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「尿臭がすごいから芳香剤を買ってこい」劣悪介護施設が家族を罵倒した、ありえない言葉

プレジデントオンライン / 2021年4月24日 9時0分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

がん闘病中の母親をケアするべく50代独身女性は要介護の父親をある施設に入れた。ところが、これが大ハズレ。父親が失禁していてもズボンや下着を取り替えず、「洗濯では臭いが取れないので、寝具をすべてクリーニングへ」「尿臭がすごいから芳香剤を買って」と命じるなど、気遣いや思いやり、プロ意識のかけらもない言動のオンパレードだった――。

■「余命半年」70代母は甲状腺がんのあと、大腸と肺のがんがみつかった

東北地方に住む南野朱里さん(仮名・50代前半・独身)の40代は壮絶なものになった。

父親は短期間に3度の転倒で頭を打つなどして要介護状態となり、会話もおぼつかない。母親は甲状腺がん手術が成功したかと思いきや、直後に大腸がんや肺がんも見つかり、余命半年の宣告を受けた。

ダブル介護に直面した南野さんは、77歳になった父親の施設入所を検討することにした。すでにデイサービスは利用していたが、もともと気難しい性格で、75歳の母親以外の世話をなかなか受け入れない。その母親が大腸と肺のがんで入院するとなると、南野さん一人で父親の介護を自宅でするのは不安だった。

母親が入院するまでに入れる施設を探そうと思い、父親のケアマネジャーに相談すると、「ちょうど小規模多機能ホームに1室空きが出た」という。渡りに船、と南野さんは即入居の申し込みをした。

■「苦痛の始まり」要介護の父が入った介護施設は完全なハズレ

「当時の私は、介護施設にはどんな種類があって、どういう違いがあるかなど、全く知らないまま、父に合っているかどうかまで考える余裕もなく、ただ空いている所に入れてしまいました。私は施設が決まり、安心したのですが、それが苦痛に満ちた生活の始まりになるとは、想像もしませんでした」

南野さんが父親に「お母さんががんになって、手術しなきゃいけないの。私一人ではお父さんを看れないから、施設にお願いすることになるからね」と言うと、父親は「いつまでだ?」と訊ねる。南野さんは、「お母さんが良くなるまで」と答えた。

母親は、2018年7月に大腸がんを、9月には肺がんの手術を受けた。「リンパにも転移があり、人工肛門になる可能性もある」と言われていたが、リンパの転移は大腸を多めに摘出することで解決し、人工肛門も免れた。

しかし、術後の傷が痛むらしく、気丈で明るい母もさすがに「痛い痛い」と時々こぼした。肺がんは左右に1つずつの転移があり、当初は両方とも摘出する予定だったが、片方は残し、抗がん剤治療に変更。最初の1週間は入院しての治療だったが、次は通院で3時間。診察や血液検査もあるため、一日病院漬けだ。その後、だんだん3週間に一度、1回30分程度のペースで治療を続けることになった。

■「娘さんから言い聞かせて」「尿臭がすごい、芳香剤を買って」

一方、2018年6月に小規模多機能ホームに入所した父親は、介護拒否が激しくなっていた。要介護度は当初の2から3になった父親は、入所してからトイレの失敗が増え、施設の職員がズボンや下着を取り替えようとすると、激しく拒否。入浴に関しても同様だった。

南野さんを困惑させたのは介護施設の職員の対応だった。ことあるごとに「娘さんから言い聞かせて」「尿臭がすごいので、芳香剤を買ってきて」と電話をよこし、ときには、父親本人に電話をさせることまであった。

スプレーを噴射する
写真=iStock.com/Natali_Mis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Natali_Mis

当時、施設入所が初めてだった南野さんは、言われるままに芳香剤を買ってきて、職員に頭を下げた。

「父は、恥ずかしいという気持ちだけは、最後まで抜けきれずにいて、トイレや入浴は、母が手伝うのさえ嫌がっていました。私も、今なら施設の対応がおかしいとわかりますが、その頃は初めてのことだらけで、全てこちらが悪いんだと思っていました。でも、介護職の友人に聞いたら『何を言ってるのよ、プロの介護職員がそれくらいできないでどうするの』と、あきれ顔。家族に対する気遣いや思いやり、プロ意識のない、何でも家族に頼る施設でした……」

