「会食も通常運転に戻りつつある」富裕層はなぜコロナ禍でも旅に出かけるのか

プレジデントオンライン / 2020年12月25日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/onurdongel

多くの富裕層と交流のある午堂登紀雄さんは、「富裕層の行動の中でも、コロナ禍であまり変化がないのが旅です」と指摘する。午堂さんご夫婦も起業家同士、リスク管理を徹底したうえで旅行や会食の機会を設けている。富裕層たちが旅行や人との出会いを重視する理由とは――。

■目的はリフレッシュ

先日、雑誌の取材を受けた際、記者からこんな話を聞きました。

コロナ禍における富裕層の行動の変化としては、たとえば自宅にいる時間が長くなったことで投資を兼ねて現代アートを購入するとか、電車よりも車での移動が増えたため新車に買い替える行為などが見られた、という話です。

一方、それほど変化が見られない行動があります。それは「旅」です。

私の周囲の富裕層や起業家は、このコロナ禍においても自宅に引きこもることなく旅に出ています(さすがに海外はほとんどありませんが)。

その理由は、やはりリフレッシュです。

■新しい発想が出てきやすくなる

旅に出て非日常の環境に置かれると、視点や視座が変わり新しい発想が出てきやすくなります。あるいは、普段考えることのないことを考えることができるとか、制約を取っ払って考えられるとか、日常の忙しさから解放されることで視野が広がるというメリットもあります。

未知の状況に遭遇し、異質なものに触れると気付くことがある。改めて自分が知っている世界や価値観と比較させられる。普段何気なく常識と考えていたことを疑うことができる。そこに新しい仮説が生まれることがあります。

そういえば私も、新しい事業アイデアや書籍の企画を思いつくのは、たとえば新幹線や飛行機に乗っているときとか、外を散歩しているといった場面が多いように思います。

移動距離と収入は比例関係にあると言われることもある通り、家と会社の往復だけでは得られないチャンスをももたらしてくれるのだと思います。

それだけでなく、長時間自宅にいるとストレスが溜まるという声をあちこちで聞きます。私たちが自然の中や太陽の下で活動したいというのは、おそらく人間の動物としての本能なのかもしれません。

■「正しく恐れる」ことと「委縮」とは違う

こういう話をすると、すかさず「コロナ感染対策で移動の自粛が叫ばれているときに何を考えているんだ」「医療従事者の苦労を鑑みず、のんきに旅行なんて危機感がなさすぎる」「他人を感染させるかもしれないという意識が希薄だ」などという意見が出てきます。

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写真=iStock.com/Boyloso
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Boyloso

しかし脊髄反射的に否定的な感情がよぎる人は、まず「移動そのものは悪ではない」ということに気づく必要があります。

移動がダメならすべての物流が止まり、スーパーに行っても商品がないということになります。政治家も国会に行けないし、公務員も出勤できなければコロナ対応すらできないでしょう。

移動だけで感染が拡大するわけではありません。ほとんどの場合、移動先での会食でしょう。ならば赤の他人から飛沫を受けるようなシチュエーションを避け、赤の他人がいる場所で自分が飛沫を出すシチュエーションを作らなければいいのです。

また、私も実感しましたが、今や宿泊施設や観光地周辺の飲食店でもコロナ対策は非常に徹底しています。彼らにとっても感染者が出ては死活問題。「やりすぎ」なほどやっていますから、それほど恐れる必要はないでしょう。

■旅行するかどうかを行政に決めてもらうのか

そして昨今の富裕層の旅行は、「単身」か「家族」か「信頼できる仲間」とのものがほとんどです。

すると「いまは家庭内感染が多い」「信頼できる仲間といったって、その人たちの行動履歴まではわからないだろう」「どんなに注意しても感染したという人だっている」「結局会食するのなら感染防止にならないだろう」などという意見が出るのですが、そういう「ゼロリスク」を求める人には富裕層の行動原理からは学べることはないので、本コラムは読むだけ時間の無駄と言えそうです。

富裕層が事業や投資に対してリスクを取る姿勢は「挑戦・成長への欲求」と「自己責任意識」であり、ただ委縮し他人の言動を批判するだけの人には永遠に見ることのできない世界です。

