ネット中傷の悪質犯を確実に特定する「画期的な法改正」の中身
プレジデントオンライン / 2021年2月6日 11時15分
■「目に見えないウイルスより人の目のほうが怖い」
新型コロナウイルス感染症によるコロナ禍とともにネットで飛び交う心ない誹謗中傷や根も葉もないデマは、2度目の非常事態宣言の発出とともに深刻化している。
中でも、公職にある人への攻撃は半端ではない。2020年11月末に新型コロナウイルスに感染した宮城県白石市の山田裕一市長のツイッターには、「死ね」「白石市の恥さらし」などと中傷する投稿が相次いだ。12月中旬に公務に復帰した山田市長は、自身が「ネット中傷」の標的になったことに「大きなショックを受けた」という。
「感染者狩り」と呼ばれる行為も横行している。東海地方に住む10代の男性は実名を伏せて感染を発表されたにもかかわらず、ネット上でたちまち特定され、「バイオテロリスト」「世の中から消えてほしい」とバッシングを受けた。被害男性や家族は「目に見えないウイルスより人の目のほうが怖い」とおびえる日々が続く。
従業員に感染者が出た飲食店には「感染源の店を閉めろ」と脅迫する投稿が舞い込んだ。店長は「中傷のレベルは想像を超えていた」と絶句。客足はいまだに戻らないという。
■「ネット中傷」の被害者は泣き寝入りするしかなかった
コロナウイルスに感染していないにもかかわらず、標的にされるケースも少なくない。関西地方のコンビニ店長は、感染を疑われ、マスク姿の写真とともに「感染者の店には絶対に行かないように」「咳をしていて、態度が悪い」などと、あることないことが書き込まれた。店長は、不安神経症と診断されて2週間休職、さらに2週間の時短勤務を余儀なくされたという。
日夜激務に耐える医療従事者にも「コロナがうつるから近寄るな」という心ない書き込みが続く。
「ネット中傷」の被害に遭った人たちは、有効な対抗手段を持たないため、名誉の回復が難しく、多くは泣き寝入りせざるを得ないのが実情だ。
「ネット中傷」は、ネット社会の闇の部分とされるが、これまで表現の自由を重視するネット文化との絡みなどから、なかなかメスを入れられずにきた。
だが、ここにきて、明らかに風向きが変わりつつある。
■「木村花さん事件」で匿名投稿者を特定して書類送検
SNSの浸透とともに、匿名を盾に言葉の暴力を振るい続ける“犯人”たちを野放しにしておくわけにはいかないという空気が急速に高まった。そこに、「コロナ中傷」の蔓延に対する不安と怒りが拍車をかけた。
政府や警察は「ネット中傷」対策に本腰を入れ始め、法令の整備に取り組み、犯罪として立件するケースも出てきた。
その契機となったのが、2020年5月に起きた「木村花さん事件」である。
フジテレビ系の番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーが、「生きてる価値あるのかね」「ねえねえ。いつ死ぬの?」といったSNSの膨大な匿名の中傷投稿に耐えかねて、自ら命を絶った。
事件後、中傷が書き込まれた投稿は大半がアカウントごと削除されたが、警視庁は半年余りかけて悪質な書き込みを復元して投稿者の1人を特定し、12月半ばに侮辱容疑で東京地検に書類送検した。ほかにも、約30件の悪質な投稿について今も捜査を進めているという。
■総務省は電話番号を「発信者情報開示制度」の対象に改正
警視庁は、今回の立件により「ネット中傷」に厳しい姿勢で臨む方針を示したといえよう。匿名であっても、IT技術を駆使すればデータを追跡して“犯人”を特定できることを内外に知らしめた。
もっとも、全国の警察が「ネット中傷」による名誉毀損の容疑で摘発した事件は2019年で230件、侮辱容疑に至っては22件にとどまる。だが、こんな数字は、氷山の一角にすぎないことは誰の目にも明らかだ。
政府も重い腰を上げ、投稿者を特定しやすい仕組みをつくり、被害者が迅速に名誉回復や賠償請求ができるよう、制度改正に乗り出した。
総務省は8月、まずネット事業者に対し投稿者の情報を請求できる「発信者情報開示制度」の対象に、電話番号を追加するよう省令を改正した。電話番号がわかれば、弁護士を通じて、携帯電話会社に発信者の住所や氏名を照会することが可能になる。
