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「大食い選手権」「料理の鉄人」…大ヒットしたグルメ番組に共通する"あるテーマ"

プレジデントオンライン / 2021年5月15日 11時15分

旭日小綬章の受章が決まり、記者会見する服部栄養専門学校校長の服部幸應さん=2020年10月29日、東京都渋谷区 - 写真=時事通信フォト

日本人の食生活は「グルメ番組」に大きな影響を受けている。生活史研究家の阿古真理氏は「『大食い選手権』や『料理の鉄人』といったグルメ番組には、日本の“台所タブー”を打ち破ったという大きな功績がある」という――。

※本稿は、阿古真理『日本外食全史』(亜紀書房)の一部を再編集したものです。

■日本人のグルメ化を進めたテレビ番組

日本人のグルメ化を進めるうえで、最も影響力があったメディアはやはり、100万人単位の人が観るテレビだろう。インターネットは台頭してからの日が浅いし、情報の質にはバラつきが大きいからだ。食をテーマにした情報番組には、これまでどんなものがあったのだろううか。

最初に登場したグルメ番組は、1975(昭和50)年に始まった『料理天国』(TBS系)である。芳村真理、西川きよしが司会。辻調理師専門学校の講師が料理をつくり、二人が食べる番組で、世界各国の料理を紹介した。サントリーの一社提供で、1992(平成4)年まで放送された。

社会的影響力を持った最初の番組は、1992年に放送が始まった『TVチャンピオン』(テレビ東京系)の「大食い選手権」シリーズである。こちらの番組は『大食い王決定戦』とタイトルを変えて現在も放送が継続している。料理をバラエティ化しヒットさせるにはやはり、戦いを描くことが必要であるらしい。

それはどんな番組なのか。『TVチャンピオン 大食い選手権』(テレビ東京番組制作スタッフ編、双葉社、2002年)で、歴史をたどってみよう。

記念すべき第1回の放送は1992(平成四)年4月16日。東京・高円寺の「桃太郎すし」本店で予選が開かれ、30分間で食べるすしの皿数を競う。第1ラウンドは代々木「長寿庵」で天丼・親子丼・カツ丼の大盛りを食べる。第2ラウンドは、目黒「ステーキハウス リベラ」で3ポンドのステーキを食べ切る。第3ラウンドは、小岩「丸幸」でギョウザ100個を食べる。いずれも制限時間は30分。

決勝ラウンドは、六本木「台南但仔麺」で「一口ラーメン」の「ターミィ但仔麺」を食べる杯数を40分間で競う。チャンピオンは20歳の伊藤織恵だった。

■大食い大会の元祖はわんこそば

第2回には、佐野ラーメンや米沢牛ステーキ、仙台駅弁で競い、決勝は盛岡わんこそばを食べ、と東日本の名物を堪能。

第3回は西へ向かい、名古屋のエビフライ、京都ぶぶ漬けなどを食べ、決勝で高松の讃岐うどんを食べる。外国料理対決となった1995年正月特番は、激辛キムチ、シュラスコなどを食べ、決勝はハワイのマカデミアンナッツチョコである。

この番組で最も有名になった人は、ギャル曽根ではないだろうか。彼女は母親になった今も、タレントとしてテレビで活躍している。

大食いの人は太っているのではないか、という先入観は、出場選手たちのスリムな体を見ることで打ち砕かれる。この番組は、ラーメン屋などにある「10杯食べたらタダ」といった企画を大型化したものと言える。また日本には昔から大食い競争の伝統があり、1957年に岩手・花巻で始まった「元祖わんこそば全日本大会」はその代表的存在と言える。

盛岡のわんこそば
写真=iStock.com/PHOTON09
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PHOTON09

江戸時代にも、大食いを競う大会は開催されていた。『和食とはなにか』によれば、料理本のベストセラーが出るなど、食のメディアが充実していたグルメ時代の化政期には、酒を飲める量や、食べる量を競う会が開かれている。

1817(文化14)年に両国柳橋で開かれた大会では、茶漬けを、73歳の和泉屋吉蔵が54杯、41歳の三右衛門が68杯も食べている。

文化的土壌はあったものの、それまでテレビで大食いをバラエティ化した企画はなかった。『大食い選手権』は、新しい分野を開拓したと言えるだろう。

■世界的な影響力を持った『料理の鉄人』

1993(平成5)年、伝説の番組が始まる。それは1999(平成11)年まで放送された、『料理の鉄人』(フジテレビ系)だ。アメリカでテレビ番組に与えられるエミー賞にノミネートされ、アメリカや韓国などで類似番組が誕生するほど、世界的な影響力を持った画期的な企画である。

料理のコンテストは昔からある。しかし、一対一で勝負する企画は、リアルの世界ではこの番組がおそらく最初である。食の競争を見世物にすることをよくないとする意識の壁は、『大食い選手権』が破ったところでの登場。

番組内では必ずシェフたちのプロフィールを紹介する。包丁技や鍋の扱い方など、出場者の鮮やかな技を見せるスター扱いで、「料理人ってかっこいい」と思った人はたくさんいただろう。

