1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

家族が死んだ直後に「ディズニーランド行きたい」とねだった22歳の息子を抱える母親の絶望

プレジデントオンライン / 2021年3月27日 9時0分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/apomares

80歳の父親を看取った女性は、美容院の経営をしながら、精神を病んで認知症になった母の介護も担うなど日々を忙殺された。加えて、足を引っ張ったのは息子だ。女性は、Fラン大学を中退して女性と同棲を始めるなど自堕落な生活を送る息子への仕送りを止めた――(後編/全2回)。

■長年、精神科に通う母親が認知症に。その傍若無人ぶりにウンザリ

父親が亡くなると(享年80)、長年精神科に通っている母親(当時73歳)は同居するひとり娘の蜂谷歩美さん(当時40歳)が経営する美容室に用もないのに何度もやってくるようになった。それまでの経験則で、母親が1日に来る回数が多ければ多いほど、その精神状態がよくないことはわかっていた。

古い銀行通帳を持ってきては、「こいつ(歩美さん)が私のを盗んだ」と言いがかりをつけたり、鍵をかけたドアを激しくたたいたり。最後は決めセリフのように「あんたなんか、もらわなければよかった! 返せばよかった!」とわめくのだ。

蜂谷さんが母親から「あんたを産んだのは私じゃない」(養子として迎え入れた)とまさかのカミングアウトをされたのは、10年前の夏、妊娠8カ月の身重だった頃だ。

蜂谷家は2世帯住宅で、2階は蜂谷さんと外資系企業に勤める夫と9歳の長男が住み、1階は母親が暮らしていたが、2階にあったものが留守中になくなることもしばしば。あるときは冷蔵庫の中で母親の老眼鏡が冷やされていたが、母親は「私のじゃない。私は2階に上がったことがない」としらを切る。

蜂谷さんの夫は、母親が2階に上がってくるのを防ぐため、階段に青竹踏みやペットボトルの飲料などを置いてバリケードを作った。すると母親は「バカにしてる!」と怒り狂い、階段の飲料を蹴り落とす。落ちた衝撃で容器が壊れ、階段や廊下は炭酸飲料でアワアワになった。

それ以降、2階のドアに鍵をつけた。

母親は30年以上前から精神科に通い、抗うつ剤や睡眠導入剤を服用していたが、自分の薬を他人に触らせないだけでなく、精神科の診察室には、絶対に他人を入れなかった。だが、ここまで奇行が増えてくると、母親の精神科医と連絡を取らざるをえない。蜂谷さんは「母は統合失調症ですか? 躁鬱ですか?」と訊ねると、主治医は「認知症です」と答える。さらに「認知症になる以前は?」と訊ねるも、主治医は首を傾げるばかりだった。

■「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」

2011年6月時点で、母親は介護施設のデイサービスに週2回通い、介護サポートを週1回利用し始めた。蜂谷さん45歳、母親78歳になっていた。

認知症と思われる行動はその後も増えていった。例えば、2011年12月の深夜。真っ暗な玄関から母親の声がした。

「暖かくなりましたねえ。ええ、はい。ありがとうございます」

一人で誰かと話している。こちらが声をかけても反応しないため、手を引いて部屋の中へ移動させると、母親は何事もなかったかのように布団に入り眠り始めた。

夫は、母の玄関での奇行に気づいていたが見て見ぬフリ。蜂谷さんが不満を言うと、夫は仕事で疲れているのか「お前の親なんだからお前が看ろ! お前は俺の親なんか看る気はねぇだろう!」と取り合わなかった。

2012年のある日は、母親は突然2階に上がってくると薬の袋を見せつけ、「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」と叫んだ。蜂谷さんたちが呆然としていると、「私なんかどうでもいいんだ。全部飲んでやる!」と暴れた。

蜂谷さんは当時感じていた苦痛をこのように表現する。

「私は、常に両親に気を使って生きてきました。どうして『お前なんかもらわなきゃよかった』と言われても、言われた通りの職につき、婿に来てくれる人と結婚し、老後の面倒を見て、2世帯同居し、2ケタの小遣いまで渡していたのか……。マインドコントロールされていたのかもしれません」

