「ホンダの正念場」次期社長に"生粋のエンジン屋"を選んだ決断の是非

プレジデントオンライン / 2021年3月5日 9時15分

ホンダの次期社長に決まった三部敏宏専務=2021年2月19日、東京都港区の同本社 - 写真=時事通信フォト

■再起を賭ける正念場での人事刷新

ホンダは6年ぶりに経営トップの交代に踏み切った。国内外での工場閉鎖などを通じて拡大路線で伸びきった四輪車事業に大ナタを振るい、反攻への地歩が固まったとして新トップに「ホンダらしさ」の復活を託す。しかし、自動車産業が「100年に一度の変革期」にあって、時間は待ってくれない。

ホンダは2月19日、八郷隆弘社長の後任に4月1日付で三部敏弘専務取締役が昇格する人事を発表した。

八郷氏は2015年に社長に就いて以来、在任6年。三部氏は歴代社長が通過点としてきた子会社の本田技術研究所の社長を務め、次期社長候補と本命視されてきた。その意味で、今回のトップ交代は在任期間、人選ともども「順当」と受け止められた。

しかし、今のホンダにとっては再起を賭けるまさに正念場での人事刷新であり、「これで安泰」との雰囲気は社内にはない。

何しろ、「八郷体制」のこれまでの6年間は、四輪車事業で「世界販売600万台」の大風呂敷を広げた伊東孝伸前社長の拡大路線の“尻拭い”に終始する経営に他ならなかったからだ。

■英国工場閉鎖は「ブレグジットとは無関係」

八郷体制が低迷する四輪車事業に切り込んだ数々の大ナタはそれを裏付ける。代表的なケースとしては、英国工場の閉鎖が挙げられる。

ホンダは2019年2月、英国のスウィンドン工場を2021年に閉鎖すると発表した。ホンダにとっては欧州連合(EU)域内で唯一の四輪車生産拠点であり、生産能力は年間15万台で約3500人の従業員を抱える。

当時は英国のEUからの離脱「Brexit(ブレグジット)」を巡り、「合意なき離脱」も視野に入っていただけに、ホンダの英国事業撤退には専ら「ブレグジットが要因」との見方が広がった。

ジョンソン英政権もEU離脱により自国産業の地盤沈下を懸念していただけに、ホンダの撤退表明には驚きを隠せず、「衝撃的な決定」(クラーク民間企業・エネルギー・産業戦略相)とストレートに不快感をもって反応した。しかし、八郷社長は「競争力の観点から(英国事業の継続は)難しいと判断した。ブレグジットとは無関係だ」と、あくまでホンダの合理的な経営判断と強調した。

■英国とトルコでの四輪車生産は「お荷物」だった

英国事業撤退と同時に、ホンダは小型乗用車「シビック」のセダンを生産するトルコでの四輪車生産も2021年中に終了する計画を表明した。英国事業撤退と合わせると、ホンダがEUでの四輪車事業でいかに苦戦していたかが裏付けられる。

トルコはEUの非加盟国ながら、世界の製造業大手の多くはEU市場向けの重要拠点に位置付ける。しかし、ホンダの場合、英国工場での生産台数の6割超を北米と日本に出荷しており、トルコは欧州拠点としての意味が薄れていた。ホンダがじり貧の欧州市場を見据え、英国、トルコで四輪車生産を維持していくことはもはや“お荷物”でしかなく、世界生産体制の最適化を進めるうえで両国での事業撤退を決断した。

ホンダの技術力の高さを象徴してきた世界最高峰の自動車レース、フォーミュラ・ワン世界選手権「F1」からの完全撤退を2020年10月に発表したのも、これと無縁ではない。

2014年6月29日、ザントフォールト・サーキットにて
写真=iStock.com/Sjoerd van der Wal
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sjoerd van der Wal

■F1から完全撤退し、「再参戦はない」と明言

ホンダの八郷社長は昨年10月2日のオンライン記者会見で「2021年シーズン限りでF1活動を終了する」と語っていた。1964年のF1初参戦以来、参戦と撤退を繰り返してきたものの、八郷社長は「再参戦はない」と言い切った。

撤退の理由は「カーボンフリー技術の投入をさらに加速するため」とした。

ホンダは温室効果ガスの排出量を実質ゼロとするカーボンニュートラルを2050年に実現する目標を掲げる。その前提に、2030年に四輪車販売の3分の2を電動化することを目指している。そのためには経営資源の多くを電動化や環境対策に振り向けなければならない。さらにF1は欧州で人気が高いものの、宣伝効果が限定的だったという指摘もある。