施設の職員は、父親の介護拒否がひどいからと言って、父親が失禁していてもズボンや下着を取り替えようとはしない。南野さんと母親が週に1回面会に行くと、いつも部屋は尿臭がきつく、「洗濯では臭いが取れないので、寝具をすべてクリーニングへ出してください」と施設での洗濯を断られてしまう。南野さんが着替えを頼んでも、「無理やりやると虐待になる」と言って取り合わなかった。

小規模多機能ホームの職員の対応に苦慮した南野さんは、別の施設を探し始め、母親のケアマネジャーから「評判が良い」と聞いたところを見学したうえで申し込み、空きが出るのを待った。

2019年3月末、母親のケアと小規模多機能ホームの対応に追われ、南野さんは悩んだ末にパートを辞職することにした。

■やむなく移った有料老人ホームもハズレ「退去してください」

4月には、申し込んだうちの1つの有料老人ホームに空きが出たので、そちらへ父親を移すことに。ところが、その施設もハズレ。小規模多機能ホーム同様かそれ以上に、父親に関する苦情を南野さんに言ってくる施設だった。

「母ががんになったため、自宅で看ることができないから預けていると事情をわかっているはずなのに、入所翌日から毎日のように施設から苦情の電話がかかってきて、その度に施設へ飛んで行かされていました。こちらが何かを言うと必ず反論され、最後には『うちではもう看られないので退所してください』と言われました。介護のプロとしての責任や仕事を放棄しているように見え、心ない職員の対応は理解に苦しみました」

父親は、「いつまでここにいればいいんだ!」「家に帰りたい!」「俺は一人で何でもできる!」と繰り返す。それは施設の職員に対しても同じようで、父親がそう言って暴れると、施設の職員は「すぐに来てなだめてください」と電話をよこした。

「父がこういうことをしたとか、言うことを聞かないとかを私たち家族に伝えて来るのですが、父がそうなるには、その前段階があると思うのです。その説明は一切せず、自分たちが父からされたことでこちらを責められても、家族としてはただ謝るしかありません」

やはりこの施設でも「家族から言い聞かせてください」と言われた。

父親は小規模多機能ホームにいた頃より状態がさらに悪くなり、要介護4になった上、些細なことで興奮し、手がつけられなくなっていた。そして3週間目には、施設側から「退去してください」と言われる。「次が決まっていない」と伝えても、施設側は、「ここまで症状が進んでいるとは、情報不足だった」と言って取り付く島もない。これには普段温厚なケアマネジャーも「情報があるなしの問題ではない!」と憤慨。何とか次が見つかるまで時間をもらうことができたが、施設探しは難航した。

困り果てた南野さんは、父親が以前、脊髄梗塞になったときから10年近く世話になっている主治医に相談。主治医は、母親ががんの治療中であることも把握している。「3カ月間の入院中に、次の施設などを探してくださいね」と断った上で、主治医は同じ病院の精神科の受診を勧め、父親を精神科へ連れて行くと、その日のうちに入院となった。

■大腿骨骨折の母親「お父さん、私、こんなんなっちゃったわ〜」

精神病院に入院した父親は、まずは薬で興奮状態を抑えられた。面会に行くと、寝ていることが多くなり、南野さんは「これで良かったのか」と不安になる。しかし徐々に父親は落ち着きを取り戻してきた。

いずれもハズレだった小規模多機能ホームと有料老人ホームでは、衛生状態も良くなかったことが、この入院で発覚。医師や看護師、病院のソーシャルワーカーにこれまでの経緯を話すと、「そんなことはありえない」と一様にびっくりされた。

2019年6月。自宅で寝ていた母親が、起き上がるときにバランスを崩し、後ろに倒れ、そのまま起き上がれなくなる。ちょうど南野さんが不在だったため、母親は携帯電話で南野さんに連絡。急いで帰ると、母親は横たわったままで動けず、痛みも訴える。南野さんが救急車を呼ぶと、運良く父親が入院している病院へ運ばれた。そこは母親が定期的に抗がん剤治療を受けている病院だったので、都合が良かった。母親は大腿骨を骨折しており、そのまま入院になる。