それに、行政に決めてもらわなければ旅行するかどうかすら判断できないとしたら、それは成熟した大人の行為なのか、と思えてこないでしょうか。

■必要な対策を徹底して生活と経済を回す

「ゼロリスク」を求めるなら、自然災害の多い日本から全員出ていかなければならない。それを私たちは防災対策や防災訓練などをしながら「折り合い」をつけて生きているわけです。

自動車事故で年間3000人以上が死亡し40万人以上もの重軽傷を負う人がいても、「車をなくせ」という話にはならないでしょう。

それはコロナも同じで、感染のメカニズムがわかっているのだから、必要な対策を徹底して生活と経済を回そうという冷静な対応が求められます。

「医療崩壊を阻止するために自粛しているんだ」「医療関係者が疲弊していることもわからないのか」という意見もわかりますが、仕事を失い収入が途絶えた人の絶望も相当に大変なものだという想像力を働かせたいものです。

経済苦や生活苦で自殺者数が増えているのを見ればわかるとおり、経済を回すことも命を守ることにつながる、どちらも「命」と「命」の問題なのですから。

「正しく恐れる」とはどういうことかを冷静に考え、恐怖で思考停止し委縮しないようにしたいものです。

■ワーケーションで孤独な時間を過ごすのも貴重

ちょっと話がそれました。

ワーケーション(ワーク+バケーション)なる言葉が出ていますが、単身での旅行はこれに似ています。旅先でひとり孤独な時間と空間を確保し、じっくり自分と向き合うととともに、滞在先では事業計画を考える、といった感じです。

その場合、食事も一人ですから感染リスクも低いでしょう。たとえば「ソロキャンプ」が流行っていますが、星空の下でたき火をしながら考えにふけるのは、経験した人はわかるとおり、とても充足した時間です。

家族だけの旅行も比較的安心です。私も月2回ほどのペースで家族旅行をしていますが、私の場合は子どもがまだ小さいため、様々な実体験を通していろんな種類の刺激に触れさせたいからです。自分自身がそうであったように、幼少期のリアルな自然体験は貴重であるという考えです。

そして旅行先の飲食店もなるべく個室を選んでいます(子どもが騒ぐという理由もありますが)。

そもそも早い段階で「感染は飛沫が原因となることが多い」「若年層は無症状か軽症」「高齢者と基礎疾患保有者は重症化しやすい」ということがわかっていましたから、夫婦ともに自営業者で不特定多数との接触が少なく、高齢者との接点もないわが家では、適切に注意していれば問題ないという判断です。

■仲間との会食も平常運転に

信頼できる仲間との会食も、減ってはいてもやはり行われています。SNSでつながっている起業家や経営者の投稿を見ても、さすがに緊急事態宣言中はなかったものの、今は平常運転で会食が行われている印象です。

おそらく彼らは、自身の感染対策にある程度自信を持っており、その仲間も同じなのだと思います。

そもそも富裕層の友人はやはり富裕層であり、有能な事業家ほど危機管理能力が高いですから、日常的に対策が徹底しているのでしょう。そういう人同士の集まりであれば、感染リスクは一般人の飲み会よりも低いと考えられます(むろん例外もいるとは思いますが)。

多くの一般人が自粛している局面で、富裕層は富裕層のネットワークを広げたり強固なものにしようとしています。そしてチャンスを広げている。

私も先日そういうパーティーに招かれ、そこで出会った出版社の編集者と新しい書籍の企画を進めていますし、妻も新たな人脈を築きコラボイベントを計画しているなど、次の仕込みにつながりました。

この差は大きく、やはり今後も格差は拡大するのだな、と感じます。

■コロナが収束したら「衝撃的な体験」を

最後にちょっと長いですが、余談をひとつ。

いまは海外にはなかなか行けない状況ですが、コロナが収束したらぜひおススメなのが海外旅行です。文化・習慣・価値観などは、日本ではどこに行ってもそれほど大きな差はないですから、「衝撃的」という体験はまれです。

しかし海外に行けば、そもそも国家の仕組みも人々の考え方も根本から違うこともあり、自分の価値観を揺さぶられる経験ができます。

それで10年ほど前、私たち家族がカンボジアに旅行したときの話をご紹介します(パックツアーではなく、現地に住む日本人にコンタクトをとって案内してもらいました)。

平均月収が1万円ちょっとというカンボジアの首都プノンペンでは、1台1500万円もする高級車レクサスがたくさん走っています。カフェブームで1杯500円のカフェも乱立しています。

■多くは15歳まで生きられないゴミ処理場で働く孤児たち

一方、そこから車で20分ほど走ったゴミ処理場では、5~10歳くらいでしょうか。たくさんの孤児が働いていました。みな上半身ハダカで靴も履いていません。彼らはうず高く積まれたゴミの山から鉄くずを取り出す仕事をしています。夕方に来るブローカーから、集めた鉄くずと交換にお金を受け取ります。

しかし、丸一日働いてもらえるお金は日本円にしてわずか40円ほど。彼らは限りなくブローカーに搾取されているのですが、生きていくために、もくもくと働いています。

子どもたちの多くは、15歳まで生きられないそうです。裸足なので、足をケガしてそこから雑菌が入り、病院にも行けず、ほとんど数年で死んでしまうとのこと。ゴミ処理場に住んでいて、家もお金もなければ、学校にも行けないし、おいしいものも食べられない。彼らはその短い一生を、ゴミの山に囲まれて死んでいくのです。

彼らは携帯電話もパソコンも持てない。就職もできない。パスポートも持っていないですから海外にも行けない。人生を変えたくても変えられない。どこかへ逃げたくても、逃げられない。挑戦したくてもできない(いま、状況は変わっていると思いますが、当時の話です)。

ひるがえって「日本は格差が広がっている」などと言われますが、カンボジアに限らず、アジアの諸外国を見てきて感じるのは、日本は世界一格差の小さい国だということです。実際、

携帯電話を持てない人はどれくらいいる? 学校に行けない子どもはどれくらいいる?コンビニで買い物できない人はどのくらいいる? 病気になったりケガをしたりしても病院にかかれない人はどのくらいいる? 服を買えない人、裸足で生活せざるを得ない人はどのくらいいる?

つまり「格差、格差」という人は、「本当の格差がどういうものか」を知らない。世界水準で比較すれば、日本には格差なんてないに等しい。

「日本の問題は絶対的貧困ではなく相対的貧困だ」という主張もありますが、「あの人と比べてこの人は収入が低いから、もっとお金をよこせ」とでも言うのでしょうか。比較して意味があるのは、それをバネに発奮材料にすることしかないように感じます。

■旅費以上に大きな財産となるような経験

また、「自分はツイてない」「日本は夢が見られない社会になった」なんていう人は、「本当の絶望がどういうものか」を知らないのでしょう。

貧しい国の貧しい人々が置かれた状況を知ると、自分がどれほど恵まれているかということに感謝でき、やりたいことは何でもできると感じます。

日本で日本人として生まれたことは、人生ゲームで最初からサイコロの6の目を出してスタートしたようなもの。日本に感謝するとともに、環境を言い訳にしないで、自らの力で人生を切り拓こうという前向きなモチベーションを得ることができます。

だから私も妻も、会社や政府や環境のせいにして「できない」「不運だ」「○○が悪い」などという発想は一切ありません。そして私たち家族の生き方に、強烈な自己責任意識をもたらしてくれたこの旅行での経験は、旅費以上に大きな財産となっています。

外食などは食べれば終わりで、その効能(たとえばおいしいなどといった満足度)は長期には続かないし、人生にそれほど前向きな力を及ぼすものでもない。

しかし旅によって得られた経験は、その後の人生何十年にもわたって、自分の思考に影響を与え続けてくれるわけですから、極めてコストパフォーマンスの高い投資だと言えるのではないでしょうか。

最後に私の持論です。

「人間の幅を広げるものは3つある。人と会うこと。本を読むこと。旅をすることだ」

コロナで出会いを止めない、学びを止めない、経験を止めない、という姿勢が重要だと思っています。

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午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士
1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。

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(米国公認会計士 午堂 登紀雄)

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