工場閉鎖という点ではホンダは日本国内にも切り込んだ。老朽化した狭山工場(埼玉県狭山市)での四輪車生産を2021年度までに寄居工場(同寄居町)に移管する。狭山工場は四輪車生産を終了した後は関連する一部の部品を生産するものの、それも寄居工場に移し、狭山工場は2023年度に閉鎖する。

■「聖域」の本田技術研究所にもメス

さらに、八郷社長は「ホンダのDNA」を育み、聖域とされてきた本田技術研究所にもメスを入れた。同業他社と異なり、開発部門を子会社として独立組織とした開発体制は、ホンダ本体の販売、収益にとらわれることなく独創性に富んだクルマ作りを生み、「ホンダらしさ」の源泉にもなっていた。

半面、開発の非効率さやモデル数の増加につながったとの指摘もホンダ本体から上がっていた。このため、八郷社長は2020年4月に研究所の四輪車部門をホンダ本体に組み込むという研究所の改革を断行した。

ホンダの歴代社長の社歴を見れば、八郷社長ただ一人が研究所社長を経験していない。うがった見方をすれば、しがらみがないからこそできた“荒業”と見るのは、言い過ぎだろうか。

■八郷社長「やり残したことはない」

八郷社長は前任の伊東体制で推し進めた「世界販売600万台」を撤回し、その残務整理と軌道修正に6年間を費やしたといっても過言でない。

ホンダの販売店が掲げているロゴマーク(撮影=プレジデントオンライン編集部)
ホンダの販売店が掲げているロゴマーク(撮影=プレジデントオンライン編集部)

ヒットモデルにも恵まれず、国内四輪車販売は軽自動車「N」シリーズの好調さだけが際立ち、利幅の薄い軽自動車が支える国内四輪車販売の現実に「ホンダは軽メーカーになり下がった」との酷評も飛び交った。そんな中では、八郷社長はホンダの再起に向けて“憎まれ役”に徹した印象も拭えない。しかし、それだけ拡大路線をたどってきたホンダが病んでいた事実は否定しようもない。

2月19日の社長交代発表の記者会見で、八郷社長は「やり残したことはない」と述べ、自ら手掛けたホンダの軌道修正に後悔する姿をみじんも見せなかった。むしろ、伊東体制で背伸びした拡大路線を正し、ホンダ復活への足場固めが整い、後任の三部専務に「ホンダの未来」を託すというシナリオを描いている。そんな思いがその言葉の端々からもうかがえた。

それは、八郷社長は4月1日付で代表権のない取締役に退き、6月に開催予定の株主総会で退任するという、潔い去り際にも表れる。

■生粋の「エンジン屋」である三部次期社長

「ホンダが『目指すべき姿』に早期に持っていく時間が重要と考える」。社長交代発表の会見で三部氏はこう発言した。

世界の自動車産業は門外漢のはずだった巨大ITプラットフォーマーが自動運転や電気自動車(EV)など、「CASE」(つながる、自動、安全、環境)に代表される先端技術で自動車市場への参入を進め、自動車大手は「100年に一度の大変革期」で業界の既得権ともいえる技術、生産力を大きく脅かされる時代を迎えつつある。

三部氏はこの点についてもホンダの復活、大変革期への備えとして「アライアンス(提携)を使ってやり遂げたいことを加速する」と、"自前主義"からの脱却も辞さない覚悟を表明した。

ホンダに脈打つDNAは「孤高の自前主義」で、戦後、創業者の本田宗一郎がホンダを世界的な二輪車、四輪車メーカーに導いてきた原動力だった。三部氏はマツダのお膝元である広島大学で内燃機関の研究に没頭し、F1に挑み続けるホンダを就職先に選んだ生粋の「エンジン屋」だ。

■タブー視されてきた「自前主義からの脱却」はなるか

今、世界の自動車産業が真正面から向き合わなければならない「脱炭素」の流れが加速する中で、ホンダは電気自動車(EV)で出遅れた。そんなホンダにあって米自動車最大手のゼネラル・モーターズ(GM)との提携を進めたのはエンジン屋の三部氏だった。

社長交代発表の会見での三部の発言は、ホンダにとってタブー視されてきた自前主義からの脱却を辞さない覚悟を表明した格好だ。

ホンダはトップ交代と同時に、指名委員会等設置会社への移行も発表し、トップ人事に社外の意見を汲み入れて透明性と客観性を高める企業統治(コーポレートガバナンス)改革を進める。

孤高の自前主義からも脱皮し、「ホンダらしさ」をよみがえらせ、そして復活への道筋にいかに導けるか――。ホンダの新社長に就く三部氏の手腕に「未来のホンダ」がかかってくる。

(経済ジャーナリスト 水月 仁史)

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