聞けば、生みの両親は、蜂谷さんの母親の弟夫婦とのこと。弟夫婦に子供が産まれることを知ると(妊娠初期)、子供がどうしてもほしかった蜂谷さんの両親(育ての親)は「ウチに養女に出してほしい」と、祖父母(蜂谷さんの母親の両親)とともに土下座したそうだ。弟夫婦は泣く泣く承諾した。

■閉鎖病棟へ入院、看護師は母に睡眠薬だといってラムネを渡した

2013年1月。ショートステイ利用時、母親は夜中にトイレの前でブツブツ呟きながら失禁。蜂谷さんが精神科医に相談すると、即入院準備となる。

「若いうちから精神安定剤を飲んでいると、認知症を発症しやすいといいます。母の認知症は、この頃から急激に悪化していきました」

同年2月。母親はかつて入院して「もう二度と嫌だ」と言っていた閉鎖病棟に入ることになった。

「ひどい娘だと思う人もいるかもしれませんが、これがわが家の最善策でした。当時の母は、現実と夢の中を行ったりきたりしているような感じでした」

蜂谷さんは、病室で母親が文字とは思えないサインを書く様子を見つめているうちに、涙が止まらなくなっていた。

閉鎖病棟の医師は、薬物依存症になっている母親から、まずは薬を抜くという治療方針だった。母親は毎日何度も、「眠れないから薬をちょうだい」と言ってナースステーションにやってくる。あまりにしつこいため、看護師はラムネを渡すことにしたという。

ラムネ
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

母親はイチジク浣腸にも依存していた。一時帰宅した際に一気に6本も使った母親は、その後、リビングで大変なことになっていた。

一時帰宅した理由は、眼科への通院だった。母親は眼科医から、「緑内障で、左目が失明していますね」と言われ、翌日、閉鎖病棟内で首を吊ろうとして看護師に止められる。事前に蜂谷さんが「母は精神病院に入院中です」と伝えているにもかかわらず、配慮のない眼科医に蜂谷さんは言葉を失った。

やがて母親は、高齢者病棟へと移った。

■迫る母親の死、さらに息子が腐り始めて足を引っ張る

美容師の仕事をしながら、母親のケアをしている蜂谷さんは、それだけでいっぱいいっぱいだったが、この後、新たな厄介事が起こる。ひとり息子だ。

2013年夏、中学3年生になっていた息子は、ラグビー部の全国大会で優勝。息子の活躍は、新聞や雑誌に取り上げられた。

中高一貫校だったので、そのまま高等部へ進学するも、高等部のラグビー部監督と合わず、だんだん練習に参加しなくなっていく。蜂谷さんは練習に行くよう促すが、夫は「嫌なら休めばいい」と言う。

息子は練習を休むと、病院まで10キロの道のりを、自転車で祖母に会いに行った。小遣いをねだるためだ。

2014年、息子はますます部活を休みがちになる。蜂谷さんが小言を言うと反発し、その度に部屋の壁に穴を開けた。

一方、母親は、入院中にもかかわらず、「服がないから持ってこい」と言い、言うことを聞いて服を持ち込むと、看護師さんに「服は十分あります」と注意された。

「読んでいた漫画を突然取り上げてビリビリに破かれるなど、母とのいい思い出がなく、入院させて申し訳ないとか後ろめたいといった気持ちもありませんでした。でも、オシャレが大好きだった母なので、せめて服くらいはと思いました。入院生活が長くなり、私にも多少、母を憐れむ気持ちが出てきたのかもしれません」

蜂谷さんは毎週、面会だけは欠かさなかった。

■母の葬儀の準備中、息子は「明日ディズニーランドへ行きたい」と

2015年1月。仕事を終えてスーパーへ行き、帰宅直後に病院から電話が入った。

「お母さんの意識がありません。これから救急車で○○病院へ向かいますので来てください」

金曜の夜で、夫も息子も家にいたが、蜂谷さんは一人で向かう。念のため母親の弟夫婦と妹に連絡を入れると、従兄弟が来てくれた。診察室に通されたのは0時ごろ。従兄弟が「先生、あとどのくらいもつんだい?」と訊ねると、「1〜2日でしょう」と医師は答えた。重度の腸閉塞だった。