大腿骨骨折のX線画像
写真=iStock.com/praisaeng
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/praisaeng

父親に、母親が骨折して同じ病院に入院したことを告げると、それまでぼーっとしていることが多かった父親が、「会いに行きたい」とハッキリ言う。南野さんはすぐに看護師の了承を得て、父親を車椅子に乗せた。

母親の病室を訪れると、「あらお父さん、私、こんなんなっちゃったわ〜」と母親。すると父親は、何も言わず、ただポロポロと涙を流した。それは南野さんにとって、初めて見る父親の涙だった。

父親が精神科へ入院している間に、南野さんは施設探しを進めていた。パンフレットを取り寄せ、問い合わせをし、10カ所以上見学。しかし、入居の可否を尋ねた施設からは音沙汰なし。南野さんは内心焦っていた。

そんな中、2つ上の姉夫婦とケアマネジャーを交えて話し合いの場が持たれた。

南野さんが、「父にとって一番いい施設はどんなタイプになるんでしょうか?」と訊ねると、ケアマネジャーは、「特養かグループホームなのですが、現状、空きがありません」と顔を曇らせる。すると、「多少金額がかかっても構いませんので、空きがあるところを探していただけませんか?」と姉が言った。

■3つ目に選んだ施設は…これが良心的な最高の施設

その翌日の昼、ケアマネジャーから電話が入る。どうやらケアマネジャーは、朝から事業所の職員総出であらゆる施設の空き情報を片っ端から調べてくれていたところ、グループホームで1カ所だけ空きがあることが判明。「これからすぐに2人で見学に行きましょう!」と連絡をくれたのだ。

そこは片道1時間ほど。ケアマネジャーは、父親や南野さんたち家族の状況を説明する資料や、必要な書類などをそろえて万全の態勢を整え、車で迎えに来てくれた。地図を頼りにグループホームへ向かう道すがら、南野さんはケアマネジャーが尽力してくれた経緯を知った。

「私にはこんなに頼もしい味方がいる。このとき初めて、自分の大変さばかりに目が行き、自分だけがつらいと思っていたことを恥じました……」

到着すると、すでに施設は夕食前の忙しい時間帯。それでも職員たちは快く受け入れ、隅々まで見学させてくれた。そのうえで、これまで小規模多機能ホームや有料老人ホームでの経緯を話すと、

「大丈夫ですよ。ここでは過去にこちらから出て行ってくれと言ったことはありません。利用者さんに叩かれたり、壁に穴を開けられたりということはありましたが、介護施設では日常茶飯事。うちでは職員も利用者さんも、怪我人が出ないように最善を尽くします。出て行けと言われても、困ってしまいますよね?」

優しく語りかけられ、南野さんは必死に涙をこらえた。それでも、

「いろいろな方が入居されていますが、私たち職員も学ばせていただいています。日々、すべてが学びです」

とダメ押しされると、もう涙は止まらなかった。2019年7月上旬、78歳の父親はグループホームへの入所が決まった。

■「死因は肺炎の疑い」父親は78歳で静かに息を引き取った

同じ7月末、骨折で入院していた母親が退院。要支援1と認定された母親は、8月からデイサービスへ行き始めた。

父親に良いグループホームが見つかり、母親もデイサービスに楽しそうに通ってくれる状況に安堵し、夏の疲れが出たのか、南野さんは体調を崩した。病院を受診し、点滴を打ち、薬を飲んで安静にしているにもかかわらず、その日の夜には39度を超える高熱を出し、布団から出られなくなる。このときばかりは立場が逆転し、母親はまだ思うようには歩けない足で、買物や食事の支度などを代わってくれた。

車で片道1時間ほどの距離にある父親のグループホームへは、父親の受診日に合わせて会いに行った。南野さんは、だんだん表情がなくなっていく父親の様子が気がかりだったが、いつも受診が終わる頃には表情が戻り、嬉しそうに母親と話す父親を見ると安心した。

敬老の日に行われた施設での敬老会では、父親は代表挨拶をこなし、「朱里も踊ってきたら?」と久しぶりに南野さんの名前を呼び、楽しそうだった。

「以前、小規模多機能ホームにいた頃、父は『誰も自分を必要としていない。誰もかまってもくれない』と寂しそうに言っていました。『家に帰りたい』と言って聞かず、大喧嘩になったこともありましたが、グループホームに移ってからは、暴れることもなくなり、介護拒否もありません。当時は私自身がいっぱいいっぱいになっていましたが、父が一番大変な思いをしていたんだなあと、申し訳ない気持ちになりました」

