「ワクチン遅れには不満だが、自分はまだ打ちたくない」そんな日本人が私は好きだ
プレジデントオンライン / 2021年4月19日 15時15分
■諸外国に後れを取る、わが国のワクチン接種
4月5日付、読売新聞朝刊からです。こちらによりますと、全国で実施した世論調査で、新型コロナウイルスのワクチン接種がアメリカなど他の先進国と比べて遅れていることに不満を感じている人は、「大いに」32%、「多少は」38%を合わせて70%に上ったということです。
「イスラエルは全国民に2回接種を終えつつある」ということと、その効果か、同国では感染率が低下している経緯などを報道で聞くと、わが国が当初予定していた供給量をまかなえていない現実に、おかしいなあと思うのは人情です。
ですが。
某政党がワクチンの安全性に疑問を呈しながら、その勢いで、ワクチン接種が遅れている政府の対応の不備を揶揄する姿勢に、正直矛盾を感じたのは私だけではないはずです。だってワクチン接種が遅れたほうが、結果として危険性が高いものを遠ざけられるのですから。無論私はここで政府の対応を褒めようとしているわけでも、またワクチンの恐怖感を煽ろうとしているわけでもありません。私がただ面白いなあと思うのは、そんな「矛盾」だけなのであります。
世論についても矛盾を感じます。時事通信の3月の世論調査によると、ワクチン接種の機会が訪れたときの対応について、「しばらく様子を見る」が51.8%、「すぐ接種する」が41.9%。「接種しない」が5.7%、「分からない」が0.7%でした。
7割が「ワクチンの遅れに不満だ」といっているのに、5割は「打てるとしてもしばらく様子をみる」というのは、なんだか人間らしい話だと思えるのは私だけでしょうか。
■「運を招くはずのパワーストーン屋さんが閉店していた」
大昔ビートたけしさんのツービート時代の漫才の中で、高校野球の監督が選手に向かって「負けてもいいから絶対に勝て」とアドバイスしたというのがありましたが、それに近い世界観とでもいうべきでしょうか。
考えてみたら世の中は矛盾だらけです。
「運を招くはずのパワーストーン屋さんが閉店していた」というのもその一例でしょう。パワーストーンの効果はどうだったのかと疑いたくなります。「紙ゴミを減らしましょう」というチラシにも矛盾を覚えます。「ベストセラーの作り方」というタイトルの本があまり売れていなかったこともありました。
究極の矛盾は何かと思っていたら、古典落語の中に素晴らしい作品があったことに気づきました。
「粗忽長屋」という落語です。
あらすじは――そそっかしい人間ばかりが住む長屋の中で1、2を争うそそっかしい八五郎が浅草の観音様にお参りに行き、帰りに仁王門のところで行き倒れに出くわします。黒山の人だかりをかき分けて前に進み、役人たちから死体を確認するよう促されて見てみると、「こいつは友人の熊五郎だ」と言い放ちます。身元が判明したと役人たちは喜び、さらに熊五郎に身寄りがないとわかると、八五郎に「この死骸を預かってほしい」と訴えます。するとここから八五郎が信じられないことを言い出すのです。
曰く、「ここに死んだ当人を連れてきます」と。
■矛盾こそがおかしさの真骨頂「粗忽長屋」
ここから話がまるでかみ合わなくなるのが、この落語の真骨頂です。
「今朝、熊公は体の具合が悪いといっていました」と八五郎は言うと、役人たちは「いや、じゃあ違うよ、この人はここで夕べから倒れているんだから」とこの死体が熊五郎ではないと否定します。が、八五郎は聞く耳を持たず、熊五郎本人を連れてくると言って長屋へと引き返します。
八五郎は、長屋に戻り、熊五郎に対し、「お前は浅草寺の近くで死んでしまったんだ」と主張します。熊五郎はというと、これまた信じられないほどそそっかしい奴で、「俺は死んだような気持ちはしない」と訴えるのですが、主観の強い八五郎が「この俺の言うことが信じられないのか。お前は粗忽者(そこつもの)だから死んだことに気づいていないんだ」などと言いくるめられます。そして八五郎と一緒に自分の死体を引き取りに浅草寺に向かいます。