翌日、蜂谷さんは仕事を終え、病院に向かう。意識がないはずの母親は、お腹が痛いらしく、腹部に手を当てていた。蜂谷さんは「ばーさん、来たからね」と伝えてお腹をさする。すると母親は、「歩美、ありがとう……」と振り絞るような声で言った。

しばらくすると看護師が「今夜は大丈夫そうです」と声をかけてくれたため、「また明日ね」と伝えて帰宅。翌朝7時ごろ、蜂谷さんのスマホが鳴った。

蜂谷さんが一人で病院へ向かうと、バイタルメーターの波が弱くなり、血圧も下がってきていた。8時22分、母親は死去(享年80)。蜂谷さんは47歳になっていた。

「精神的な病に苦しんだ数十年。やっと楽になれたはず……と思いました」

涙が静かに流れた。だが、周囲の人間には、死を悼む気持ちはまるで感じられなかった。

葬儀の準備のさなか、夫が海外出張のとき亡き母親のために買ってきたブランドバッグを義母(夫の実母)が欲しいと言い出したかと思えば、息子は「明日ディズニーランドへ行きたい」とTPOをわきまえない願いを申し出た。

蜂谷さんが絶句していると、夫はブランドバッグを自分の母親に渡し、息子には「いいぞ。俺が駅まで送ってやる」と答えていた。

家で泣いている女性
写真=iStock.com/SimonSkafar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SimonSkafar

■外資系企業勤務の夫はリストラ、息子は部活を辞め、学校も休む

2016年4月。高校3年生になった息子は、中学から5年間続けてきた部活を辞めてしまった。そして外資系企業に25年以上勤めてきた夫はリストラに遭い、早期退職することになった。

息子は「受験勉強に専念する」と言うが、真剣にやっているようには見えない。部活だけでなく、学校の居心地も、どんどん悪くなっていっているようだった。

「中等部の部活では活躍の場を与えてもらった息子ですが、友人などとの良好な人間関係は築けなかったようです。高等部の監督との相性の悪さも、さまざまなところに悪影響を及ぼしたのだと思います。夫は『監督が嫌なら、仲間たちと革命を起こせ』とけしかけていました。夫は、小学校のスポーツ少年団の時もコーチの態度に激怒して、試合途中に息子を連れ帰ってしまったことがあります。私は、6年たっても変わらない夫の対応にうんざりしていました」

GW明けから息子は学校の授業も休むようになり、「何をやってもうまくいかない。頭がおかしくなりそうだからメンタルクリニックに連れて行け」と蜂谷さんに言う。連れて行くと、漢方薬を処方されたが、息子は「お腹が緩くなる」と言って3日で飲むのをやめてしまった。

■家出して彼女の家に行った息子、書き置きの手紙は誤字脱字だらけ

8月。仕事が終わって帰宅すると、7月末から無職になった夫から息子が家を出て行ったことを知らされる。誤字脱字だらけの書き置きの手紙には、自殺まで考えた息子の気持ちが書いてあった。

夫がなんとか連絡を取ると、息子は彼女の家におり、数日後に帰宅。彼女とはSNSで知り合い、祖母の葬儀の翌日も、その娘とディズニーランドへ行っていたようだ。息子は義母に小遣いをせびりに行ったこともあるらしく、ある晩に、蜂谷さんは義母から電話で、「どういう教育しているの?」と罵声を浴びせられたそうだ。義母が断ると、息子は「クソババア! 二度と家に来るな!」と捨て台詞を残して去った。

その一件以来、息子は自室にこもってしまった。夏休みの終わり、幸い夫の再就職先は決まったが、息子は大学受験対策の予備校の夏期講習に一度も行かず、予備校も辞めた。

■「あいつ、お前の金、全部持ってったぞ」

新学期が始まった。朝5時ごろ、息子と夫が言い争う声で蜂谷さんは目覚める。夫は「行くな!」と必死に呼び止めるが、息子は出て行った。立ちすくむ蜂谷さんに夫は言った。

「あいつ、お前の金、全部持ってったぞ。俺のは取り返したけどな」

千円札のつまった財布
写真=iStock.com/Anson_iStock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Anson_iStock