2019年10月初旬。父親は突然体調を崩し、施設から病院を受診。点滴などの処置をしてもらったが、その後は食事も摂らずに横になっていた。何度か職員が様子を見に巡回していたが、深夜に呼吸が止まっていることに気づき、病院へ救急搬送されたが、死亡が確認された。78歳だった。

「深夜に連絡をもらい、急いで施設に到着すると、父の身体はまだほんのり温かく、顔は微笑んでいるように穏やかでした。死因は肺炎の疑いとなっていましたが、眠るように静かに亡くなったようです」

肺炎のX線画像
写真=iStock.com/da-kuk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/da-kuk

■父と母のW介護「何度も消えてしまいたいと思いました」

グループホームに移る前、父親はポツリと「お母さんの言う通りになった。もう動けなくなったから、家には帰れないな……」とこぼしたことがあった。

「父はずっと、身体が不自由になった自分を認められずにいました。いつも『俺は何でもできる!』と言って私たちを困らせました。ろくにリハビリをせず、母に頼りっきりで、自分は何もしなかったことから出た後悔の言葉だったと思います。頼りの母もがんになり、嫌でも誰かのお世話にならないと生きていけなくなった状況を、ようやく自分の中で受け入れた瞬間だったのでしょう」

施設の職員の対応が最悪だった小規模多機能ホームと有料老人ホームを父親が利用していた約2年間は、南野さんにとってもつらい期間だった。

「父は言うことを聞いてくれない、施設はひどい対応、毎日施設から電話が来て、父の苦情処理に追われ、仕事を辞めたのに自分の時間は全くない。そして母のがん治療……。父は、一番介護をしている私に怒りをぶつけてきました。それがとても悲しく、つらかった。何度も消えてしまいたいと思いました」

■抗がん剤治療で母親が急激に衰える中、実姉ががんで死去

2019年12月。76歳の母親は、抗がん剤治療の副作用が強く出て、味覚障害のため食欲がなくなり、皮膚が真っ赤になって皮がむけ始める。精神的にも落ち込み、一日に何度も転倒を繰り返すようになった。

だんだん寝つきも悪くなり、全く眠れなくなったため、病院で睡眠薬を出してもらう。母親が眠れないときに付き合っていた南野さんも眠れなくなってしまい、母娘そろって睡眠薬を服用するようになった。

父親が亡くなってから、かれこれ2カ月ほど姉から全く連絡がなかった。母親が抗がん剤の副作用で起き上がれない状態になり、母娘そろって不眠になっているというのに、連絡さえよこさない姉に南野さんは憤慨。すると母親は、「きっと仕事が大変なのよ」と姉をかばう。これにはさすがに南野さんも腹が立ち、母親に怒りをぶつけてしまう。

その翌日、音信不通になっている姉に違和感を抱き、母親が電話をかけた。すると姉はその日のうちに夫婦で実家を訪れ、約10年前に乳がんになり、左胸を全切除し、ホルモン療法を続けていたが、7〜8年再発していなかったため、心配をかけたくなくて言わなかったと話した。しかし2019年6月に再発がわかり、すでに肝臓と骨に転移していることを告白した。

「姉はウイッグを取ると髪の毛がなく、話の内容からも、もう余命幾ばくもないということがわかりました。今なら、がんだったから、父親が寝たきりになった際に『金銭的な援助しかできない』と言ったのかなとわかりますが、当時は全く知らなかったため、言葉を失いました」

2020年1月。前月には家の中ではかろうじて歩けていた母親が、ほとんど歩けなくなっていた。食欲はなくやせ細り、睡眠導入剤なしでもひたすら眠り続ける。

不安で落ち潰されそうになった南野さんは、主治医に相談。すると精神科を紹介され、10日には、母親の精神科への入院が決まった。

後日、「検査の結果、抗がん剤治療の副作用によるストレスで、急激に衰えはしましたが、認知症ではありません。リハビリすれば、歩けるようにはなります」と医師から説明がある。南野さんは最悪の事態を想定していたが、胸をなでおろした。

