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「幕臣→官僚→大実業家」渋沢栄一はなぜ"転職出世"に成功できたのか

プレジデントオンライン / 2021年3月24日 9時15分

論語塾講師の安岡定子さん - 撮影=大沢尚芳

NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一は500社もの会社を立ち上げた。論語塾講師の安岡定子さんは「個人よりも公共の利益を優先してきた渋沢の原点は『論語』にある」と指摘する。歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんとの対談をお届けしよう――。(前編/全2回)

■今こそ渋沢栄一の生き方にヒントがある

【ビビる大木】昨年は世界中が新型コロナウイルスのパンデミックに巻き込まれ、国民みんなが、暮らしはどうなるのか、経済はどうなるのか、と不安に駆られているうちに幕を閉じました。そして、いつになったら収まるんだろう、もとの暮らしに戻れるのだろうか、さあ、どうしようとの思いで迎えた2021年、僕らは奇(く)しくもNHK大河ドラマで渋沢栄一の生涯や人となりに触れることになりました。

もちろん今年の大河ドラマの主人公が渋沢さんということは、ずっと以前に決まっていたことで、全くの偶然に過ぎませんが、僕は、天が2021年に渋沢栄一という人を置きにきた、逆の言い方をすれば、渋沢栄一という人の生き方に何かヒントがある、と天に教えてもらっている。そんな不思議な巡り合わせのようなものを感じます。

【安岡定子】私も同じ思いです。私は日ごろ『論語』をいろいろな方と一緒に読んでいますが、孔子は、先達(せんだつ)の言動や生き方から学ぶことの大切さを繰り返し説いています。私も孔子を見習って、ビジネスパーソン向けの論語講座では、実際に『論語』を学び、自らの生き方に取り入れて活躍した歴史上の人物のお話をしています。

例えば聖徳太子や徳川家康、とりわけ渋沢栄一についてお話しする機会が多いのです。論語塾に来られる方の中には、渋沢さんが設立に関わった会社にお勤めの方も多いので、渋沢さんを通じて『論語』を身近に感じてもらえると思ったからです。

■「公共の利益が先、個人の利益は後」を実践

【大木】渋沢栄一は500社以上の会社の設立に関わってきました。ビジネスパーソンの方々の多くが渋沢さんを知っているのは自然の成り行きかもしれませんね。

【安岡】企業活動には、経済的価値と同時に社会的価値を生み出すことが求められます。社会的価値の内容は時代によって変化しますが、いまなら、気候変動をはじめとしたさまざまな地球規模の課題を解決して持続可能な社会をいかに実現するか、SDGsですね。

『論語』には、「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」「利を見ては義を思う」など「義」と「利」という言葉がよく出てきますが、渋沢栄一は、義は公共の利益、利は個人の利益と解釈して「公共の利益が先、個人の利益は後」を実践してきた人です。論語塾に通ってくるビジネスパーソンたちも、そのことに気づいて、「なんだ、孔子は2500年も前に、そう言っていたのか」「渋沢栄一は、100年以上前に、そのことに気づいていたのか」と感心しています。

大木さんが今おっしゃった「天」は、『論語』にたくさん出てくる言葉ですが、私も天の配剤というか、人知の及ばない大きな力を感じます。

■幕末によくある派手なエピソードはないが…

【大木】でも、これだけの大仕事を成し遂げた人なのに、意外と知られていませんね。「類は友を呼ぶ」の言葉どおり、僕の周りには幕末史好きが何人もいます。例えば西郷隆盛や坂本龍馬のような武勇伝がある人のことはよく知っている。一方、渋沢栄一は、現代に通じる銀行や会社をつくり、大学や病院もつくって教育や社会福祉事業にも貢献した「日本資本主義の父」と呼ばれる人だといわれても、あまりピンときていないようです。

【安岡】渋沢栄一の著作を読むと、視野の広さ、洞察力の鋭さ、先見性などスケールの大きさを感じます。歯に衣着せぬ物言いも秀逸で、これほど面白い人物はそういないと感じますが、命のやりとりのような派手なエピソードを期待する方々には面白みに乏しい人物と映ってしまうのかもしれません。

【大木】そもそも時代劇や歴史もの好きは、現代とのギャップ、たとえば丁髷(ちょんまげ)や忍者などの装束、戦闘や切り合いなど、非日常的なシーンに魅力を感じる人が多い。大河ドラマでの起用が遅れたのもそういう理由かもしれませんね。

でも、死後90年もたってなお、同郷の後輩である僕に、本のお仕事や大河ドラマの案内役のお仕事をつくってくださるわけだから、やはり頼りがいのある偉大な先輩です(笑)。

ビビる大木さん
撮影=大沢尚芳

■武士も農民も町人も同じ志を抱いて動く時代

【安岡】大木さんは、そもそも幕末史のどんな点に魅力を感じておられますか?

