「キリスト教もマルクス主義も中国化される」太平天国からわかる現代中国

プレジデントオンライン / 2021年2月11日 8時45分

菊池秀明『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)

「太平天国の乱」をご存じだろうか。清朝後期、科挙に落第した知識人の洪秀全が、キリスト教の影響を受けて創始した秘密結社・上帝会を率いて1850年の末に蜂起。反乱軍はやがて大都市 南京を占領して首都 天京 とし、太平天国を建国する。反乱は約 14 年にわたって続き、清朝の屋台骨は大きく傾いた。
もっとも、事件の名前は知っていても、現代の私たちの社会にどうつながるのかピンとこない人も多いだろう。だが、実は太平天国の乱には、現代中国の習近平体制の本質や中国の覇権主義の理由、さらにはウイグル問題や香港デモの背景といったさまざまな問題を読み解くカギが隠れている。
太平天国研究の第一人者である菊池秀明氏(国際基督教大学教養学部教授)が昨年12月に刊行した新著『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)は、事件の概要とその背景をあますところなく描いた。今年2月に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)を刊行した中国ルポライターの安田峰俊氏が、太平天国から見える現代中国の姿を菊池氏に聞いた──。(前編/全2回)

■格差に苦しむ反エスタブリッシュメントの反乱

——かつて上帝会が勢力を伸ばし、太平天国の乱の起点となったのは、中国南部の広西省(現在の広西チワン族自治区)です。地図を見ればわかりますが、広東省とベトナムに挟まれた広西省は、チワン族をはじめ少数民族が多く、中華であって半分は中華でない僻地(へきち)。なぜ、この土地から大反乱が始まったのでしょうか?

【菊池】強烈な格差社会だったんです。伝統中国では科挙(儒教の教養をテストする官僚登用試験)を通じて、誰もが社会的上昇を果たせる──というタテマエがありましたが、科挙の受験勉強は大変です。それなりに裕福で文化資本がある家庭の出身者でなければ、事実上は参入できなかった。社会におけるさまざまなコネや利権も、地位と財力のある人に集中していきます。

つまり、「誰にでも社会的上昇のチャンスがある」という幻想だけはバラまかれていたのですが、現実的にそれが不可能な人たちがいた。そんな、格差社会のなかで決定的に切り捨てられた階層の人たちが、当時の広西には特に多く存在していたんです。

広西チワン族自治区の場所(Google mapより)。地理的にはかなり南にある。
広西チワン族自治区の場所(Google mapより)。地理的にはかなり南にある。

■土地も財産も社会的地位も「持たざる者」だった

——格差社会において切り捨てられた層の問題は、現代の中国でも日本でも深刻です。しかし,清末の広西はさらに桁違いにひどい状況だったのでしょうか。

安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)
安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)

【菊池】はい。当時の広西は漢民族にとってのフロンティアで、移民社会でした。より早い時期に移住した人間は、いい場所の土地を握り、年月を経て宗族(父系の血族関係が発達して形成された大規模な相互扶助組織)を形成し、科挙合格者を輩出して──と、どんどん強くなっていく。いっぽう、1820~30年代になってから入ってきたような、客家(はっか)などの後発の移民たちは、土地も財産も社会的地位も、あらゆる面で「持たざる者」でした。

太平天国の広西出身の兵士たちは、長江流域まで攻めのぼるまで、銀貨を見たことがない者がいたという記録があります。当時の中国は銀経済なのに、貨幣として銀をやりとりする機会すらない生活水準の人たちが、太平天国軍に加わっていたのです。

太平天国揺籃の地、金田鎮の1989年の姿。市場に沿って流れる紫荊水をのぞむ。
撮影=菊池秀明
太平天国揺籃の地、金田鎮の1989年の姿。市場に沿って流れる紫荊水をのぞむ。 - 撮影=菊池秀明

——現代風に言えば、格差に絶望した最貧困層による、反エスタブリッシュメントの反乱だったわけですね。だから儒教の礼拝施設を破壊するし、漢民族の理想の時代を「取り戻す」と、滅満興漢のスローガンをとなえた。

【菊池】とにかく自分たちの生存空間を確保する必要があったのでしょう。1852年に上帝会が用いていた祈祷文には「上帝のおかげで日々衣服と食物をえられ、災難をまぬがれることができますように」といった表現もあります。日々着るものもない、食にも事欠く、このままでは生きていけないほど貧しい人たちが、救いを求めて集まった部分があります。

