして覚悟を決めたことで、それまで以上の躍進が始まった。翌年には営業部のマネジャーに昇進し、社内のベストマネジメント賞を連続受賞。この頃には人材サービス業に誇りややりがいを持つようになり、入社前に夢見ていた「独立」は心から消える。この業界で生きていくんだという決心が、躍進にさらに拍車をかけた。

当時の自分を、喜多さんは「怖く厳しいマネジャーとして有名だった」と振り返る。それは、部下が将来自立自走できるようにと、あえて厳しく接してきたから。だが今から思えば、そこにはもうひとつ理由があった。部下から「怖い」と評された態度は、“できる人”であり続けなければ外されるという不安の裏返しでもあったのだ。

当時は、管理職は何でもできる人でなければいけないと思い込んでいたのだそう。そのため、苦手なことがあってもオープンに言えず、部下の前では「できないことがバレないように」と強がり続けていた。

もともとチームやルールに縛られるのが苦手で、ひたすら業績を求めて独走してきた。そのため、気づけば周りには切磋琢磨したり相談したりできるような仲間もおらず、管理職になりたての頃はずっと孤独を感じていたという。

喜多恭子さんのLIFE CHART

■単身赴任して挑んだ事業が1年で解散

その一方で会社からの評価は高く、31歳の若さで統括部長に昇格。正社員と派遣の両方の仕事を探せる女性向けサイト「dodaオフィスワーク」の準備室立ち上げを任され、同時に大阪から東京への転勤を打診される。

パーソルキャリア喜多さん
写真提供=パーソルキャリア

新規事業への不安はあったが、目の前にきたチャンスはつかみとるのが信条。責任者として自分に白羽の矢が立ったことがうれしく、また夫も挑戦を後押ししてくれたため東京に単身赴任した。「やってみなければ何も生まれない。やってみてダメだったらやめればいい」。そんな前向きな姿勢で、新たな役割に挑んだ。

だが、この事業は失敗に終わる。喜多さんの役割は、すでにできあがっていた構想の実行部隊。構想自体に異を唱えることはできず、納得感のないまま進めていたところへリーマンショックが追い討ちをかけた。「責任者として構想への異論も伝えるべきだった」と悔やんだが時すでに遅し。事業は始動したものの成長の見通しが立たず、結局約1年で解散になった。

「この頃が一番つらかったですね。リーマンショックで業界が一気に冷え込み、仕事を探している人を支えられなくなった上、新規事業の解散や社内の人材整理も重なって……。子どもみたいな憤りを感じて、自社をリスクに耐えうる企業にしなければと強く思ったんです。そのために偉くなろうと」

つらい経験を経て、会社を変えるために上を目指そうと決意した喜多さん。ちょうどこの頃、ずっと感じていた孤独もやわらぎ始めていたという。“できる人”であり続けようとするあまり閉ざしていた心を、当時の上司が少しずつ開いてくれたのだ。

その上司は、7〜8年もの間ずっと「君はそのままでいい」と言い続けてくれたそう。最初は意味がわからなかったそうだが、やがてありのままの自分でいいんだということに気づき、スッと気が楽になる。結局、人は自分以外の何者かにはなれない。できないことがあってもいいんだと、いい意味で開き直ることができた。

この気づきが、次の転機の土台になった。リーマンショック後、派遣事業を統括する事業部長に昇格。チームワークや組織運営が苦手だったこともあって悪戦苦闘が続き、1年後、部下の男性管理職に「もう一緒に仕事をしていく自信がないから異動させてくれ」と言われてしまう。

■部下の離脱や事業撤退を経て大きく成長

パーソルキャリア喜多さん
写真提供=パーソルキャリア

頼ってくれない、信頼してくれないという不満から出た言葉だった。喜多さんはショックを受けたが、振り返ってみればその部下の言う通り。これをきっかけに、強がったり独走しようとしたりする自分を変えなければと覚悟を決め、全部下の前でありのままの自分をさらけ出した。

初めての事業部長職でわからない部分もあること、事業への思い、自分の弱み、今困っていること──。ありのままでいいと気づく前、「異動させてくれ」と言われる前の自分だったら、決して部下には話さなかったことばかり。それを勇気をふるって伝えると同時に、部下の話を聞くことにも努めた。そのかいあって、組織は少しずつまとまっていったという。

「私にとって最大の転機になりました。自己開示の重要性を痛感しましたし、自分にできることとできないことを自覚すること、周囲と協力・相談することの大切さも知りました」

リーダーとして大きく成長した30代後半。続く40代で数々のピンチを乗り越えられたのも、この転機があったからこそだろう。他社との事業統合では、社員がよそに行くことに寂しさを感じたものの、彼らの成長や幸せを願って懸命にプロジェクトを進めた。50年もの歴史を持つアルバイト求人情報サービス「an」の撤退も、寂しさを抱えながら事業部長として責任を持って完了させた。

統合も撤退も決して社員全員が満場一致でポジティブに捉えられる出来事ではないが、ビジネスを継続させる上では必要不可欠な場合も少なくない。喜多さんにとっては、経営判断の難しさや、利と情のバランスを学んだ出来事でもあった。

「決まるまでは散々意見も言ったし、泣きもしましたね(笑)。でも、決定した後は『いかに前向きに楽しくやるか』しかないと思って突き進みました。メソメソしていても誰もハッピーになれないから」

anの撤退が完了した年、執行役員に昇格。30代前半からずっと女性では唯一の上級管理職だったため、役員の重責を担う覚悟は持っていたつもりだったが「実を言えば怖かったんですよ」と笑う。

それが、統合と撤退をやり切ったことで腹がすわり、会社の危機を自分ごととしてとらえる姿勢ができた。その頼もしい姿が、経営陣に「ついに覚悟ができた」と映ったのかもしれない。

女性活躍が叫ばれる時代。後輩にはいつも「追い風だ! ジェンダーフリーの風に乗れ!」と伝えているという。キャリアプランなんて大まかでいい、まず風に乗ってから考えよ──。人材サービス業のプロであり、さまざまな試練を乗り越えてきた「働く女性」の一人。そんな喜多さんの言葉は、多くの女性に力を与えてくれそうだ。

■役員の素顔に迫るQ&A

Q 好きな言葉、座右の銘
お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの。(マリリン・モンロー)

Q 愛読書
『モモ』ミヒャエル・エンデ
「幼い頃から事あるごとに読み返しています。主人公のモモのように、しっかりした軸のある人間でありたいですね」

Q 趣味
プラモデル、ミニチュア制作、漫画、読書

Q Favorite item
ハイヒール

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喜多 恭子(きだ・きょうこ)
パーソルキャリア 執行役員 doda編集長
1999年、インテリジェンス(現・パーソルキャリア)入社。派遣・アウトソーシング事業、人材紹介事業などを経てアルバイト求人情報サービス「an」の事業部長に。中途採用領域、派遣領域、アルバイト・パート領域の全事業に携わり、2019年に執行役員・転職メディア事業部事業部長に就任。20年より現職。

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(パーソルキャリア 執行役員 doda編集長 喜多 恭子 文=辻村洋子)

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