役人たちが強く「この死骸は熊五郎ではない!」と訴える中、「この死骸はお前だ」と八五郎は熊五郎に言います。最終的に、熊五郎は「この死骸は俺だ」と泣きながら抱き起こします。周囲の者たちはあまりのバカバカしさに呆れますが、しばし抱いている死骸の顔をしみじみ見ながら、熊五郎が「兄貴、だんだんわからなくなってきたぞ。抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」というオチを述べます。
今は亡きわが師匠立川談志の十八番とも言える爆笑落語でした。
■ダメ人間がかばい合って生きるコミュニティ
談志はこの粗忽長屋を「主観長屋」と捉え直して、「世の中主観の強い奴にはかなわない」という形で演じ切っていました。
まさに談志本人そのものが主観の強いキャラクターでしたから、その日頃の言動と掛け合わされる形でこの落語の登場人物たちがすべて談志の分身にすら思えてきて、味わいはさらに深くなっていったような気がしたものです。
私も、談志のかような遺産を少しでも受け継ごうと、先日地元の浦和圓蔵寺定例独演会では、もう一人の登場人物の留(とめ)公を登場させてみましたが、さらにもう一人登場させて「顔は留公で右手が辰(たつ)公だ」みたいな形にしようかと新たな工夫を思いつきました。
落語には、かように演じる度に、お客さんの感想や自分の思いなどからどんどん変更させてゆくことのできる柔軟性が備わっているのです。そんな対応力があったからこそ長い年月を経ても古典として残っているのかもしれません。
「昨日死んだことを知らないで長屋に戻ってきてしまった奴」と思い込む人だけではなく、「自分が死んでしまった」とさらに思い込む人がつながってさまざまな矛盾がさらに複層的に重なり合うところからこの噺は成立しています。
まさに「矛盾」がテーマなのです。
ここから幾分飛躍させてみます。
「粗忽な人間ばかりが住む長屋」から付けられた「粗忽長屋」というこの落語ですが、もしかしたら、「あまりに粗忽すぎてほかの場所では生きてゆくことができなかった者」たちがそこに集まったのかもしれません。世間一般の常識から逸脱したようなダメな人間同士が自然とそこに住み着いた長屋は見方を変えてみると、「常識的にはアウトな人たちでもかばい合って生きて行けるコミュニティ」としても捉えられないでしょうか。
そこにはきっと「矛盾」を断罪し合うような現代のギスギス感は皆無のような気がします。
無論落語なんて所詮フィクションですし、その設定にはエビデンス的な裏付けなどまったくないはずですが、でも、400年間にわたって支持されてきた世界観は、その時代を健気に生きる庶民たちの「願い」は反映され続けてきたはずです。「こんな長屋があったらおもしろいなあ」と。
■矛盾を受け入れて、笑いに変えよう
現代文明は明治以降、矛盾を解決することで進歩してきました。代表的なのが江戸時代から固定されてきた身分制度という大きな矛盾です。
さまざまな矛盾は無論解消されなければなりませんが、最前から申し上げて来ているように矛盾は「笑いの原点」でもあります。「頭のいいはずのオトナたちが頭をひねって各家庭に二枚ずつマスクを配った」のも大きな矛盾かもしれませんが、「ああ、そんな知恵しか浮かばないのなら、自分たちがしっかりしなきゃダメだ」と国民に意識改革を促すに至ったのではと考えれば、おかしみのある良い矛盾なのかもしれません。
さまざまな矛盾を糾弾する前に、いったん受け入れてみたらいかがでしょうか。
実は、私、こんな矛盾だらけのコロナ禍で発生した空白の時間を、コツコツ埋めることで一気に書き上げた初小説が書籍化されます。『花は咲けども噺せども』(PHP文芸文庫)です。来月13日の発売です。コロナのおかげで書けた笑えて泣ける本です。お楽しみに。
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立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)
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