抗がん剤治療を休止し、味覚を取り戻してきた母親は、毎日のように携帯電話で南野さんを呼び出す。お喋りも復活し、話すことはほぼ食べ物の話。しかし糖尿病のある母親は、食べたいものを自由に食べられない。それでも南野さんにとっては嬉しい悲鳴状態だった。

3月に母親は無事退院したが、姉は脳へのがんの転移が発覚。4月に入ると、義兄が姉の様子をメールで伝えてくるようになった。母親は、姉に会いに行きたい一心で歩行のリハビリに取り組んだが、世の中はコロナ禍で面会許可がなかなか下りない。

仮に許可が下りても、がんで弱っている姉に会いに行くことははばかられた。南野さんは、「コロナが収束したら会いに来てね」と姉が言っていたという、義兄からの伝言を母に伝えた。

4月末、乳がんのため姉は死去。50代半ばだった。

さらに8月。義兄(姉の夫)も職場で倒れ、そのまま死亡。死因ははっきりせず、「循環器系疾患疑い」と死亡診断書には書いてあった。

■たったひとりのW介護を支えてくれた恩人とは

南野さんは、父親の仏壇に毎日手を合わせる。この仏壇を買いに行ったのが、母親と姉と3人でした最後の外出だった。

現在母親は、経過が良好なため、抗がん剤治療は行っていない。糖尿病の通院は欠かせないが、つえがあれば歩けるまでに回復。南野さんは約3年前にパートも辞めてからは、かねて夢だった絵手紙教室を実家で開き、2人の生徒を教えている。

10年以上も両親の介護をひとりで続けてきた南野さんだが、感謝したい人も多いという。

「これまで母の弟夫婦には、父が卓球で倒れた頃から随分お世話になりました。私は車の運転ができないので、叔父が病院までの送迎を手伝ってくれて、本当にありがたかったです。そして、母のケアマネジャーさんにはとても救われました。私の愚痴や相談を気が済むまで聞いてくれて、最後には必ず、『大丈夫だから』『何とかなるから』と励ましてくれました」

最もつらいとき、南野さんは、「自分ばかりがつらい」「自分は一人で頑張っている」と思い込んでいた。しかしケアマネジャーは、「一人じゃない。みんなが助けてくれているから今がある」と教え諭してくれた。

「介護は、介護者が一人きりでは破綻します。人は一人では生きていけないし、必ず誰かにお世話になって生きています。それを冷静に理解できていれば、『一人で介護しよう』とは思わないのではないかと思います。私は初めから、『一人で』とは思っていませんでしたが、それでも精神的に追い詰められました」

筆者はこれまで30例以上、ダブルケアやシングル介護の当事者を取材してきたが、いずれのケースもキーパーソンに負担が偏っていた。南野さんの場合は姉が介護を拒否したわけではなく、南野さんの生活費や実家のリフォーム代を負担するなど協力的だったが、やはり主に介護を担う人にかかる身体的・精神的負担を分散しなければ、最悪の場合は総倒れとなり、家族全員が不幸な末路をたどりかねない。

南野さんはこう話す。

「私の経験上、親が介護者の言うことを聞かない場合が一番困りますね。特に父親に多く、介護している母親の方が先に倒れそうなケースをよく見ます。友人の両親もそのケースで、私は、知っている限りの知識を伝えたり、良い病院や施設を教えたりしていますが、やはり家庭環境が違うと、別の家庭環境で育った者がアドバイスしても、なかなか聞き入れてはくれません。なので、私は友人の話をずっと聞いています。私自身、ケアマネジャーさんに聞いていただいたおかげで、何とか持ちこたえられましたから。電話で4時間話した友人は、とてもスッキリした様子でした」

もちろん、話を聞いてもらうだけでは状況は変わらない。それでも、日頃から積み重なった悩みや愚痴を吐き出せる開放感や、それを受け入れてくれる仲間がいる、「一人じゃない」という安心感が、常に不安やストレス、プレッシャーに晒されている介護者を救うのかもしれない。

「根本的な解決ではないかもしれませんが、(介護のキーマンとなる)相手が『また頑張ろう』と思えるかどうかが、大事ではないかと思います」

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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