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1歳半の時に一家離散…39歳独身女性が"育ての親"92歳祖母に罵倒されるワケ

プレジデントオンライン / 2021年1月24日 8時45分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wenbin

39歳の女性が1歳半の時に父親が他の女と駆け落ち。以後、当時還暦前後の父方の祖父母に育てられた。身の回りや就職の世話などをしてくれた祖母も現在92歳になり、認知症の症状も。女性は「ろくでなし、人間のクズ、貧乏神」と罵倒されることもあるが、全力介護の覚悟がブレないワケとは——(前編/全2回)。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■1歳半の私を捨て父親が駆け落ち……祖父母に育てられた39歳女性

関西在住の雨宮桜さん(仮名)は現在39歳の独身。その人生は筆舌に尽くしがたいほど曲がりくねったものだった。

最初のターニングポイントは、やっと立ったか立たないかという1歳5カ月の頃。父親が突如、女性と駆け落ちした。もちろん雨宮さんにその記憶はないが、後で人に聞かされた。

父親の身勝手極まりない行動に激怒した母親の両親は、母親を家に連れ戻す。その際、母親は、「娘を連れて行く!」と言い張ったが、父方の祖父母は、雨宮さんを渡さなかった。父方の祖父母にしたら息子の不貞がすべての原因だが、大事な孫だったのだ。

結局、父親はその女性と再婚。雨宮さんは、当時61歳の祖父、57歳の祖母に育てられることになった。

祖父は箔押し職人、祖母は祖父の仕事を手伝っていた。祖父は、30代の頃に肺結核を患い、「3カ月」の余命宣告を受けていた。しかし、それから祖母は祖父のぶんまで働き、身体に良いと聞いたものはすべて祖父に与え、寝る間も惜しんで看病し続けたところ、祖父はその後も肺気腫や気胸など、肺の病気を患いながらも、67歳まで生きることができた。祖母が祖父の人生を約2倍に延ばしたのだった。

■「私にとって父母は他人。一緒に暮らしたい気持ちや恨みはない」

雨宮さんは現在まで、実の母親とは一度も会っていない。離れ離れになって38年。母方の祖父母が会うことを許さなかったのか、母親の意思で会わないようにしていたのかはわからない。一方、父親と再婚相手は、雨宮さんが10歳になる頃までは時々会っていたが、徐々に疎遠になっていった。

「私にとって父母は、他人のような感覚です。『もし父が駆け落ちなんてしなかったら?』とか、『もし実の母と暮らしていたら?』など、思ったことはありますが、私には両親と一緒に暮らす生活が想像できませんし、『一緒に暮らしたい』という気持ちも、『恨んでいる』という感情もありません」

祖父母には、雨宮さんの父親の上に娘が1人おり、農家に嫁ぎ、近所で暮らしていた。父親にとっての姉、雨宮さんにとっての伯母は、雨宮さんが成人するまで、金銭的に援助してくれた。

■「お孫さんはね、ブラックリストに載ってるから就職できないよ」

美容師を目指していた雨宮さんは、高校卒業後に地元の美容室に就職。だが、激務と夜遅くまで練習する生活に疲れ、約半年で辞職。その後地元の企業に入り直し、祖母はとても喜んだが、人間関係で悩み、やはり半年ほどで辞めてしまう。

雨宮さんは、また別の会社の面接を受けたが、面接後、祖母がその会社に雨宮さんを入社させてもらえるよう、頼みに行っていた。ところが、その会社は、雨宮さんが直前まで勤めていた企業と取引があったため、雨宮さんの存在を知っており、頼みに行った祖母にこう言ったそうだ。

「お孫さんはね、地元企業のブラックリストに載っていますから、もう地元では就職できないでしょうね」

家の固定電話
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/undefined undefined

雨宮さんのためになんとか職を得ようと東奔西走した祖母は、人事部担当者の心ない発言に激怒して帰宅したという。

「(駆け落ちした)父が若い頃、職を転々として、祖母はとても心配したようです。息子だけでなく、孫まで職探しにこんなに苦労するなんて。そう思ったかもしれません。当時の若い自分を振り返ると、考えが甘く、覚悟が全く足りませんでした」

それからしばらくして、雨宮さんはパートとして働き始めた。

■豹変する祖母「このろくでなし! 人間のクズ! 貧乏神!」と罵倒

ところが、雨宮さんが30歳手前になった頃、80歳を超えた祖母が急に怒りっぽくなってきた。「リモコン取って」と言われてすぐに取ってあげられない時など、いつも些細なことがきっかけで、「えらそうにしやがって!」と突然怒り出し、暴力を振るわれることもある。

「さまざまな暴言を浴びせられましたが、中でも、『仕事を変わってばかりいやがって! このろくでなし! 人間のクズ! 貧乏神!』と仕事のことを言われることが多かったので、怒りの根幹には私の転職に悩まされたことがあるんだろうなと思いました」

