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「五輪直前に大ケガ」宮原知子がそれでも笑顔で3回転ジャンプができた理由

プレジデントオンライン / 2021年3月26日 11時15分

2019年の第88回全日本フィギュアスケート選手権での宮原知子さん - 写真=Getty Images

フィギュアスケート選手の宮原知子さんは2017年1月に左股関節を疲労骨折した。翌年の平昌冬季五輪出場が危ぶまれたが、見事復帰し出場を果たした。当時の気持ちをイーオンの三宅義和社長が聞いた——。(第2回/全3回)

■たった30分でスケートに目覚めた

【三宅義和(イーオン社長)】宮原さんのフィギュアスケートとの出会いについて教えてください。

【宮原知子(フィギュアスケート選手)】4歳のときです。当時、両親の仕事の関係でアメリカのテキサス州ヒューストンに住んでいたのですが、ショッピングモールにあったアイススケートリンクで初めてスケートをやってみたんです。

最初の30分くらいは両親の手を持ちながら滑っていたのですが、そのあとは自分で滑れるようになって、氷の上を滑走する楽しさが印象に残り、それから「また行きたい!」と言うようになりました。

【三宅】たったの30分ですか! きっと天賦の才能があったんでしょうね。ご両親はなにかスポーツをされていたんですか?

【宮原】本格的なものはとくにしていません。アスリート一家というわけではないんです。

【三宅】いまのお話を聞いて、勇気をもらえる人は多いと思います。

■小学3年生のとき、選手になることを決意する

【三宅】その後はどんどんスケートにハマっていかれたわけですね。

【宮原】はい。最初のうちは初めて滑ったリンクで行われていたスケート教室に通いだして、私が「もっとやりたい」というので頻度も増えていって、日本に帰ってからは本格的にコーチについて指導を受けることになりました。

【三宅】最初のうちは、どちらかというと遊びの延長の感覚だったと思うのですが、日本で本格的にコーチから指導を受けることになって、厳しさのギャップみたいなものは感じましたか?

【宮原】いま思うと、厳しさの変化はあったと思いますが、当時はあまり意識していませんでした。指導がどうこうというより、私の中でスケート熱がどんどん高まっていくのに合わせて、しっかりと環境を用意してくれた両親に感謝しています。

【三宅】フィギュアスケート選手としてトップを目指そうと本格的に思われたのはいつですか?

【宮原】小学3年生のときに初めて国際試合に出たのがきっかけです。世界中から集まってきた上手な選手たちに囲まれて、「私ももっと頑張ろう」と思いました。

■フィギュアスケートは、スポーツであり、アートである

フィギュアスケート選手の宮原知子氏
撮影=原貴彦
フィギュアスケート選手の宮原知子氏 - 撮影=原貴彦

【三宅】フィギュアスケートはもちろんスポーツではあるのですが、限りなく芸術性の高いスポーツだと感じています。

【宮原】たしかにスポーツとしての側面と芸術的な側面の両方を高い次元で求められるスポーツは少ないかもしれません。あとは新体操とか、シンクロナイズドスイミングくらいですかね。

【三宅】だからこそ観ている人に感動を与えると思うんですが、当然、ご本人としては相当体力的にきついわけで、演技中は苦しさを表に出さないように表情をつくられているわけですか?

【宮原】実はそうでもないんです(笑)。もちろん体の動きが音楽と一体化していないといい演技はできないので、そこは体に染みつくくらい練習を重ねます。ただ、基本的に演技中はジャンプのことで頭がいっぱいなので、どうしても集中した顔つきになりがちです。本当は表情の演技も必要なのでしょうが、なかなかそこまでの余裕がありません。

【三宅】そういうものなんですね。

【宮原】その意味では、激しい曲だと体力的なきつさから自然と表情が険しくなるので、あまり表情のことを意識する必要がないので、少し気が楽です。

■最後は「自分を貫ける選手」が強い

【三宅】フィギュアスケートでは「こういうタイプの人が活躍しやすい」といった傾向はあるのでしょうか?