蜂谷さんが慌てて財布を見ると、昨日おろしたばかりのお金が全部抜き取られていた。もはや「善悪の区別もつかなくなったのか」と、蜂谷さんは呆然とした。

われに返った蜂谷さんは、息子の彼女の母親に電話をかけた。すると彼女も家出をしたという。動機、息切れ、めまいが蜂谷さんを襲うが、それでも蜂谷さんは店を開けた。

夜、彼女の母親と連絡を取り合う。聞けば、彼女は高校を辞めて住み込みで働きたいと言っているという。結局、数日して息子は帰ってきて、仕事を探したが、見つからなかったらしい。小言を言う蜂谷さんを制して、夫は息子を咎めなかった。

■終わらない子育て、息子は「日本海側の大学」を中退し彼女と同棲

蜂谷さんは、息子が高校を卒業できるようにすることを最優先に考えた。夫は単身赴任が決まり、逃げるように引っ越していく。

「2016年の夏、有名な女優の息子が犯罪者としてニュースに取り上げられていましたが、母親である女優さんが気の毒で、何とも言えない気持ちでした。ただ、『息子をきちんとさせなければ』という思いは同じではないかと思いました。両親の介護もつらかったですが、この頃が今まで生きてきて1番と言い切れるくらい、つらくて苦しかったです」

男性におんぶしてもらいながら自撮りする女性
写真=iStock.com/martin-dm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/martin-dm

2017年3月。息子は何とか卒業できることが決まる。息子にお金を盗られたのがショックだった蜂谷さんは、以降、入浴中も寝る時もバッグを離さなかった。

蜂谷さんは、「ここなら受かる」と担任が勧める日本海側の大学を1人で見学に行き、下宿先と入学を決めてきた。「行きたくない」という夫を伴い、息子の卒業式に出席すると、息子が入場してきた途端、蜂谷さんは号泣した。

■息子「やりたいことなんてない。(俺が)生きているだけマシだと思え」

そして3月末。夫は単身赴任先のアメリカへ、息子は雪国へ旅立った。問題の彼女と同じ大学だった。彼女は息子の下宿の隣に住み、3カ月で大学を辞めた。息子は行ったり行かなかったりを繰り返し、最終的にはバイトの先輩が起業する際に誘われ、2020年4月に退学。

蜂谷さんは仕送りを止め、「働いてお金を貯めて、自動車免許を取りなさい。5年後に楽しく生きていられるように考えて」とだけ伝えた。

息子は「やりたいことなんてない。(俺が)生きているだけマシだと思え」と言った。

「今までお金に困ったことが無い息子。1円を稼いで、それを貯金することがどれだけ大変かを、少しずつでもいいから学んでほしい。同じ年齢の男の子の事件がある度に息子に重ねてしまいます。どこで狂ったのでしょう。息子がどうしようもなく腐ってしまったのが、親の介護よりずっとずっとつらいですね……」

息子と彼女は3年前から同棲を始め、息子は2年半帰ってきていない。

「私は仕事と子育てを両立できるよう頑張ってきたつもりです。平日は両親に預け、土日祝日は夫に預けて生後3カ月から美容室で働き、3歳前から幼稚園。店が休みの日はお弁当を作って公園に行ったり、クッキーを作ったりと、できる限り子育てを頑張ったつもりです。でも、息子は腐ってしまった。でもどんなに腐っても私の息子です。育てた責任は取らなければと思います。いつか自立して、『生きてて良かった』と思えるようになってほしいですね……」

2020年後半、生みの父親が亡くなった。

蜂谷さんにとっての親は、育ての親だ。生みの父親が亡くなると、生みの母親が介護経験のある蜂谷さんを頼ってきたが、生みの両親には子供が3人いる。蜂谷さんは、3人のうちの誰かを頼るよう生みの母親に話した。

生みの両親が近くにいながら、養父母に育てられ、2人を介護の末、看取った蜂谷さん。両親の介護は終わったが、いまだ成人した息子の将来を見通すことができないでいる。

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

----------

(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください