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「価格上昇が不自然すぎる」これから田園都市線エリアに住んではいけない

プレジデントオンライン / 2020年12月31日 9時15分

三軒茶屋(東京都世田谷区、2017年1月15日) - 写真=時事通信フォト

これから不動産価格の下がる街はどこか。住宅ジャーナリストの榊淳司氏は「期待感だけで不自然に不動産価格が上がったエリアは危ない。その典型は東急田園都市線エリアだ」という――。(第2回/第2回)

※本稿は、榊淳司『ようこそ、2050年の東京へ 生き残る不動産 廃墟になる不動産』(イースト新書)の一部を再編集したものです。

■不動産価格が下がる可能性がある田園都市線沿線

2020年に蔓延している新型コロナウイルスは、世界的な経済不況を招くことは確実だ。

当たり前だが、不況期には不動産価格が下落する。今後、東京の都心や近郊で劇的に住宅の価格が下落するエリアも出てきそうだ。

どういうエリアかと言うと、街としての個性や魅力が薄いわりには、2013年以降の局地バブルなどによって生じた空気感や期待感で、不動産価格が不自然なまでに上昇したエリアだ。

その典型は東急田園都市線沿線ではないかと思う。

この沿線には、市街地としてのさしたる歴史はない。50年前は、ただ世田谷から川崎の丘陵エリアを通って、そのまま相模原方面へとつながる路線だった。

それが1983年に始まったTBSのTVドラマ「金曜日の妻たちへ」の大ヒットとともに、一気に人気となった。その頃から田園都市線は、俗に「金妻ライン」などと呼ばれるようになる。

しかし、この路線は交通利便性の他にはこれといった魅力がない。沿線の街は主に東急不動産が中心となって開発されたので、それぞれが見栄え良く仕上がっている。

住宅地の街並みもそれなりによく整っているところが多い。それが中堅所得層に好まれ、人気化したわけだ。ただ、この沿線の人気は次世代へと引き継がれるだろうか。この沿線で育った子どもたちは、大人になってまた戻って来て、この沿線でマンションを買うだろうか。

私はこの沿線にそこまでの魅力はないと思う。つまりは、上手な演出で街づくりとイメージ作りには成功したが、そもそもの実力がともなっていなかったのではなかろうか。

■地味だが実は利便性が高い東横線沿線

そういう街づくりは、えてして世代交代がうまく行われない。

巣立った子どもたちが戻って来ずに、ひたすら衰退の道を歩んでいる多摩ニュータウンとマクロの視点では同じことが、やや時間差をもってこの沿線でも起きるのではないかと思う。

それに比べると、田園都市線のやや南を走る東急東横線は、歴史も長いだけあってしっかりと地元社会が出来上がっている。何よりも渋谷と横浜というパワフルな二つの街を結んでいるので、盤石(ばんじゃく)の輸送ニーズがある。

沿線には自由が丘や慶應義塾大学のある日吉など、強力な街も存在している。ただ渋谷から都心方面へ通うだけ、という機能を果たしている田園都市線よりも強みが多い。

さらに言えば、この沿線で育った人は地元へ戻りたがる傾向がある。東横線沿線の見かけは田園都市線の街よりも地味だが、世代交代はしっかりと行われている印象が強いのだ。

■山手線北側は住宅価格がゆるやかに下がる

山手線内では、北側部分の住宅価格は今よりも相対的に安くなりそうだ。

地名では文京区の大半と豊島区、北区の一部だ。このエリアは元々住宅地であり、文教色の強いところでもある。特に文京区内には、東京大学をはじめとした名門校が数多く集まっている。

そのせいか、文京区はあえて繁華街的な街の発展を好まない行政を行っている印象がある。だから区内にはタワマンが数えるほどしかない。

文京区シビックセンター展望ラウンジからの眺め
写真=iStock.com/NithidPhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NithidPhoto

一方、豊島区には池袋があるので、住宅街的な発展よりも街の賑(にぎ)わいを重視してきたように思える。エリア内にはタワマンも多い。

それが将来、街の発展や衰退にどう影響するかは、今のところわからない。この山手線北側エリアでも2013年以来の局地バブルの波を受けて、2020年までにマンション価格がかなり上昇してしまった。

コロナ後の不況は、不自然な水準にまで上がっていたマンション価格をなだらかに下降させるだろう。2050年頃には本来の実力価格に戻っているような気がする。

どのあたりが実力値かというと、中古マンションの坪単価が一人当たりGDPの半分あたりであろうか。

現在の貨幣価値なら200万円台の前半である。それくらいであれば、今で言えば年収が1000万円程度の、ちょっと収入の高い人であれば無理なく買える。マンション価格が底を打った2002年頃、このエリアのマンション価格はそのあたりが相場だった。

市場が今のバブルの狂騒を終えて自然な価格形成の流れに戻った時、このあたりの中古マンションの価格は、坪単価にして一人当たりGDPの半分前後の水準で収まっているはずだ。2050年頃にはそうなっている可能性が高いと予想する。

■大きな値下がりが予想される東日本橋・馬喰町エリア

中央区は名前は「中央」だが、区域はほぼ山手線の外側である。

しかし、中央区内には何といっても銀座と日本橋がある。江戸期までは街の中心が日本橋だった。明治以降、それが銀座に移ったが、どちらも日本を代表する商業エリアであることに今でも変わりはない。

そして、銀座や日本橋の中心エリア、つまり中央通りに近いところにはマンションがほとんど供給されない。それは今から2050年にいたる期間でもそうだろう。

銀座や日本橋エリアでマンションが供給されているのは、昭和通りよりも東側エリア。特に東日本橋・馬喰町などのエリアは、問屋街の面影を今も残している。

今後、問屋という業態は衰退することが確実で、それはこれまでの30年も同じだった。だから問屋だったビルはどんどんマンションに生まれ変わってきて、今後もその傾向は進んでいくだろう。

そのせいで中古マンションは、今までもこれからも供給過剰状態だ。コロナ後のマンション価格はかなり弱含みだと考えたほうがいい。

この昭和通り東側エリアも、2050年頃には一人当たりGDPの半額、もしくはそのもう少し下あたりが中古マンションの坪単価相場になると思う。現状の感覚なら、坪単価200万円前後だ。今よりもかなり値下がりする。

■五輪バブルに便乗した湾岸エリアのマンション群

中央区には、この他に築地と八丁堀エリアがある。ここも昭和通り東側エリアに準じた動きになるだろう。同区内の問題は、勝どき、晴海、月島、佃といった湾岸エリアである。

榊淳司『ようこそ、2050年の東京へ 生き残る不動産 廃墟になる不動産』(イースト新書)
榊淳司『ようこそ、2050年の東京へ 生き残る不動産 廃墟になる不動産』(イースト新書)

これらのうち、佃の一部以外は明治期以降の埋め立てで陸地になった。月島と佃は早くから開発されたので、街並みが整った感じがする。ここ15年ほどで急速に開発されたのが勝どき。ここ5年でタワマンが林立したのが晴海だ。

こういった埋立地のマンション価格は、本来昭和通り東側エリアよりも安くていいはずだが、2013年以降の局地バブルで同レベルか、それ以上にまで値上がりしてきた。今後2050年に向けて、それがゆったりと調整されるはずだ。

特に選手村跡地に予定されていた晴海フラッグというマンション群は、そもそも交通利便性が良くないのに、五輪に便乗したイメージ戦略で新築分譲価格を高く設定しすぎている。

あの地域が2050年にどうなっているのか考えると、私はぞっとする。どの駅にも歩いて行けない埋立地のマンションが、いったいどのような30年の歴史を刻(きざ)むのだろう。

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榊 淳司 住宅ジャーナリスト
1962年京都府生まれ。住宅購入セミナーの開催、新聞、雑誌への寄稿など幅広く活動。近著に『限界のタワーマンション』(集英社新書)など。

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(住宅ジャーナリスト 榊 淳司)

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