「3分たっても歌が始まらない」山陰の中2少年がいきなりプログレにはまった瞬間
プレジデントオンライン / 2021年5月20日 15時15分
※本稿は、馬庭教二『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■級友が持ってきた一枚のLPレコード
私が初めてプログレを聴いたのがいつだったか、正確な日付は思い出せないが、1973年の4月だったことは間違いない。その時私は、山陰の小都市に住む中学二年生だった。中二のクラス替えで急速に仲良くなった友人Nが、ゴールデンウィークの始まったある日、我が家に一枚のレコードを持ってきたのである。
「おまえ、イエスって知っとるか」
「?」
イエス・キリストのことでないことだけはわかった。
「まあ、聴いてみろ。今、一番注目されているイエスの、一番新しいアルバムだ。イギリスのグループで、プログレッシヴ・ロックっちゅうらしい」
Nは自信満々の面持ちで、カメレオンのように鮮やかな緑色のアルバムを取り出した。
イエス、プログレッシヴ・ロック……。何のことやらわけがわからない。単純極まりないバンド名も、プロなんとかという言葉もそれまでに知っていた音楽の世界のものとはどうも印象が異なる。当時の私は、深夜ラジオのヒットチャート番組を通し、「洋楽」というものを真剣に聴き始めたころだった。今、思い出せるのは、それまで出会ったことのない何かと出会えそうな予感がしたことだ。
そのあとの20分が、今日に至るプログレ人生の始まりとなった。
■再現! 名曲「危機」の18分45秒
以下、「危機」をご存知の方ならわかってもらえるだろう、私がこの曲を初めて聴いた時の、感じたこと思ったことの再現である。
……鳥のさえずり、川のせせらぎの音が少しずつ高まっていって、突然、大音量のバンドサウンドに突入した。バンド演奏はこれまでに聴いたことのない種類のもので、ギターが奏でるメロディも、ドラムとベースが作り出すリズムも、まったくわけのわからないものだった。
すると「アー、タッ」「アー、タッタッ」というコーラス(これはいったい何だ?)をきっかけに曲調が変わり、ようやく「歌」が始まった。ここまですでに3、4分たったろうか。こんなに長い時間歌が出てこないのにも驚かされる。軽快で気持ちのいいメロディだが、ボーカリストの声は男なのに女の声のように高く、ちょっと掠(かす)れた妙な声質だ。
バックのドラムやベースの演奏は相変わらず奇妙(下手くそという意味ではない。たぶんものすごく上手だと思う)だし、どういう楽器なのか知らないが「ピヨピヨピヨピヨピコピコピコピコ」という音がずっと背後で鳴り続けている。
こうしてテーマらしき歌が終わると、今度は荘重なオルガンをバックにゆっくりした歌が始まった。さっきのテーマらしき歌のバリエーションのようである。この部分は主旋律とコーラスの掛け合いがとてもきれいだ。
鍵盤楽器が高らかに響きわたってこのパートが終わると、再びフルバンドの演奏に突入し、最初に聞いた「歌」(要はこの曲のたった一つの歌である)が、もう一度リズムを変えて演奏される。さっきよりもっともっと速く、もっともっと強くだ。
そうして最後の最後に、背筋が震え胸がキューッとうずく瞬間が訪れた。疾走してきたリズムがぐぐぐぐぐっとゆるんだかと思うと、曲全体のなかでもっとも親しみやすく、切なく、甘酸っぱいサビのメロディが、これまでになく鮮烈なコーラスを伴い再現されたのだ。
その心地よさをどのように表現すればいいだろう。
真夜中に高い高い岩壁を登っていって満天の星をいだく頂上に頭をつっこみ見上げた瞬間の達成感とでも言おうか。高い高い滝の上からはるか眼下の滝つぼに向かって身を投じた刹那の浮遊感とでも言おうか。ともかく、レコードに針を下ろしてから20分近くかけて溜めに溜めてきた何物かが解き放たれる、信じがたい快感だった。
あまりのカタルシスに腰がくだけたようになっていると、音楽は冒頭と同じ、鳥のさえずりと川のせせらぎの音に包まれて終息した……。
■ただただ「かっこいい」と繰り返した
私はしばし、言葉を失っていた。
「かっこいいだろう」
「うん、かっこいい! かっこいい!」
「そうだ、かっこいいんだ」
「かっこいいなあ。かっこいいなあ」
まるでバカだが、今どきの若者が何にでもかんにでも簡単に付ける「超」だの「すっげー」だの「やばい」や「くそ」(何と誉め言葉として使っている)だのの形容詞を持たない2人は、ただただかっこいいかっこいいと繰り返すのだった。
アルバムの内ジャケットには、広大な湖から青々とした清流が下界に流れ落ちる、この世のものとは思えない美しい景色が描かれていた。裏表紙には、5人のバンドメンバーとプロデューサーという肩書きの人物の写真が印刷されており、これがまた6人が6人ともかっこよかった。少女マンガで描かれる白馬に乗った王子様並みにハンサム揃いな上に、着ている服も、ポーズも、そしてまた「リック・ウェイクマン」とか「ビル・ブラッフォード」といった彼らの名前も。ともかく何もかもがかっこよかった。
■翌日さっそくレコード店に走った
翌日、さっそく私はレコード屋に行って、そのアルバム『危機』(“Close To The Edge” 1972年。イエスの第5作。「危機」はそのタイトル曲、18分45秒)を買った。以来、文字通り擦り切れるまで、レコードをかけすぎてパチパチパチというノイズだらけになるまで聴いて、後年もう1枚同じレコードを購入することになる(そのあとCDも何枚も買いました)。