■新たな裁判手続きで投稿者特定の時間やコストを大幅に軽減
さらに政府は、12月下旬に 、これまで投稿者特定のネックとなっていた煩雑な裁判手続きを大幅に簡素化するため、裁判所が投稿者の情報開示の可否を判断できる新たな手続きの創設を決めた。
現行制度では、"犯人"を特定するためには、まずツイッターやフェイスブックのネット運営事業者に発信者の情報開示請求の訴訟を起こす。ところが、住所や氏名まで掌握しているケースはほとんどなく、入手できるのは通信日時やIPアドレスのような限られた情報にとどまる。このため、ネット運営事業者から得た情報をもとに、あらためてNTTドコモなどのネット接続事業者(プロバイダー)に情報開示請求の訴訟を起こす。そして、裁判所が認めれば、ようやく氏名や住所が明らかになり、発信者を特定できる。
そこに行き着くまでには1年余の時間と多額な弁護士費用がかかるのが通例で、訴訟相手が海外の事業者なら、時間も費用もさらに膨らむ。
2度の裁判で発信者を特定し、やっと損害賠償請求など3度目の裁判となるが、賠償額は少額にとどまることが多く、精神的苦痛を負った被害者の怒りや労力にとても見合うものではない。
そこで、新たに導入することになったのが、被害者の申し立てに対し、裁判を経ずに、裁判所の判断で、事業者に投稿者情報を開示するよう命じることができる「非訟手続」という仕組み。これにより、被害者は2度の訴訟が1度の手続きで済み、投稿者特定までの時間やコストが大幅に軽減されることになる。総務省は開会中の通常国会で、ネットの違法・有害情報に対応する「プロバイダ責任制限法」の改正を図る構えだ。
法務省も、現行の刑法が名誉毀損罪も侮辱罪もどちらもSNSによる誹謗中傷を想定していないため、刑事罰の中ではもっとも軽い侮辱罪の厳罰化や公訴時効(1年)延長の検討を始めた。
また、警察庁は、4月からスタートする第4次犯罪被害者等基本計画に、初めて「ネット中傷」対策を盛り込んだ。
■自治体も「ネットパトロール」を強化
全国の自治体も、「コロナ中傷」から感染者や医療従事者を守るため、さまざまな取り組みを進めている。
東京都は2020年4月、「不当な差別的取扱いをしてはならない」という一文を盛り込んだコロナ中傷対策の条例を成立させた。その後、全国的な感染の広がりとともに、すでに20以上の自治体が同様の条例を制定している。
市長が被害に遭った白石市議会も12月、不当な差別や誹謗中傷から人権を守る条例を可決。市の責務として、患者からの相談に応じ、必要な情報提供や助言などの支援を行うことを定めた。
いずれも理念条例で罰則こそないが、抑止効果は上がりそうだ。
誹謗中傷の書き込みをチェックする「ネットパトロール」を実施する自治体も目立つ。
都道府県レベルで最後まで「感染者ゼロ」が続いた岩手県では、最初の感染者に中傷が集中したため、ネット上の投稿を丹念にチェック。「問題あり」と判断した書き込みは画像で保存し、被害者が名誉毀損で提訴する際の証拠として活用できるようにした。
■ネット事業者も社会問題化に対応して相次ぎ中傷対策
青森県も11月に「STOP!コロナ誹謗中傷 ネット監視チーム」を発足させ、日常的に「ネット中傷」を監視するネットパトロールを実施、県民の安心確保に注力している。
ただ、“犯人”を特定できても、誹謗中傷の投稿を削除できるとは限らない。ネット事業者に強制的に投稿を削除させるすべはなく、判断はネット事業者の自主ルールに委ねられているからだ。
だが、「ネット中傷」が社会問題化したため、ネット事業者の対応にも変化が出てきた。
ヤフーは12月末、「ネット中傷」の抑止策として、「Yahoo!ニュース」をはじめとするすべての投稿サイトで、AI(人工知能)を駆使して「悪意のある投稿」を排除する方針を明らかにした。人力に頼らざるを得なかった対策を、最先端テクノロジーに委ねようというわけだ。
誹謗中傷になりそうな表現を例示し、削除基準を明確にした上で、AIの判定を基に該当する投稿を自動的に発見して削除するという。