【大木】いろいろありますが、やはり佐幕か倒幕かの別なく、若者たちが国の危機を憂い、国を救いたいとの志を持って命がけで駆け抜け、維新の革命を成し遂げたところです。この時代は武士だけでなく、農民や町人も同じ志を抱いて激しく動き回っています。

農民出身の渋沢栄一も、尊攘倒幕の志士として仲間と高崎城を襲撃して横浜を焼き討ちする計画を立てますが、この時代の志士はみんな、大義のために自分の命は犠牲になってもかまわないとの覚悟で挑もうとしていた。他の志士たちとあまり変わりませんが、安岡先生がおっしゃるように、彼らとは別の次元でものを考えていたようにも見えますね。

■情熱に任せて行動するだけではだめだと気づいた

【安岡】高崎城襲撃計画は、従兄弟の尾高長七郎に、成功の見込みはなく、百姓一揆に間違われて犬死するだけだと諫(いさ)められて断念します。そして京都に逃れ、一橋家家臣→幕臣→明治政府の官僚→在野の実業家と転身を重ねていきますが、この間わずか10年ほど。尊王攘夷→文明開化→明治維新→殖産興業という時代の大きな潮流と重なります。

渋沢栄一は、転身のたびに大きな挫折感を味わいますが、高崎城襲撃計画を断念して以降、ただ情熱に任せて行動するだけではだめだと気づいたのでしょう。

【大木】他の志士の中にも、倒幕は目的ではなく国難を克服するための手段に過ぎない。大切なのは、その後どんな国をつくるかだと考えて行動していた人たちも数多くいた。渋沢栄一もその1人だったと思いますが、その後の行動は確かに他の志士たちとは違います。

■農民出身ゆえに気づいた理不尽さ

【安岡】渋沢さんが17歳のときの有名なエピソードがありますね。父親の代理で地元・岡部藩の陣屋に行ったとき、500両の御用金を出すように命じられ、自分は父の代理でご用向きを聞いてこいと父に言いつけられたので、父に報告しますと言うと、すぐにこの場で承知したと挨拶しろ、とさんざんに罵られた。このとき封建的身分制度の理不尽さへの疑問が生じたといわれています。

ビビる大木・著『ビビる大木、渋沢栄一を語る 僕が学んだ「45の教え」』(プレジデント社)
ビビる大木・著『ビビる大木、渋沢栄一を語る 僕が学んだ「45の教え」』(プレジデント社)

【大木】このあたりから、単に幕府を倒すだけではだめで、身分制度ではなく、一人ひとりが持つ資質や能力で評価され、活躍できる社会がみんなにとっていい社会では、と考え始めたのでしょうか。

【安岡】その時点で、そこまで一足飛びに考えたかどうかは分かりませんが、その後の渋沢栄一の転身ぶりを見ると、そういった考え方で行動していたように見えますね。それを決定づけたのは、やはりヨーロッパ行きの機会に恵まれたことでしょう。

【大木】渋沢さんが、すでにそんな風に考えていたとすると、「坂本龍馬暗殺の真犯人は誰か」みたいな本を読み漁ってきた僕は一体何をやってきたのか、わからなくなってしまいます。龍馬が暗殺され、薩長が、これからいよいよ幕府と戦争するために鉄砲や大砲をどうするって騒いでいるときに、渋沢さんはすでに髪を切り、タキシードを着てパリの下水道の見学をしていました(笑)。

■パリを目の当たりにして租税・貨幣制度を改革

【安岡】銀行家と軍人とが同じテーブルで対等に商談をしているのを見て、「わが意を得たり」と喜んだりもしていたわけですから、ずいぶん違います(笑)。

渋沢さんは、パリに行き、資本主義のシステム、それによってもたらされた産業の近代化を目の当たりにして、日本も同じように産業を興して経済を発展させ、国を豊かにしなければならないと確信して帰国します。そのことを熱く説いても、周りの人たちにはなかなか理解してもらえない。そんなもどかしさは感じていたと思います。

でも、とにかく新しい国をゼロからつくる仕事、要となる大蔵省で租税制度の改正、貨幣制度改革、銀行条例の制定、国家予算の基本となる歳入見積もりのための統計づくりなど重要な仕事に奔走します。そして、この経験を次の実業家への転身に活かしていきます。

■渋沢が気づいた「日本の弱点」

【大木】渋沢栄一は、辞職の理由について、日本が最も弱いのが商売で、これを盛んにしないと日本は豊かになれない。だから自分がそれをやろうと考えたと言っている。安岡先生がおっしゃった世の中全体を見渡してみんなの利益のために必要なことをやるという考え方ですね。

【安岡】意見の相違もあるし、ウマが合う合わないといったこともあったと思いますが、渋沢さんは私情に流されず、客観的に見て道理にかなうか、公益になるか、と常に考えて判断し、行動していたように思います。

【大木】大久保利通は嫌いだけれど「君子の器」を持ち合わせた人だとか、西郷隆盛は賢いとか愚かを超越した将に将たる「君子の器」とか、渋沢さんが人を見て評価する拠り所も、また『論語』だったということですか。

■農業・工業・商業を見て育った

【安岡】現代と違って、あの時代にある程度教育を受けている人は、藩校や寺子屋で、子どもの頃から四書五経を素読していました。その中心が『論語』です。

【大木】素読って、時代劇などによく出てくる、子どもたちが先生の後について「子曰く、~」と声をそろえて音読する、あれですか。

安岡 定子『渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語』(プレジデント社)
安岡 定子『渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語』(プレジデント社)

【安岡】そうです。言葉の意味が理解できなくても、幼い頃に音で繰り返し身体に入れることで自然に覚えてしまう。成長して内容が理解できるようになると、『論語』の物事の考え方や人間関係の築き方などを自然と身につけられる学習法です。

渋沢栄一の生家は豪農で、小さい頃から父親や従兄弟について古典を学んでいます。また農家といっても藍玉や養蚕が中心だったので、図らずも藍を栽培する農業、藍玉をつくる工業、売り歩く商業と3つの産業を営む家でした。その後の生き方を見ると、やはり生い立ちが大きく影響していると感じます。

両親や年長者を敬い支えることは、「孝」という儒教の基本的な徳目です。渋沢さんは、さまざまな経験を積み重ね、その経験を通じて能力を磨き、知恵を身につけていったのでしょう。

■やる気を引き出すマネジメントも見事だった

【大木】僕も、テレビの撮影で渋沢さんの生家の跡地に行かせてもらいました。渋沢さんは、新しい時代は、身分に関係なく、それぞれの才能を活かしてみんなで豊かな社会をつくっていくべきだと言っていたというので、それは素晴らしいと思ってうかがってみたら、やはり家は大きかった(笑)。

テレビでも紹介したエピソードですが、渋沢さんは地元の農家の藍の品質を高めるため、藍の出来栄えによって生産農家の番付表をつくり、品質のよい藍を作った人たちを上席に据えて彼らを供応したそうです。競争心を目覚めさせ、褒めて伸ばす。マネジメントのセンスも身につけていたんですね。

でも江戸時代に『論語』を学んだ人はたくさんいたはずなのに、誰もが渋沢さんのように考えて大仕事ができたわけではありませんよね。

【安岡】肝心なのは、学んだことをいかに実践するかです。渋沢さんの行動を見て、素晴らしいと思う人は星の数ほどいたはずですが、実践した人は少なかったのでしょう。私の祖父、漢学者だった安岡正篤は、学問を実践して世の中に活かすことを「活学」と呼んでいました。

安岡定子さんとビビる大木さん
撮影=大沢尚芳

■渋沢が大切にした「合本主義」とは

【大木】渋沢さんは『論語』を「活学」した人だったんですね。

【安岡】そのとおりです。渋沢さんは「合本主義」という言葉をよく使っています。公益を増加させることを目的に、適切な人材と資本を集め、事業を推進していくという考え方です。多くの人に参加してもらって、みんなの役に立つ事業を推進し、同時に利益を多くの参加者に分配して社会を豊かにする。そのサイクルを回して、よりよい社会にしていくことを目指していたのでしょう。

【大木】すごいなあ、渋沢さん。埼玉には総理がいないねって、ときどき言われることがあります。総理を何人出したってことに僕はどんな意味があるのか、と思っていましたが、渋沢さんを1人出しただけで、埼玉は十分偉いと思います(笑)。(つづく)

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安岡 定子(やすおか・さだこ)
公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館理事長
1960年、東京都生まれ。二松学舎大学文学部中国文学科卒業。陽明学者・安岡正篤の孫。現在、「斯文会・湯島聖堂こども論語塾」「伝通院寺子屋論語塾」等、都内の講座以外に宮崎県都城市、京都府京都市、神奈川県鎌倉市等、全国各地で20講座以上を開き、子供たちや保護者に『論語』を講義している。また企業やビジネスパーソン向けのセミナーや講演活動も行っている。『新版 素顔の安岡正篤』(PHP研究所)、『心を育てるこども論語塾』(共著)、『仕事と人生に効く成果を出す人の実践・論語塾』(共にポプラ社)など著書多数。近著に『渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語』(プレジデント社)がある。

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ビビる 大木(びびる・おおき)
タレント・ピン芸人
1974年、埼玉県生まれ。1995年、渡辺プロダクションに所属し、コンビ「ビビる」を結成。コンビ解散後はピン芸人としてマルチに活躍中。現在、テレビ東京「追跡LIVE!SPORTS ウォッチャ―」、同「家、ついて行ってイイですか?」、中京テレビ「前略、大とくさん」等でMCを務める。幕末史跡めぐりが趣味で、ジョン万次郎資料館名誉館長、春日部親善大使、埼玉応援団、萩ふるさと大使、高知県観光特使等を務める。著書に、『覚えておきたい幕末・維新の100人+1』本間康司、ビビる大木著(清水書院)、『知る見るビビる』ビビる大木著(角川マガジンズ)などがあり、近著に『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)がある。

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(公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館理事長 安岡 定子、タレント・ピン芸人 ビビる 大木 構成=水無瀬 尚)

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