「N君、イエスには本当にまいった。もっとプログレのレコードを聴かせてくれ、頼む」
プログレッシヴ・ロック(Progressive Rock)が「進歩的なロック」を意味することは辞書を引いて確認していた。プログレと縮めて呼ぶのがいかにも通らしくてかっこいい。友人Nには2つ違いの兄がいて、今から思えば田舎の高校生にしてはなかなかにませていたのだろう、プログレをはじめ外国のロックのレコードをたくさん持っていた。N君というより正確にはN君の兄が、私の運命を変えた恩人なのである。
以上が、48年前のあの日、初めて「危機」を聴いた時の記憶である。驚くべきことに、この曲が私に与えてくれる「心地よさ」は、あれから数えきれないほど聴いてきた今でもそれほど変わっていない(さすがに「驚き」だけはなくなったのだが、それでも聴くたびに何かしらの発見がある)。
ともかく私は、こうしてプログレに出会ってしまった。そして実はこの文章の中にプログレの特徴、聴き方・作法や、時代の空気感が表れていると思うのだ。
■プログレッシヴ・ロックの「5原則」
プログレとは何か、簡潔に説明すると以下のようになる。
「プログレッシヴ・ロックとは、1960年代末イギリスで生まれ1970年代に世界中でブームとなったロック・ミュージックの一ジャンルを指す」
その特徴としては、
1.それまでのロックになかった進取で前衛的(Progressive)な思想、手法、スタイルを持つロックを指す。一つのコンセプトに基づく作品のテーマは、収録曲はもとよりタイトルワーク、ジャケットデザイン、ステージ演出などによって表現される。
2.アルバム中心主義であること。アルバムのテーマ曲である10分から20分ほどの長大な作品を核とした構成で、メインとなるテーマを繰り返したり組曲形式をとることが多い。結果、アルバムの最後で、または中核となる作品の最後で主題のメロディが再現されることになる。
3.作品のテーマ(歌詞がある場合、詩の内容)は、人間の根源に迫る哲学的・宗教的なもの、古典的・幻想的・SF的なもの、現代社会を批判したり皮肉ったものなど多岐にわたり、ストレートなラブソングは少ない。
4.音楽的には、クラシック、ジャズ、民族音楽、現代音楽などの影響を受け、そのスタイルはさまざまである。4ビート、8ビートのシンプルなロックナンバーもあるが、3拍子、変拍子、転調を取り入れた複雑な曲も多い。ソウル、R&B、ファンクなど黒人音楽の要素は少ない。
5.ボーカル、エレクトリックギター、ベース、ドラムス、キーボードという一般的なロックバンドの編成が多いが、特にキーボードにおいてはメロトロン、モーグ・シンセサイザーといった当時の最先端の機材の導入に熱心で、フルートやサックス、バイオリンといった、伝統的なロックバンドではあまり使用されない楽器も目立つ。インストゥルメンタルのみ、ほぼインストゥルメンタルというバンドや作品も多い。
プログレの定義と特徴は大体この5つに集約できると思う。私はこれを「プログレ5原則」と呼びたい。
■『クリムゾン・キングの宮殿』の衝撃
プログレとして認められている最初の作品は何かといえば、キング・クリムゾンのデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』(“In The Court Of The Crimson King” 1969年10月10日英本国発売、以下同)というのが定説である。
無名の新人バンドのデビュー作があのビートルズの実質的最終作『アビイ・ロード』(“Abbey Road” 1969年9月26日発売)をヒットチャート1位から蹴落とし、チャートの頂点に立った――という伝説は事実としては誤りである。なぜなら『アビイ・ロード』は英米で最高位1位だが『クリムゾン・キングの宮殿』は最高位全英5位、全米28位であるからだ。
しかしこのアルバムは、ポピュラー・ミュージックの王者にして1960年代の音楽の牽引者だったビートルズ後、間もなく始まる1970年代の新たなロックの道を切り開いた記念碑的な作品であることは、世界中の音楽ファンから認められている。
キング・クリムゾンと『クリムゾン・キングの宮殿』の魅力については『1970年代のプログレ 5大バンドの素晴らしき世界』中で詳述するが、私自身も、アナログ・レコードA面1曲目の「21世紀のスキッツォイド・マン」の衝撃的な始まりから、B面の2曲目の最終曲「クリムゾン・キングの宮殿」の壮大なラストまで、一寸のスキもなく、圧倒的な迫力と美しさを持って聴くものを打ちのめす、これまでのポピュラー・ミュージック、ロックになかった、まさにプログレッシヴとしかいいようのない作品だと思う。
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1959年島根県生まれ。大学卒業後、児童書・歴史書出版社勤務の後、角川書店(現KADOKAWA)入社。「ザテレビジョン」「関西ウォーカー」「月刊フィーチャー」等情報誌、カルチャー誌編集長を歴任。雑誌局長を経て、現在、2021年室長、エグゼクティブプロデューサー。
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(馬庭 教二)
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