ジャンルを本格的に開拓した番組は、料理人の社会的地位を引き上げたのである。

出場者の技術も向上させた。何しろ60分一発勝負である。包丁の持ち込みはできるが、そのほかはない。料理長をやっている人でも、アシスタント一人だけで自ら下処理から行わなければならない。

しかも、出演して初めて課題の食材がわかる。それを全品に使ってコースを組み立て、対決するのだ。異種格闘技をイメージしているため、対決相手は同じジャンルの料理人とは限らない。

和食、フランス料理、中国料理、そして途中からイタリア料理も加わってそれぞれ鉄人がいる。連戦してきた彼らに、料理人たちは挑むのだ。過酷な勝負は、確実に出場者の腕を上げる。

また、番組を見る料理人たちは、テレビを通して一緒に厨房に立つことが難しい達人たちの発想や技術を学んだだろう。

■番組の影響でスーパーに並ぶようになったバルサミコ酢

出演したことで、有名になった料理人は多い。

特に脚光を浴びたのが、ジャガイモで中華の陳建一と対決して勝った料理研究家の小林カツ代、チョコレートとバナナでイタリアンの神戸勝彦に勝ったパティシエの辻口博啓だろうか。ほかにも中華の周富徳、和食の神田川俊郎、中華の脇屋友詞などがいる。石鍋裕、坂井宏行、道場六三郎、陳建一など、鉄人たちはもちろん有名になった。

番組にはいくつも伝説がある。道場六三郎が対決にあたり、筆でお品書きを書いたこと。陳建一が鉄人最長連勝記録を打ち立てたこと。審査した料理ジャーナリストの岸朝子の「おいしゅうございました」のセリフ。そして、ほとんど知られていなかったバルサミコ酢が有名になり、スーパーに並ぶようになったこと。

オーガニックのバルサミコ酢
写真=iStock.com/bhofack2
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bhofack2

ジャンルに縛られずに食材を使い、調理法を工夫する潮流を飲食業界で拡大したこと。フランスでは、『ミシュラン』などの料理ジャーナリズムが料理の進化をうながしてきたが、平成初期の日本では『料理の鉄人』が、その役割を担ったのである。

関係者のインタビューなどを含めて番組を記録した『料理の鉄人大全』(番組スタッフ編、フジテレビ出版、2000年)には、実況に解説員として加わった服部栄養専門学校校長の服部幸應が組んだスペシャルコースで、登場した料理を紹介している。

フランス料理は「ハモのロワイヤル トリュフソース」「オマール海老の紫カブ詰め鉄人風」「中トロの赤ワイン煮 チョコレート風味」「ハモと車エビのサラダ 人参とオレンジのソース」「洋梨のロースト ホワイトチョコオレンジ風味」「仔羊のハラミのソテーと赤ピーマンのソルベ」である。

■対決型の料理番組に夢中になった若年層の男性視聴者

和食は「ワカメの琥珀寄せ」「ねぎま鍋 しゃぶしゃぶ仕立て」、クルマエビとトリュフを使った「レンコンの挟み揚げ」「チーズ豪快鍋」「フォアグラとアボカドのグルメ丼」である。

中華は「パパイヤのココナッツ カニあんかけ」「芝エビのチリソースのカナッペ」「ヤリイカの淡雪フカヒレ炒め」「スパイシーパパイヤスープ」「オマール餃子とピリ辛土鍋煮込み」である。

料理の名前から、ジャンル横断的な意外な組み合わせが、たくさん登場したことがうかがえる。この番組が料理人たちの意識を変え、技術を向上させ、食べ手の意識も変え、知識をふやしたことは間違いがないだろう。

人々がグルメに興味を持ちつつ、まだ体験が少なかったこと。昭和の経済成長時代の名残りで、高級料理や高級食材が、いつか手が届くかもしれないという憧れの対象だったこと。意欲的な番組がヒットしたのは、時代のタイミングとぴったり合ったことが大きい。

日曜夜に放送された番組は、従来の料理番組とは異なる層にもアピールした。それは若い男性たちである。グルメマンガが対決ものの『包丁人味平』で本格スタートしたように、『美味しんぼ』が親子対決で引きつけたように、男性たちはテレビ番組の対決で料理に夢中になった。

■日本の“台所タブー”を打ち破ったグルメ番組

昭和まで、「男が食を語る」「男が台所に入る」のはタブーの空気があったが、これらのメディアが人気を博すにつれ、料理に興味を持ち、そのことを人前でも表す男性はふえていったのではないだろうか。平成後期に広がった料理男子の元祖はおそらく、グルメメディア好きな彼らである。

その後番組は、2012年に辻調理師専門学校が関わり『アイアンシェフ』として復活。しかし、知識や経験がふえてしまった視聴者に驚きをもたらさなかったのか、半年ほどで終了。

2019年12月にも特番『料理の神様』として、吉田剛太郎司会で復活したが、セットが地味だったことも加わって、オリジナルの鹿賀丈史ほどの迫力はなく、取り上げた料理もハンバーグと回鍋肉と庶民的で地味だった。

やはり伝説は、奇跡的で稀有な存在だからこそ、成立するものなのだ。

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阿古 真理(あこ・まり)
生活史研究家
1968年生まれ。兵庫県出身。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。

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(生活史研究家 阿古 真理)

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