■もはや「匿名」という安全地帯はなくなった
ツイッターは、悪意あるツイートに対し、グローバルで共通のポリシーを基に対応するとし、何度も繰り返す場合はアカウントを凍結するなどの措置をとるよう定めている。
フェイスブックも同様という。
内外の大手ネット事業者が加盟する「ソーシャルメディア利用環境機構」は2020年5月、「悪質な投稿への対応を徹底する」との緊急声明を発表。IT企業でつくる「セーファーインターネット協会」は6月、「誹謗中傷ホットライン」を設けて、被害者に代わってサイト管理者に投稿の削除を要請する仕組みを整えた。
ネット事業者も、コロナ禍という世界規模の危機に直面し、今まで以上に「責任」を感じるようになったようだ。
「ネット中傷」の“犯人”の包囲網は、確実に狭まりつつある。もはや「匿名」という安全地帯はなく、逃亡(アカウント削除)しても逃げ切ることは難しい。
■表現の自由とのバランスは判例の積み重ねで
一連の「ネット中傷」対策は、表現の自由とのバランスをどのようにとるかという難問と表裏一体だ。
プロバイダ責任制限法改正の議論の中で「新ルールは適切に運用されなければ、表現行為の萎縮が生じかねない」との指摘があった。
投稿者を特定しやすくする方策は、被害者に朗報となることは間違いないが、不都合なことを書かれた企業が発信者情報の開示を求めるスラップ訴訟のように、正当な批判や内部告発をためらわせかねない危険もはらむ。
また、単純な厳罰化は、投稿者の表現の自由を一方的に制約しかねず、投稿を削除された利用者が異議を申し立てる仕組みを用意するなどの配慮は欠かせない。
規制と人権のバランスの議論は行きつ戻りつするが、実のところ、誹謗中傷の基準を確立するためには、判例を積み重ねる以外に策はないのかもしれない。
だが、表現の自由に気を配るあまり、被害者の救済が滞るようなことがあったら、本末転倒だろう。
■放置できない「匿名の悪意」
コロナ禍のような大規模な災いに見舞われた社会は、不安や不満を「いけにえ」に求める傾向が知られている。つまり「スケープゴート」だ。ストレスの元凶であるコロナウイルスに怒りをぶつけられないため、無関係の対象を「身代わり」にしようとするのである。こういう場合に標的にするのは、反撃されにくい弱者だ。
悪質な投稿をする人は、ほんの一握りといわれるが、被害を受けた人にしてみれば、数件であっても心に深い傷を負うには十分すぎる量となる。
ネットの書き込みは、表現がエスカレートしやすくなり、中傷が新たな中傷を生む悪循環に陥りやすい。さらに始末が悪いのは、誹謗中傷を書き込む投稿者の多くが、その動機に「正義感」を持ち出していることだ。だが、この場合の「正義感」は、社会的正義ではなく、投稿者の価値観における正義でしかない。
コロナ禍の自粛生活の長期化でSNSの利用時間が増え、「匿名の悪意」に身を包んだハンターたちが、非常事態宣言とともに、またぞろネット上を徘徊する。今なお、誹謗中傷の書き込みがあふれているのが実情だ。
だが、「ネット中傷」は、時に人の命を奪い、自らも罪に問われる。断じて放置するわけにはいかない。
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メディア激動研究所 代表
1955年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。中日新聞社に入社し、東京新聞(中日新聞社東京本社)で、政治部、経済部、編集委員を通じ、主に政治、メディア、情報通信を担当。2005年愛知万博で万博協会情報通信部門総編集長。現在、一般社団法人メディア激動研究所代表。日本大学法学部新聞学科で政治行動論、日本大学大学院新聞学研究科でウェブジャーナリズム論の講師。著書に『「ニュース」は生き残るか』(早稲田大学メディア文化研究所編、共著)など。
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(メディア激動研究所 代表 水野 泰志)
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