■キリスト教もマルクス主義も「中国化」される

——上帝会はキリスト教の影響を受けています。しかし、教義には中国南方の民間信仰やシャーマニズムが入り交じり、また科挙落第生である洪秀全の経歴も関係してか(儒教施設の破壊をおこないながらも)儒教の影響も大きかったようです。

【菊池】きっかけは外来の思想です。しかし、受容の過程で一種の「中国化」がおこなわれた。言い換えれば、中国的な土着のコンテキストのなかで読み替えられることによってこそ、中国の社会で幅広く受容される救済思想としての性質を持ちはじめるわけです。このように外来思想を中国化して読み替えることは、洪秀全に限った話ではなく、例えばもうすこし時代が下ってからの孫文にしても同様でした。

孫文。写真は台湾の中国国民党がタイ華僑の団体に寄付したポスター。
撮影=安田峰俊
孫文。写真は台湾の中国国民党がタイ華僑の団体に寄付したポスター。 - 撮影=安田峰俊

——孫文は『三民主義』のなかで、中国南部の宗族が他の宗族と械闘(武力抗争)をおこなう際に見せる強固な団結ぶりを紹介したうえで、中国の国民は「『国族』を作るべし」と呼びかけています。これなども、欧米由来のナショナリズムを広東人の常識に読み替えているわけですね。

【菊池】孫文は共和や大同といった儒教の概念も盛んに持ち出しています。ところで、この手の中国的な読み替えを最もうまくやったのが毛沢東でした。毛沢東は非常に田舎くさい人物でしたが、それだからこそマルクス主義をあそこまで「中国化」することができたし、それゆえに人々から受け入れられたのです。

■資本主義ですら中国共産党の管理下のままで成長してしまった

——洪秀全はキリスト教を中国化し、孫文はナショナリズムを中国化し、毛沢東は共産主義を中国化した……。

【菊池】中国的な文脈で物事を読み替えてこそ、初めて生命力が吹き込まれます。たとえば洪秀全の場合、「上帝(=神)」は外来の神ではなく、中国古来の神だと主張していました。明らかに誤ったキリスト教解釈なのですが、そうすることでこそインパクトを持ち得たわけですね。

太平天国の乱の指導者・洪秀全。科挙への落第を繰り返した末、自身がキリストの弟であるとする確信を抱いた。
撮影=菊池秀明
太平天国の乱の指導者・洪秀全。科挙への落第を繰り返した末、自身がキリストの弟であるとする確信を抱いた。 - 撮影=菊池秀明

——洪秀全から毛沢東まで「中国化」の話が続きましたが、より最近の話を考えるなら、鄧小平や習近平は改革開放政策という形で資本主義を中国化したのかもしれません。本来、自由な民主主義社会でこそ健全に発達するとみられていた資本主義が、中国共産党の管理下のままで成長してしまいました。時価総額が世界トップ10に入る大企業の創業者(アリババ創業者のジャック・マー)すら、党の意向次第で葬られかねないのが「中国の特色ある」資本主義です。

【菊池】外国人が、中国を理解しようとしてなかなか迫り切れない理由も、このあたりにあるように感じますね。

■中国共産党のプロトタイプだった太平天国

——太平天国は南京を占領したあと、耕地を均等に分配する天朝田畝制度という、ちょっと後世の社会主義制度に似た構想をはじめ、極めて理想主義的な政策を打ち出すいっぽう、国民に対しては非常に抑圧的な体制を作り上げました。太平天国のこうした点も、中華人民共和国との類似性を感じさせます。

【菊池】実は今回、本書を書きながらずっと悩んでいたのです。なにかを取りあげて書籍を書くときは、対象にある程度は肯定的な態度を持つものでしょう。しかし、すくなくとも南京を占領してからの太平天国は、どこから見ても中国共産党のプロトタイプのような存在なのです。しかも本書の執筆中はちょうど、香港デモがはじまったころでした。

——香港の行く末を心配する立場に立てば、香港支配を進める中国共産党の先輩格と言っていい太平天国を論じる作業にはつらいものがありそうです。

【菊池】非常にしんどいですね。過去の太平天国の歴史を踏まえたうえで、現在の中国や香港の未来に希望を持てるかといえば、持てるような結果は生まれなかったわけですよ。そもそも、本書の副題に「皇帝なき中国の挫折」とあるように、太平天国は本来、従来の中華王朝の皇帝権力を中心としたトップダウン体制とは異なる統治体制を模索する運動としての側面もあったはずでした。しかし、結果的にはそうならなかった──。

