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「親権を奪われ、財産もない」そんな男たちはなぜ壮絶体験を笑いながら語るのか

プレジデントオンライン / 2021年6月5日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

沼田和也さんが牧師を務める教会には、多くの相談者が訪れる。そこで特徴的なのは、女性の相談者は号泣することが多いのに対し、男性の相談者はほとんど涙を流さないことだ。沼田さんは「私自身、『男らしさ』の規範に囚われ、心を病んでしまった。彼らの気持ちはよくわかる」という――。

■「話を聞いて欲しいんです。夜も眠れません」

牧師をしていると、さまざまな苦しみを負った人が教会にやってくる。

仕事の悩みや、人間関係の悩み。なかでも印象的なのは、やはり夫婦や恋人同士の悩みである。プライベートな問題であるがゆえ、周りの友人知人も口を出しにくい。あるいは、そもそも口出しできない。

彼ら彼女らは法的な手続きをしたり、精神科に通ったりと、すでになすべきことはなしている。だが、「親しい友人にさえ話せない」という孤立感は、どこにも持っていく場所がない。

一人で抱え込む苦しみに耐えきれなくなったこのような人が、「おはなしを聞いていただけませんか」と教会にやってくるのである。本稿ではご本人の了解を得たうえで、具体的な事例を語らせていただこうと思う。プライバシー保護のため、詳細に若干の変更を加えてあることをお許しいただきたい。

ある日、「話を聞いて欲しいんです。夜も眠れません」と、一人の男性から連絡があった。

その男性は結婚し、妻とのあいだに子どもがひとりいる。

だが不幸なすれ違いのなかで、「夫がドメスティック・バイオレンスを行った」として、妻と子どもはシェルターに保護された。ところが実際に家庭内で暴力や暴言を受けていたのは彼だったというのである。

彼は自分の身の潔白を証明するために、女性から暴力を受けた際の、いくつかの診断書を保管していた。

■診断書と被害届を見せながら淡々と語る相談者

妻から食器を投げつけられ顔にけがをした際の、医師による詳細な所見の書かれた診断書。

真冬に薄着で家から追い出され、一晩じゅう家に入れてもらえなかった際の被害届。この被害届には管轄の警察署長によって受理印が押されおり、実際に受理されたものだと確認できた。

こうした書類を、男性は一枚一枚、詳しく状況を話しながらわたしに見せてくれた。

また、彼は女性からのメールをプリントアウトしたものもわたしに読ませてくれた。そこには「あなたは嘘をついている」「そんなことをした覚えはない」「暴力を受けたのはわたしのほうだ」「あなたはすべてをわたしに押し付けてきた」などの、彼を一方的に責める言葉があった。

わたしがそれらの「証拠」に目をとおしているあいだ、彼は女性への罵詈雑言を一言も語らなかった。むしろ自分が父親として、また夫として至らなかったことを率直に語ってくれた。

彼は残業の多い過酷な仕事に就いており、たしかに女性が「ワンオペ」になってしまうことも多かったことを認めた。彼は自分だけを被害者として強調するのではなく、自分の側の問題も認めたうえで、あくまで事実関係をなるべく客観的に、わたしに説明してくれたのである。

この男性が被害妄想によってわたしに嘘をついている可能性はあるか? わたしは超能力者ではないので、彼の「本心」を見透かすことはできない。だが彼が見せてくれた診断書や被害届を見る限り、彼が嘘をついているとは思えないとわたしは判断した。

■「無駄です。親権で男が勝てることは、ほぼないですよ」

ところで、このような証拠資料があっても裁判所や児童相談所は彼の訴えを認めてくれなかったという。そこまで話を聞いて、わたしは自分が今までに話を聞いてきた、他の男性たちのことも想いだしていた。

DV問題をともなわない離婚にまつわる子どもの親権について、わたしはこれまでも何人かの男性たちの話に耳を傾けたことがあった。

それらの話を総合すると、次のような共通点があった。まだどちらに親権があるのか正式には決まっていないうちに、女性が子どもを連れて家を出て行き、母子ともに連絡がとれなくなるというパターンである。もちろん、男性が子どもを連れて行くなどして独占するという、逆のケースもあるだろう。

ある男性は親権について裁判に訴えようとしたところ、弁護士からこう言われたという。

「無駄です。親権で男が勝てることは、ほぼないですよ」

法律で悩む弁護士
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

彼はこの言葉を聞いて「絶望した」と、わたしに語ってくれた。親権を失い、元妻や子どもと連絡が取れなくなったとしても、男性は一生会えないかもしれない子どものために、子どもが成人になるまで養育費を支払い続けなければならないのである。

■養育費の8割が払われていないのは事実だが…

一方で現在、元夫による養育費の8割が支払われておらず、それによりシングルマザーの貧困が問題となっているという、決して無視できない一面が厳然と存在する。

わたしはかつて牧師として幼稚園の園長をしていたが、一日にパートを三つかけもちする母親もみてきた。シングルマザーたちは皆、厳しい労働とワンオペの子育てに疲れきっていた。ただその一方で、養育費をきちんと支払おうとする男性ほど心身共に追い詰められるという事態も、同時に起こっているのだ。

ちなみに、養育費の支払いが滞れば、差し押さえが行われることさえある。(※1)この事実は不況のなかで生活苦にあえぎ、しかも会うことのかなわぬ子どものために養育費を支払い続ける男性を、金銭的にのみならず精神的にも追い詰めるのである。

このような袋小路に陥った男性が、そのことを打ち明ける相手もいないまま、教会を訪ねてくるのだ。

(※1)https://www.tokyo-np.co.jp/article/12176

■どんなに辛い相談でも涙を流さない男性たち

ところで、わたしは教会に訪問する人たちの、ある特徴に気づかされた。女性は涙を流しながら、あるいは号泣しながら、わたしに苦しみを話してくれることが多い。そしてその内容は「分かりやすい」。

分かりやすいというのは、苦悩の程度が大したことないという意味では決してない。教会に来ても余計な話はせず、何に苦しんでいるのか単刀直入に、簡潔に話してくれるということである。

だが、男性の多くはそうではない。もう何人もの男性の相談者と向きあってきたが、わたしの目の前で涙を流した男性は、いまのところたった一人である。

困った男
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

男性の場合、会って最初のうちは、何を悩んでいるのか話してくれないことも多い。ただ雑談をしに来たように見える。彼らは笑いながら、ときには自嘲さえしながら、その深刻さを雑談のなかに慎重に混ぜ込んで、まるで他人事のように語ることがほとんどなのだ。

教会に来ただけでもよく話す気になってくれたと思うが、教会に来てさえこうなのである。もちろん、簡単に男性はこうだ、女性はこうだと決めつけられないとは思う。わたしが男性であるということも、来訪者の態度に影響を与えているかもしれない。

いずれにしても、わたしのところに訪れる多くの男性の姿をみるにつけ、男性が酒の力も借りずにしらふで、泣いて自分の苦しみを吐露することの困難を想わずにはおれないのである。

■「男としてきちんとしていること」というプレッシャー

わたしは、男性が泣くことができず、誰かに泣き言を言うハードルも高いことの理由の一つに、「男としてきちんとしていること」を深く内面化している問題があると感じている。

この問題、じつは相談者の側だけにあるのではない。相談を受ける牧師の側もまた、「男としてきちんとしてしていること」に縛られている現状が存在する。わたしが属する牧師の業界では女性の牧師はまだまだ少なく、男性が圧倒的に多いことも背景にある。

ほんとうに信徒がそう思っているかはともかく、「信徒からの期待に応えなければならない」というプレッシャーを抱える彼ら男性牧師の多くは、信徒の前で弱さを見せることを恐れているようにもみえる。

職業柄、仕事とプライベートとの区別をつけにくい牧師は、「牧師は私生活も含めて信徒の模範である」という緊張にさらされる。

そうやって自分自身を追い詰めていくなか、彼らは「仕事は有能で、善き家庭人でもある」牧師像を無意識に求めるようになる。

わたしがこの「男としてきちんとしていること」の問題について考えずにはおれない背景には、わたし自身が味わった苦しい体験もある。最後に、そのことについて少しだけ語らせていただく。

■「模範的なより夫婦像」が妻を追いつめてしまった

わたしの妻は結婚直後から心身の不調に苦しんだ。「牧師夫人」を演じなければならないというプレッシャーが彼女を追い詰めたともいえる。わたしは自分なりに彼女を支えようとした。

料理や洗濯などの家事もなるべくわたしがやった。だが、ほかでもないわたし自身が「なぜ彼女を助け、支えるのか」について、向きあうことはまったくしなかった。

いま振り返ると当時のわたしは、彼女のことを心配していたというよりもむしろ、「牧師が家庭問題を抱えていては体裁が悪いのではないか」という不安に駆られていた。だから模範的なよい夫婦像を渇望していたのだと思う。

また、他の教会の牧師夫妻が夫婦ともども健康で、子どもも数人おり、その子たちがすくすく育つ様子を垣間見るにつけ、子供のいないわたしは自分たちと彼らとを比較し、悩んだ。

アジアのカップル
写真=iStock.com/Rawpixel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawpixel

わたしの妻は子どもを切望していた。では、わたしは子どもを欲しているのか? わたしは考えることから目をそらし、妻と向きあうことから逃げた。また、そうやって逃げる自分を、精神的にも性的にも「男として未熟だ」と責め、他の男性牧師たちに対して劣等感を募らせた。

精力的に仕事をこなす同僚牧師。彼らを支え信徒を歓待する、元気で活動的な牧師夫人たち──彼らには彼らの苦悩がとうぜんあったはずなのだが、わたしは勝手に彼らに対して「悩みの少ない、きちんとした家庭の夫にして父親」像を投影し、羨み、妬んだ。そして、自分もそうあろうとして「妻を支え」続けた。

そういう「支援」が、果たして妻をリラックスさせたか?──彼女は回復するどころか、倒れてしまったのである。

■まさに自分自身が誰にも相談できずに心を病んでしまった

正しい夫。正しい牧師。正しい幼稚園長。すなわち、正しい男性。「男らしさ」の規範に囚われ、しかしそれが実現できない苦しみを誰にも相談できなかったわたしは、けっきょく心を病み、精神科に入院した。

沼田和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)
沼田和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)

そのとき助けてくれたのは、わたしが「支えている」と思っていた、妻であった。

今回、はじめての著書となる『牧師、閉鎖病棟に入る。』では、そのあたりの機微についても書かせていただいた。わたしが「まともであること」「きちんとしていること」にいかに固執していたのかについて、わたしは包み隠さず著作に吐露した。

こう書けば、まるでわたしが今はその固執から解放されたかのように、読者の方々は思われるかもしれない。

だが、わたしはいまだに達観してなどいない。わたし自身がまだまだ「まともさ」へのこだわりを捨てきれていない。わたしは今なお自分自身と向きあい、問い、葛藤を覚えながら、今日も相談者を待っているのである。

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沼田 和也(ぬまた・かずや)
牧師
1972年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校を中退、引きこもる。その後、大検を経て受験浪人中、1995年、灘区にて阪神淡路大震災に遭遇。かろうじて入った大学も中退、再び引きこもるなどの紆余曲折を経た1998年、関西学院大学神学部に入学。2004年、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。そして伝道者の道へ。2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院。現在は東京都の小さな教会で再び牧師をしている。Twitterはこちら

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(牧師 沼田 和也)

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