【宮原】自分を貫ける人が強いと思います。性格に関しては、気が強い選手がいたり、優しい選手がいたり、楽観主義の人がいたりと、いろいろですけれど、やはり周りに左右されないというか、自分がやるべきことに100%集中できる人ほど、成果を残す気がします。結局、スケートという競技は、サッカーやテニスのように対戦相手がいて、その場に応じて作戦を変更したりするものではなく、自分でプログラムを決めて、それをひたすら練習して、練習の成果を本番で出し切るスポーツなので、最後は自分を貫ける選手が強いと思います。

【三宅】なるほど。ちなみにさきほど「本番中はジャンプに集中している」とおっしゃいましたが、滑っているとき、観客の反応はわかるものですか?

【宮原】踊りの部分で手拍子をいただくと、気持ちも乗ってきます。

【三宅】手拍子で逆にリズムが崩れるということはないのですか? 会場の音響のせいもあるのでしょうが、テレビ中継を観ていて、手拍子がズレているなと感じることがありまして。

【宮原】実際、ズレていると思うときが、なくはないです(笑)。

■ジャンプは「最初の1回転」が難しい

イーオン社長の三宅義和氏
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏 - 撮影=原貴彦

【三宅】普段、練習はどれくらいされるのですか?

【宮原】私の場合、氷上の練習は1日3~4時間で、日によってさらにトレーニングを2時間くらいやっています。力強さとしなやかさのバランスが大切なので、筋力トレーニングだけでなく、ダンスやバレエのトレーニングもしています。

【三宅】そうですか。ちなみにジャンプの回転数を1つ増やすというのは、かなりの大ごとなのですか?

【宮原】そう思われがちですが、実はどのジャンプも空中では同じ姿勢で、踏み切りだけが違います。最初のハードルは1回転ジャンプで、それが飛べるようになって感覚がわかってくれば、シングルからダブル、ダブルからトリプルと、立て続けに飛べるようになったりするものです。少なくとも私はそうでした。

【三宅】ちなみに宮原さんのようなトップ選手になると、練習中のトリプルジャンプの成功率はどれくらいなのですか?

【宮原】アクセル以外のトリプルジャンプであれば、ほぼ100%です。

【三宅】失礼しました。てっきり一か八かの世界だと思っていました(笑)。

【宮原】逆にひたすら練習して「絶対に飛べる」という自信があるものを試合のプログラムに入れます。ただ、前日の疲労をひきずっていたりすると、1本1本のジャンプは単発で飛べても、曲を通して体がしんどくなったときに飛べなくなるということはあります。ですから、やはり試合前のコンディションづくりが大事になってきますね。

■「いつもやっているように滑ればいい」と思うほうがうまくいく

【三宅】いろいろ大舞台を経験されると、本番の緊張は和らぐものですか?

【宮原】いつまでも慣れないです。やはりジャンプが一番緊張しますね。最初から最後まで緊張が解けることはないです。とくに大きな大会になればなるほど緊張します。

これはもうスケートをしているかぎり一生つきあわなければいけない課題だと思っています。

【三宅】「緊張を味方につける」と言葉で言うのは簡単で、実際はなかなか難しいですよね。メンタル面の対応について、なにか特別なことをやっていらっしゃるんですか?

【宮原】メンタルの強化という意味では、厳しい練習をめげずにやりつづけてきたことで、多少は鍛えられているかなと思います。ただ、メンタルトレーナーをつけるといったことはしていません。

【三宅】たとえば、本番前に「私の演技で観客のみんなを感動させるんだ! これだけ練習してきたんだから大丈夫だ!」みたいに自分を奮い立たせるようなことはなさるのでしょうか?

【宮原】やってみたことはあるんですけど、私の場合は変に力んでしまって、ジャンプに狂いが出ることが多かったんですね。それよりも「いつもやっているように滑ればいいや」と開き直ってみたほうが落ち着いてできる気がしています。

■最初が成功しても、緊張感は保ったまま

【三宅】ちなみに最初のジャンプで失敗すると、緊張の糸が切れてしまったりするものですか?

【宮原】失敗の仕方にもよります。とくに緊張しすぎて良くない失敗をしてしまったときは、うまく気持ちの切り替えができなくて、次のジャンプに行くのが少し怖くなることはあります。

【三宅】逆に最初が成功すると「今日は行けそうだぞ!」と思うわけですか?

【宮原】いえ、そこで気持ちが乗るというよりは、「どうにかこのままいってほしい」という感じで、緊張感は保ったままです。

■大ケガをしても「絶対リンクに戻れる」自信はあった

【三宅】宮原さんは2017年1月に左股関節を疲労骨折されました。平昌オリンピックのちょうど1年くらい前ですね。全日本選手権3連覇中で、いよいよ勝負の年という段階でのケガということで、ショックは大きかったですか?

【宮原】実はあまりショックはなくて、その前から痛みはあったので、なんとなく覚悟はしていました。

【三宅】その年の春に国立スポーツ科学センターで、1カ月泊まり込みでリハビリをされています。このときはどのような心境だったのでしょうか?

【宮原】悲壮感はなかったですね。ケガするまでは「どんな状態でも練習は詰めてやらないといけないんだ」という考えがありましたが、私と同じようにリハビリに励んでいる他のスポーツの選手といろいろなお話をするうちに、「まずケガを治すことに専念しよう。徐々に氷に乗れば、きっと大丈夫」という自信みたいなものを得ることができました。

【三宅】その自信はどこから出てきたんですか? 当時のコーチは「(2018年の平昌はあきらめて)2022年の北京に標準を合わせよう」とおっしゃっていたくらいですよね。

【宮原】根拠はないんです(笑)。ただ「絶対リンクに戻れる」という自信はずっとありましたし、むしろリハビリ期間があったから、スケートに対してより前向きになる気持ちを得られた気がします。リハビリ自体も楽しんでやっていましたから。

【三宅】自信があったのも素晴らしいですけど、そこで「楽しめた」といえるのもすごいですね。

【宮原】それまでの選手生活で体験したことがないことを毎日するという、新鮮な感覚があったからかもしれません。「こんなこと、いままでなかったな」とずっと思っていました。

■ベストを出すために、緊張することも楽しむ

【三宅】そして10月にジャンプ練習を再開されるわけですが、その時点ではまだオリンピック出場は決まっていなかった?

三宅 義和『対談(5)! プロフェッショナルの英語術Ⅱ』(プレジデント社)
三宅 義和『対談(5)! プロフェッショナルの英語術Ⅱ』(プレジデント社)

【宮原】はい、12月の全日本選手権で決まる状態でした。でも、「もう進むしかないな」という感じで、むしろ「不安になれば、なった分だけ後退してしまう」という気持ちがありました。

【三宅】そして復帰2戦目で優勝をし、全日本選手権では見事4連覇を成し遂げられ、平昌オリンピックの日本代表に選ばれたわけですね。

【宮原】はい。あのときの全日本は、オリンピック本番よりも緊張しました。

【三宅】初めてのオリンピックは楽しまれましたか?

【宮原】楽しかったですね。もちろん緊張はしましたし、代表に選ばれた以上、「自分のベストを出さないといけない」という責任感はあるんですが、ベストを出すためには「緊張すること自体も楽しまないといけないな」と思って、選手村にいるときはできるだけその生活を楽しむようにしていました。

メダルを取れなかったことは悔しいですが、もっと緊張していたら、いい結果になったのかといったら、そういうわけではないと思うので、ベストを尽くせたと思います。

イーオン社長の三宅義和氏(左)とフィギュアスケート選手の宮原知子氏(右)。
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏(左)とフィギュアスケート選手の宮原知子氏(右)。 - 撮影=原貴彦

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三宅 義和(みやけ・よしかず)
イーオン社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。1985年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。

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宮原 知子(みやはら・さとこ)
フィギュアスケート選手
1998年、京都府生まれ。フィギュアスケート選手で種目は女子シングル。幼少期を過ごしたアメリカでスケートと出合う。帰国後に本格的にフィギュアスケートを始め、国内外の大会で活躍。2014年から2017年にかけて全日本フィギュアスケート選手権4連覇を果たし、2015年には世界選手権2位となる。2018年の平昌オリンピックに出場し、個人戦で4位、団体戦で5位と入賞を果たす。

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(イーオン社長 三宅 義和、フィギュアスケート選手 宮原 知子 構成=郷和貴)

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