太平天国軍の戦闘風景
写真=オーガスタス・リンドレー『太平天国』より
太平天国軍の戦闘風景 - 写真=オーガスタス・リンドレー『太平天国』より

——洪秀全は皇帝ではなく「天王」を名乗りました。他の幹部連中も、楊秀清が東王、蕭朝貴が西王、馮雲山が南王、韋昌輝が北王、石達開が翼王などとなっており(蕭朝貴・馮雲山は早期に戦死)、称号はみんな「王」ですね。

【菊池】太平天国に「皇帝」は存在せず、いるのは「王」だけ。一定の序列はあっても「王」たちは身分的には同じ存在で、制度的には共同統治体制だったんです。かつての中国においては特異な政体と言っていいでしょう。

■独裁体制の強い誘惑

——ただ、やがて天王洪秀全の権威を脅かした楊秀清が韋昌輝に暗殺され、さらに韋昌輝も洪秀全に粛清されて、これを見た石達開が天京を離れ……と、泥沼の権力闘争が発生します。結果、洪秀全の独裁体制が固まるいっぽうで、太平天国の革命運動は下り坂に転じました。

【菊池】バネを巻きすぎるとビーンと戻ってしまうように、中国では皇帝の個人独裁体制を克服しようと試みても、ふとした拍子に戻ってしまうわけです。これは中国共産党についても同じなのでしょう。毛沢東時代の反省から、個人崇拝や個人独裁を防ぐために集団指導体制を採用してきたはずが、結局、習近平時代になって個人に権力が集中する体制が復活してしまいました。

近年の中国では習近平への個人崇拝が進む。2015年5月、延安の革命記念博物館にて安田撮影。
撮影=安田峰俊
近年の中国では習近平への個人崇拝が進む。2015年5月、延安の革命記念博物館にて安田撮影。 - 撮影=安田峰俊

——中国の社会は「放」(分散化・奔放化)と「収」(集権化・独裁化)の繰り返し、とはよく言われる話です。近年でも胡錦濤時代までの、汚職や犯罪が蔓延しながらも活気があった「放」の社会が、習近平時代に一気に「収」に変わりました。洪秀全なり毛沢東なり習近平なり、パワーのある政治家が登場すると「収」が始まります。

【菊池】極端から極端に振れずに、ほどほどのところで分権的な社会を作って落ち着けばいいのにと思うのですが、中国の場合は容易にそうならない。強烈な競争社会であるためか、複数の権力者が権力を分散して共存する形よりも、総取りを目指す動きが出てしまいます。日本や欧州と異なり、過去の歴史上でながらく封建制を経験していないことも影響しているのかもしれません。

——封建という言葉は、世間一般では「封建的な父親」のように「旧時代的な」とほぼ同じ意味で使われています。とはいえ本来は、国王が臣従する諸侯に封土を与え、その土地の領有権と統治権を認める仕組みを意味する言葉ですね。

【菊池】封建制は、地方の領主(日本の江戸時代の場合は藩主)が自分の領地に対して強い責任を持つ体制です。当然、それぞれの領地の支配については、非常に大きな裁量権が認められていた。ただ、中国ではすくなくとも宋代以降の約1000年間、特に漢民族の間ではそうした統治が長期的に認められる例は稀でした。

太平天国の揺籃の地、金田村にある太平天国記念小学校。1980年代に菊池先生が撮影したものだが、学校は現在でも同名のまま存在している。
撮影=菊池秀明
太平天国の揺籃の地、金田村にある太平天国記念小学校。1980年代に菊池先生が撮影したものだが、学校は現在でも同名のまま存在している。 - 撮影=菊池秀明

——中国において地方に強い権限を委譲するケースというのは、制度的に設計された結果というよりも、太平天国の乱のあとに各地で軍閥化が進行したように、王朝が弱体化してからなし崩し的にそうなってしまう印象です。やはり、安定した体制にはほど遠いですね。

【菊池】中国の社会は、民間に非常に強いパワーがあります。言い換えれば、ものごとを民間に任せておくと、好き勝手なことをどんどんはじめてしまい、統制が取れなくなる。中国社会の一番の問題は、こうした民間の野放図なパワーに対して、権力側が常に恐れを抱いているため、無理やりに抑え込んで統制しようとする志向が生まれがちなことです。ひとつだけの「正しいモデル」を提示して、それを民の側に信じ込ませる形になりがち。これは現在の共産党体制まで続く特徴だと言えるでしょう。(後編に続く)

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菊池 秀明(きくち・ひであき)
国際基督教大学教授
1961年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻、中国近代史。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター
1982年滋賀県生まれ。中国ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞。近著に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)など。

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(国際基督教大学教授 菊池 秀明、ルポライター 安田 峰俊)

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