ただ、数時間~1日怒り狂っていても、翌日は何事もなかったかのように元の優しい祖母に戻っているため、雨宮さんは誰にも相談しなかった。

しかし2017年。36歳になった雨宮さんの腕がアザだらけになっていることに伯母が気付き、理由を聞かれる。しぶしぶ数年前から祖母に現れ始めた異変や暴力行為について話すと、一緒にいた伯母の娘が「介護認定を受けてみては?」と提案した。

当時祖母は、92歳。常に杖をついて歩いてはいたものの、食事もトイレも入浴も全部1人でできていたし、時々怒り狂う以外は、言うこともしっかりしていた。ただ、食事の際に食べ物が喉に詰まることが頻繁になり、食べてもすぐに戻してしまうことが多くなっていた。

認定調査の結果は、要介護2。

そして同年8月。雨宮さんが仕事で不在にしていた間に祖母が、「2階に動物がいっぱいいるみたい。怖いから来て」と、泣きながら伯母に電話をした。ひどく動揺した伯母は、雨宮さんに「入院させよう」と切り出す。しかし雨宮さんは、首を振った。

「私は最後まで家で介護するつもりでしたし、祖母も『入院はしたくない』と言っていたので、私は反対しました」

だが、伯母は雨宮さんや祖母の話になど、全く聞く耳を持たなかった。ある日、雨宮さんが仕事から帰ると伯母が来ていた。伯母は雨宮さんの顔を見るなり、「おばあちゃん、入院するって言ったで」と声をかけた。

「伯母が祖母を言いくるめたのだと思います。伯母はだいぶ前から『施設に入れたら?』と勧めて来るので、その度に『嫌だ』と言ってきました。伯母は、『施設に入れるには、入院させるのが一番手っ取り早いんや』と言って入院先を勝手に決めて来てしまいました」

■92歳になった祖母は認知症のひとつ「ピック病」と診断された

2017年9月。入院の日の前日、祖母は「入院したら、しばらくお風呂に入れへんから」と1人で入浴。訪問美容師に来てもらい、髪もカットした。

しかし当日、玄関を出た瞬間、「もうこの家には帰ってこれへんのかなぁ?」と祖母は号泣。自分を育ててくれた親同然の祖母を見捨てるようなことはしない。そういう気持ちでいた雨宮さんは「絶対に連れて帰るからな!」と言って肩を抱いたが、傍らにいた伯母は、「まだそんなこと言ってるわ」と呆れたようにつぶやいた。

手すりを持ち、階段を降りる年配の女性
写真=iStock.com/banabana-san
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/banabana-san

入院生活が始まると、祖母は物忘れが酷くなり、おかしなことを言う頻度が増えていった。

入院1カ月後、雨宮さんは、以前から祖母に認知症検査を受させたいと思っていたため、入院中に検査ができないかと相談員に話をしたところ、提携している心療内科医が認知症検査をしてくれることになった。

検査の結果、ピック病と診断される。

ピック病は、前頭側頭型認知症のひとつとして分類され、アルツハイマーと異なり、記憶は比較的保たれている。症状としては、「情緒障害」「人格障害」「自制力低下」「異常行動」「対人的態度の変化」「滞続症状」などがあり、特に、これまで温和だった人が突然怒りっぽくなるなど、人格に大きな変化が見られることが多い。人格障害の症状の強さは、「ピック病>アルツハイマー病>脳血管性認知症」といわれる。

アルツハイマーに対しては、進行を遅らせる薬の開発が進んでいるが、ピック病に関しては、有効な薬はまだ開発されていない。落ち着きのなさなどの精神症状に対し、対症療法として抗精神病薬を使用したり、精神病院への入院が検討されたりする。

■深夜に病院から電話「お祖母さんが暴れているので来てください!」

雨宮さんの祖母も、抗精神病薬の服薬が開始された。

入院2カ月後のある深夜、病院から「お祖母さんが暴れているので来てください!」という電話が雨宮さんのスマートフォンにかかってきた。伯母とともに向かうと、祖母の病室の廊下には物が散乱しており、祖母は施錠された部屋に閉じ込められていた。中からは、祖母の叫び声と、バン! バン! と壁を叩く音が響き渡る。

雨宮さんは愕然とした。

「この日以降、担当の心療内科医は、さらに強い薬を大量に出すようになりました。ほとんど祖母は眠らされ、起きているときは意識朦朧。話をしようにも呂律が回らず、ご飯も座って食べられない。全く歩けなくなり、完全オムツに。私は、祖母に認知症検査を受けさせたことを後悔しました……」

入院は、完全に裏目に出てしまったのだった。

(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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